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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[6123] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第185回
信徒連合 - 2016年12月17日 (土) 09時49分




谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――


@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』

A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』

★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。

******************




大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(26)





  病人は殊更(ことさら)に病気を心より放つべし。
而(しか)して、唯(ただ)愛せよ、唯(ただ)感謝せよ。
国を愛せよ、
人を愛せよ、
家族を愛せよ。
すべての物と事と人とに感謝せよ。
さらに特に汝の父母に感謝せよ。
常に悦びて何か必ず人のためになる事を為(な)せ。
愛と感謝の感情は、
病の癒ゆる生命波動を感受する最善の波動なり。

前節で大分、癌が治った実例をあげましたが、癌は千島喜久男博士が実験によって発見された通り無核の赤血球が乱核を与えられた結果、毒素を発生する異状細胞に変生転移したものであり、細胞の“核”というのは、その細胞のハタラキ又は生理作用を支配する“精神”を具象化したものでありますから、本人が、他に対して何らの害を及ぼさない、全体に調和して、自他を倶(とも)に生かすような心境になられましたら、常に赤血球から変生した新細胞を形成、旧細胞と入れかわる(即ち新陳代謝)ようになっている我らの肉体は、たとい今まで、自分の心にの持ち方が悪くて、癌細胞を自分の肉体内に形成いたしておりましても、次の新陳代謝するときに、新しく赤血球に「良き精神」の具象化である健全な核が与えられた“新細胞”と入れ換ってしまいますから、過去の癌細胞は謝(さ)って行き、癌が癒えることになるのであります。

 私は『心と癌』(日本教文社刊)という本の第11章“道徳的回心による治癒”という項に於いて、九州福岡県田川市の栗林利七郎氏が父を憎んでいて、父の死後までもその憎しみの感情が持続していて重症の胃癌にかかって生命(いのち)旦夕(たんせき)に迫っていたのを、生長の家の地方講師繩田正美先生(元、小学校校長)の直接指導を受けて、父を恨む心を一転して父への感謝の心を起すと共に、当時2週間余にわたって一滴の水も一口の食物も嘔吐して摂取し得ず、単にリンゲル氏液の注射と栄養注射とのみで生命をつないでいた栗林氏だから排便する内容もない筈であるのに、急に便意を催しお厠(まる)に盛り上って驚く程の分量の排泄物があり(多分これはその癌腫が健全なる肉体組織と分離して排泄したものと思われる)それ切り食欲旺盛となり、全治してしまったという本人自筆の記録をのせておいたのであります。

このように父母に感謝するならば、重態の癌腫でも治癒してしまうのであります。この聖経の一節「父母に感謝せよ」とありますが、父母の父母にあたるものが祖先であります。祖先に感謝が足らず、祀りもせず、祀ってあっても毎日聖経を読誦せず供養を怠っておりますと。「祖先」を人体に於いて象徴するものは“骨”でありますから(註。骨は肉身の心柱(しんばしら)であるから、肉親の心柱たる祖先の象徴となる)そのような家庭に於いては骨癌の患者を発生することになるのであります。その事実を証明するために、祖先を聖経読誦によって供養したときの、骨癌の治験例を次に揚げようと思います。

 それは昭和45年6月19日、仙台にある宮城県民会館にて生長の家の講習会がありました時に、同県志田郡松山町須磨屋に住む菅原伊那夫さん(当時35歳)が骨癌の治った父と共に演壇に立って次のような体験を発表されたのであります。




 祖先に聖経を供養して骨癌が消えた

皆さん、有難うございます。(拍手)二人出てまいりましたが、こちらの方を御紹介致しますと、私の家内のお父さんでございまして、昨年(昭和44年)4月、骨の癌のために国立病院から見放されたのでございます。その体験をさせて頂きます。

お父さんは大工でございまして、まあ4,5年前から「神経痛がひどい」と言ってましたけど、1月頃から仕事も出来なくなりまして休んでいたのでございます。ところが、3月ですか、ひょっとしたことでぎゅっとなった瞬間、全然動けなくなってきた。これはギックリ神経だろうと思って近くのお医者さんやなにか廻ったんですけど、その中(うち)舌がもつれて来たわけですねえ。体は、がたがた痩せてくる。これはただの病気じゃないだろうってわけで、国立病院にひっぱって行って診て頂きました。四方八方と言いますが、7ヶ所からレントゲンを写しましたら、骨盤から脊髄にかけて、畳ならふけだなのような、木ならば、立っているけれども生木と枯れ木の違いがある、ガーンと押せばがくっとゆくような状態になっているというんですね。しかも、「レントゲンだけでは、はっきり分らんぞ」と、それで4月の5日に試験的に手術しました。そして、それを顕微鏡で調べたんでございますが、「間違いなく癌である、そして現代医学で治療の道はございません。ただし、この痛み苦しむこの病人をお宅に連れて行ってもどうにもならんでしょうから我々医者として、ベストを尽くします……」という医者の宣言でございました。

