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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[648] インターネット道場―――体験実話特集・平岡初枝先生「しあわせを見つめて」より @
信徒連合 - 2015年09月25日 (金) 09時27分




インターネット道場―――


体験実話特集


平岡初枝先生「しあわせを見つめて」より @



<夫を見つめて>


富山県の白鳩大会(昭和41年10月9日)の席上で 桜庭静夫人は次のような体験談をされた。

「私は平岡先生の書かれた『こどもを見つめて』という本を読んで 悟らせていただきました。それまでは(子供がいうことをきいてくれないと腹が立ったり、瘡にさわったり、心配になったりしたものです。それが、心の向きをかえることにしてからは、どうして勉強する気になれないのだろう、どうして素直にきく気になれないのだろうと、考え方の方向転換をするようになりました。いつも電車で学校へ通っていた中学2年生の長男に、自転車を買ってくれたらそれで通うことにするという約束で、新しいのを新調させられたのです。ところが手入れや掃除をしなければならないので、うるさくなったのでしょう。約束を忘れて、叱っても口説いても、自転車を放ったらかしにしているので、肝のたつことばかりでした。そんな時に『こどもを見つめて』を読んで、これはもっと行き方を変えねばならぬと気がついたのです。

まず、彼を喜ばせることから始めようと心をきめ、翌朝それまでしたことのない彼の靴を磨いて揃えておきました。ところが、それだけのことが、どんなにかうれしかったのでしょう。
『お母さん、靴ありがとう』
と朗らかに出て行きましたが、あくる曰からは気持よく自転車で登校するようになりました。それ以来、すべての問題をまず相手をよろこばすことを中心に考えるようになりました。それにつけても、次には『夫を見つめて』という本を書いていただけたら有難いと思うのです。どうぞよろしく」

桜庭さんの話を聞いて、私はおかしくなった。子供を見つめても、夫を見つめても、姑を見つめても、嫁を見つめても、上役を見つめても、つまりはみんな同じことである。相手に愛と誠意をつくし、相手の喜ぶようにもって行った時、すべてが解決することは、同じである。

しかし、同じ愛といっても、夫に対する時と、子供に対する時とではおのずから違う。愛にも位相の違いがあるからである。それでは、夫をみつめてゆく愛の中心になるものは何であろうか。それは、何といっても、夫にハイと素直に従っていく愛である。
そこで、夫をみつめて、素直な愛を実行して幸福になった人達の体験談を思い出してみることにする。



<ハイの効果表>

森口さんの家は六畳二間の市営住宅であるが、そこで誌友会が開かれたときのことである。奥さんが、こんなことを言われた。
「平岡先生、私は物が無いことの素晴らしさを、今日ほどしみじみと味わったことはありません。実は、せめて箪笥の一本もあったら便利でもあるし、体裁もよいと思って、主人に何度ねだったことかしれません。でも、物を買うことのきらいな主人は、そのたびに『わしは嫌いだ、物があると室が狭くなる。俺は狭いところは嫌いだ。伸びのび広びるとしたところで寝起きしたいのだ』と、てんで相手になってくれませんでした。買うといっても、お金もないことではありますが、私には何となく物足らんおもい、さびしい気持だったのです。ところが、今日誌友会をするについてご近所の方達にも案内を出しましたが、さあ片付けましようといたしますと、手間ひまかかるものとては何もないのです。子供の勉強机一つを押入れにいれたら、あとは何にもないのです。私は思わず両手を挙げて背伸びをして、
『お父さん、ありがとう。お父さんのいうことに間違いなかった』と感謝しました。

実は、私はみ教えにふれて12年になります。それなのに、主人に『ハイ』がやっぱり出来ていないことを発見しました。それで、私は去年の秋、平岡先生のお宅をたずねて、
『夫にハイとは、どんなことにでもハイですか。かりに夫が烏の頭は白いね……と言われても、ハイと言わねばならないのですか』と、おたずねしました。

平岡先生は、
『絶対ハイとは、そんな安っぽい、誠意のないことではないのです。息子さんの進学の問題でも、どの学校がよいかは、子供の希望もあろうし、親の考えもあろう。それらを皆で話しあって、色々の角一度かち研究して、さて結論はお父さんにきめてもらう。そして、お父さんのきめて下さったことに一路邁進する。これがハイですよ』と、おっしゃいました。

私は『ああ、そうだったのか』と、心に落ちつくものを感じました。そして『よし、これからはハイを実行しよう』と覚悟したのです。それでも、やっぱり『ハイ』になり切っていない自分を発見しました。

