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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

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[2386] インターネット道場―――体験実話特集 大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(16)
信徒連合 - 2016年03月07日 (月) 10時23分




インターネット道場―――


体験実話特集 


大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(16)





 人間の肉体はこれを現象的に見ますと、物質でできています。たしかに物質面から観察致しますと、化学療法の薬剤に対しては化学の法則に従って反応いたしますし、電気治療や放射線療法によれば物理学の法則に従って反応するのであります。だから硫酸を皮膚に注ぐと、そこは焼け爛れて皮膚は炎症を起し糜爛(びらん)いたします。しかしそれは木材や金属に硫酸を注いだときとは異なる反応を起すのであります。木材や金属は、その腐蝕(ふしょく)面を、自分自身の内部の力で原形の如く修復する力を持っていませんけれども、肉体は、内部の力でそれを原形の如く修復する力を持っているのであります。その「内部の力」というのは、人間自身の「生命の力」であります。そこが無生物と生物との相違であります。

 何人も、みな生きている限りは“生命”を宿しており、その生命の力によって、外から物理的、化学的の損傷を受けても、その損傷を内から修復することになるのであります。

 しかしその生命力の治すところの自然療能というものは、私たち自身の“想念の型”を通して働くのでありますから、その“想念の型”が悲観的でジメジメしたものであれば、その糜爛箇所もジメジメして、なかなかその爛(ただ)れが治らないことになるのであります。

自動車でハネられて骨折をしたとき、頭部打撲で重傷になったりするのは、それが物理的作用による損傷でありますが、“想念の型”が健全であれば、健全な方向に恢復するのが速いのでありますけれども、もし症状の激しさに暗示されて、患者の“想念の型”が悲観的な型になりますと、生命力は、悲観的方向に働いて、いつまでも、骨折や糜爛が治らないことになるのであります。

 昭和43年11月10日、滋賀県彦根市の市民会館で講演会がありました時、同県高島郡今津町の吉田恵美さん(当時38歳)というお母さんが次のような体験談を発表されました。

   ……私は今津に住んでおりますが、子供はたった一人しかございません。その子供が私の目前で、生みの親である私の目の前で、交通事故に遭(あ)うたのでございます。そして一瞬にして血みどろになり、今津病院に運ばれたのでございます。すでにその時には、医師には、「もう24時間保(も)たないから、御親戚の方や、お祖父さん、お祖母さんに知らせなさい」という悲しい宣告を受けたのでございます。

 そして私は、幸にしてこの生長の家の御教えにふれておりましたので、生死の境をさまようております所の子供を主人に託して、今こそここに、真の御教えの力を身をもって体験しなければならないと思いまして、家に帰り、そして誌友の皆様と共に、聖経『甘露の法雨』を読誦 させて頂きました。そして、神様に救いを求めたのでございます。

それから又病院に引き返しますと、先生も駄目だと言っていた子供が、瀕死の状態で喘(あえ)いでいた子共が、すやすやと眠りについたのでございます。そして翌(あく)る日からは、不思議にも日一日と子共がよくなって参りました。その間、子供はわずか9歳になる頑是(がんぜ)ない女の子でございますが、一日に一万遍「ありがとうございます」という感謝行をいたしておりましたのでございます。今ここにこうして皆様に、体験談を発表さして頂きますのも、本当に素晴らしい生長の家の、この御教えをお教え下さいまして有難うございます。先生、ようこそおいで下さいまして有難うございます。唯々、感謝感激に堪えません。

そして今迄今津には相愛会がなかったのでございますが、志賀町にお住まいでいらっしゃいます所の本田憲吾先生御指導のもとに、今津に相愛会が誕生致しました。そして主人が相愛会長に選ばれ、現在家族そろって人類光明化運動に、挺身さして頂いております。これも唯、只管(ひたすら)に谷口先生のお蔭でございます。

今日こうして、訥弁(とつべん)ではございますが、体験談を発表さして頂きますのも、唯、感謝、感激の一念でございます。皆様本当に有難うございました。(拍手) 谷口先生有難うございました。(拍手)