  それで私も、生長の家を知っておりますがこちらのお父さんは、ぜんぜん知らないのでございまして、家族は本当に気も狂いそうになりましたが、医者が見放しても生長の家があるぞ!ということになりまして、早速、近藤先生に御指導を頂きまして、4月の24日、5日頃から先祖供養を始めました。勿論お父さんは、八つの時に親に死に別れておりまして、先祖と言っても、なかなか分らないのでございます。田尻に十何代か続きました非常に栄えた家だそうでございますが、その祖先を調べるといっても、このお父さんの家では全然、生長の家を知らないわけですよ。

まあ医者に見放された病人を「先祖の供養して治る!」と言ったって信じないんですね。それで困ってしまいまして、私がそんなこと言ったって「もう後2、3ヶ月の生命だ!」というわけですから、ぼやぼやしてたら死んでしまうと、まあ私が田尻へ廻りまして、先祖を調べ、そうして位牌を買って鹿島台のお父さんの家の祖先を、全部松山の私の家へひっぱって来て、そして、「山崎の先祖さん、これから私が一年間供養します。どうぞ悟って下さい……」というわけで先祖供養を始めました。

ところが、食事もとれない、動くことも出来ない病人が、試験手術の結果、癌だと言われて、確定した頃には、すっかり治っちゃって痛みがとれまして、食欲が出てきた。そして、エレベーターですけど4階位までは歩けるようになったんですね。お医者さんも吃驚(びっくり)しまして、「これなら大丈夫だろう」というわけで退院したのが6月7日でございました。それで私達は、その後よくなるのかと思っていたんでございますが、7月の4日か5日頃から痛みだしました。

初めは、たいしたことないだろうと思っておりましたが、1週間もするとすっかり昔のように、舌はもつれ動くことも出来ない状態です。それからちょっと過ぎまして、7月の20日頃には意識がないんですよ。それでまあ、意識のない状態が7月の20日から8月10日頃までに約20日間ぐらい続きました。勿論私は、熱心に先祖供養をしましたけれども、そして7月の末になりますと「あまりひどい」「そうとうひどいもんだ……」と家族が言うもんで、痛み出した時に、国立病院へ再入院と思ったんですけれども、部屋が空いてないことと、ひっぱって行っても治療がない!ということをはっきり言われているから、ただ死体を持って来るだけだと思いまして、近くのお医者さんにかかったんですよ。近くのお医者さんというのは、鹿島台国保病院でございます。あそこの病院に、私の家内が看護婦としてお世話になっている関係上、ここのお医者さんに診て頂いたんでございますが、その医院長先生が来て診て言うには、「内臓はしっかりしている……」「しかし、目の瞳孔が半開きしている。肛門も半開きしている」と。もちろん流れっぱなしですよ。おむつしていますけど、いまこのお父さん、体重いくらあるか分りませんけれども、頬骨も手も肉が全然ないんですよ。べろーんとしちゃってね、そうしてもう何んて言いますか、舌はもつれて「東京に行って来た」とか、「北海道へ行って来た!」とかもつれる舌の中で、かすかに言うような状態になってしまったんですよ。それで院長先生は、もう「駄目だ、あと1週間か10日であろうから教える所には教えて下さい」というわけで、みんな電話で呼び寄せたわけですね。ところが呼び寄せた人々も、「もう駄目だ!」とみんな帰って、死んだら葬式の知らせがいつ来るかと思って待っていたそうです。

遠くから来た人なども、「もう駄目だ」と言って帰ったんですが、私一人だけ『大丈夫だ、大丈夫だ』と言うものですから、気違い扱いにされまして、それでもう私は真剣になってやりましたら、8月末頃から、どうやら意識は恢復しだしまして、9月になって恢復したのでございます。

とにかく、ちょっと話しますと、骨の癌だけじゃなく貧血があったんですよ。この会場の中に医学にタッチしている方もおるでしょうが、昨年6月、国立から退院した時の貧血状態というのは、血沈が160ミリですよ。赤血球の数は、全然一つ一つの境がないって言うんですよ。血色素(けつしきそ)で。40%は割ってると。まあ僅かに白血球で4千ちょっと越している状態で、それを見ただけで、しかも骨癌である。瞳孔は半開きし、肛門は半開きしている状態ですから、誰が集ったってもう駄目だと、あをり(人名)の叔父さんなど、「これが生長の家で治るなら生長の家はもの凄いところだ」と、そう言って帰ったそうでございます。それが本日こうして、皆さんの前に御礼を申し上げることが出来たのでございます。真に有難うございます。(拍手)

