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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[1840] インターネット道場―――体験実話特集・藤原敏之先生「全てを癒やす道」より(21)
信徒連合 - 2016年01月18日 (月) 07時47分




インターネット道場―――


体験実話特集


藤原敏之先生「全てを癒やす道」より(21)




▼長男の成績と性格を良くしたいと願う人へ


《往信》色々宗教遍歴を重ね、やっと生長の家のみ教えに縁を頂き、自宅で輪読会も開いているし、早朝神想観にも通って自分なりに真剣に精進しているが、長男が学校の成績が悪く、無口で陰気で強情で対人関係も旨くいかない子で悩んでいる。神想観の方法が悪いのか?また、心の転換方法を教えて下さい。


《復信》合掌 お手紙拝見して、ご心痛ごもっともとご同情申し上げます。

 お手紙を拝見して感じますことは、かなり熱心に求道に精進せられ、行じておられることがよく窺い知れますが、まだ肝腎の所が確立しておられないように感じます。電気の工事の方ばかりに力を入れ、どんなに立派な電球を取り付けてみても一番大切な電源に繋がらなければ電燈は灯らないのです。電気工事も疎かにしてはなりませんが、最も肝腎のスイッチを入れることを忘れてはなりません。

精進も行も努力も大切でありますが、信の確立が一番の根本となります。それは生長の家の教えの根本を貫いている唯神実相哲学に徹することであります。神以外のものや、人間を観ているようなことでは信仰の真似をしていることになります。「人間神の子」の話を知っているだけとなります。「人間神の子」というのはそういう話ではありません。

 聖経『甘露の法雨』の中には「神こそ渾(すべ)ての渾、神は渾てにましまして、絶対なるが故に、神の外にあるものなし」と断定してあります。神以外の自分や、神様以外のお子さんを観ているようなことで何を信じておられるのですか。そんなことだから、折角神想観しながら、神想観の方法や、やり方で効果が異なる様に思ったり、今日のは効いたか効かなかったかと、そんな事ばかり考えているということになるのです。それでは肝腎の神様が全然抜きになっております。

また神様というものが、こちら(自分)次第(条件)で働きが変るぐらいに考えてはなりません。神想観とは読んで字の通り、「神を想い観る」とあります。神を想い観るというのは、神様以外は想わない、また観ないということであります。

 貴方の神想観は神様以外想わないどころか、まるっきり貴方がやっている神想観ではありませんか。それで信仰しているとか、神想観もやっているといっても、全然見当外れです。

見当すなわち方向を間違っていては、どんなに努力しても成果も効果もありません。魚を漁(あさ)るつもりで家を出て、川や海に行かず山に登って木の枝に乗っているようなものであります。これでは目的も願いも達成せられないのは当然であります。貴方に今一番大切で肝心要なのはこのところであります。

 だから妊娠中の胎教や先祖供養のやり方や神想観のやり方等で、心が焦り動揺し迷うのです。信ずるのは現象ではありません。神を信ずるのです。神のお創りになったままの本物(実相)を信ずるのです。五官によって知り得た現象(影)を信じようとしても、そんなものは信ずる対象ではありませんから信にならないのです。ありもしない影(現象)等信じられるはずもなく、また安心も得られません。

 今、お子様に現われている姿(現象)が何であるかを観究(みきわ)めることが第一であります。生長の家のみ教えの根本は、前述の通り、神以外のものや実相以外のものは悉く否定する教えであります。貴女にはその肝腎のことが否定されておられません。ありもしない現象(影)を、在ると把(つか)んでおられます。

『甘露の法雨』にも「あらざるものをありと想像するが故に無明なり、真相を知らざるを迷いという」とあります。このことは私達には聴くことも知ることも出来ない神様(実相・真理)のお声を谷口雅春先生が代わってお聴き頂いて私共にも解るようにお示し頂いたものです。つまり、ありもしない現象(影)を在ると思って心配したり、悩んだりすることを迷いというのであります。

