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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[2177] <再掲示> インターネット道場―― 「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか) 第8回
信徒連合 - 2016年02月14日 (日) 08時41分




<再掲示>

インターネット道場――


「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか) 



第8回




マサノブ君は、「生長の家ってどんな教え?」という本を書いています。これを読んでみますと、「マサノブ教ってどんな教え?」というタイトルが正確であります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』を換骨奪胎して、マサノブ君の個人的思想ーーーサヨク唯物現象論に基づく環境問題が中心のものーーーが「生長の家」の教えとして書かれているのであります。 最も重要な開祖・谷口雅春先生の大悟徹底(お悟り)や「生命的国家論」や真理の証し「体験談」、霊と霊界に関する事柄については全く書かれてはいないのであります。

「生長の家」の本当の『御教え』を知りたい人や真剣な求道を志す人たちにはマサノブ君の「今の教え」や「生長の家ってどんな教え?」は誤ったメッセージを送ることになっています。

また、本部公式サイトのインターネット講師による「生長の家」の普及宣伝を目的とする「インターネット・ポーサルサイト」では、マサノブ君は、全インターネット講師に『このブログは「生長の家」の真理普及のために開設しましたが、内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。 従って、私は「生長の家」を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、ご了承ください。』という一文を必ず掲載させております。誠に“奇々怪々”な文章であります。その結果として、本部公式サイトでありながら、殆んどのインターネット講師の真理普及のためのインターネット講座が、個人的な“私生活日記”の報告となってしまっています。

インターネットは全世界に公開されているものです。だから、開祖・谷口雅春先生が説かれた「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えしなければならないのでありますが、マサノブ君はその責任を放下してしまっているのであります。

そこで、本当の霊的真理を求めておられる御縁ある未信徒の人たちに正しい「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えする為に、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の根幹である部分を、何回でも何回でも繰り返して掲載して行く必要があります。この様な目的を以って、この「インタイーネット道場」を最初から再び<再掲示>させて頂きます。



******************


(「生長の家 今昔物語」の比較篇を転載)


(注)この比較篇が作られたのは、6年前の平成21年でした。当初の頃は「谷口雅宣先生」と敬称で書かれていました。しかし、平成28年の現在に於いては、“敬称”で呼ぶ値打ちのない人物と成り果てました。しかし、この転載文に於いては、原文どおりの「谷口雅宣先生」として転載いたします。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



生長の家大神の姿について



「今の教え」における原宿本部会館玄関上の御神像について


  第三代目・谷口雅宣先生は、生長の家大神の姿、即ち本部会館玄関上の御神像について平成20年11月25日の「小閑雑感」にて次の如く説いておられます。

・この神像は生長の家大神そのものではなく、ひとつのイメージ「象徴」・「表現」であって、はっきり言えばこの神像は人間の創作である。

・「神姿」や「神像」や「聖者」を具体的な形に表現することは、危険を伴う。

・イスラムでは、神を具体的な形に表現してはならない事になっている。これは思慮深い方針である。特に生長の家は「万教帰一」を教義の中心に据える宗教であるから、生長の家の大神の姿は具体的には表現しない。神は一つの像の中に押し込められるものではない。

・しかし、人間の創作は自由である。ゆえに本部会館上の神像は、作者の表現物つまり心の作品に過ぎない。




「本来の生長の家の御教え」における本部会館玄関上の御神像について


昭和6年4月5日の「万教帰一の神示」には、

 <<・・・われは一つにして多である。信仰深き諸方の霊覚者にわが神姿を示したる事あれども、そはわが真の姿に非ず。見えたる神姿は霊覚者の心識の所現にも非ず。そは、われ神通力によって疑う者の蒙を啓かんがために、異なる場所と異なる人とに同じき一定の神姿を示して、神の客観的存在を実証したに過ぎない。されど、本来われに一定の神姿はない。如何なる姿も欲いのままに現ずることが自由である。・・・>>


<神秘面より観たる生長の家40年史>—−住吉の大神の神姿を見た人々に関する御文章

・「私の背後に白髪の老翁の姿をしたキリスト(久遠のキリスト)の姿を最初に見たのは私の家内であった。空中に立っていられる白髪の老翁の神様の姿を拝したというのである。この神姿は、その後、他の信徒の集まりにも顕われた。数人の霊眼に同一神姿が同一の位置において見えるので、それは本物でしょうと言って畑中氏は私に尋ねられたことがある。私自身はこの神姿を見たことが無いのは、一寸妙に感じられるが自分自身の顔は自分には直接見ることが出来ないと言うような原理によるのかもしれない。」