なお、お父さんは、この骨癌だけじゃなく、昭和32年ですか3年ですか、脊髄腫瘍で手術したんですよ。この時も、国立病院から駄目だろう!と言われたらしいのですが、手術した。その跡が十何年間ここの所に(と、その部位を手で示す)まだ私見ていませんけど、こぶのようになっていた。それが今度の先祖供養で、すぱっとなくなってしまったんですね。まあそうことなどから考えまして、本当に生長の家は、素晴しいと思うのでございます。

私自身、私のことを話して恐縮ですけど、5年ほど前までは30歳になっても5つの病気がある、妻もなければ職もない、家の中は、どん底で先ず皆さんの中には、そんな人は、どなたもいないでしょうが、朝から晩まで争ってばかりいる。あんまり争うので、隣近所が立ち聞きしているという惨めな生活から、現在16人の家族、それぞれ扶(たす)け合って生きられるようになっているのでございます。

どうか、この私達親子の救われたこの素晴らしい生長の家を、今後私たち、県北方面に未組織な地域が沢山ございますので、私たち親子全力をあげて、谷口先生に対する百億分の一の御礼として、未組織の町村を開拓させて頂きたいと思うのでございます。本日はどうも有難うございました。(拍手)


 この体験で舅(しゅうと)の山田徳郎さんが、瞳孔も肛門も半ば開いたきりで、もうその死は必定となっていたときに先祖供養(聖経の読誦によって祖先の霊に「真理」の供養をすること)をした時に恢復したということは既にこの人の現界の寿命が尽きてその霊魂が半ば肉体を去って、霊界の前庭をさまよっているとき、先祖霊の高級霊があらわれて、山田徳郎さんの霊魂に「お前はまだ此の霊界に来るに及ばないから現実界に帰れ」と命じられた結果であると思われるのであります。人間の寿命は高級霊のおはからいで修整せられることがあるのであります。

近頃は、幼い子供や20歳代で病気で死ぬ子供の死亡統計によると、癌で死ぬのが死亡率の第1位に位していることであります。これが中枢生命の統制に服さないで、国家の部分たる国民に主権がありと称して、部分が団体争議権を有して、中枢生命の意思に反抗して周囲の迷惑をも顧みず団結してあばれ廻ることが当然の権利だというような占領憲法が公許した精神が日本の津々浦々までひろがっているので、子供のように清らかな澄み切った鏡のような精神の持ち主に、このような「部分の集団団結権」が反映して、それが子供の肉体の各所に癌としてそれが具体化する結果になっているのであります。


 昭和45年6月21日、山形県村山市の市民会館で生長の家の講習会がありました時に、同県最上郡真室川町東町に住む高橋シマさんが3歳になる孫娘の直腸の小児癌が治った体験を次のように話されました。




塩椎大神(しおつちのおおかみ)の神姿を拝して病気急転す

皆様、有難うございます。(拍手)私は真室川町の高橋シマでございます。私は昨年の11月入信したばかりの日の浅い信徒でございますが、私の孫娘理恵と申す3歳の子供が、昨年の10月に、仙台の大学病院で、「小児癌」と宣告されたのでございます。しかも、「その癌は、お腹の奥の直腸のあたりで、腫瘍は肺にまで転移しており、手術も出来ないし手遅れであり、助かる見込はない」との絶望的な医師の御言葉でした。

真に情けなく、一家の悲惨のどん底に打ちのめされたのでございました。こんな時、ふと私は“生長の家”という言葉が思い浮かんだのでございます。今まで私は、一度も“生長の家”のお話は聞いたことございませんし、また考えたことすらなかったのに、どうして、“生長の家”に入って、お助けを受けようと考えたのか分りません。これは、神様のお導きとしか考えられません。

新庄で、小児科医院を開業しております須藤きみ子先生にお電話をかけて、事情をお話し申し上げ、いろいろ御指導を頂いたのでございます。須藤先生は、素晴しい御徳の高い御立派なお方で、一家揃って“生長の家”の熱心な信徒と伺っておりました。私の孫達も体の悪い時は、いつも須藤先生にお世話になっているのでございまして、よく存じ申し上げておりました。須藤先生から、真に深切に、“生長の家”のお話を承り、毎月新庄の道場で誌友会や白鳩会のあることなど教えて頂いたのでございます。私は早速聖使命会*に入会し、会合のある度に必ず出席を致し、神誌「白鳩」誌など拝見させて頂きました。

