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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[1852] インターネット道場―――もっと霊界の知識を持ち伝えよう。現象界の出来事は霊界でその雛形が刻々と出来上がりつつあり!(第十六回)
信徒連合 - 2016年01月19日 (火) 07時48分



インターネット道場―――


もっと霊界の知識を持ち伝えよう。現象界の出来事は霊界でその雛形が刻々と出来上がりつつあり!


(第十六回)




輪廻転生について

<<生命は死を超えて前進する>>


(その2)





「生まれ更り」行く場所

(『別冊・真理<正死を越える道>P.77−80)

<<「生まれ更り」行く場所を独断的に決める必要はないのであります。肉体の死後、魂は地球以外の天体に生まれるかも知れないのであります。・・・東洋では人間の「生まれ更り」の説は、何百万人の教育ある者および教育無き者によって認められている共通的な信仰であります。然しそんなことは科学の世界で普遍的に認容し得られるための証拠にはならぬのであります。然しこの問題を注意深い有能な研究家が、物質的見地からではなく精神的見地から検討した例もない訳ではないのであります。

 ハードマン博士の見解によれば、地球上或いは他の天体に再出生すると云うことは、個々の魂の霊的発達および精神的進化の最も合理的な説明であると云う結論に達せざるを得ないと云うのであります。地球は他のどの場所にも劣らぬ適当な場所であると云うことは不合理ではなさそうであります。

この地上に千回生まれ更わっても全く同じ経験、同じ条件の生活が二度あることは決してないのであります。一生涯或いは何回もの「生まれ更り」で最高度の愛を見出すことがありましても、前世に於いて知り合いになった同じ人に逢っても以前の交渉については現在意識は何一つ記憶していないのが普通であります。

潜在意識のみが個々の人をそれとなく認識するに過ぎないのが普通であります。十個のアラビア数字が無限の組み合わせを作るに足る如く、地球は進化の途上無限に変化ある体験を経るための無限の機会を与えることが出来るのであります。

 吾々はすぐ身の周りで、人々があらゆる種類の体験を積むのを目撃します。ある人は幼児より死に到るまで殆ど常に試練と苦難との連続であります。恐らく彼らはそれによって、霊の進化のために必要な何物かを修得しているのでありましょう。

「生まれ更り」の説を信ずる人々の用語で言うならば、それは過去世の業の負債を支払っていると云うことにもなるでしょう。或る時代の「生まれ更り」に野獣の如く残酷で高圧的で不公正であった人は、自ら、高圧的に残酷な目に遭って苦しめられて見ることが「他を残酷に取扱ってはならない」と云う高き智慧に到る道であると云うことは道理に叶っているのであります。

 霊の進化のための動かすべからざる法則は、面倒だと言って廃棄し去るわけには行かないのであります。仮にこれを棄てるために努力するとしても、苦しみを通して心が一転して過去の考え方を棄て、人間の魂が向上しない限り、人間や動物の感情や本能の、成育し遅れた低級な諸性質を後に遺すことになるのであります。

これが一代の「生まれ更り」中に起こるにしても、或いは百代の「生まれ更り」中に起こるにしても、永遠と云う無限の高き目的に比すれば、小さい事であります。>>




生長のための無限の機会

(『別冊・真理<正死を越える道>P.79−82)

<<次の一事だけは確かであると思われる。即ち永遠の生命と云うことが、唯(ただ)「継続する」と云うだけのことであるならば、何の善き意味もないのであります。

永遠の存続が生長を意味するものでなかったならば、キリスト教の地獄と同じく恐ろしいものとなるでしょう。魂が「生まれ更り」することなく一身体あるいは一場所に幽閉されることは、最悪の悲劇であります。無限智(神)は「死」と「生」と「再生」の制度によりそれを不可能にしているのであります。

 各人は或る程度の開発された力と精神的能力とを持って生まれます。人間のこの諸能力は、孵化すると同時に泳ぐことの出来る魚の本能的能力とはその性質を異にしています。地球上に何人人間が居ましても、その精神的な能力は一人ひとり各々皆違うのであります。

この精神的な能力は体験の所産であります。それは肉体的に遺伝するとは限らず、また肉体的遺伝でないことがしばしばであるのであります。精神的霊的素質が如何なる因子で生ずるかは、物質的な遺伝因子を研究する生物学の法則だけでは決定的に解明することは出来ないのであります。

 優生学的生殖によって、家畜の品種を改良する如く、或る人種の体位を改良し得ることは恐らく間違いのないところでありましょう。然し偉大な民族の繁栄が永く続かず、やがて没落して行くことを吾々は見て知っているのであります。そこに霊の進化の法則が見られるのであります。

「変化」こそ進化にとって必要欠くべからざるものであります。人間の「生まれ更り」は魂の進化の場と条件との変化を意味します。度々生まれ更ることは、度々異なる体験を積むことを意味するのであります。>>




『神真理を告げ給う』(P.65−66)

