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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[2387] 完全優位の『正統・生長の家』、そして『マサノブ教』は脛(すね)に傷もつ教え!  <第四部>
塚原卜伝 - 2016年03月07日 (月) 10時30分






「子記事」に、遥かなる追憶<第四部>として、「初心者=マサノブ君」の「生長の家」解体実行語録の数々を掲載します。


********************


「掲示板」情報のお蔭で、マサノブ君の生来の實相隠蔽の内容が明らかとなったのであります。そして、マサノブ君の實相隠蔽度合いが最近益々今生では回復不可能となって来たこともわかるのであります。



[ T ] 「掲示板情報」で判った『狂乱総裁』マサノブ君の今に到る思想的生い立ち 


1、 子供の頃、庭の蛙をとらえて“火あぶりの刑”に処して遊んでいた。 (残酷無比)

2、 子供の頃、食卓に零した味噌汁を吸うように叱られた。 (見返したい怨念)

3、 「遂に自分も独裁体制を布く事が出来た」と友人に語ったとか。これも少年時代からの夢?(独裁者志向)

4、 青年の時代に書いたタイトルは『穴グラから』であった。 (光明思想ではなく暗黒思想)。

5、 若き頃の発言は「人生で一番大事なことは、権力を持つこと」 (権力への憧れ)

6、 退職金と権力を手中に収めるための、復職を前提とした「副総裁辞任劇」、(飽くなき金銭欲)

7、 その昔、信徒(宮崎氏)から寄贈された“お山”の住居を教団に買取らせて自己資金化? (飽くなき金銭欲)

8、 「法燈継承劇」を無理矢理に演出挙行、『ニセ法燈継承者』をまかり通させる。(手段を選ばず目標達成)

9、自分もまた死後、「大聖師号」を付けさせたいために、清超先生の御遺言を無視した。(手段を選ばず目標達成)

10、 継承者自らが、継承した教団をつぶす“忘恩的行為”を着々実行。 (破壊と蕩尽)

11、 看板は『生長の家』、中味の実態は換骨奪胎した『ニセ生長の家・マサノブ教』で信徒を欺瞞 (詐欺商法と同じ)


以上、要するに『残酷無比・怨念・独裁・暗黒思想・権力欲・金銭欲・戦略的知力・宗教詐欺』――― これが完全に『神性隠蔽マサノブ狂乱総裁』の正体であります。常識的な意味から言っても、『宗教・信仰』の世界からは考えられないことばかりであります。これがそのまま『非生長の家マサノブ教』のアキレス腱であり、脛の傷となってしまっているのであります。




