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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

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[2139] アメリカの国益のためのみに 占領軍から強要された日本国憲法
広報 - 2016年02月12日 (金) 10時13分

 日本国憲法の出自(うまれ)は、きわめていかがわしい。

 今日まで日本のマスコミや識者が、日本国憲法を「平和憲法」と呼んでいるが、日本が先の戦争に敗れた直後に、アメリカの占領軍が日本に押し付けたものだった。

 アメリカという外国のために、つくられたものだ。

 日本は陸海軍が完全に武装解除され、国土が灰塵(かいじん)と化し、国を守る軍という楯を失っていたので、占領軍が無理じいするのを、受け入れざるをえなかった。

 アメリカは日本を占領すると、まだ、半年――6ヶ月もたっていないうちに、マッカーサー元帥の総司令部が書いた日本国憲法案を日本政府に示して、有無(うむ)をいわさずに受諾することを強要した。そのなかで、第9条が日本が「戦争を放棄」し、「戦力」――軍隊を永久に保有することを、禁じていた。

 いったい、アメリカは日本という国の国益を考えて、日本に日本国憲法を与えたのだろうか?

 もちろん、そのようなことはなかった。アメリカの国益のみ考えて、日本に日本国憲法を強要したのだった。

 日本が軍隊を持つことを許されず、未来永劫(みらいえいごう)にわたって丸裸になれば、アメリカによる保護に、永久に身を委ねるほかない。日本をアメリカの属領のような属国とすることを、はかったものだった。

 昭和天皇は日本国憲法案を御覧になって、流石(さすが)に不安になられて、日本国憲法が公布される前に、マッカーサー元帥と会見された時に、「アメリカはいつまでも、これからずっと、日本を守ってくれるのだろうか」と、御下問されている。マッカーサーは「日本をいつまでも守る」と、答えている。

 日本国憲法は敗戦の翌年の11月に、公布された。

 繰り返すが、日本国憲法は日本の国益を思って、制定されたものではなかった。アメリカのために、日本に押しつけたものだった。

 私は40年以上も、アメリカに通って日本国憲法の制定の経緯(いきさつ)について、調べた。

 アメリカのルーズベルト政権は、昭和16(1941)年2月だったが、国務省のなかに極秘裡に「特別研究部(スペシャル・リサーチ・ディビジョン)」(SR)を設置して、日本と戦って、日本を壊滅させた後に、日本をどのように処理するか、研究するチームを発足させた。日本が追い詰められて真珠湾を攻撃した、10ヶ月も前のことだった。

 ルーズベルト大統領は、日本を憎んでいた。開戦のはるかに前から、日本に戦争を強いて叩きのめすことを、決めていた。(詳しくは、拙著『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』〈祥伝社新書〉を読まれたい。)

 SRの若き一員に、戦後、コロンビア大学で教鞭をとったヒュー・ボートン教授があった。私はボートン教授のもとに通って、真相を語ってもらった。

 SRは日米開戦後に軍部が加わって、対日講和条約案を作製した。これは、じつに苛酷なものだった。

 日本に軍備を保有することも、いっさいの軍需産業も、航空機については1機すら持つことを、永久に禁じるものだった。

 日本が降伏すると、占領軍総司令官となったマッカーサー元帥に、この講和条約案を盛り込んだ憲法を、日本に強要するように指令が発せられた。
http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi
加瀬英明のコラムより

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