| [5446] <再掲示> インターネット道場―― 「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか) 第197回 |
- 信徒連合 - 2016年10月20日 (木) 08時48分
<再掲示>
インターネット道場――
「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか)
第197回
マサノブ君は、「生長の家ってどんな教え?」という本を書いています。これを読んでみますと、「マサノブ教ってどんな教え?」というタイトルが正確であります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』を換骨奪胎して、マサノブ君の個人的思想、―――サヨク唯物現象論に基づく環境問題が中心のもの、―――が「生長の家」の教えとして書かれているのであります。 最も重要な開祖・谷口雅春先生の大悟徹底(お悟り)や「生命的国家論」や真理の証し「体験談」、霊と霊界に関する事柄については全く書かれてはいないのであります。
「生長の家」の本当の『御教え』を知りたい人や真剣な求道を志す人たちにはマサノブ君の「今の教え」や「生長の家ってどんな教え?」は誤ったメッセージを送ることになっています。
また、本部公式サイトのインターネット講師による「生長の家」の普及宣伝を目的とする「インターネット・ポーサルサイト」では、マサノブ君は、全インターネット講師に『このブログは「生長の家」の真理普及のために開設しましたが、内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。 従って、私は「生長の家」を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、ご了承ください。』という一文を必ず掲載させております。誠に“奇々怪々”な文章であります。その結果として、本部公式サイトでありながら、殆んどのインターネット講師の真理普及のためのインターネット講座が、個人的な“私生活日記”の報告となってしまっています。
インターネットは全世界に公開されているものです。だから、開祖・谷口雅春先生が説かれた「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えしなければならないのでありますが、マサノブ君はその責任を放下してしまっているのであります。
そこで、本当の霊的真理を求めておられる御縁ある未信徒の人たちに正しい「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えする為に、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の根幹である部分を、何回でも何回でも繰り返して掲載して行く必要があります。この様な目的を以って、この「インタイーネット道場」を最初から再び<再掲示>させて頂きます。
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もっと霊界の知識を持ち伝えよう。現象界の出来事は霊界でその雛形が刻々と出来上がりつつあり!
現代世界は、世界各地で紛争が絶えません。暴力国家と称せられる「イスラム国」と膨大な難民の発生、そして世界覇権を軍事力を背景に求め続ける共産中国、さらに国家的宿命ともいえる不凍港を求めて南下政策を続けて止まないロシア、更に日本国内では、労働市場のロボット化は急速に進み、今後5年たてば科学的技術的能力を持つ階層と技術的能力をもたない普通の階層との所得格差は更に拡大して多くの国民は生きて行くことさえ難しい社会となって行く事は避けることが出来ないのであります。
所得の少ない階層の人たちは、自己の不遇の原因をすべて国家の責任に帰し、福祉や年金の増額を共産党の援護のもとに要求し続けていきます。しかし、これでよいのでしょうか?
『生命の實相』霊界篇・<はしがき>に於いて開祖・谷口雅春先生は次のように説かれています。
@ 地球やその他の天体は、人間の霊魂がそこにおいて修行し、向上し、内在無限の神性をより多く発揮するための「場」だという事が出来るのである。したがって、肉体を持っている人間の運命は、肉体を脱却して、よりいっそう進化向上せる霊魂の指導を受けて、種々に導かれ修正せられつつあるのである。われわれは、これ等の関係を無視して人間の運命を論ずることが出来ない。
A 人間の運命の一半は霊界との連関において定まるのであって、本人の自由意志のみで定まるのではない。
B 個人のみならず、国家にも民族にも、過去の想念、言葉、行為の力が蓄積されていて、ある惰力をもってその特有の運命の軌道を走ろうとするものである。そして個人の運命も、国家または民族の一員である限りにおいてその全体的な運命から脱落することは出来ない。
しかし、『その中にあっても、向こう岸に安全に到達する者も在る』と開祖・谷口雅春先生は説かれ、『そこには個人の努力や自由意志の働く部分がある』と説かれております。
