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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[807] インターネット道場―――体験実話特集・平岡初枝先生「しあわせを見つめて」より P
信徒連合 - 2015年10月12日 (月) 07時06分




インターネット道場―――


体験実話特集


平岡初枝先生「しあわせを見つめて」より P




<一巻の終わり>


ある日の木曜会に、村のおかみさん達が数人集まった。1人の姑さんが言うのだった。

「平岡先生、また寒い冬が来たので、私の家では4、5日前から炭火の炬燵を作りました。なにぶんじいさんが寒がりまして『電気コタツでは、とても』と言うのです。

ところが、この炬燵を出す頃になると、毎年のように一つの憂鬱におそわれるのです。小さい子供が三人もおりますので 外が雪やみぞれで遊びに出られなくなると、この炬燵を根城に遊ぶのです。それは、まだ良いとして、炬燵蒲団の上に、お茶をこぼすやら、お菓子をねじりつけるやら、お芋を食べればお芋をつける。洗濯してカラカラにしておいた蒲団が、1ヵ月も経つと、もう鼻汁やら水やらでカワカワになるのです。

それで、せめて上に時々洗濯しやすい上掛けをかけるように私は言うのですが、家の嫁がぞんざいで気がつかないのです。これが私の憂鬱の種なのです。一度や二度は注意もするが、嫁と姑という間柄では、そう言えもしないし、言いたくもないし、こうなると胸のモャモャが納まらないのです。

今年もスッキリと炬燵掛けの洗濯を終わりました。カワカワ、ドロドロに汚れていた蒲団の皮を洗って張って糊づけして、綿も打ち直して縫いあげて、カラカラのコロコロにしたのです。でも、これを掛けると直々に、あんなに汚してしまうのかと思うと、嫁や子供が憎らしくさえなってくるのです。先生、こんな時、どう考えたら良いのでしょうか?」

これは、あり勝ちのことであるから、私も何とかすっきりとした解決法を与えてあげたいものである、と考えた。そして、次のように話したのである。

「なる程、あんたの言うことに間違いない。せっかく、精根つくして洗濯した蒲団が、すぐ元の黙阿弥になるのが残念なお気持は、良く解ります。でも、あんたは、汚れた蒲団を解いて洗って張って、それを仕立直して、カラカラのコロコロになったのを畳んで積み上げた。その時の気持は、何とも言えぬ嬉しい楽しい好い気持だったでしょう」

「そりゃ、あんな時の気持の好いことは、ちょっとありませんね」いかにも嬉しそうに言われた言葉を私は捉えた。

「おばあさん。解いて洗って仕立直して、さて、すっきりとなった蒲団が嬉しかった。その時の喜びが、あんたの受け取りで、これで一巻の終わりなんですよ。それ以上を求めるところから、憂鬱も不満もでてくる。喜びも悲しみも、いつも言うように形の世界にあるのでなく、心の世界にあるのです。

考えて見ると、人間のしていることは、みんなそんなものなんですよ。特に女の仕事は、殆んど似たようなことのくり返しなんですよ。今夜、あんたは夕飯をたべて来たでしょう。夕飯がすむと、茶碗を洗い、鍋を磨き、拭くものは拭いて、並べるところへ並べて、『やれやれ、すっきりした』と、腰をのばす。これで、一巻の終わりなのです。

なぜ、洗って拭いて並べたか? 明日また汚すためなんです。明日また、きれいにしておいたものを汚すのです。この汚したり洗ったり、同じことをくり返す。このくり返す道行きを『たのしんで喜んでくり返す』か、『腹立てたり悲しんだりしてくり返す』か、そこに『たのしい人生の創造』と『憂鬱な人生の創造』との岐れ路があるのではないでしょうか」

ここまで話したら、みんな笑い出した。「なる程、掃除をしたら一巻の終わり。そこで、ああきれいになって気持いい、と一息いれて、あとは、子供が汚しても、また楽しい一巻を作るための道行きなんだ。それが良い、それが良い」と話がはしゃいできたら、さきの姑さんが、朗かに言い出した。

