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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[695] インターネット道場―――体験実話特集・平岡初枝先生「しあわせを見つめて」より E
信徒連合 - 2015年09月30日 (水) 07時07分




インターネット道場―――


体験実話特集


平岡初枝先生「しあわせを見つめて」より E




<言葉は生きていた>


第三月曜日の夜も、ニコニコ顔で一人って来た八橋さんは、次のように報告されたのである。
「平岡先生、ありがとうございます。私は東岩瀬に住んでおります。実は、あの夜の私の財布には往復のバス代30円があっただけ、しがみつくような思いで来ただけに、帰りのバスの中で それこそ一所懸命に『ただ善のみ、 ただ豊富のみ』を口ずさみました。あくる朝、仕事に往く時も寸暇もなく『ただ善のみ、ただ豊富のみ』を続けました。

先夜は申し上げませんでしたが、これまで何をしても……豆腐や油揚のようなものを売ってみても、お菓子類を持ち歩いてみても、どうしてもお金が足りなかったのです。それで、この頃は思い切って屋外の重労働(士方)をやっているのです。往きも戻りも一所懸命『ただ善のみ、ただ豊富のみ』を口ずさんでいましたが、帰りの途中に思い出したら、今日は米櫃にお米が一粒もないのです。5人の子供はどうしているだろうと思ったら、暗い暗い、泣き出したい気持になったのです。

しかし、『その時、先生の『暗い気持、暗い言葉が、神の無限供給の入り口をふさぐ壁になるのですよ』というお言葉を思い出したのです。『これはいけない』と、大急ぎで『ただ善のみ、ただ豊富のみ』と言いましたが、思わず大声になったので、誰かに聞かれなかったかしら、恥ずかしいと、うしろを見廻したことでした。

こんなわけで一所懸命『ただ善のみ、ただ豊富のみ』を叫びながらも、『こんなことを言っていたとて、今夜の米のないのが、どうなることでもなかろうに……』と、また暗い気持になるのでした。『いっそ、5人の子供を平岡先生のお宅へ連れていって、責任をもって貰おうかしら』などという気持にさえなるのでした。家の前まで来ると、久しぶりの弟が、今帰ろうとしているところでした。

私の顔を見ると『姉さん、お帰り。僕さっきから待っていたが、姉さんが帰らないので、帰りかけていたところだ』と言って、私にとっては相当のお金を『姉さん、使って下さい』と置いていってくれたのです。私は思わず、押しいただいて、弟の先に神さまと平岡先生にお礼を言ったことでした。

『神さま、あなたの無限供給を流れ入らせていただきまして、ありがとうございました。平岡先生、神さまの無限供給の流れ入る鍵をおさずけ下さいまして、ありがとうございました』と合掌したことでした。そして、それからお米を買って来て、炊いて食べきせたり、食べたり、神さまは私達6人を飢えさせはなさらなかったのでございます」

「よかったね。あなたがこれによって 神さまは、飢えさせはなさらないということがわかったのは素晴らしい。信仰生活の喜びは、そこにあるのです。『神、つねにまもり給う。神、つねに生かし給う。貧乏はない。病気はない。ただ善のみ、ただ豊富のみ』を信じ切って、はじめて安心立命の世界を我がものとできるのです」

「先生、まだ嬉しいことがありました。親戚のものから餅米を2斗ばかり頂きました。その外にも嬉しいことがありましたが、ともかくも今日は、雨が降っても槍がふっても、このことを報告させて頂こうと思って、勇んで来ました」

「もう一つの嬉しいことも、披露しなさい」
八橋さんは顔を赤らめて話し出した。
「実は、私は生活保護を受けていますが、どうにも生活が苦しいので、いま少し増してもらいたいと何度も何度もお願いするのですが、聞き入れてもらえなかったのです。それでもうお願いするのをあきらめて放っておきました。そしたら、今度はお役所の方から『少ないけれど』と、殖やしていただいたのです。嬉しゅうございました」

「すばらしいね、神の供給源のねじをあけておかなければ与えられないのです。ますます明るい心、よい言葉で、あなたの運命を好転させて下さい」
 一座の人達もみな感激して、悦び合ったのであった。




<サンタ・クロースがきた>


八橋さんは、つぎの月曜日も、明るい顔をして来てくれたので、私は催促した。
「さあ、その後の報告をしてくださいよ」

「ハイ、私の家では、弟が置いていった3千円も焼石に水で、すぐ消えて行きました。子供達に学用品を買ってやったり、配給品をとって来たり、ご近所で用立ててもらってあったものをお返ししたりしていると、3日目には無くなったのです。それまでの私だったら、そんな時には箪笥の引出しや押入れを開けて見て、何か売るものか質に入れるものはないだろうか、などと考えたのですが、この頃はそうは思わなくなりました」

「ホウ、どんなふうに思うのですか」
「今度は神様は、どこからどんなふうにして廻して下さるのかしら? と、何か明るい、期待するような気持にさえなるのですよ……ホホホ……」

「そこですよ。そんなに明るい気持はどこから出ると思いますか。それは、あなたが『ただ善のみ、ただ豊富のみ』と、一所懸命に言っている言葉の神秘が、もたらしたのですよ。言葉の力とわかれば、これまでの貧乏は、心配顔や憂欝な暗い心のためだったこともわかるでしょう?」