[ U ]  完全優位の『正統・生長の家』、そして完全劣性のスネに傷持つ『マサノブ教』の比較



   比較項目    「正統・生長の家」  判定    「マサノブ教」  判定


1、 教義について     唯神實相神学 ○        左翼唯物現象論 ●

2、 基本聖典      『生命の實相』 ○        『大閑雑感』  ●

3、 経典        『甘露の法雨』 ○        『大自然惨禍経』●

4、 神示        神示集・神示祭 ○         人間知    ●

5、 神想観       完全に実修   ○         不完全実修  ●

6、 礼拝         『實相』   ○        大自然(雑木林)●

7、 祭式          日本式   ○         西洋式    ●

8、 立教目的    人類光明化と日本国實相顕現 ○     地球環境保護 ●

9、 国家観        生命的国家観 ○         世界市民思想 ●

10、 國體         天皇国日本  ○       共和制・世界政府 ●

11、 愛国心      中道實相の愛国心 ○      戦争に繋がる・不要 ●

12、 講師のレベル    非常に高い   ○    非常に低い  ●

13、 信徒の質     求道心は旺盛  ○    お孫さま信仰  ●

14、 体験談       真理の証し人  ○  たまたま、非科学的 ●

15、 国防意識     旺盛(七生報告) ○  マサノブ君にはナシ ●

16、 お金と真理との優先順位    真理 ○         お金・退職金 ●

17、 人生の霊的使命   真理国家の建設 ○      優雅な宗教貴族生活 ●

18、 浄財の使用目的  立教の使命と目的に沿って ○  超高給と利ザヤ稼ぎ ●

19、 教団設立の淵源   實相世界    ○ 『狂乱総裁マサノブ』の人造●

20 「天壌無窮の御神勅」  日本国家の淵源 ○      一切認めず無視 ●

<追加>

21、 人間観          神の子  ○     人間至上主義(罪の子)●

22、 運動方針    個人と国家の實相顕現 ○   趣味と遊びのクラブ活動 ● 


 総合点              100点            零点              




(15)
Pass

[2388] 遥かなる追憶<第四部>、「初心者=マサノブ君」の 「生長の家」解体実行の証明語録 (1)
遮那王 - 2016年03月07日 (月) 10時50分



マサノブ君本人、もしくはマサノブ影武者軍団は、反・開祖・谷口雅春先生、反・『御教え』という観点から見れば一心同体であり、次から次へとハンドルネームを変えての登場という観点から見ればマサノブ君その人であると見れるのであります。とにかく共通項は、反・開祖・谷口雅春先生、反・『御教え』であると共に、総裁と言う肩書きではとても口に出来ない「マサノブ教」という<非・生長の家>の本音の思想であると云うことであります。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


@ 「初心者」(=マサノブ)は、「人間・神の子」の根本真理を否定した!

<< 1716 :初心者=マサノブ:2012/06/30(土) 11:46:57 ID:TfQ0e6RA
<<人間は神の子である。これは永遠に変わらぬ真理でしょうか。ちがいますね。これは救済です。人間を神の子だと考えれば救済されることがある。はっきりといえるのは、ただこのことだけです。・・・「人間神の子」は、真理ではなく救済です。少なくとも、それが真理であるとする決め手は、いまだどこにも見いだせてはおりません。問題は、千年後も一万年後も、かりに人類が生き残っていたとしたときに、「人間神の子」がなおも人類を救済する力を持つのかどうか、ということです。人々の意識は時代とともに変化します。真理の追究ということでいえば、ひたすら「超越項」のみで真理を語ろうとする雅春先生の言葉は、もはやほとんど役に立つことはない、とわたしは考えます。残る問題は救済です。今の時代にそれがどこまで通用するのか、これが大きな疑問です。「真理は永遠に変わらない」。この言葉にあぐらをかいているあいだに、時代はさらに先へと進んでゆくことでしょう。 >>(本部直轄?「トキ掲示板」より、以下同じ)



A 「初心者」(=マサノブ)は、開祖・谷口雅春先生のお悟りを否定した!

<< 1740 :初心者=マサノブ:2012/06/30(土) 23:13:38 ID:TfQ0e6RA
「無の関門」とは言語の二項対立の問題ですよ。それを超えたところで、さてなにを得られるというのでしょう。雅春先生は「真理を直接把握された」とありますが、その確証をあなたはどのようにして得られたのでしょう。>>

<< 359 :初心者=マサノブ:2012/08/17(金) 15:52:54 ID:TfQ0e6RA
「解脱の手段は知識である」>>


<< 58 :初心者=マサノブ:2012/07/08(日) 12:25:19 ID:TfQ0e6RA
倉田百三氏が語っておられたのが本物の宇宙であれば、雅春先生はそれを論破なされたのであるから、本物の宇宙の問題は解決済み、との論法になるのでしょうけれども、雅春先生が論破なされたというのはほんとうなのでしょうか。「超越項」や「霊的直観」を持ち出さずに、論理だけで論破なされたのでしょうか。雅春先生がもしも反証不可能な「超越項」や「霊的直観」を持ち出しておられたのであれば、論破は無効と考える次第です。 >>

<< 275 :初心者=マサノブ:2012/08/16(木) 11:11:17 ID:TfQ0e6RA
それでも雅春先生はみずからの教えを完全に理解しておられたと考えてよい、ということになるのでありましょうか。教えの問題点と限界ということでいえば、雅春先生が言及しておられない、本物の宇宙の実在問題はどのように考えればよろしいのでしょう。日本国実相顕現や人類光明化の具体的なヴィジョンがいまだ示されていないということを、どのように考えればよろしいのでしょう。雅春先生は、生長の家の教えをほんとうの意味で理解しておられたということが、はたしていえるのでありましょうか。みなさまはどのようにお考えになられるでありましょう。>>