『生命の實相』實相篇の<心の世界に於ける運命の形成>の章では、
C すべての地上の事件は「物質世界」にあらわれて来る以前に「念(こころ)の世界」でできあがるのでありまして、「念(こころ)でできたとおりが、物質世界に映ってはじめて地上の事件となってあらわれて来るのであります。・・・「念(こころ)の世界で進行中のものであっても、できあがってしまったものではありませんから、ある事件を起している「念(こころ)の要素」の変化によって、またその事件は変わっていくのであります。ここにわれわれの運命を支配し得る自由があるのであります。
D 「念(こころ)の世界」にまだ事件があるうちに修正しておいたら、災難が災難にならず、不幸が不幸にならず、病気が病気にならずに「物質世界」にあらわれて来るのであります。
E しかし多勢の「念(こころ)の総合的力」で強く決まってしまった事件、たとえば災難は、われわれが如何に精神統一をして、その反対の思念をしましても、その事件を起こらなくさせるということはできないのであります。そう云う場合には、われわれ自身の心がその災難の渦中に引き付けられないような健全な信念をもっていさえすれば、災難は起こりましても、『類でないものは反発する』という心の法則によりまして、自分はその災難の渦の外へ放りだされることになるのであります。
そこで、これからの混沌とした、ある意味、危険な状況に遭遇する確率が非常にに多い現代の世の中を歩んで行くために重要な原則は、
F 「類でないものは反発する!」これこそわれわれが悪運を避ける唯一の法則、と知ること。
G 霊界の秘密を知らずして人間の運命を予知する事は出来ない、と知ること。
H 地上生活を送る人間にとっては、人類の運命は、高級霊の愛深き指導によって間断なく修正されつつある、と知ること。
ここから、神の子の自覚を深める「神想観」と自分の家の御先祖供養を聖経『甘露の法雨』を自分自身で読誦する「先祖供養」(流産児供養を含む)を怠りなく続けることが、現代及び将来の人間には最重要事である事がわかるのであります。この最も大切なことが益々疎かにされていっているのが現代社会であります。多くの社会的な凄惨な事件を予防し、根本的に解決し、国家安泰を実現していく基礎は此処にあるのであります。
しかし、「サヨク唯物現象中心主義のマサノブ教」に於いては、特に先祖供養の重要性や霊界の事柄については説かれていないのであります。第一、マサノブ君自身が、かつて信徒からの質問に答えて「私は霊界のことは分かりません」と返答しており、また「霊界については宗教の世界では統一された見解はまとまってはいない」とも答えていてその宗教音痴振りを暴露しているのであります。
しかし、開祖・谷口雅春先生は霊界のことについては明確にその世界の内容を解説されております。なぜ、マサノブ君は、自称にしろ教えの後継者を名乗りながら、霊界のことに触れないのでしょうか? 二つ理由が在ります。一つは、彼自身が物質主義者であるからであります。もう一つは、マサノブ君の憑依悪霊が、霊界のことを説かれたら困るからであります。しかし、現代人にとっては、「霊界の知識」は大切なことであります。そこで、開祖・谷口雅春先生の説かれた「霊界とその内容」を勉強しなおして多くの人たちへお伝えいたしましょう・・・
霊・霊界知識の必要性について
『霊界の妻は語る』(新選・谷口雅春選集)P.101−107
<<・・・夜間睡眠中に、私の霊魂が妻の霊魂と幽界に於いて、会合する事ができた・・・その後、数ヶ月たって、妻の霊魂と直接談話現象に入ることができるようになった・・・私が、種々なる指導霊と交えた問答を総合して考えてみると・・・もし吾々が睡眠中に体験したところの状態を、精細に現実界に持ち来たす事ができたならば人類にとって大なる恵福となることを私は今なお信ぜずにはいられないのである。何故なら吾々人類に一層大なる生命の視野を開いてくれることになると共に、早かれ遅かれ逝(ゆ)かなければならないところの霊界についての尚一層詳しい知識を供給してくれる事になるからである。
もし、吾々が旅行する土地について尚一層詳しい知識を持っておれば、旅行先で色々のことを弁ずるのに大変都合がよいではないか。・・・幽界遊行の記憶が余りにも楽しいものであるのでその記憶が残っていたならば地上に於ける現世の物質的生活の興味が全然失われてしまうおそれがあると言うのである。
この問題に関して私が議論した人達の多くの一致した意見は、睡眠中の幽界遊行の記憶はむしろ地上生活の意義をハッキリさせて、生活に刺激を与える事になる・・・尤も、多くの場合に於いて睡眠中の遊魂現象は、吾々自身の属する霊圏に行くだけだあって、一層高い霊魂の世界に行くのではないのである。・・・>>
『人間死んでも死なぬ』P.22−24
<<・・・人間のこの目に見える生活圏が、目に見えない一層高い生活の準備としての世界ならば、吾らはまたその様な生き方をしなければならない。それ故に「人間としての正しい生き方」を知るには、吾らはどうしても死後の生活が有るか無いかということから決めてかからねばならないのである。なかには、死後のことは今から知って置かなくとも、生きているうちには一所懸命に真面目(まじめ)をつくして生きて置き、死んでから若し生活があるならば、それは叉、死後になって真面目をつくして生きればよい、と考える人々もあるであろう。
