| [2123] インターネット道場―――体験実話特集 大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(8) |
- 信徒連合 - 2016年02月11日 (木) 09時57分
インターネット道場―――
体験実話特集
大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(8)
さて、聖経『続々甘露の法雨』の聖句にかえるのであるが、ここにも、「病気を治そう」と思って「病気」を心でつかむと却って治らぬという真理が説かれているのであります。
すべて病気は心の影なるが故に、 病気を癒やさんと思いて 常に病床に横たわり、 「この病気」「この病気」と常に心を労すれば 病気は却(かえ)って増悪せん。 病気を心に描けば病気来る。 病床に横たわりて病気を常に心に描きながら 病気の癒ゆることを希(こいねが)うは 火を握(にぎ)りつつ冷たきを希(こいなが)うが如し。
病人は殊更(ことさら)に病気を心より放つべし。 而(しか)して、唯愛せよ、唯感謝せよ。 国を愛せよ、 人を愛せよ、 家族を愛せよ、 すべとの物と事と人とに感謝せよ。
かって「谷口清超人生論集」の第2巻として『愛は凡てを癒す』という本が出ましたが、次に掲げるのは良人の「愛」を媒体として、神の愛が降下し来り、殆ど手術不能の重態の肉腫の手術に成功した実例である。それは昭和43年5月19日、千葉県文化会館で生長の家の講習会の席上、八日市場市八辺の越川満多智氏(当時66歳)が述べられた体験である。
有難うございます。この貴重な御時間を頂戴致しまして、未熟な体験を話させて頂きます。
有難うございます。私の家内は、65歳の今日迄私と一緒に農耕をしていたのでございますが、生来の親譲りの薬嫌いから医者嫌いでありまして、体に回虫が溜っても、サントニンをやってもも、内緒で溝の中へ捨てっちゃう様な薬嫌いでございましたですが、1月頃から下腹部に傷みを覚えておりまして、生来の薬嫌いなものですから、たいした病気ではないという様な自覚が本人にあったのでございましょう、そのままズルズルーと医者に診てもらわないでいたのですが、とても耐えられなかったと思うのであります。自分自身「医者行ってみるわ」こう言うなり、八日市場の町医者でもって一応診断を受けて「先生癌ではないでしょうか」と、こう言ったそうですけども、町医者のことですから、レントゲンも無し、指圧をもって「一応癌ではないでしょう」と、言うなりに投薬を受けていたのでございますが、難病であったので薬効というものは殆んど無いままに、今度は八日市場の国保病院にかえたのでございますが、国保病院では直ぐに入院しろというのであったですけども5人の家族のうち女1人でもって、炊事する者がいなかったので、とことんまで頑張りたかったのでございましょう。
頑張っているうちに 食事も通らなくなりまして、子雀の餌ぐらいしか通らなくなって衰弱していったのでございます。それで家族の者もこれはとても難病らしいからというので、家の炊事当番がいないということで頑強に抵抗するのですが、近所の奥さんの御意見までもお借りして、兎も角なだめすかして病院に3月の26日に入院したのでございます。そうして医者が精密検査やっているうちに、3月30日に、夜お手洗いのさい帰りに貧血を起して倒れてしまったのでございます。 そのうち、多美子という娘を附き添わしていたのでございますが貧血を起して倒れてしまったので、31日は丁度日曜日でございましたが、どうしても精密検査が終わらなくても、開腹してみないことにはどうにもならないということでありまして、院長先生が日曜で自宅に帰っていたのでございますが、当番の先生が電話して日曜でありながら、手術を午後1時に決行するということで、自宅まで多美子が電話したのでございます。
その日に私、倅(せがれ)に運転 させて、もう一人の和子という嫁にやった娘と同乗して、病院に急いだのでございますが、そのうちに、丁度31日の病院に通う沿道の桜が丁度7分咲きでございまして、実にきれいに見えたのでございます。それで、子供等に「桜がきれいだなあ」と言ったところが、子供等は日曜の手術だということで、もう母がほんに危急な状態だということを感じているものですから子供等は返事もしませんでしたけれども、私には実に桜がきれいに見えたのでございます。それでいざ手術ということになりまして、医者が申すのに「開いてみなければ結果は分からないが切ってみて、(医者は癌だと想像していたのでございましょう)切り取れる場合と切り取れない場合とがあるから、切り取れたらお目にかけるから控え室で待っていてほしい」というのでございました。
それで3人でもって控え室で待っていたのでございますが、ちょうど手術室に入って1時間ばかり経った頃「誰か1人中に入れ」こう言うのでございました。それで、普通の場合は絶対手術室に肉親の者を入れない規定になっておりますので、これはもう既に危急な どん底だと思いましたので、子供等を入れても力になれないとこう考えていたものですから私自身急いで手術台の傍へ入ったのでございます。そうしたところが、筆頭の主治医は「開いたところが丁度内出血していて、腹の中は膿に近い血液でもってドロドロになっている。それで既に出血多量でもって血液は普通人の5分の1なので、このまま手術を続けても結果はどうならないか分からないけれどもどうします」とこう言うのです。そのうちに私何の恐怖心も無く「先生このまま続けて下さい。結果は、どうなってもかまいませんから」こう申し上げたところが、医者の方でも、手術が成功しなくても医者の責任ではない。こういう様に瞬間感じたせいでございましょうか、なんとなく医者の方に安心感みたいなものが漂った様に感じたのでございます。
