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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[6080] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第183回
信徒連合 - 2016年12月14日 (水) 09時00分




谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――


@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』

A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』

★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。

******************




大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(24)





   其処に黴菌(ばいきん)ありと知らさるれば
   黴菌なくとも炎症を生じ、
   其処に黴菌なしと知らさるれば、
   炎症は忽ち消えて
   黴菌の生育に不適当なる状態を生ずべし。
   されば黴菌性の病患者にも
   「汝に病菌寄生せり」と告ぐること勿れ。
   「病菌なし」と告ぐれば
   言葉の力にて患者は安心し、
安心は心の調和を生じ、
心の調和は肉体の炎症を克服し、
炎症なき肉体には病菌も寄生し難きに至るべし。

 癌の原因には刺戟(しげき)説(化学薬物、放射線および物理的摩擦による刺戟)、細胞の突然異変、ヴィールス説等がありますが、まだ充分、確定的な医学的結論が出ていないのであります。ヴィールスの寄生による刺戟にてそれが起るにせよ、物理化学的な刺戟にてそれが起るにせよ、心の転換によって癌が消えるという事実は、色々の癌の原因に“心の原因”が加わることによって癌が発生し、“心の原因”がそれから除かれることによって癌が消滅するのだという結論に達するのであります。

癌の発生にも、癌の消滅又は治癒にも、“心”が主役を演ずるものであって、“癌の起る心”を除去しないでいて、患部の切除や薬物治療や、放射線治療をやっても完全な治癒は望めないのではないかと思われるのであります。

 昭和45年の3月神戸で講習会があったときに、兵庫県宝塚市平井東垣内町13の平田治郎氏が次のような癌の治癒体験を述べられたのであります。


皆さん、有難うございます。私はただいま御紹介を受けました宝塚市に住んでおります平田治郎と申します。一昨、昭和43年の6月に、大阪厚生年金病院で胃の切開手術を受けまして、その結果、胃全体が癌腫に被(おお)われまして、その上、すぐ近くの膵臓とか或いは十二指腸とか……そういう隣接の臓器へも既に転移がはじまっておりまして、もうどうにも手の施しようがないと、そのまま縫い合せて元通りに納めたと、……所謂(いわゆる)、医者に見捨てられた者でございます。

そのとき、医師は、家内に、「大変お気の毒ですが、御主人は後3、4ヶ月の御寿命だから、まあ大切にしてあげて下さい」という所謂“死”の宣告を受けたのでございます。そして退院後、私は学友で生長の家の古い地方講師をされております……これまで多くの人の重病を救って来られた経験のある西本好一君の非常に御熱心な指導によりまして、生長の家の説かれる真理に触れさして頂き、谷口雅春先生の御著書の『生命の実相』をはじめ数々の御本、「光の泉」、「生長の家」等の月刊誌や『甘露の法雨』『続々甘露の法雨』『天使の言葉』等の聖経をも読誦さして頂きましておる間に、すっかりその真理に打たれ、有難涙(ありがたなみだ)と懺悔の涙で心が洗われたとき、流石(さすが)のひどい癌も退院3ヶ月後には殆ど消えてしまったのでございます。(拍手)

この体験談は昨年の谷口先生の加古川の特別講習会と大阪の中央公会堂における講習会の席上で発表させて頂きましたので、今回は詳しいことは省略させて頂きます。本日、また当会場(ここ)のこの席に出させて頂きましたのは、谷口先生に是非御報告申し上げたいことがあるからであります。

と申しますのは、今年1月下旬、例の大阪厚生年金病院で胃のレントゲン写真を……写真検査を受けた結果についての御報告でございます。実は、本年1月20日付で、同病院村上外科部長名で、家内宛に突然次のような往復ハガキが参ったのであります。その葉書には、……ちょっと読ませて頂きますと、

「拝啓、平田治郎様は昭和43年6月7日、当該外科で手術されました。手術当時の所見から考えまして、御病気はその後進行し、恐らく既に御死去されたものと推測致します。まことにお気の毒なことでございました。さて、今回、学術調査のため、御死去の日時、当時の御様子等承知致したいと存じますので、御多用中を恐縮ですが、折返しご返事下さいますようお願い致します。
昭和45年1月20日」こういう葉書が参ったのでございます。