<<地上で果たすべき最後の過程を卒業した霊魂は高級天体の世界に移住して、もう地球上に帰還することはない。その卒業移住と引き替えに、他の、地球よりも、もっと低い階級の天体に住んでいた未発達の多くの霊魂が、恰も中学卒業の子供が高校へ入学して来るように、地球に移住して来たのである。

それが戦後に生まれて来た人たちの霊魂である。彼らは他の天体に今まで住んでいて、他の天体で発達した文明と文化と習慣との中で生活した霊魂であるから、今まで地球で住んでいた人類の道徳とは異なる道徳的基準を身につけており、絵を描くにしても、音楽をたしなむにしても、衣裳をつけ、髪形を調えるにしても、男女交際のあり方にしても、全く戦争前地球人とは全然異なる趣味と表現と風習とをもっているのである。けれども彼らはやがて地球というやや上級天体の生活法に、彼ら自身の生活振りと行動とを慣らして行く時がくるのである。世界は悪化しつつあると見える時にも、結局は一層良い方に移行して行くのであるから余り心配しないがよい。>>




受胎と出生の神秘

(『生命の實相』第9巻・霊界篇上巻P.75−86)

<<受胎後二、三ヶ月間は比較的自由であって、その霊魂が母の胎内につくられつつある自己の「肉の宮」を訪れて来ることはホンの時々にすぎない。然し時がたち、「肉の宮」の建設が進捗するにつれて、その霊魂はいっそう頻繁にやって来る。彼はつくられつつある自己の肉体に自分自身の特徴を与え、自分の希望をそれとなく鋳込むために――すなわち自己の人格の烙印(やきいん)を押すために来るのである。

妊娠七ヶ月のころになって彼はその小さい肉体に宿ってそこに定住し、その肉体を自己のものとするのである。それから後は霊魂が脱出することはきわめて稀となる。

そして出産の刹那にその霊魂は完全に肉体内に幽閉される。彼が完全に肉体に幽閉されるのは、ただにその肉体なる器官との結合が親密になったからのみではなく、霊魂自身の意識、記憶------等が自分の入ってきた心霊科学(サイコケミカル)的条件によって全く亡失されるによるのである。

 これは一般的法則である。しかしこの法則には種々の適用の相異と、様式の変化とがあるのである。その原因をわれらは研究しなければならない。



低級な霊魂

 ――それはその霊魂自身にとっては偶然に捕らえられる。(換言すればむしろその霊魂自身には不明なより高き力に支配されて宿りきたる)――は、“なまくらに”胎内の幽閉状態に満足している場合もあれば、その反対に罠(わな)の中の革紐にしばられた獣(けだもの)のようにもがきながら出来るだけしばしば、また出きるだけはるかにその肉体の外へ逃れ出ていようとして、ただ、出産前二、三ヶ月間だけその肉体に帰って来るのもある。

こうした相異が起こるのはその霊魂独特の反動作用―――個性すなわち性格によるのである。しかし、もし彼が自己の「肉の宮」を整え準備するために適当の時期にやって来ないならば、自己の要求に不適当な「肉の宮」を見いだす危険がある――すなわちその構造に整わぬ点がある。換言すれば「肉の宮」とその居住者との間に調和の欠乏が生ずるのである。

(霊魂とその「肉の宮」との間にピッタリしないところが生ずるのは、低級霊の懶惰(らんだ)状態やその反抗状態に起因するのであるが、これは贖罪(しょくざい)のため、または精神生活を洗練し発達させるために、ことさら不完全な親の胎に宿った場合と混淆(こんこう)してはならないのである。)



高級な発達をとげた霊魂

 時として意識的に自己の祖先とすべきものを選んで受胎し来るのである。彼は宇宙に「生まれ更り」の法則のあることを知り、その法則が摂理の慈手より出ずる事を知り、我意を放棄して甘んじてそれに従うのである。なぜ“甘んじて”であるかといえば、<スピリットが物質に同化せられ、意識が無意識の中に徐々に吸収せられてゆくのは苦痛であるからである。>霊魂が物質の中に同化されるのは、ただそれだけでも試練の火であり、ただそれだけでも時としては、ある霊魂は一段高き進化に値(あたい)するのである。

 すでに述べたことがあるように、死産せる小児の霊魂は、半産して死せる胎児の霊魂と同様に高き進化をとげたスピリットなのである。(レイヌはいう「懐妊七ヶ月以後の胎児には個性ができあがっている。そんな胎児を殺すことは罪悪です。これを殺したものは報いをうけます。」)

 幼くして死する児童の霊魂もまた高級なスピリットである。かかる場合にはその霊魂は全然その肉体の器官に宿りきらないことがしばしばある。彼らは自己の運命をあらかじめ知っているので、自己の「肉の宮」を造るのにみずから骨を折ろうとしないで、その肉体をしてただ動物的営みをなすままに放置する。(かかる場合、その生涯がきわめて短すぎて進化の試練とならないこともある。)