 医者から、“もう24時間保(も)つまい”といわれた子共が恢復したのですから、この体験談の終わりに、このお母さんの感謝の言葉の繰返しがあるのも無理はないと思われるのであります。医師が“もう24時間は保(も)つまい”といったのは、物理的に、その障害の症状を観察し、今まで多勢を診て診断した経験を通して、結論を下されたのでありますから、人間が単なる「物質的機械」であったならば、この診断の通りで間違いはなかったであろうと思われるのでありますが、人間は単なる物質的機械ではなく、それには「神の生命」が宿っており、その生命力が、破壊せる肉体を修復するために常に働いているのであります。

疲労しても一晩眠ったら恢復して、又元気になるのも、この生命力の修復作用であります。ところが子共が自動車事故で血みどろになって倒れ、医師が「24時間もつまい」と宣告した時に、このお母さんは信仰があった。そして母と自分の幼児(おさなご)の間には、非常に親密な精神の交感があるのでありますから、母親が心に描いた想念の“型”がその幼児が心に描いている想念の“型”となるのであります。このお母さんは、瀕死の子供を医者に任せて、自宅に帰って、自分の目の前に喘いでいる断末魔の子共の状態を見なかった。それでこのお母さんの心の中に「瀕死」という“想念の型”が掻き消されたのです。

そして家に帰ると、誌友の皆様と共に。聖経『甘露の法雨』を読誦した。その聖経には、「一切の悪は夢幻(ゆめまぼろし)の如きものであって、悪はない」という神の啓示による哲学が書かれている。それをひとりで読誦するだけではなく、多勢の誌友と一緒に集団読誦した。集団読誦の力は、その聖経に説かれている「一切の悪はない」という真理の理解を、一層つよく、潜在意識の底まで深めるに役立ったに違いないのであります。そして、このお母さんの潜在意識に「瀕死」という“想念の型”は消えたのです。

それは「母と子との間」の精神交感によって、幼児自身の潜在意識の中にある“想念の型”からも「瀕死」ということは消えたのであります。(無論、これは観世音菩薩の啓示された聖経でありますから、観音妙智力の救いの力が加わっていることは当然ですけれども、唯今は、心の法則を説明することを主にして、神秘な他力による功徳のことは暫く言わないことにしたのであります)

 こうして、お母さんが、自分の“想念の型”から「瀕死」を抹殺して、それに代うるに「もう大丈夫」という“想念の型”をもってして、病院へ引き返して見ると、瀕死の状態で喘いでいた子供の容態がよくなって「すやすやと健康な寝息」をして眠っていたというのであります。後は、この健全な“想念の型”を通して“生命”の癒力(いやすちから)が健全に働くのみでありますから、健康が恢復したのは当然のことであります。

 このような外傷の場合には、皮膚や筋肉に裂傷があれば、それを縫合(ほうごう)することも必要であり、骨折であれば骨の位置を正しくして骨折部が癒着し易いようにし、黴菌の侵入を防ぐために、消毒薬を施して繃帯(ほうたい)することも必要であります。しかし、これらの処置そのものが肉体の損傷の恢復するものではなく、その損傷から来る結果を緩和し、どこまでも生命力の自然良能をたすける働きをするに過ぎないのであります。だから、この聖経『続々甘露の法雨』には、つづいて次の如く啓示されているのであります。

   物質療法はただ結果を見て、
   結果を緩和する処置をするに過ぎず。
   病の原因は「心(こころ)」にあり。
   しかも「迷いの心」にあり。
   汝ら「迷い」に捉わるることなかれ。
   「迷い」を去り、汝の生命が「神の生命」なる実相を諦観(たいかん)せよ。


 「迷いの心」が一転せしめられ「悟りの心」に転じられるとき驚くべき癒力を発揮して、どんな難病でも治ることは次の実例を読んで下されば一層よく解ると思うのであります。これは膵臓も肝臓も炎症を起して膨れて、痛く、脚の曲がらない慢性のリウマチスを含めて8つか9つかの病気を起していたのが、生長の家の飛田給練成道場の練成を受けて、心が一転するとともに12年前から痼疾(こしつ)である難聴をはじめ多くの病が消えたと云う実話であります。

 それは、昭和44年3月2日、生長の家の40周年記念大講習会が京都府宇治市にある生長の家別格本山でありました時、東京都杉並区荻窪22の2の37に住んでいられる戸谷桃代さんから体験談発表の時間に話された実話であります。