これに対して私は、今までの御無沙汰をお詫びし、「お蔭様でまだ元気で生かされておりますわ。何時でもお伺い申し上げますから、都合のよい日時をお知らせ下さい」という返事を折返し出したのでございます。そしたら、その2日後の24日の10時に、村上外科部長自ら私に電話をかけて参りまして、さも吃驚(びっくり)されたような声で、「あんた本当に平田治郎さんかな?」
「ハイ、そうです」「あ、それはお芽出度う。……失礼な葉書を出してどうも済いませんでした。それでは、1月の28日の9時に、当院の外科の私のところまで来て頂きたい。レントゲン写真を撮らせて貰いたいので朝食は摂らないで来て欲しい」と、こういう返事だったのでございます。

約束通り、1月の28日の9時に、家内と共に朝食抜きで同病院へ参りましたら、村上外科部長はじめ、当時の担当医であった白井先生、或いは婦長さんや看護婦さん、そういう方々が……顔見知りの方々が、皆不思議そうに私の顔を覗き込んでおられました。病院の方々はさぞ……私が生きているということは信じられなかったんだろうと思います。早速、テレビのレントゲン室に入れられまして、いろいろな角度から胃のレントゲン写真を十数枚撮られました。現像まで約30分待たされまして、家内と共にいま撮った写真の説明を聞いたのでございます。

で村上部長が言われるには、「昨年6月、手術前に撮った写真に比較(くら)べてみると、この通り胃の形まで変っている。非常に良いすがたになっておる。何回、何枚の写真を見ても、胃壁はキレイで、手術したときのような癌腫はすっかり消えてしまって無い……全く奇蹟ですねえ、奇蹟ですねえ。これは貴方の精神力で治ったとしか考えられませんが、何か信仰でもしておりますか」と、こう訊(き)かれましたので、「実は、生長の家の谷口雅春先生の御著書を読み、御講演を聴いたりして、その真理に打たれ、素直な気持ちでこれを信じ、実行するように努めていたら、いつの間にかこのように快癒してしまったのでございます」
と申し上げましたら、

「成るほどなあ、あなたのような……奇蹟を演ずる人が……此の病院でも、千人に一人位はありますよ。今後も月に一度位は来て診せて下さい」こう申されたのでございます。


さて、皆さん、これで私の胃癌その他の癌腫がキレイに全快した事実が医学的にも立証されたわけでございます。只々感謝あるのみでございます。(拍手)私のこの体験でおわかりのように、癌腫でも心臓病でも、肝臓病でも、或いは結核、その他どんな病気でも五十歩百歩でございまして、谷口先生の説かれる“人間・神の子”病気なし、三界は唯心の所現である、すべて眼に見えるこの現象は心の影である、心さえ変れば現象も変ってゆく”──この真理を素直に信じ、素直に実行すれば、どんな重病と見える人でも救われると存じます。

また病気だけでなく、家庭の不和とか子供さんの不出来とか、その他種々の御不幸も、すべて幸福に変ってゆくことは必定だと存じます。私は、未だ信仰の日も浅く、至らない者でございますが、余命の頂ける限り一層信仰に精進して、一人でも多くの人を救わせて頂き、谷口先生の御念願の人類光明化、世界平和、地上天国建設のために微力を捧げ、御恩の万分の一にも報わせて頂きたいと思います。有難うございました。


 大抵、癌が治癒したというと、医師は、それは「癌腫ではなく、良性の腫瘍だったのだ」という風に説明して、癌は絶対に治らないというのですけれども、これなどは、開腹してみて癌腫が広がって隣接臓器にまで転移を始めていて、手術不能の状態でそのまま縫合したのが、完全治癒したことが、その後のレントゲン検診で証明され、医師も「奇蹟だ」と感歎しているのであります。生長の家は医師と功を争う者ではない、医師の扱う分野は、現象としてあらわれて肉体に対する対応処置であります。吾々宗教家の扱う部分は、そのような現象を引き起すに至った“心”又は“霊”に対してはたらきかけ、それによって“心”又は“霊”
が救われ、その結果として、現象にあらわれていた肉体の病気が消えてしまうのであります。