<< 117 :初心者=マサノブ:2012/07/29(日) 16:19:16
「人間知」と人をさげすまれるのであれば、人間知よりもすぐれたものを何かひとつでも見せてごらん、といっておるのでありますよ。ツベコベいっとらんと、「実相覚」とやらを見せてごらん。得意になって、無意味なほどに低レベルな文言を連発しておられる「あなた様」にいっております。>>


<< 129 :初心者=マサノブ:2012/07/10(火) 13:01:45 ID:TfQ0e6RA
二元論を採用すれば、スムーズな説明が可能となります。ただ、「超越項」をもちいるということと、想像的な部分がどうしても出てまいりますので、いまのところこれについて説明する予定はありません。>>



B 「初心者」=マサノブは、『生命の實相』を信じないと明言した!

<< 1853 :初心者=マサノブ:2012/07/02(月) 16:38:48 ID:TfQ0e6RA
わたしは、『生命の実相』では真理を知ることはできないと考え、教えを手放したのであります。・・・「現象は本当にないのか」ということです。雅春先生はいったいなにをご覧になられて「現象はない」と言われたのでしょうか。問題となるのは、雅春先生はどの範囲までをご覧になられて「現象なし」と言われたのかということです。この宇宙だけなのか、それともほかも見ておられたのかということです。雅春先生は、いったいどこまでの範囲を考察の対象としておられたのでしょう。雅春先生が言われる「現象」とは、どこまでの範囲をさした言葉なのでしょう。>>



C 「初心者」=マサノブは、理論と理屈だけで『御教え』を批判している! これでは真理の奥殿へは入れない!

<< 1862 :初心者=マサノブ:2012/07/02(月) 17:53:14 ID:TfQ0e6RA
生長の家でいう「現象世界」とは、どの次元までをいうのでしょう。仮に宇宙が11次元であるとしたときに、この11次元すべてが「現象世界」ということになるのでしょうか。それとも、「生長の家の文脈」では、無根拠に、11次元は浅はかな人間どもが考え出した幻想だ、ということになるのでしょうか。なんにしても、生長家でいう現象世界の範囲とはどこまでをいうのか、これはどうしても確認しておきたいところであります。>>

<< 284 :初心者=マサノブ:2012/07/19(木) 08:06:44 ID:TfQ0e6RA
「実相は神様がおつくりになられた完全なる実体である」と説明したとします。この場合、一見すると、実相を、現象との差異としてではなく、実相を実相として語っているようにみえますが、「完全」という言葉じたいが「不完全ではないもの」との意味しか持たず、「実体」にしても、「虚ではないもの」の意味しか持たないということからもわかるように、実相をどのように説明したとしても、その説明のなかには現象の影がかならず入り込んでいるということがわかります。「実相直視だ」といってみたところで、こうした表現のなかにも現象の影が入り込んでいます。>>



D 「初心者」=マサノブは、開祖・谷口雅春先生のお悟り「實相独在」を次の如く否定している!

<< 1738 :初心者=マサノブ:2012/06/30(土) 22:54:14 ID:TfQ0e6RA
第一あたしは、本物の宇宙の信者です。本物の宇宙は実在する、よって実相独在は間違いである、ということを主張したいのでありますけどね。>>

<< 157 :初心者=マサノブ:2012/07/12(木) 20:56:12 ID:TfQ0e6RA
問題があるとすれば、それは奴隷意識という枠組みのなかでしか雅春先生の教えが理解されてこなかった、ということですね。「実相独在」という壮大なヴィジョンが打ち立てられていながら、小市民的な欲望の充足に終始していたのはどういうことだ、って話ですね。壮大なヴィジョンに見合った何ができるのかって話です。万教帰一、人類光明化、日本国実相顕現とさまざまなことが言われてきながら、何が実現できたのかって話です。実現できるのが『生命の實相』を護ることだけでよいのかって話です。救済とは、個人的な経験でいえば、真理を味わい尽くすってことですね。真理の味わいは救済に勝るとわかれば、真理に救済を求めようとはおもわなくなるのでは?>>