 本当は神様なのだから、元々完全であり、円滑であり欠点などは断じて無い神の子さんであったと神様にお返しをして、合掌を通して観た時、本来の完全円満な実相が現れるのであります。

 拝み切る以外にどんな方法で善くしようと努力せられても所詮は無駄です。困った子供がいると認めることは、また現象を本物として見ているのは、迷いという色眼鏡を掛けて観ていることになります。この間違った観念(迷)を捨て切り、どんな姿に現われて見えても一切相手にせず、あるのは神様のみ、完全さのみと断固否定することです。このことを神想観というのであります。

坐って手を合わせて拝んだり、祈ったりしているだけでは神想観の真似をしているだけであります。中身が神想観になりません。神想観でも、信仰でも、自分も夫も子供も商売も全部を神にお返しして、何も無くなり、あるのは神様だけの世界に生れ変ることであります。

 常住坐臥、神様以外のものを否定し続け、いつ如何なるときにも神様だけを観て合掌礼拝の生活に徹するのです。このことを谷口雅春先生は“四六時中神想観”と教え頂きます。一日は30分でも1時間でもありません。24時間あるのですから常時神様に繋がっていなかったら、心配事が起るのは当然です。それは電燈でも一日中明るくしようと思えば一日中スイッチを入れておかなければなりません。一晩中暖かくしようと思えば、一日中炬燵のスイッチを入れておかなければなりません。思い出したときだけや、朝や晩だけ30分間神想観をしておればよいというものではありません。

何時も「私じゃない、神様だ」と自分に言い聞かせながら、ただ有難いと感謝することであります。こちらは忘れていても思い出さなくても神様は護り続けていて下さるのです。丸々生かされているのであります。それはテレビを映すのと同じです。電力会社は何時でもこちらが頼まなくても送電してくれるのです。畑放送局はこちらからお願いしなくても放送していてくれるのですが、スイッチを入れなければテレビは映りません。また放送局は放送していてもこちらが放送局に波長を合わせなければテレビは映りません。

それと同じように、神様はこちらには関係なく無条件に生かして下さり、護り続けて下さるのですが、こちらが想わなければ、スイッチを入れなければ、繋がりません。またこちらの波長が合わなければ映すことが出来ないが如く、その波長というのは、安心と喜びと感謝であります。ちょっとでも心配したり、不平不満を持っていたりしていれば完全に遮断せられますから神の国の放送は映らないのであります。逆に地獄の放送、心配や不安や苦しみ悩みの放送ばかりが映って来ることになるのです。思い切って迷いの波長、即ち心配や恐れることをやめ、喜びと感謝に切り換えましょう。

 先ず第一にご主人様を神様として拝みましょう。お子様を今日限り、神様にお返しして、神の子をお預かりしていると信じて拝みましょう。商売を神様の経営に切り換えましょう。貴女の環境は一変し、この世からの天国極楽になります。

 お子さんに関して一切心を労してはなりません。貴女はお子さんのことで心配する権利はありません。ただ感謝し、喜ぶ以外に以外にはありません。よくよくご判断下さい。 再拝




▼不況と借金に行き詰まる商店主へ


《往信》個人経営の商店主の夫人。不況の為売り上げが減り、問屋の支払が出来ないので銀行にも借りがあり、それ以上融資してもらえずやむなく高利貸しから一時しのぎの積りで借りたが、利子に追われどうにも返済のメドもつかなくなった。どうすれば切り抜けられるか。


《復信》合掌 お手紙拝見して貴女がお困りになり悩んでおられることは、よく判りますが、ただ、焦ったり、悩んでみても解決にはなりません。どうしてこのような結果になったかというその真相を静かに考えてみることから始めましょう。

 解決方法は2通りあります。現象に現われた行き詰った状態から抜け出すことだけを考え、あらん限りの努力によって苦境から抜け出す工夫をするのか、それとも信仰的に解決するのかが問題であります。