それで手術は続行されたのでございますが、後でその病名が分かったのでございますが、肉腫という病気で癌よりもすごい病気だというのでございました。その手術が丁度ドロドロの血液の中から何にも本当に見えないのでございまして、腸を脇へかたしておいて、その中から肉腫の塊を摘まんではバケツの中へ放り込むのでございます。貧血が激しいので、家内の体はもう死人の様な姿でありまして、手もうんと冷たくなっていたのでございますが昭和42年11月号の神誌の24日の法語に“誰でも愛があれば祈りを媒体として、神の癒やしのアンテナになることが出来るんだ”という谷口雅春先生の御教えをそのまま行じていた私には、患部には手術していたので手を当てられませんでしたので、家内の冷え切った片手に私の片手を与えて、空中高く手を差し伸べて神のアンテナとしたのでございます。
そしたところが、不思議と2時間それを続けて手術を続けていたのでございますが不思議と手術は成功したのでございます。成功はしましたが、医者の申すのに「一応これで手術は成功したけれども、意識が回復するかどうかそれは判らない。3日の内に意識が回復すれば、まあなんとかその後の手当ては出来ますから」とこういうお話でございました。それで手術が終わったので直ぐ個室へ帰らされ、病室へ附いて行くなり、今まで携帯させておきました晒布に書いた『甘露の法雨』、私の書いた『甘露の法雨』を家内の手術した腹の上へ乗せて、暫く様子を見守ったのでございます。そしたところが1時間経たないうちに「痛い」と言いだしたのでございます。「痛いのは仕合わせなんだぞ、助かっちゃったんだぞ」と私は叫ぶ様な声で家内に叫んだのでございます。その痛みの上には谷口先生を媒体として、観音様が天下ったところの観音妙智の力が乗っていたのでございます。初めて知る観音妙智の力、『甘露の法雨』の御力でございました。
この私の潜在意識はそれを知っていたのでしょうか、八日市場誌友会のみなさんの愛行であったのでございましょうか。暫く前から地方講師のみなさんがおいでになって、先生方のお話に色々『甘露の法雨』の功徳をお聞かせ戴いたのでございまして、相愛会のみなさんの希望によりまして、何回となく晒布(さらし)に『甘露の法雨』を浄書してはおあげしたり、また携帯用の 物を書いてはおあげしたりしているうちに、この釈尊御在世当時から、指で数えるほか悟った御弟子がいなかった、という程のこの菩薩の行であります。この生長の家の御教えの菩薩の行が我々ごときに及ぶものではないと、如何に修養しても及ぶものではないと、皆様の体験談を度々聞かせて戴いたのでございますが、その心境にまでは程遠いことだと自分自身諦めていのでございますが、なかなかご本だけでは分からない事が、悟れない事が『甘露の法雨』を通す時に、我々如き凡夫にスラスラーとこの真理が分かってきたと、観の転換が出来たというその不可思議力、私は女房の病気の治ったことを、ここで、有難いには違いないですが、それにもまして『甘露の法雨』の功徳をもって、我々がこの境地に到達し得たと、その有難さで胸一杯なのでございます。先生有難うございます。
私に附き添っていた多美子という女の子の話をもう暫く御時間限りやらせて戴きます。その多美子という女の子は、腎臓が悪くて5年程病気をしておりまして、その5年の間6ヶ月と11ヶ月と病院生活をしたのでございまして、なかなか腎臓の病気がとれなかったのでござい ます。それで何時とはなしに私と離れている間に、創価学会の勧誘に従って学会員になったの でございます。それで群馬県の太田に現在いるのでございまが、それがやはり病気がはかばかしくない為に、母に付き添って、一応薬をもらいながら母の看病をしていようと、それは入院中の母への恩返しだとこういうことであったのであります。
それで向こうにいる間、私が御本を何度となく郵送したりなんかして送ったのでございますが、なかなかその創価学会員が、「他の宗教をやると罰が当る」ということでもって、ちいっとも言うことを聞かなかったので ございます。それでその病院に家内が入院中、丁度3月14日に今度の生長の家の教化部会館でもって、荒井英太郎先生の講演があったのであります。先生の講演を聴かせるのが最も良いこだと思いまして、娘を連れて講演を聞かせたのでございましたが、そしたところが、娘が「こんな素晴しい御教えがあるのに、日本中の凡ての人が何故来ないのだろうか」こうして胸ふるわせて聞いていたのでございました。それで荒井先生の講演を聞いて私の家に帰りまして、2,3日経つうちに、3日間でもって8キロ体重が減ったのでございます。丁度今迄むくんでいたのがスパーとむくみがすっかり取れちゃったんですけれども、なんとなく痛々しさが激しいのでございまして、「恐くないか恐くないか」と儂(わし)さんざん言ったのでございすが、「全然恐くない」とこう言うのでございます。薬でもって腎臓の水を利尿剤で取った場合 には殆んどフラフラの状態になるのでございますけれども3日で8キロの体重が減る程排尿しちゃって、痛みも無し、恐さも無いのでございます。
入信の素晴しさを初めて知って、罰のあてられる学会を去って、会員のいない生長の家の神様が、神の妙智の力で御救い下さるのでございます。有難うございます。
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