・「本部の旧館の正面玄関の上部に安置せられている神像は、服部仁郎氏が家内の霊視せる神姿を詳細に聴き、それによって模型を作り家内の霊視した神像に出来るだけ近づけて製作せられたのである。服部氏自身は神姿を視たことがなかったが、天才的彫刻家の一種の霊感で本当に家内の視た神姿そっくりに出来ているらしい。」

・「数年前、横浜の誌友が始めて本部を訪問し、この神像を見て手紙を寄こされたことがある。この神姿は谷口がかって早稲田大学の大隈講堂で講演している時に、その谷口の姿がこの神姿に変貌していたのを思い出して不思議な神秘感に打たれた。家内の霊視した神姿にもとずいて塑作されたこの神像が横浜の誌友の霊視した神姿そっくりに出来ていたと言う事は、服部仁郎氏の製作技術の素晴らしさと霊界の神秘の相互連関を語るものとして注目してよいと思うのである。」

・なお、「生命の実相」第二巻・実相篇下巻・第4章にも、以上の事がさらに詳しく書かれております。




<注釈コメント>


・本部玄関上の御神像について「生命の実相」第2巻第4章に於いて書かれていることの中で注目しなければならない点がいくつかあります。

(1)・・・そのうちにこの「生長の家」の事業が神の人類生活光明化運動であることが明瞭になって来た。・・・

(2)・・・仏教にも護法の神があるごとく生長の家にも、護法の神が出現した。・・・

(3)・・・この神はわれわれの祖先の霊でもわれわれの家族個人の守護神でもない。名はいうに及ばぬ。光明輝く実相の世界に住む神である。・・・

(4)・・・この神の存在が単なる幻覚ではなく、時を異にして別々の人に同じ姿が顕現せられたので客観的に何かあるという証拠になって来たのであります。・・・

(5)・・・霊覚ある人は遠方にありながら、その地に顕現せられたこの神を視られる方が多数出来てきました。その報告によってみますと、その神姿がまた同じなのであります。・・・



・以上を総合すると次のことが言えるのであります。

(1)価値高き宗教が地上に出現して広まって行くときには、神秘現象が伴って当然であり「護法の神」の存在があること。

(2)価値高き宗教は人が造るのではなく、高級神霊界からの摂理と導きによって地上に顕れ出るということ。

(3)生長の家の人類生活光明化運動・日本国実相顕現運動(大日本真理国家建設運動)は神界から発した運動であることを信徒に示されて自覚を持たせんがために、護法の神の姿を霊覚ある人々に象徴的に示されるということ。また、一人の人だけではなく時を同じくして、また別々の場所に霊姿を顕わされて単なる特定人の幻覚ではないと告げられているということ。

(4)開祖・谷口雅春先生の霊的本体は正に住吉大神、故に谷口雅春先生は住吉大神の御化身であられたこと。
  以上のことが「本来の正しい生長の家の御教え」における御神像に対する解釈であります。一方、「今の教え」では、この御神像を本部玄関上に安置することは偶像崇拝の危険性につながる、という観点で説かれていて全然視点が違っているのであります。


・ 生長の家では、教化部・道場・誌友会場において全てと言っていいほど「実相」の額・軸を掲げて、これを通して宇宙の大生命(唯一根源神)を礼拝すると同時に、自己の神性を「実相」額・軸に映して自分で自分の実相を礼拝するという「自礼拝」という宗教の最高・究極の礼拝行をなしているのであります。


・このように、開祖・谷口雅春先生の時代から、御神像は常なる礼拝・崇拝の対象と  はなっていず、あくまでもこの御神像を見ることによって、第一義的には立教の昔に思いを馳せ、生長の家の運動は神様がなさっている誠に尊い運動であることを、その度毎に強く深く認識する事にあるのであります。

・そして、第二義的には、谷口雅春先生が御講演中にこの御神像に変貌された霊視的事実よりして、住吉大神の御化身としての雅春先生に心からの感謝の誠心を捧げるべきであります。

・このように考えられますので、本部玄関上の御神像については第三代目・谷口雅宣先生が説かれるような「偶像崇拝」というような考え方には至らない訳であります。上記のような説明をせずに信徒の自由な世間常識的発想に任せておけば、大勢の信徒の中には偶像崇拝の危険性に陥る人々も出てくることでしょう。

・いずれにしても、御神像は谷口雅宣先生の言はれるような偶像崇拝に等しきものとして将来的には(イスラムに習って)廃絶されるような事態に至ってはならないのであります。生長の家教団の発展史上における掛け替えの無い重要な霊的なものとみなして末永く大切に伝え残すべきであります。




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