<< 32 :初心者=マサノブ:2012/07/27(金) 21:08:46
「実相独在」が本物の宇宙によってつくり出されたヴィジョンである可能性が出てきます。「実相独在」のヴィジョンにアクセスすることで、それにいくらかでもふさわしい現実世界を体験できるという仕組みが宇宙にあったとしても、なんら不思議ではありません。もちろん、「実相独在」のヴィジョンは人類の願望が投影されたものである可能性も考えなくてはならないでしょう。>>


Pass

[2398] 遥かなる追憶<第四部>、「初心者=マサノブ君」の 「生長の家」解体実行の証明語録 (2)
遮那王 - 2016年03月08日 (火) 09時48分



E 「初心者」=マサノブ君は、「實相世界」の独在と完全性に肉体頭脳知だけで真正面から疑念を呈する!


<< 1747 :初心者=マサノブ:2012/07/01(日) 07:21:31 ID:TfQ0e6RA
本物の宇宙は存在します。雅春先生は、見せかけの宇宙のみをご覧になられて、「現象なし」と宣言せられました。本物の宇宙の存在を雅春先生は見落としてしまわれました。したがって、本物の宇宙にかんしての言及はいっさいなされていないというのが現状のようにおもわれます。>>

<< 1754 :初心者=マサノブ:2012/07/01(日) 08:10:50 ID:TfQ0e6RA 訊け様
本物の宇宙と、雅春先生が説かれる「実相世界」はまったく別物なのですよ。「実相世界」は、本物の宇宙にくらべて不完全すぎるような気がいたします。雅春先生は、実相世界には光が存在すると、たしかいっておられますよね。本物の宇宙には光は存在しません。光が存在するということは、実相世界がそれだけ不完全であるということを示しているとわたしは考えますが、実相世界にはほんとうに光が存在すると雅春先生は考えておられたのでしょうか。>>

<< 121 :初心者=マサノブ:2012/07/10(火) 08:32:01 ID:TfQ0e6RA
わたしのいう「本物の宇宙」は、それが実在すると信じられているのではなく、それが実在であるのはすでに明白であるので、「それがどこにあり、何であるのか」ということだけを問題にするということです。本物の宇宙とは、信仰の問題ではなく、真理の追究の問題であり、したがって「寂光論争」とは無関係であると考えます。>>

<< 124 :初心者=マサノブ:2012/07/10(火) 10:11:31 ID:TfQ0e6RA
雅春先生が説かれる「実相世界」は、わたしが予想する本物の宇宙とは、その性質があまりにも異なっています。現状では、本物の宇宙を実相世界とみなすことはできません。また、本物の宇宙成立の過程を考えてみるに、実相世界がつくられた過程とは、あまりにそれは異なったものであるということがいえます。>>




F 「初心者」=マサノブ君は、「實相円満完全」という言葉には意味はないと、『御教え』を真っ向否定した!


<< 310 :初心者=マサノブ:2012/07/20(金) 09:39:45 ID:TfQ0e6RA
言葉に意味はありません。言葉とは、いってみれば、月を見よと指し示す指先のようなものです。指先と月は、ほんらいまったく関係がないものです。言葉と真理のあいだに関係はまったくありません。言葉は真理を語っていません。ただ「あれを見よ」と、真理のある方向を指し示そうとしているだけです。・・・言葉に意味があると履き違えたところで、教義の絶対化が引き起こされ、意味の不在を埋めるために信仰はイデオロギー化していきます。・・・真理と言葉を履き違えたために、言葉にしばられるという現象が起きています。雅春先生が語られた言葉以外の言葉には耳をかさない。こうした現象が起きています。「実相円満完全」といってみたところで、この言葉に意味はありません。この言葉は「べつの何か」を指し示そうとしています。その「べつの何か」がわからなければ、言葉を絶対化し、暴走させるよりほかはありません。>>