しかしながら、死後に生活ありとして真面目に生活する人の<真面目さ>と、死後の生活なしとして真面目に生活する人の<真面目さ>とは、その“強さ”は等しくあり得るかも知れないが、その行為に顕われる“傾向”は相異しきたらざるを得ないであろう。
叉、死後に生活ありと考える人々のうちにも、死後の生活状態についての予想の相異に従って、また現世の生活振りが相異し来たらざるを得ないであろう。・・・この相異は重大な事ではなかろうか。・・・死後の生活の存否を決定し、もし死後の生活が存在するならば、その生活の内容及び性質も出来るならば決定しておくことが必要なのである。・・・>>
<注・コメント>
開祖・谷口雅春先生は上記の御著書において説かれている事をまとめれば・・・
「信頼するに足る充分に勝れた霊界通信の事実から考えると、霊界は間違いなく存在する。従って、我々が、地上で肉体という衣服を着て生活している間に『出来るだけ正確な霊と霊知識を知っておくこと』は大切な事である。此の事は、旅行先について前もって良く知っておれば、旅行先でより良い行動が採れるのと同じである。又そのことにより、現世の生き方や生活の仕方に絶えず新しい視野が開け、輪廻転生を続けて自己生命の無限の進化の途上に於ける今回の肉体地上生活(現世)の意義と目的がハッキリと判り、明確な目的(個生命の進化・向上)に向かって喜びを持って毎日を生きることが出来るのである。」・・・と云う事だと思うのであります。もう少し具体的に申しますと、
(1)過去世――現世――未来世を通じての「原因結果の法則」(因果律)を自分自身の幸せな生活を送れるようにより良く活用して行こうとの生活態度と生活習慣が生まれて来る。このような価値観を持って現世の仕事をし、生活を送る人々が増えれば、霊的原因に起因する病気や事故は減り、犯罪は減り、裁判官は暇(ヒマ)となり、紛争、戦争も減って行くのであります。自然災害と称されるものも減ってゆくのであります。
(2)現代社会の大きな問題となっている「自殺者の増加」問題を根本的に解決する方策は、「正しい霊知識と因果律の知識」を広く世間に広げることであります。自殺をして往く人を大きく分けますと二つになります。一つは、現に目の前にあるところの、病苦・借金苦・人間関係の軋轢と苦しみ・自己人生への絶望・・・から、兎にも角にも逃れたい・死ねば一切の絶望的悩みや苦しみから逃れることが出来ると考えて自殺をする人達であります。
そして、いま一つは、この世(現世)よりもあの世(霊界)の方がスバラシイ所だから早く霊界で生活したい、つまり、厭世的に現世を考えて現実逃避のために自殺する人達であります。これらの二つの部類の人々はいづれもが間違っているのであります。
現世は、霊魂としての吾々人間の魂が進化向上する人生学校であります。その人の人生に於ける病・悩・苦等は、魂の人生学校を卒業してゆくために課された進級テストなのです。理由の如何を問わず、自殺とは、進級テストの答案を書かずに中途退学する事で、上級学校へは進級したくても決して出来ず、再入学して再び同じようなテストを受けなければなりません。
即ち、現世は自己努力をして完全に卒業して初めて一層すばらしい上級学校(霊界・未来世)へ行けるのであります。自殺しても霊界へ行っても同じ苦しみ・境遇が待っている。自殺しても悩み・苦しみからは逃れられない事を知って自殺などせずに生き抜いて、霊的信仰の面からの真剣な自助努力をなせば道は必ず開けるのであります。
(3)「何故自分だけが、あの人だけが不幸な事件・事故で死なねばならなかったのであろうか、本人は無過失であって、全責任は相手方にある」と主張する人々が現代社会には多くおります。肉眼で見える世界だけを見れば確かにその通りでありますが、正しい霊知識があれば観かたが変わってくるのであります。
過去世――現世――未来世を通して見れば、すべての事件・事故は双方の持つ因果の然からしむる所である事が判るのであります。と同時に霊魂は永遠生き通しでありますから亡くなった人は霊界で活き活きとして生きており、次なる霊魂の進化・向上の場へと進んで行きつつあるのであります。
霊界通信によれば、突発的な突然の死は、その霊魂にとっては飛躍的進化をするために必要なことであった。という事であります。
(4)開祖・谷口雅春先生は、「霊と霊界」について、詳しく説いて頂いているにも拘らず、三代目マサノブ君は、「霊」に関することは危険な事である、「霊」に関する事については宗教界に於いて合意の見解がないとの理由から一切「霊・霊界」に関しては触れず、むしろ「霊・霊界」の事を忌避(きひ)しており、御本人も「霊・霊界」に関しての関心など全く無い様であります。此の事からもマサノブ君の説く「今の教え」は「本当の生長の家の教え」とは、似て非なるものであり、レベルの低いセレブ階層向きの教養・趣味趣向とも云えるものであります。
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