   皆様有難うございます。私は41年の4月1日に入信させて頂きまして、4月8日の“祈り合い”によって、8つ程の病気が、その場で消えてしまいました東京都杉並区の戸谷桃代と申しまして、丁度12年前に、胆嚢の手術で胆嚢を取りましてからは低血圧、又、難聴の為に補聴器をかけて、真に不自由な生活をして居ります。その中に気管支拡張と申しまして、気管支に葡萄状のようなものが出来まして、そこに痰が溜り一寸しますと、直ぐその痰が出たいが為に咳が出て、それが段々ひどくなって血痰になってしまいました。それで大塚の癌研に入院させて頂きまして、そいで「何か血痰が出るには病気が原因であるから、もう少し調べさせてくれ」と仰せられまして40日間入院させて頂きまして、検査をした結果、結核ではなく気管支拡張と申しまして、気管支の葡萄のような中に血痰が溜って出て、この4月で丁度3年になるんでございます。それで、「手術も出来ないし体力からいっても、これは手術することは出来ない」と医者(せんせい)に言われまして、主人が医者に、「どのくらい保ちますか?」と伺いましたら「半年の寿命で、上手に保たせて2年間が最上の寿命」だそうでございます。

 「それだったら家へ帰って自由にさせてやりたいから退院させます」と申して私を連れて帰りましたんです。その時に私の妹が12年前から私をいろいろと生長の家の御教えに触れさせて、白鳩会やら又は御講習会には何時も連れて行ってくれまして、よい教えとは申して居りましたが、どうしても入信することが出来ないで居りまして、肝臓は腫れて後も前も触っても痛い、膵臓が腫れる、リウマチスで足は曲がらない。もう家に帰った時には「9つだ」と子供に言われました程の病気を持って居りまして、自分は、もうこの世を去ることばかり考えて居りました。

 それで3月の31日に妹が参りまして「私の一生の願いだから、どうか私の願いをたった一つ聞いてくれ」と申しますから「そうね、早く病院に入って白骨になるよりも、飛田給に行く方がいいから、そいじゃ飛田給に行ってあげるわ」なんて大きなことを言って、みんなに抱えられて飛田給へ参りました。

 飛田給に参りましても妹は「直ぐに逃げて帰るのではないかしら?」それから家では電話かかったら救急車でも読んで迎えに行かねばならないって待機して居ったそうでございます。それが飛田給に入りましたら、丁度お玄関の先に「神は愛なり」というお軸がございまして、「あら、なんて柔かい言い空気なんでしょう」と申したもので、妹は大変喜びまして、「これなら、お姉さん10日間辛抱して下さる」と思っていたそうでございます。

 それで私は足腰が,聴きませんから3日間、妹は私について、一切私の面倒を見てくれまして、その時に、「お姉さん、ここではねえ、何でも神様に全托しておしまいなさい」「でも全托って、大変なの?どうやって神様に、お上げ出来るの」だなんて口はばったいことばかり申して居りまして、そいで、一番前のところに坐って居りましても、足が坐ることが出来ませんから、前に投げ出して居りましたんですけど、本尊の『實相』の御軸の前では、どうも勿体無くて足を前に出すことが出来なくて、大きな風呂敷を出して、妹はかけておいてくれまして、その中で脚を投げ出して私は皆さんのなさる通りにして居りました。

それで5日の日に、お部屋の方が、どこか朝早くお出かけになるので、「何処へいらっしゃるのですか?」と言ったら、「ついて来ますか?」と仰言(おつしゃ)るものですから、その方の後へついて行きましたら「祈りの間」に入らせて頂きました。 そして、その「祈りの間」へ入りまして見ましたら、皆さん一杯入っていらしゃいます。

そいで私も皆さんのなさる通りにして居りました。それで5日、6日と、6日目の日になりましたら、入った途端に涙が出まして、洟(はなみず)と涙が本当に、どこからこんなに出るのかと思うほど泣きまして、講堂に入りますと涙が止まります。 そして7日の日を迎えましたら又、涙が出るんでございます。どこから出るのか、涙の袋が破れたのかしらと思うほど流れまして、その内に講堂に参りまして4月8日を迎えました。そうしましたら私は病気は沢山ございますけれど、丁度吉田武利先生が、「病気の人は前に出なさい」と仰言いましたけど、「こんなに沢山の病気なんか、どうして治して頂く所があるんでしょうか」と申して居りましたら、私が出ないものですから、途中から妹と入れ替えに、妹の連れ合いが道場に来て私を遠くから見守って居りまして、後ろから「出ろ出ろ、姉さん、耳だけでも治してもらいなさい。その補聴器をかけていては、貴女が不自由なだけでなく、側の者がどんなに不自由しているか分らないから、出て、お祈りをして貰いなさい」と部屋の人も一所懸命して下さるもので、一番前に出させて頂きました。