 最近、医学界では治療が殆ど不能だとされている子供の白血病(これは血液の癌だといわれている)が、親が正しい心境となり、聖経による祖霊供養によって治った例が、縄田正美先生から寄越されたのであります。縄田先生は小学校の校長先生で福岡県嘉穂郡嘉穂町馬見本村に在住していられるのです。


合掌ありがとうございます。私は谷口雅春先生の御著『心と癌』(日本教文社)に載っております福岡県田川郡田川市の栗林氏の指導を致しました地方講師の縄田正美であります。いろいろと愛行して数々の体験を得て、真理の有難さ、尊い生長の家の大神様の御導きを心から感謝しておる者でございますが、この一ヵ年の中、顕著な一つをご報告申し上げます。

ブラジルから帰国せられた徳久克己先生の記事の中にもありますように、『生命の實相』(特に頭注版の1巻から10巻)そのまま神様のみ声として此れを拝誦(はいしょう)し、何十回何百回と反復して心のバックボーンとせねばならぬという体験を得ましたので此れをお知らせ申し上ぐる次第でございます。

昭和44年の正月も終った1月4日の夜の事でした。ここに記載した福沢正己君の母堂とその親戚にあたる生長の家青年会の森謙策君(29歳)との訪問を受けたのであります。聞けば福沢君は現在自宅で病床に臥(ふ)して絶対安静の状態にあるということでありました。実は昨年末、炭鉱で繁栄した飯塚市にある総合病院の飯塚病院に入院を申し込んだのですが部屋がないので拒絶されたという事でした。けれども病状の実際は、ひどい貧血であり、白血球が多くて、その白血病も治療の見込みもなく生命の限界線に立っているのであり、死を待つばかりという経過報告でありました。一人息子の死の宣告を受けた母親は気も狂わんばかりで涙乍らに神の救いを求められるのでありました。一家が悲しみのドン底に落ちこんでいる時、たまたま立寄った生長の家の青年会員であり、又親戚の前記青年が神の福音を知らせ、それは「生長の家」の真理によってのみ救われる事が可能であるという事で、拙宅に連れて来たのでありました。

私は子供の病気は親の心の反映である事や病気は本来神様の世界にはない事、だから素直な心で神のみ心に飛び込んで此れを実行したら現象的な病気は消えると教えました。特に血の病気は、先祖に感謝が足らず、感謝の心がない為に起る病気であり、特に白血病という事は、「血肉争う」との言葉もあるように、親子夫婦が不調和で相争う心があると現れる姿であるとさとしました。

朝夕必ず先祖へ感謝行として、聖経『甘露の法雨』を読誦する事と神想観の実行をおすすめ致しました。特に、私の所持しております『生命の實相』(愛蔵版)の1巻と3巻を出して、左記の所を読んで聞かせ又浄書して抜萃(ばっすい)したその項目を聖経読誦の後は勿論の事、時間ある時、何回、何十回繰返し繰返し読むようにおすすめしたのであります。

母親は涙ながらに感激をし、又お父さん、すみません。お母さんすみませんと懺悔されたのであります。

1、『生命の實相』(愛蔵版第1巻161頁、頭注版第1巻158頁)私は信仰深き生長の家誌友が結束して起(た)って光明思想普及団体を組織し全国の大新聞に大広告を出して此の光明思想を宣伝して下さる時期が必ず来る事を期待していたのでした。愈々其の時が来ました。その結果此の真理の書が諸君の手に入ることになったのです。そして同志の協力を得て本部道場も出来ました。全国に数千の同志の誌友会場も出来ました。ここに到る迄、私は会社員として一日約(およ)そ10時間を労苦し、その余暇に『生長の家』の原稿書きをし、さらに誌友のために祈ってその病気を癒し、三重に献身していたものでした。……神は献身を要求し給う。『容易に』と云うことは神は決して喜び給わないのであります。……神は何事にも『本気』即ち真剣と云うことを要求し給うのであります。『献身』の前には、誰でも自分が『本気』であるか、好(よ)い加減な自己欺瞞(にせもの)であるかが自分自身にハッキリ判る。そのためには神は『献身』を要求し給うのであります。……本当の献身とは必ずしも持物を神様の所へ持って行くことではない。匿(かく)しなき心になって、持物のみならず、自分の全部が、その生命までも、神様のものだと認めることであります。自分の生命(いのち)さえも神様のものであると解れば、匿しなき心で神の家族の働きが出来るのであります。