 しかしながら、ここにきわめて稀な場合がある――生まれてもその肉体が少しも発達しないで、痴呆の状態で老齢に入るのである。これなどは前世における非常な過失の贖(あがな)い――恐ろしい罪障消滅法――と解すべきであろうか? レイヌは答える。「多分それは罪障消滅法中でも最も辛いものなのです――なぜならこれらの霊魂はスピリットとしての意識が残っているからです。これらの霊魂は完全に肉体中に這入りきっていないで、霊界にいながらその肉体につながっているがために、スピリットそれ自身としての意識の一部が存していて、そのために鋭い苦痛を感ずるのです。私たちはこれらの人達に愛を感じ、これらの人たちのためになることをしてあげなければなりません。しかしこれらの人たちを憫(あわ)れんではなりません。――それはその霊魂の苦痛を増すばかりですから。」(以上P.75−78)

 高き進化をとげた霊魂は、みずから意識してこの世に生まれかわって出るのであるが、ちょうど好都合と認むべき親たるものの生理状態を利用して、もしくはあらかじめ親たるものの状態を都合のよいように修正しておいて、自己の希望する性別を選択して生まれ出ることができるのである---------(P.81)



人工授精について

 レイヌは答える――「人工授精が成功した場合は、意識してこの世に生まれ出て来ようとわざわざやって来た霊魂が宿ってくれるのです。それは熟慮して画策された行為です。霊魂自らの選択です―――偉大なスピリットにありがちな意識的受胎です。しかいそれはきわめて稀です。もし人工授精を一般に盛んにやるようになれば、生きた子供の生まれる割合がきわめて少ないでしょう。(P.85)



死の神秘

(『生命の實相』第9巻・霊界篇上巻P.86−88)

<<ヴェッテリニは語る――死期はあらかじめ定められている。
 病気および災厄は、あらかじめ定められたる運命を成就せんがために、霊界の不可視の使い(スピリット)がその人を導くところの手段である。「生」は、時として臨んで来る「死」に対して極力争おうとする。このことは死の神秘を恐怖する未発達霊魂の人々において特にそうである。

しかしながら霊界の使者(メッセンジャー)が霊魂の脱出するのを待っている。そしてこの世の終焉が来たときには、そのメッセンジャーが助けてくれる。もし必要な場合には、彼は強いて霊魂を脱出せしむることもある。

 肉体をはなれたる霊魂は、高級なスピリット――白色のスピリットである――の集会の前につれて行かれる。高級なスピリットはこの新参の霊魂の進化の程度を鑑別(みわ)ける。もし進化の程度が低ければ、その霊魂はある長期間、あるいは短期間、地上の雰囲気内を彷徨しまわり、自己が肉体的生活を営んでいた頃の生活を回顧し、他界より人生の争闘を観察して自己の責任を自覚せしめられ、自己の意識を発達せしむることを学ぶのである。

これらのことは、まず新参の霊魂が高級の霊魂に引き廻されてするのであるが、やがてただひとり、あるいは同じ程度の進化にいる霊魂たちと一緒に、あるいは無関心な気持であるいは悲歎にくれながら、あるいは愉快な気持で(これらの気持の相異は霊魂そのものの進化の高さで決まる)空間をうろつきまわる。そしてやがて時が来る――それは多少とも長き期間の後である。霊界の支配役のスピリットが、彼を再び地上に送る――それは新しく生まれかわって、なおいっそうその霊魂を向上せしむるための経験を受けしめんがためである。
 
 もし肉体をはなれて霊魂がすでに秀(すぐ)れた進化をとげた霊魂である場合には、みずから進んで、ある一定の目的のためにさらにもう一度地上の世界に生まれかわって出ることもあるのである。その一定の目的とは、<自己犠牲の行為によって、自己をいっそう高き進化の圏内に運ばんがためである。>

 ヴェッテリニのごときスピリットは、ただ斯くのごとき目的のために、この地上に帰り来るのである。しかし、標準としては、ここまで高き階級に達したる霊魂がさらにいっそう高き進化をとげるのはその霊界における活動によってである。

彼らは白色のスピリットとなる――地上の世界に関するあらゆる事件の比較的最上権を有する審判(さば)き役となるのである。白色のスピリットは更に進化をつづけて他の「霊圏」に入るのであるが、この「霊圏」のことは人間にとっては知り難く了解し難きものである。ヴェッテリニはそれについて(少なくともその瞬間)は語ることを拒んだのである。しかしながら、自分はこの一段進んだ「霊圏」いなむしろ一段進んだ<状態>においては――自分がここに<状態>というのは、彼らがより高い地圏に生まれかわって来るのではないように思われるからである――

かかる高級なるスピリットは、あらゆる地上的な興味を全然超越してしまっている。かかる興味は彼らにとっては全然無意義である。彼らは地上的なるものより一段高く生長してしまっているということを言葉の端より総合しえた。>>




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