<< 313 :初心者=マサノブ:2012/07/20(金) 13:37:20 ID:TfQ0e6RA
「行間を読む」を現代では「文章の構造にアクセスする」といいます。「作者の死」ともいいます。「行間を読む」とわざわざことわりをいれられるまでもなく、人は行間を読むことでしか文章にアクセスできないとするのが、現代風の考え方です。つまり、行間を読んだからといって、それは特別なことでもなんでもなく、そのことによって、行間を読まずしては知れないことが知れるということにもなりません。いうまでもないことですが、文章の構造にアクセスするにあたって問われるのは読み手の技量です。読み手の技量の不足はとうぜんのごとくあります。技量不足をおぎなう手段が、文章にたいする情緒的反応です。読み手の技量不足を熟知しておられた雅春先生は、情緒的反応に文章の力点を置かれたはずです。その結果、多くの奇跡を生みだすことには成功なされましたが、その反動として、読み手がほんらいアクセスすべき領域は遠ざけられました。人類光明化といったところで、この言葉に具体的な意味はありません。人々にできることといえば、この言葉に情緒的に反応するか、アクセスすべき領域をさがすかのどちらかしかありません。これまでなされてきたのは、情緒的反応が主であったと考えます。>>

<< 315 :初心者=マサノブ:2012/07/20(金) 15:55:15 ID:TfQ0e6RA
なんにしても、それが自分にとって心地よいかどうか、心に響くがどうかで言葉の価値を判断するのが、生長の家の伝統的な言葉への接し方であるということがいえそうです。即効性を求めておられるという意味で、生長の家の方々が言葉に麻薬的効果を期待しておられるのも、またたしかなことだという気がいたします。>>




G 「初心者」=マサノブ君は、信徒の体験談を奴隷状態を居心地良き状態へ変化しただけと蔑んだ!


<< 1722 :初心者=マサノブ:2012/06/30(土) 17:53:20 ID:TfQ0e6RA
そもそも救済とはなんなのでしょう。救済を欲する状態から抜け出すこと。これをわたしは救済の条件にいたしたいとおもいます。雅春先生の教えで、この条件は達せられるでありましょうか。雅春先生の教えは、実際に救済につながっているといえるのでしょうか。私が見るところでは、みなさま方は、雅春先生が書かれた文字に執着し、いつまでたっても、その書かれた文字に救いを見いだそうとしておられるように感じられます。>>

<< 128 :初心者=マサノブ:2012/07/10(火) 12:54:55 ID:TfQ0e6RA
雅春先生の教えによって実現された救済は、人々を奴隷状態から解放してきたといえるでしょうか。むしろ実現された救済は、奴隷状態を居心地のよいものへと変えただけであるような気がいたします。・・・いかに快適な奴隷生活を実現するか。生長の家では、このことだけが考えられてきたとおもわざるを得ない、というのが経験的に得られた結論です。>>

<< 357 :初心者=マサノブ:2012/08/17(金) 15:20:51 ID:TfQ0e6RA
「救済運動」の具体的なヴィジョンをお持ちなのでしょうか。わたしは、新興宗教は、成熟した宗教となるために、「病気治し」を第一とする時期をすでに脱したとも考えておりますが、いまだ新興宗教は「病気治し」を第一に取り組むべき時期にあるとお考えなのでしょうか。「雅春先生は教えの問題点と限界をご存じであったのか」との問いであります。教えの限界をまったく問題にすることなく、その完全無欠性や万能性を信じ込んでいるあいだは、みずからの立場を相対化し、客観的に評価することなどけっしてできるはずもありません。おのれの全能感に酔い知れ、大言壮語するのが関の山であり、これが教えの絶対化やイデオロギー化の温床となる可能性さえあります。>>




Pass

[2420] 遥かなる追憶<第四部>、「初心者=マサノブ君」の 「生長の家」解体実行の証明語録 (3)
遮那王 - 2016年03月09日 (水) 09時50分



H 「初心者」=マサノブ君は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』は不完全であり限界があると批難した!

