| [191] 東亜解放の戦争だった |
- 大権現 - 2015年08月08日 (土) 22時53分
谷口雅春先生は、昭和二十七年の「生長する青年」(「理想世界」誌の前身)十月号に「霊の選士としての青年の使命」と題する御文章に、大東亜戦争の意義についてつぎのように書かれておられる。
日本は大東亜民族の解放の旗幟をかかげて戦ったのである。そして日本は侵略国として色々の汚辱を蒙ったけれども、それは恰もキリストが十字架に釘けられたのと同じことである。「人を救いてみずからを救い得ざる者よ」と当時のユダヤ人は十字架上のキリストを嘲笑したけれども、この汚辱ある刑罰の中に彼は全人類を解放したのである。それと同じく、日本は「侵略国」と云う汚名の下に侮辱され、戦争犯罪人と称して裁判にかけられ、上衣を奪われて十字架上にのぽったキリストのよぅに領土の十分の四を奪われたけれども、その犠牲にょって、東洋民族は自己の内部に、西欧民族と同様に尊ぶべき人権が、尊ぶべき「神性」が宿っていることを自覚することを得たのである。 それまでは多くの東洋民族はみずからの無自覚によって自縄自縛していたために白色民族の支配下に土地はその植民地となり、人間は奴隷の如き生活を送っていたのである。日本の蹶起のために多くの東洋民族は目覚めた。西洋民族と同じように彼らも神が平等に造った神の子であ り、「何でも出来るぞ」と云う自覚を得たのだ。かくて東洋民族は続々として白色民族の桎梏から解放されて独立したのである。
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