2、『生命の實相』(愛蔵版第3巻240頁、頭注版第6巻18頁)神に祈るのは、自分の犯した罪を不当に赦(ゆる)して貰おうなどと云う甘い考えでやるのは卑怯なことです。神様を対立的に置いて口先だけで神様にあやまったからとて、諛(こ)びたからとて罪と云うものは消えるものではないのです。罪が消えるのは、ただ吾々が、絶対無罪の『吾が実相』に溶け込んだ時にのみであります。暗黒(かげ)は口先で謝罪(あやま)ったからとて消えるものではないでしょう。暗黒(かげ)が消えるのはただ光に照らし出されることによってのみでしょう。……どうしても自分自身の救いが成就するには、本来自分自身が、『神の子』であることが条件なのです。自分自身の本来相が『神の子』であり、自分自身の本来相が『光明遍照』であり、自分自身の本来相が『智慧円満』であり、自分自身の本来相が『生命無量』であることによってのみ、その本来相に帰入(きにゅう)する──即ち吾が実相に帰入することによって救われ得るのであります。

右の二項を浄書してあげました。前項は献身しなければ神の救いがない事。堅信によって真剣に取り組まならぬという教えであり、後項は「罪本来無し」とはどう云う事かを判り易く説かれたものであります。その翌日には私も福沢宅に赴いて聖経読誦と神想観を行いました。病床の福沢君も布団の上に坐って最後まで努力いたしました。所がそれから2日程経過した1月6日急に連絡があって飯塚病院入院の許可がとれたのであります。

福沢君の病室は10人の大部屋でした。まじめな彼は定められた通り実行致しました。高校1年の彼は勇気をもって迷う事なく実行したのであります。彼が神想観中「お父さん有難うございます。お母さん有難うございます」と唱えておると隣のベットの奥さんも真似したというのであります。日々の検診がありましたが医師が見放したというその白血病が日々回復して1週間後には血球の数が正常に帰ったと言います。同室の人達は驚異の眼をもってぐんぐん良くなる彼にあやかりたいとて『甘露の法雨』を借用さしてくれと頼む人もある始末で、私が希望の人に斡旋してあげました。そして丁度50日目に見違える程の健康を取り戻して退院する事ができたのであります。──さて真理に目ざめた福沢家は光明に照らされて一陽来復の有様でしたがよい事は更に続くものであります。

福沢君は死線を脱して見事に健康を回復し、学校に通学しておりましたが、彼は福岡県嘉穂農業高校の体育クラブに入り、その中でインディアン競技の選手となりました。この競技は50センチ位の徳利様の木製の棒ですが、此れを回転し又振り廻して2分30秒で終わる演技です。7月下旬の県大会では見事に、優勝、県の代表選手に選ばれました。全国大会は8月1日群馬県高崎市で実施されるのでした。母子(おやこ)揃って挨拶に来ましたので盆前だから墓掃除をすすめました。墓石を本格的にブラシで洗う事や十数年閉じたままの納骨堂に空気を入れる事を教えました。

納骨堂を開いたら中に入れてある骨壷の中の3個はジャブジャブ水がたまっていたと申します。水は悲しみであり此れを捨て陰湿な納骨堂に空気を入れ立派に墓掃除も終って彼は勇躍全国大会に臨みました。成績は全国で第2位でメダルを獲得したのであります。生長の家のお蔭であると現在一家をあげて誌友の増加に献身しておられます。死の宣告を受けた高校生が真理によって救われ、特に『生命の實相』精読の感激がその導火線であったという体験であります。有難うございます。



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