<< 1784 :初心者=マサノブ:2012/07/01(日) 14:00:36 ID:TfQ0e6RA
雅春先生の教えが正しいにしても、つけ加えることはまだまだいくらでもある、ということは述べさせていただこうとおもいます。わたし自身の体験からすれば、雅春先生の教えにとどまっているかぎりは、これ以上さきへは進めないとする壁につねにさえぎられていたという気がいたします。・・・正直もうしますと、雅春先生の教えだけでは限界があるということを感じます。>>

<< 54 :初心者=マサノブ:2012/07/08(日) 07:31:42 ID:TfQ0e6RA
信仰が、個人的立場を超えて集団的になることで問題が生じます。「絶対的真理」という言葉が登場します。「絶対的真理」とは、誰もがそれに服従しなければならないとされる真理です。これにより、信仰は争いの場となります。>>

<< 83 :初心者=マサノブ:2012/07/09(月) 11:24:25 ID:TfQ0e6RA
科学は宗教よりもさらに先へと進んでいるのかもしれませんね。>>


<< 134 :初心者=マサノブ:2012/07/10(火) 19:39:27 ID:TfQ0e6RA
生長の家からは、現象世界がなぜ今あるように見えているのかという、その仕組みにかんしてさえ、具体的な声明はなにも発表されていませんね。あいまいな表現で語られることはあるにしても、具体的で詳細な説明は避けて通っているというのが実情であると考えます。>>

<< 323 :初心者=マサノブ:2012/07/21(土) 12:37:18 ID:TfQ0e6RA
今もわたしは、雅春先生の教えにはまったくもとづかないと考えられる救済理論を研究しております。
研究の成果がでるかどうか、それもまったく未定です。>>




I 「初心者」=マサノブ君は、開祖・谷口雅春先生を未熟者と言わんばかりに最大限に批難する!

<< 21 :初心者=マサノブ:2012/07/27(金) 17:36:53
「人類光明化」、「日本国実相顕現」とかけ声は勇ましいものの何も実現できていない。具体的なヴィジョンを提示できそうもない。これが現実であるにもかかわらず、雅春先生の教えが最勝最尊だといわれている理由を語っていただきたい。最勝最尊といわれる雅春先生の教えが出現して80年が経過したにもかかわらず、いじめの問題ひとつとってみても、問題の解決にいたっていないのはもちろんのこと、解決への道筋さえ示されていないのはなぜなのか。それでも最勝最尊といわれるのはなぜなのかを語っていただきたい。何が起きていようとも現象を見ないという画期的な方法を編み出されたがゆえに最勝最尊であるということなのでしょうか。何をもって最勝最尊といっておられるのか、それを明確に語っていただきたい。以上が生長の家に望むこと。>>

<< 314 :初心者=マサノブ:2012/07/20(金) 13:44:21 ID:TfQ0e6RA
「不変の真理」とか「絶対的真理」とかの話になってくると、厳密な批判なり分析なりが必要になってきますね。>>

<< 356 :初心者=マサノブ:2012/08/17(金) 14:56:56 ID:TfQ0e6RA
それと、わたしが雅春先生の教えを批判いたいしますのには理由があります。その理由とは、雅春先生の教えが絶対化されイデオロギー化されていることが不快であるから、ということになります。生長の家としてなすべき、実現可能なヴィジョンがなにひとつとして示されていない現状では、教えの絶対化やイデオロギー化は、上記のような理由からかならず起こります。ヴィジョンの不在をおぎなうためのもっとも手っ取り早い方法として、教えの絶対化やイデオロギー化が避けがたく起こります。具体的なヴィジョンを示せないのであれば、雅春先生の教えを批判という形で相対化することでしか、教えの絶対化やイデオロギー化の動きに対抗することはできないでありましょう。ことここにいたっても、「われこそは真の生長の家」と主張するといったように、教えの絶対化やイデオロギー化に拍車をかけるがごとき言動があとを絶つことはないといえます。教えの相対化がこんにちほど必要とされた時期はなかったものと考えます。>>