「先生、昨日はクリスマスでした。朝、目をきますと、娘の一人が『お母さん、今日はクリスマスだけれど、お母さんは何にも買ってくれない』と言うのです。それで私も『本当やね。買ってあげたいものが沢山あるのだけれど、お母さんは甲斐性がないので……』と言った途端に『また、暗い言葉を出した。いけない、いけない。ただ善のみ、ただ豊富のみ』と、一所懸命唱えたことでした。

ところが今日は、珍しく私の家へ葉書が一枚来たのです。私の家に手紙や葉書の来ることはめったにないのです。たまにくると、すぐ『どこの借金の催促だろう』と思うくらいだったのですが、今日はそうではなかったのです。

実は、今年の夏、新聞に市内のある本屋さんの事務員募集の広告が出ていたのです。私も応募したのですが、算盤ができないので採用にはならなかったのです。その時に、生活事情をきいて下さったご主人が『何かの時には、また力にならせてもらうから』と、励ましの言葉を与えてくださっていた、その本屋の奥様からくださったものでした。

その葉書には『クリスマスになったから、子供達にお祝いの雑誌などあげたいから、富山へ出たら寄って下さい』と書いてあったのです。それで、こんなにたくさんのご本をいただいて来ましたの。

私は子供達に、こうしたものを買って与えたことがないので、どんなに喜ぶことであろうと嬉しくてなりません。その上に、金一封ののし包みまで下さったのですが、そのとき奥様のお友達が一人来ていらっしゃいましたが、奥様から私の事情をおききになって、その方も金一封を下さったのです。私ばっかり本当にすみません」30冊近い雑誌類の入った風呂敷づつみをもち上げて見せたり、二つの金包みを洋服のポケットから取り出して、無邪気にみんなに見せたりされたのである。

「それから先生、私は或る方に、まとまった借金があるのです。先日、弟からもらったお金を使いはたして何もなくなった時、その方がいらしたのです。私は穴へでも入りたい気持で近所へ飛んで行き、少しばかりのものをおかりして来て、その方の前に並べまして『申しわけありませんが、これだけお納めいただきますように』と、頭を畳におしつけると、その方が怒ったような顔をして、

『あんた、それは今借りて来たのでしょう。借りてきた金を私はとって行けるものか』と、言いなさったのです。それで、私は思わず押入れから蒲団を引き出して、『借りてきたお金でいけなかったら、せめてこれでも』と言いましたら、いっそう怒った顔をして、『それは、毎晩あんたの着ている蒲団でしょう。この冬空に、あんたの着ているものを持って行けるものですか。よろしい。あんたに返せる力が出るまで 待ってあげるから安心していなさい』と、却って力づつけるようにおっしゃって下さったので、私は涙が出てとまりませんでした。

でも、そんなことを言っている間にも、5人もいる子供が、部屋に入って来るやら、出るやらしていたのです。それを見ておられたのでしょうね。一度は出て行かれたその方が、またもどって来られました。そして、『これを子供さんにやってくれ』と置いて行ってくださったのは、1個10か15円もするようなお菓子が10個も入った包みでした」

「何と、世間では借りた方が利息を払うのが常識なのに、あんたの場合は貸した方が、利息を払って行ったというわけですね。着て寝ている蒲団でも渡そうという位の感謝の気持になった時、そうしたことも出て来るのですね」

「それから、こんなこともありました。私が2、3年前、ある方にお金を5千円融通したのです。ほんの一ヵ月というので、その時手元にあったものをお貸ししたのです。それが一ヵ月はおろか半年たっても、一年だっても返してもらえないのです。食うや食わずの生活をしている私です。ある時は、貸した私が、畳に手をつかんばかりにして、お願いもしましたが駄目でした。ところが、平岡先生のお話をきいているうちに、私の心がかわったのです。

『そうだ、心は一つづきなのだ。あなたの心も私の心も、切れ目のない空気と一緒、私の心の中に、どうでも取ってやらねばと、むさぼる気持があるからなのだ。この気持が相手にひびいて、めったに返してやるものか、ということになっているに違いない』と気がついたのです。

 人間はみんな、 誰でも借りたものは返して楽になりたい、明るい心になりたいのに、それを返す気持を起こさせるようにしてあげていないのは、私の貧しい心であった、暗い心であった、と気づかせていただいたのです。それから、こんなことも思わせてもらいました。『そうだ、私は今まで、あの方に、お金を貸している、貸している、と思っていたけれど、ヒョッとしたら、前世とかで、私があの方に借りていたのかも知れない』と、こう思うようになったのです。

そして『そうだとすれば、もう返してもらう必要もないはず。それよりは、長らく貸していただいていたことを感謝すべきだったなぁ』と、心が軽くなってしまったのです。そしたら、どうでしょう。私の方から何にも言わないのに、一昨日その方が来られて、2千円のお金を出して『すみませんでした。月の終わりまでには、あとの3千円はかえすから』とおっしゃったのです。この前の晩にお話しいただいた『肉体も境遇も、わが心のかげ』という真理を、身をもって体験させていただきました。

本当に、私の心一つだったんですね。神さまからの無限供給の通路も、隣人との通路も、私自身の心をととのえることだけで開けるのですね。これからも『ただ善のみ、ただ豊富のみ』を一所懸命に精進させていただきます」

その年最後の月曜会は、こうした八橋さんの感動的なお話で幕を閉じたのであった。




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