その時に私は、別に治して頂くなんて気もなく“出ろ”と言われましたから、出て居りまして祈って居りました。そうしている中に、左の耳にかけていた補聴器が“ガガーガガーと鳴るんでございます。 それで可笑しいと思いまして、こう見ましたら丁度洋服でございましたので、何処にも触って居りませんのに鳴るんです。 その中に、ガーガーガーと耳の中に入るものですから、どうしても補聴器を懸けておれないで、除(と)って、そいでから懐へ入れまして、皆さん合掌していらっしゃるんで合掌させて頂いておりました。また、右の耳は鼓膜がないんでございます。

その内に、どのくらい時間が経ったか分りませんけれども先生の御声で「皆さん病気はないんですよ」と仰言った御声が、わぁっと入って参りました。 可笑しいな、補聴器を外しているのに、どうして、いつの間にかけたんだろうと思って、懐に手を入れたり、いい方の耳に手で栓をしましたら、全く聴こえない右の耳の鼓膜の方からも入って来るんでございますの。それで吃驚してしまいまして、ここはきっと催眠術をかける所で私は今、催眠術にかかっていると思って居りました。すると先生が一番前に居りましたものですから、「戸谷さん、どうして補聴器を外したんだ?」と仰言るものですから、こういう訳でございますと申し上げましたら、「そいじゃ、既に神様に癒されたんだから、壇上に上がって、皆さんの御愛念に感謝しなさい」と仰言って、その時に自分でも不思議に思いましたのは。足を投げ出して前に坐っていましたのが、ちゃんと坐って神想観の姿勢になって合掌していたのでございます。(拍手)

それで私も吃驚して「はい」と御返事して直ぐ階段を駆け上がるようにして、上がって皆さんの御愛念に感謝させて頂いたのでございます。それからは、なんだか体がふわふわ今までの体の状態から羽が生えて天狗様のような軽い体になって、何処へでも飛んでゆこうかというような気分になってしまいまして、それで私が、こんなにも不思議なことがあるものかしらと思いまして、それで、もうその日から、廊下を駈け足で駈けて跣足(はだし)で行くんでございます。

「耳の聞えないお婆さんどこ行った、耳の聞えないお婆さんどこ行った」と言われますけど、耳は聞えます。体は、この通り軽くならせて頂きました。それからは、しょっちゅう方々の練成道場を巡って歩かせて頂いて、森本先生のお宅で「初春の光輝く日の本の杖となり柱となりて鳩は飛び立つ」という御歌まで頂きまして、私は小さいながらも、光を飛ばさせて頂いて、歩かせて頂いて居ります。どうも有難うございます。

 なかなか神秘的な宗教体験でありますが、集団の“祈り合い”の神想観で、皆が、本来健全な実相を諦観(たいかん)してくれました結果、自分の潜在意識の中にある病念が消除され、その結果、その病念のあらわれである難聴も膝関節の硬直も消えてしまったのであります。

心が生理作用を変化させることは次の聖経の続きを読んで下さい。

   血液の循環は心に従って自在に変化す。
   速脈も遅脈も恐るることなかれ。
   ただ羞恥の感情すらも
   血液の流れを顔面に逆流せしめ、
   ただ驚愕(きょうがく)の感じすらも
   心臓をして早鐘の如く動悸(どうき)せしめん。
   心平和となれば心臓の働きも亦(また)平和に恢復せん。

 血管の病気で最も恐ろしいのは脳溢血とか脳血栓などで、私たちの命を奪う惧(おそ)れがあるのでありますが、これは多分、老人病としてすべての人類意識の中にある迷妄のあらわれであり、人間の地上生活に限りがある以上、避けられない血管壁の硬化等から来るのもでありますけれども、心を平静にすることによって血圧が20も30も急に下がる実例もあります。また、血圧を測ろうとすると、「また血圧が高いかもしれない」という恐怖だけで、その時だけ一時的に、20も30も血圧が急上昇する人もあります。憤怒のために血圧が急上昇したために急に脳出血を起して死んだ例もあります。憤怒は恐怖(敵があるという恐怖)
の一形式でありますので、その敵と戦う姿勢を生理作用がとるための筋肉も血管も引き締まり収縮硬化しますから、血液壁の弾力的拡張が得られなくなり、心臓が特に努力して血液を送らなければならないので、どうしても血圧は高くなります。そして既に老衰して脆(もろ)くなっていた血管があれば、それが破れて脳出血を起したりするようになるのであります。