一方、仙台の病院では、「手術は出来ない」とのことで、コバルト治療をすることになりましたが、それに耐える3歳の理恵の体力が心配で、更に最善の処置を求めたく、東京の国立小児病院に入院致したのでございます。国立小児病院では、付添いは許されないのでありました。でも理恵の傍には、いつも神様がついていて下さる!と心にいいきかせて、慰めの気持としておりました。

国立小児病院の診断も、仙台の病院と同じでしたけれども、「コバルトは使わず抗癌剤でやってみる」とのことでございました。でもこの注射は、外国製の大変強いお薬で髪の毛もすっかり抜け、また熱や余病も出る場合があるとのことでしたけれども、たとえ髪の毛が全部抜けましても、命が助かるものならば、それでもいいと、私の家族の者は決心したのでございます。

また、東京に嫁いでいる私の上の娘のお母様が、大変熱心な“生長の家”の信徒であったのでございます。このことは、その時に初めて知ったのでございます。なんという、有難い不思議な神縁でございましょう。

そうしたことで、そのお母様は理恵の母親を、早速、生長の家本部に御案内して下さって、個人指導やら神癒祈願などの手続きを取って下さったのでございます。真に有難いことでございました。

理恵の親達も、生長の家の御教えを信じて、『甘露の法雨』を朝な夕な読誦し、子供の実相顕現のお祈りに励み、また理恵の母親は、『続々甘露の法雨』を一字一字真心をこめて、白い布に写経もやったのでございます。私もまた自宅で一心に、神想観を行い、聖経を読誦致しておりました。

ある日、理恵の母親が、病院の待合室でお医者様を待っている時、心配と疲れのため、うとうとしている時、光に包まれている真白い神様のお姿が、夢うつつのごとく瞼(まぶた)の裏に、ふんわりと浮んだとのことですが、それがはからずも、生長の家の本部の正面玄関の上方に安置せられております、塩椎の翁──生長の家の神様と、全く同じ御姿であったことを、御本部に2度目に伺った時、初めて拝んで驚いたのでございます。なんという不思議な神の世界の神秘でございましょう。

その時、これで理恵の病気は、生長の家の大神様に救われて完全に治る!と確信したということでございます。あまりの有難さに、暫くはそこを立ち去ることも出来ず、「有難うございます、有難うございます……」と感激の涙に暮れたとのことでございます。この功徳、霊験あらたかでありまして、不思議なことにその後、入院2週目に、たった1本の御注射で、肺の腫瘍がすっかり消え、また先ほど申し上げました通り、理恵の癌は「直腸に癒着しておって、直腸はおろか、その他の内臓も全部取り出して人工肛門で排便するようにして、手術をせねばならぬので、3歳の子供では生命の保証は出来ない」と申されておりましたのに、不思議なことにいつの間にやらその癌が移動したのか簡単に、お尻(肛門)から手術できるようになりまして、手術は行われたのでございます。

このことを孫の母親から、私に電話で通知された時には有難さが胸にこみ上げてまいりまして感涙にむせんだのでございます。その後、念願叶って付添いが特別許された時、理恵の母親は、聖経を子供の枕元で子守唄のかわりに読んでやり、写経した布で子供の体を撫でてやると、理恵は眠るのでした。それが習慣になり、眠くなると、「ママ、神様(ちやま)して頂戴」というようになったそうです。

病院の先生方の真実なる治療と、看護婦さん達の温かい看護のお蔭も加わり、入院6ヶ月目にして、5月14日、元気で理恵は退院致しました。(拍手) あれほど、強い御注射を致しましたのに、理恵は弱るどころか肥っております。白血球も減らず、食欲も旺盛にして、余病も起らず、心配した髪の毛さえ、ふさふさとしております。本当に神様のお蔭としか思えません。有難うございます。有難うございます(拍手)。

院長先生初め、諸先生方が「今まで、このような奇蹟的な子供は初めてであるし、世界的にも珍しい……」と仰言って驚いておりました。私たちは、神様の無限の御力に感謝致し、偉大なる生長の家の御教えに触れ、今後の生活に、明るさと豊かさを知ることが出来ました。有難うございます。有難うございます。

私共家族にとりまして、こんなに有難いことはありません。ただただ谷口雅春先生に御礼申し上げたく、この栄えある壇上に立たせて頂きました。谷口先生、有難うございます。これから、私たち家族一同は、生長の家の信徒として、この尊い御教えを多くの方々に御伝え申し、立教の使命である地上天国建設に命を捧げて、御恩に報い奉ることを、固く固くお誓い申し上げて、私の体験談を終わらせて頂きます。皆様、有難うございました。(拍手)



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