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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[1082] インターネット道場―― 「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか)第10回
信徒連合 - 2015年11月11日 (水) 07時00分


インターネット道場―― 


「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか)第10回


(「生長の家 今昔物語」の比較篇を転載)

(注)この比較篇が作られたのは、6年前の平成21年でした。当初の頃は「谷口雅宣先生」と敬称で書かれていました。しかし、平成27年の現在に於いては、“敬称”で呼ぶ値打ちのない人物と成り果てました。しかし、この転載文に於いては、原文どおりの「谷口雅宣先生」として転載いたします。




 一般信徒の側から見た「法灯継承」とは?



これまでの「今昔物語」を読み来たって言えることは、第三代目・谷口雅宣先生は、外見上のチョット見では、開祖・谷口雅春先生の御教えを継承しておられるように見えますが、比較して深く読み取って行きますと大きな隔たりがあるのが判ってまいります。そこで、どうしても雅宣先生の「法灯継承」について<一般信徒の側から>考えて見ることが必要だと考えられるのであります。




「今の教え」における<法灯継承>について


谷口雅宣先生・監修「歴史から何を学ぶか」によれば、

・現総裁が<面受>によって次期総裁を決定されることが法灯継承の理想の形であり、生長の家に於いては、それを教規に明文化し、かつ実際に行っている。

・生長の家の法灯継承というものは、単に師と弟子の二者間で個人的内密に行われるのではなく、公に公表する形で行はれるし、この事を「教規」に書いてきちんと制度化している。

・総裁は、次期総裁候補(予定者)を副総裁として指名し、副総裁はその就任と同時に法灯継承者(予定者ではなく決定済者)となる。


以上の事に関し大いなる疑問があるのですが、故・谷口清超先生、雅宣先生、教団幹部の方々は、以前より完全沈黙の状態が続いております。

(1)「面授」によって法灯継承をなすという規定は何処にも存在しない。

(2)谷口清超先生による雅宣副総裁への「面授」がいつ為されたか、それに基づき正式に法灯継承がいつ為されたか、そしてそれが正式に公表されたという事実はない。

(3)生長の家教規第10条その他の規定や条文のどこにも、法灯継承に関する規定はない。

(4)次期総裁予定者としての副総裁も法灯継承者(予定者ではなく継承済者)であるとすると、法灯継承者が教団内において二人同時存在することになる。一言一句の継承(原理主義)ではないのでお二人の説く時代即応の教えが異なる場合も生じる。

(5)条文による明確な規定がないに拘らず、雅宣先生が「副総裁就任時、法灯継承済み」と話されているのは、清超先生も<副総裁就任イコール法灯継承>と考えられた、即ち教規や規定によらない類推拡大解釈によるものと拝察されます。

               

谷口清超先生の法灯継承祭における御挨拶

<< 世の中には「継承」ということを何か誤解していらっしゃる方もおられまして、谷口雅春先生のお説きになった一言一句をその通りまた繰り返してお伝えするのであろうと、かく思われる方も居られるかも知れませんが実はそうではなく、つまりは教えの真髄の不立文字をお伝え頂き、それを継承する。ということであります。>> 
  そして、「無門関」第六則<世尊拈華>の考案を引用して説明されております。



第三代目・谷口雅宣先生の法灯継承祭における御挨拶 (平成21年3月1日)

<< 私は、生長の家の伝統に則って、谷口清超先生から面授によってこの真理の大道を継承させて頂きました。そしてただ今、住吉大神の御前で大真理の眼晴の継承を祈念申し上げました。従ってこれまた清超先生から教えられたように、私は先師の一言一句を繰り返すと言うのではなく、時代や環境の変化に応じて色々の姿をもってこの運動を積極的に展開して行きたい。と念願するものであります。>>




「面授」による法灯継承の実例

開祖・谷口雅春先生は、「無門関解釈」第23則・不思善悪のお話の中で・・・(大意)

<< 禅宗五祖・弘忍禅師は、その法灯を七百人の弟子の最上席の「神秀」ではなく、米つき部屋の百姓出身の「慧能」に伝えた。その<面授>のいきさつは・・

  「神秀」の悟るところの一偈
       < 身は是れ菩提の樹 心は明鏡の台のごとし 
             時々勤めて払拭して 塵埃を惹からしむることなかれ >

  「慧能」の悟るところの一偈
       < 菩提は本、樹に非ず 明鏡も亦、台に非ず
             本来の無一物 何ぞ塵埃を払うを仮らん >

弘忍禅師、この慧能の偈をみて夜ひそかに米ゆき部屋を訪ね慧能に問いかくて曰く・・

「米熟するや?」 

 慧能、答えて曰く・・・「米熟すること久し、なお篩を欠くる事あり」

・・「よし!」と弘忍禅師は、杖をもって三回石臼を撃って「この時刻に吾が室に来たれ」と言うような目配せをして衣鉢(法灯)を慧能に伝えたのであった。これが、六祖・慧能大師であります。 >>




<コメント> 

 
私たち生長の家一般信徒から見て、誠に不思議に思えてならない事は、何故に谷口清超先生も谷口雅宣先生も「法灯継承とは、開祖・谷口雅春先生のお説きになった一言一句をその通りまた繰り返してお伝えする事ではない。」と殊更にこの一点を強調されている事であります。これは何故なのでしょうか?

 私たち信徒としては、「一言一句をその通りに」など望んではいないのであります。信徒の希望は「一言一句」ではなく開祖・雅春先生の御教えを、その御講話や御著書に基ずいてその全相を誤り無く子孫や将来の信徒の時代までお伝えして行って頂けることを望んでいるのであります。この事を分かり易くいえば

(1)法灯継承とは、「盃の水を、そのまま全部、次の盃に移し替える事」と生長の家・長老で禅の大家でもあった田中忠雄先生は解説されております。

(2)今光教に於いては「金光教は、教祖・金教大神が神伝によりて開創せられたる教義を奉じ・・・」とあります。

(3)従って、生長の家の法灯継承も、正しくは「生長の家は、開祖・谷口雅春大聖師が生長の家大神より啓示・神授せられたる神示および谷口雅春大聖師の著わされたる聖典(御著書のすべて)を奉じ・・・」とならなければならないのであります。

(4)依って、「菩薩は何をなすべきか」の中の「生長の家大神――総裁・副総裁――御教え」の図式は、開祖・谷口雅春先生の御昇天後は直ちに「生長の家大神――開祖・谷口雅春大聖師――御教え――法灯継承者」とされねばならなかったのです。

(5)大切なのは、「一言一句」ではなく、開祖・谷口雅春先生の御教えの真髄が未来永劫に亘って全相において伝えられていく事であります。その為に最も大切な事は谷口雅春先生の御講演・御講話・御著書のすべてが後世に伝え残され、世の求道者全般にいつでも準備・公開されていることが大切で、これは法灯継承者の第一最大の責務でもあります。

 開祖自らが話され(て録音・速記され)たもの、開祖自らが文字・文章として書かれたものほど、その宗教の教えとしてこれ以上確かなものは無く、その全相の把握によりその宗教の真髄が悟れるからであります。開祖のお話しの録音・著作物は、その教団にとって最高の至宝だと言えるのであります。




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