 このような老人病ではなく若い人にも時々おこるところの血管の病気に脱疽(だっそ)というのがあります。足の趾(ゆび)から腐って来る病気で、その初期はその部分の耐え難いほど烈(はげ)しい疼痛が起り、やがてその部分が葡萄色のミイラ状になって脱落し、そのような疼痛と腐蝕が段々脚の上部までのぼって行って遂に死を招くと承っております。この病気は医学上から殆ど療養の決め手のない病気だとされていますが、吾々の心霊病理学とでも称すべき学から判断しますと先祖の霊魂が霊界で迷っていて、それらが救われたいと思って、“迷いの想念”を血縁の者、親戚等に放送してくる。その“迷いの想念”を受信した者
が脱疽のような病気にかかるのであります。つまり血管の病気でありますから、血の筋すなわち血統につづく人達の霊魂の象徴としてあらわれて来るので、(註。肉体は心の象徴)その迷っている霊魂に真理の聖経『甘露の法雨』を読誦して悟らせてあげると治ることになるのであります。

昭和44年3月1日京都府宇治市の生長の家別格本山で講習会がありました時、大阪府泉佐野市下瓦屋689の会社員、広原久夫(当時46歳)が、次のような体験を発表されました。

 
皆さん有難うございます。こういう高い所から話する程値打のある体験談ではないのでありますが、一言体験を話させて頂きます。時間がありませんから、途中から話が切れるかも分りませんが、どうか宜しくお願い致します。有難うございます。

私は42年9月頃、足が痛くなる病気になったのです。300メートルも歩くと、足が張ってくるんです。1ヶ月程度家では、病気をして、ぼつぼつ仕事していたんでありますが、どうしても足が痛くて歩くことは出来ないと、そこで病院へ行き医者に診て貰ったんです。すると医者は診察した結果、脱疽という名前を付けて頂いたのです。脱疽とはどうゆう病気か、つまり血管が細くなって血が通いにくいということです。ですから、だんだんと進んでくると、指先から腐ってくるわけなんです。今現在、芸能人でも足を切断した人も居ります。そういう病気になって来るわけなんです。

それで入院していて、半年程して隣に病気の非常に進んだ者がいたんです。部屋に遊びに来て、こういう病気になってから、何度手術したか、兎も角手術を右の足の付け根、左の足の付け根、左右の脇腹、左右脇の下、これを全部手術しても、まだ治らんと、結局は指先から身が腐って骨が飛び出て来るのです。指の(ここが)、足の指から腐ってくるんです。そういう病気ですから、最後は足を切断せねばならないという病気なんです。

そういう病人を見たわけなんですから、それから恐怖してしまって、じっと寝てても、足の先が腐っているのかと違うかいな、と足を触ってみても、まだどうやら付いていると、兎に角半月してからというものは恐怖して、恐怖で明け暮れていたんです。

それでも、生長の家は、10年も前から聞いているので、生長の家でしたら治ると、そういう気持はあったのですけれども、まだそこまでゆかないので、現象に囚われて、矢っ張り薬に頼ると、そういう訳で医者に行ったり、医者に行っても治らん「手術するか」という事になったんです。「先生手術して、100%治りますか」と医者に尋ねたら、「さあ100%はゆかんだろうけど、旨い事いって、5年か10年は保(も)つやろ。悪けりゃ3日もあかん」

手術するのは、心臓から両方に血管が出てます。右と左に出ているものを剥(は)ぐわけなんです。ですから脇腹を、肋骨の下から脇腹を右の下へ切って、背中と脇の間を掻き分けて、心臓から出ている血管の皮を剥ぐわけなんです。ですから大手術なんです。そんな手術を100%簡単にゆかん、うまくゆけば5年か10年、下手すると3日であかん、うかうかしていられるものではない。