「なる程、わかりました。せっかく良いことをしながら、それを喜びの材料にせず、悲しみや腹立ちの種にしていた私は、この上ない下手な人生をつくっていたわけですね」

ところが、こんどは別の姑さんが質問を出したのである。
「平岡先生、一巻の終わりのお話は良くわかりました。私の家にも似たことが、いくつもあります。それは解ったとして、家の嫁もだらしないのです。洗濯物を竿に掛けるにも、キチンとしないのです。おむつ一つ干しても、よれよれの掛け方をするので、私は近所の人にも恥ずかしいのです。たまには『もう少し、キチンとしなさい』と言うのですが、そうするとフクれるのです。あんなのは、どう思ったらよいのでしょうか?」

私は言いました。
「広い心で許すんですね。許す稽古をさせてもらっているのです。可愛い息子の嫁じゃありませんか。かかねばならぬ恥なら、一緒に笑われよう。せねばならぬ損なら、一緒にさせてもらおう。縁あって親と呼ばれ、縁あって子と呼ばれる。何と不思議な縁でしょう。何も良いところばっかりあるから愛するのでもなければ、許すのでもない。ありのままのそのままを受け入れて、その中から好いところ嬉しいところを見つけ出せたら、それが嬉しい人生ではありませんか。

『ああ、今朝も嫁がご飯を炊いてくれた、嫁が居ればこそ。ああ、今朝も洗濯をしてくれた、嫁が居ればこそ』と、そう思えた時、嫁も自分も救われるのではないでしょうか。こうして好いところを見つめていると、好いところが、ますます現われてくる。現われてくるというよりは、好いところに気がつく自分になる。救いは、そこに成就するのです。

「この間、NHKのアンコール・アワーに『通り魔』という放送ドラマをやっていました。それは、もう結婚して10数年になる一人の女房の話で、高校3年生位の男の子が一人あるが、この女房はまことに気が利かない。いつも髪はボサポサにして、身だしなみということもなく、料理も下手なら、家の片づけや掃除もすっきりしたことはできないという性格である。愛想をつかした夫は、遂に同僚のタイピストと懇ろになったのです。

しかし、切り出すだけの勇気もないし、女房は夫の素振りから察するほどの神経も持ち合わさないという状態だったらしい。私は途中から見たので、前後のくわしいことははっきりしないが、ともかくも、ある日夫は会社から電話をかけて『別れてほしい』というわけです。

寝耳に水の妻は、親しい友人に相談すると『それみなさい。あんたは夫のため、子供のためと言って、お金のかからないように一所懸命になっているけれど、会社から帰って来る夫を迎えるために、髪一つ梳き上げるということもなければ、好きなお酒を用意しておきましょうというだけの深切もない。だから、あんたは別の女性にとって替えられるようなことになったのです。さあパーマネントでもかけて来なさい』と、けしかけられたのです。

早速、美容院へ行って髪をきれいにしてもらい、帰りには夫の好きなウィスキーの大瓶を買ったが、途中で俄か雨に降られる。風呂敷をかぶって帰ったが、頭髪は元のボサポサになってしまった。そこへ、主人が相手のタイピストなる女性を伴って帰宅したのです。そして、彼女が『奥さま、私はこの人を愛しています』と言うのです。

すると女房は、あきれたような顔をして、『あんたが、この人を愛している?……あんた、この人の好いところも、悪いところも知っていますか? この人は朝起こすだけでも、どれ程ヤイヤイ言わねばならないか知っていますか。食物には好き嫌いがあって、どれほど難しいか知っていますか。気にいらないことがあると、一週間でも10日でも黙っていることを知っていますか。あんたは、そうしたことの一つも知らないで愛しているなんて、どうして言えるのですか。私は、そんな夫と10数年つれ添ってきて、自分のことは一つも考えずに、夫と子供のことだけを考えて来ました』と言う場面があるのです。

私は、この女房の言葉をきいていて、何とも言えない深い気持にさせられたのです。そうだ、愛するということは、そうしたことなのだ。好きだから、良いところがあるから……なんてことではない、好き嫌いや、損得や、都合の良し悪しなどは超越して、より良い生活を建設するために努力することだ。愛とは、深い忍耐と、広い寛容と、建設と奉仕だと思わせられたことでした」
私のこんな話に、みんなもうなずいてくれたのであった。




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