それで、私は『ハイって、中々難しいことですね』と申しましたら、平岡先生は、
『そうですよ。ハイと文字で書けば、二字に過ぎないけれど、これを実行にうつすとなると、なかなかむつかしい。自分を捨てねば出来ないのです。好きだ嫌いだという自分、善だ悪だときめつけたい自分、損じや得だという自分、これらのすべてを捨て切って、相手の心一つに捧げ切る、つまり無我の心になり切るのがハイですよ。これは理屈では出来ない。愛一筋に捧げ切る喜びの中で成就するのがハイですよ』と、おっしゃいました。

それで、私は三月頃から毎月効果表をつくりました。即ち、カレンダーに『ハイ』のできた日には○をつけ、出来なかった日は×をつけることにしたのです。お陰さまで この頃では○の続く日が多くなりました。お恥ずかしいことです……」 
     
こう言って、嬉しそうにうつ向かれた森口夫人に、私は言った。
「えらい、えらい。箪笥一つ買ってもらえないのを不足に思っていられたあなたが、今日は『物がないということは、何と素晴らしいことかと解った』と言われた。そこですよ。あなたの心が、主人にハイになって来られた姿なんですよ。あなたの心が変わったので、わかったのです。すべての物ごとには、必ず明るい面と暗い面があるように、善とか悪とかいうのも、一つの面でしかないのですよ。

物があるということは、便利とか室の体裁とかいう面からみれば、善になる。しかし、物があれば広々も伸びのびもしないから、その面から見れば悪になる。ですから、ものごとはすべて明るい面、よろこびの面から見て、喜びたのしむのが悟りの境地です。ところが、大抵の人が自分の信ずる一面だけにとらわれて、そればかりを主張してきめつけるから、ハイが言えなくなる。これが我が強いというのです。

我の強い人には、喜びが少ないのです。なぜなら、一方だけが善くて、もう一方の善さを見ることが出来ないからです。すべての中に善さを見ることのできる人は、いつでも幸福であり、すべてを喜べる自由人である。けれども、半分しか喜べない人は、気の毒な不自由人、と言わねばならない。あなたのハイの修行は、家庭を明るくして、夫の出世の緒を作るだけでなく、あなたの魂の向上と自由を獲得するための素晴らしい修行だったのです」

こんなことがあってから3ヵ月後に、また森口さんに会った。森口さんの顔は、見違えるほどに輝いていた。そして言われた。
「平岡先生、ありがとうございました。おかげで、スラスラと『ハイ』の出る私にさせてもらいました。それだけでなく、何か『ハイ』の神秘といったようなものを掴ませてもらいました」
「ハイの神秘ですって?」

「先生、そうなんですよ。まず第一に、ハイが言えるようになると同時に、長らくの私の病院通いの必要がなくなりました。それから、私が心で思うだけで、まだ言葉にも出さないことを主人がちゃんと実行にうつしてくれるようになったのです。

平岡先生に、この前来ていただいた時、次は7月頃にもう一度来ていただきたい、と私は心で思ったのです。でも、7月頃ともなれば暑い盛りである。何か冷たいものを差し上げたいけれど、家には冷蔵庫がない。主人は物を買うことがきらいだし、お金もないのだから……と、心で思っただけで言葉には出さないでいたのです。ところがどうでしょう。6月の終わり頃、暑いあつい日が続きました。そんなある日、主人が勤めから帰って来たとき、濡れたお手ふきを差し出すと、顔から頸のあたりを拭きながら、『暑いのう、冷蔵庫でも買おうか』と言いなさる。びっくりした私は、『まあ、だってあなた、お金があるじゃなし』と、いつものロぐせが出たのです。そしたら、『何とかなるよ』と、聞いたこともない言葉が主人の口から出たのです。そして、2時間後には、もう電気屋が、冷蔵庫を持って来ました。間もなく長男が帰って来て『やあ冷蔵庫でないか?』と目をまるくしました。

『お父さんのおかげよ。お父さんに感謝しましょう』と、合掌したことでした。そして、翌日は思いがけい扇風機が運び込まれたのです。この時も、私は思わず口ぐせのお金の心配をすると、『何とかなるさ』と、主人はまた聞いたことのない言葉で受けてくださったのです。こんなことから始まって、その後も私が心に描いたことは、主人が行動にあらわしてくださる。ことの大小にかかわらず、そうなるのです。

これが 『ハイの神秘』と言わないで何でしょうか。それで、何ごとにもクヨクヨするたちだった私が、この頃では何も心配にならなくなって、『まあなんとかなるさ』と軽い気持でいられるようになりました。『言葉は神なり』ですから、その通りに何とかなるのですから、有難いことです」

夫を見つめて”ハイ“に徹して、幸せになった森口さんのお話である。




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