こんな医者に診て貰てたら、どうにもならんという事で、私は12月の4日の日に退院して「先生、大分よくなったので退院します」言うて退院して、これ以上医者に診て貰っていたら研究材料にされると飛び出して来たんです。それから12月の10日から宇治の練成に行きまして、練成に来て、この練成10日間で、この病気が治るか、この病気だけ治して折角来たんだから(笑)と思って、10日間というのは短いですね、“治るか、治るか”と後9日、後8日、後7日、6日、5日と、それから7日の日でしたか、江崎先生の指導を受けたんです。

 先生が言うには、「あんたは10年も話聞いて、儂(わし)より話聞いているから言う事なし」と、「あんた自分で考えなさい」(笑)それは11時の講話の時間でした。

さあ先生にそう言われて、「何も話すこともない、儂よりよけい聞いている」(笑)とそういう事言われたら、私としては、いてもたってもいられへんようになって、これではどうにもならんと4時まで坐っていました。坐っていても同じことですわね、分らんのやから。“この病気、この病気”と何かを摑みたい、この病気を治す為に何かを摑みたい、病気を両手で摑んでおって、救いを何か摑みたいと思っても、摑める筈ないです。(笑)それで10日間やったわけです。それで先生には、「お蔭で有難うございます」と言って帰ったんですが、その時薄らと“実行せにゃあかんな”ぐらいのことで帰ったんです。

それから12月いっぱい遊んで正月の1日の朝です。初夢を見たのです。その時は先生の夢を見さして頂きました。それは先生が、この、前に坐っている、私はここに、家内はここに坐っていて、先生が「君、病気はどうかね?」と言って下さるのです。もう一寸です」もう一寸という事はつまり摑んでいる訳ですね。

先生が、「そうか、そやったら祈り方を書いておくから後で取りに来い」と仰言って、横に部屋があって、後は暗いので分らないのです。「表へ出しといてやるから取りに来い」といわれる。そこでパッと目が覚めたんです。 誌友会の時、西村さんに尋ねたんです。「西村さん、こういう夢見たのやけど、どないしたものやろ」先生はつまり夢で、「本を読め、これだけの本を書いてくれているんですから読めと言う事ですね」それから私は毎朝5時起床、本をずうっと読まして頂きます。

朝、神想観をして、それから1時間本を読んで、6時半まで本読んだ。毎日『生命の實相』を読む。一時間あったら30頁読めます。 それから晩は8時から先祖供養、兎も角左(ひだり)ですから、先祖供養さして頂いて、そうするとそう云う具合いにして1月から始めたんですが、なかなか、そう簡単に治るもんじゃないです。 なかなかどうしても現象に囚われて、それから先生に手紙書こうかなと思ったんです。先生に手紙を書いても、「こりゃもう君の病気は生長の家じゃ治らんぞ」(笑)とそんなことを言われるような気もする訳なんです。

これだけ本読んだんですけど、全部読んでも、脱疽の治ったことは一つも書いてないんです。(笑)胃癌だとか、喉頭癌、子宮癌やとか、他の病気やったらいろいろ治ったのは有るんだけども、脱疽の治ったのなんか一つも書いてない。(笑)生長の家も、この病気は治らんと(笑)ちがうかと、そういう風に考えたわけなんです。そういう風になったら、いてもたっても、これ以上なるんやったら、心配せにゃならんけど、兎も角行くところまで行けと、これ以上進んで、足の先が腐って来るというのやったら、その時はその時のことだと、それまで一所懸命やろうとやらして頂いたんです。

朝5時起床、兎も角1時間半、7時から仕事がありますから、それまでに食事を済ませるんですから、1時間から1時間半、本を読んで神想観をして、晩は8時から先祖供養をさして頂いて、ずうっと続けまして、ひょっと6月頃に気が付いたら、病は消えていたんです。(聴衆拍手)“この病気は何時治ったんかなあ?これやったら5月中やったかなあ”と思う程度で、なんと今まで迷っていたことは、結局自分の現象に囚われて、自分が迷っていただけだったと、こんなあほくさいことはない。これは矢っ張り本を読み、実行という事が一番先決問題であります。

『生命の實相』を読ませて頂きいて、一歩でも神に近づく。会場に皆さんがおいでになったからこそ、先生のお話も聞け、いろいろの体験談も聞けるわけで、家にいたらこの話は聞けないのです。 だから一歩でも神に近づくと、それを皆さん、どうか実行して頂きたいと。これを言いたいのは私が皆さんに言うのでなしに、私に言い聞かせるのであります。皆さん有難うございます。



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