前者は神様が抜きになり、人間的努力や自我的な力を頼んで何とかしようともがくだけです。人間が真面目に努力し、勤勉であれば物事が成功し順調に運ぶものであれば、世の中の真面目で勤勉な人はみんな成功し、繁栄するはずでしょう。ところが案外逆の場合が多いのは、そこに何か欠けたものがあることに気付かなければなりません。それは繁栄や富や成功が何処から生まれ、どこから来るかという根本問題の解明であります。

 草木がスクスクと成長し、立派な花を咲かせ実を結ぶのは草木自身の力によるものではなく大地に繋がってその大地から無限の栄養を供給されるからであり、切り花は大地に繋がっていませんから、花は咲いていても成長しません。また身を結ぶこともはありません。

 このように企業経営でも商売でも、すべてのものの根元である神に繋がっているかいないかということが最も大切であります。物や人間だけを見て、現象の移り変りによって喜んだり、悲しんだりしているのでは、まるで夢を見ているようなものです。夢は結局夢であって現実ではありません。そのような観方、考え方の上に立って生活し、営業しているのを「横取りの思想」と谷口雅春先生は教えておられます。

夢は夢であって見ている間だけで永遠性がありません。ですから常に動揺し、安定しないのです。物質や現象は相対であり、有限ですから、増えたり減ったりするのです。そのように常に移り変わる現象に心を捕えられ、喜んだり、悲しんだりしている限り、運命の環境は心の影ですから浮いたり沈んだりするのであります。

 生長の家のみ教えを神授し、神一元の世界に生活しておれば、神というすべてのものの根元に直結することになり、大地に根を下しているようなものですから、常に無限に供給を享けることになり、枯れたり、伸び悩んだりすることは絶対にないのであります。

 このような生き方を「縦取り の思想」と教えられます。運命は心で造るものでありますから、今真実に目覚め、今神様に直結したなら、神様に不可能はありませんから絶対に大丈夫です。畑は変わらなくても、蒔く種が変れば生えるものが変る様に、どんな困難に見え、不可能と見えることも、可能となり、道は拓け、運命が好転して来るのです。

今貴方がこのことをどれだけ信じるかにかかっています。人間はとかく、自己の力が未だ幾らかでも頼みになる間は、条件がつきますから信じないのですが、絶体絶命どうにもならないという切羽詰まった状態に追い込まれたとき、無条件となり、信が生まれるものなのです。「信は力なり」の言葉通り、信が無限(神)と直結し、無限力を現わすのであります。人間の世界や人間力には限りがありますが、宇宙さえもお造りになり、宇宙さえも動かしておられる神様には際限がありませんから、奇跡としか思えないような素晴らしいことが可能となるのであります。

 元々貴女はなかったのです。生きておられるのは神様ですから、今貴女は「死んだ」と決めましょう。そうして今生きておられるのは神様ですから、行き詰った現象を心から放し、神に全托なさいませ。あとは神様が一番善いようにしてくださいます。そうして全てのものや人を神として礼拝しましょう。

 今まで自分の夫として見ておられたご主人を神様に置き換えましょう。神様として見直しましょう。唯拝めるようになります。上のものが上に下のものが下になければ、ひっくり返るのです。家が倒産するのは、心が転倒している証拠です。

 夫婦が互いに拝み合い、捧げ合いの生活をしておれば、心が安定しておりますから商売も生活も自然と安定するのであります。神様に全托したとき、何の心配もありません。自然と喜びが生れます。常に「有難い」「有難い」と心で感謝し喜んでいれば、心の波長が神様の波長に合うことになりますから、決して悪いものなどあるはずがありません。

 今の悪いことに囚われず、全て善くなる前兆であると思って、心を明るく持ち、自分の繁栄や幸せを願う先に、他人のために捧げ、他の人のために奉仕することだけ考えましょう。ご褒美は神様から授けられます。

 どんなに善くても死ぬときはどうせ置いて行くのです。他のために尽し、与えたものだけが永遠に滅びない宝であります。目先の善悪に振りまわされないで、変わることのない、本当の幸福を自分のものに致しましょう。「災い転じて福となす」道こそ正しい信仰であります。                                   再拝



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