| [630] 「理屈屋マサノブ君」はやはり辞職すべきであります。 A ――― 苦難の末に「生長の家」という宗教にたどり着いた信徒の立場から見れば・・・ |
- 上泉信綱 - 2015年09月23日 (水) 07時15分
「理屈屋マサノブ君」はやはり辞職すべきであります。 A
――― 苦難の末に「生長の家」という宗教にたどり着いた信徒の立場から見れば・・・
@ マサノブ君は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』によって自分自身が救われた体験ナシ!
A にもかかわらず、「今までは絶対タブーとされた『御教え』批判と修正を敢行していく」と豪語!
B その結果、多くの熱心な信徒を数多く失い、教勢を大きく衰退させた。この責任を感じトットと「生長の家教団」から去るべし!
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<解説>
* 人生の諸問題に突き当たり、最後に「生長の家」という宗教にたどり着き、心身ともに救われた本当の信徒の願いは、自分達の子供や孫にその真理をぜひ体得して欲しいと願うのが普通であります。
* そして又、子供や孫たちが彼ら自身の人生において、常識の世界だけでは解決不可能な事態に遭遇した時の最後の「駆け込み寺」の存在としての「生長の家」が、末永く大規模な宗教団体として存続していって欲しいと願うのは当然なことであります。
* 熱心な「生長の家」信徒は、開祖・谷口雅春先生によって説かれた生命の實相の教えは、自分の体験から人類最高の教え、全人類の至宝であるとの深い理解に到達できたのであります。
* だから進んで、転宅した未開の地でもゼロからスタートして、自宅を開放して誌友会を開き積極的伝道を行なってきた信徒は無数におられ、かくして「生長の家」が世界的宗教となっていったのであります。
* 此のような信徒は、『己、渡らざる先に、真理の彼岸に神縁の出来た人たちを渡す』謙虚な求道と伝道の志を持っていて、マサノブ君の如き、<「生長の家」=開祖・谷口雅春先生ではない>とか、<開祖の説かれた『御教え』にも修正されるべきマチガイがある>とかの思いは一かけらもなかったのであります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』は誰がなんと言おうとも、完全完璧であり、それが判らないのは全て自分の未熟さのためであると云う謙虚な気持で聖典『生命の實相』の反復熟読を重ねて行ったのであります。
* マサノブ君は言う。『問題が生じたとき、なぜそれが起きたのかとは考えない、教理を広めさえすれば問題は解決する、このように考えるのが宗教です。ようするに「ものを考えない人」をつくりだすのが宗教なのです。』(5724 :純粋教理批判=マサノブ)――― この様な考えは、自分自身が『御教え』に依って救われた経験を持たない宗教認識に未熟な、そして体験がないので理屈の世界での思索でしか生きられない霊的理解力なき人の分析知(白昼夢)なのであります。マサノブ君の宗教観は完全なマチガイであります。
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