<< 392 :初心者=マサノブ:2012/08/18(土) 09:51:11 ID:TfQ0e6RA
こんにちの事態に雅春先生の責任はあるのかということですが、「ない」といわれるのであれば、「甘え」という言葉でごまかすのではなく、きちんとした具体的な考え述べるべきであります。雅春先生が扇情的な表現を多用されたのは事実であります。扇情的な表現にあおられて、みずからの立場を絶対化させてしまった信徒がいるとすれば、これを雅春先生の責任であるとすることに異論をさしはさむ余地はない、というのがわたしの考えであります。「絶対的真理」の表現を好み、「真の生長の家」といっておられるお方は、おそらくみずからの立場を絶対化しておられるのでありましょう。もしも生長の家の教えが「いい教え」であれば、このような事態はふせげたものと考えますが、いかがでありましょう。教義が扇情的な表現で説かれれば、それを聞くものはたしかによい気持ちにはなれるでありましょうけれども、その結果としてみずからの立場を絶対化させてしまう信徒があらわれるとすれば、どんなにそれが心地よくとも「いい教え」とはいえないような気がいたしますね。信徒が、説かれた「教え」やみずからの立場を絶対化させてしまうような教えは「いい教え」とはいえない、というのがわたしの現時点での結論であります(こうした考え方はカルトにもあてはまるでありましょう)。この意味では、仏教(といってもいろいろあるようですが)は、教義が絶対化されるでもなく、信徒がその立場を絶対化することもないようにおもえますので、「いい教え」といってよいのではないか、という気はいたします。>>

<< 477 :初心者=マサノブ:2012/08/19(日) 13:01:41 ID:TfQ0e6RA a hope様
わたしは、20年前に組織を見限り、それからしばらくして生長の家の会員であることも辞し、現在はその教えの影響下から脱すべく新境地を開拓中であります。やめた理由は、生長の家とかかわっていたのでは悟りを得られないことがわかったから。>>

<< 333 :初心者=マサノブ:2012/08/17(金) 09:13:42 ID:TfQ0e6RA
神はどのようにして自由を実現されたのでしょうか。この「自由実現の仕組み」を雅春先生はどのように説明しておられるのでしょう。まずはこのあたりをおうかがいしてみたいところであります。>>

<< 397 :初心者=マサノブ:2012/08/18(土) 11:30:52 ID:TfQ0e6R
20年たった今でも、なにも実現されていません。>>




J この投稿文の内容は、マサノブ君の現在の所業そのものではないのか? 「マサノブ君」=「初心者」完全符合だ!!

<< 171 :初心者=マサノブ:2012/07/13(金) 10:54:41 ID:TfQ0e6RA
バサラとは奴隷状態からの解放だ。>>

<< 152 :初心者=マサノブ:2012/07/12(木) 10:18:44 ID:TfQ0e6RA
バサラ的な生き方とは、何があろうと気づかぬふりをして保身に汲々とするのではなく、それが財産であれ、才能であれ、持てるものはすべて散じ尽し、使いきろうとする生き方だ。バサラを生きる人とは、破壊のなかにあっても、思うがままに、生きたいように生きようとする人たちをいう。バサラは、バカバカしいこと、それをやって何になるというようなことを好んでなそうとする。生きる目的は、持てるものをすべて使いきることなのだから、たとえどんなにバカバカしいことで、世間から「物狂い」と後ろ指をさされるようなことでも、それが「蕩尽」につながるのであれば、平気でそれをやりとげようとする。奴隷状態にある人々がなしたがるのは、保身に役立つことばかりだ。奴隷状態にある人々のご利益とは、病気が治り、経済が立ち直り、人間関係がよりスムーズに運ばれるようになるといったような、小市民的な願い事の実現なのだ。・・・マネーであれ、ロマンであれ、理想であれ、持てるものを徹底的に散じ尽し味わい尽くす。>>

<< 167 :初心者=マサノブ:2012/07/13(金) 09:37:17 ID:TfQ0e6RA
バサラとは、思いっきりばかげたことをなすことだな。奴隷根性ではできないことをなすことだな。後世に残るほどのばかげたことをなすことだな。森にオフィスをつくる。これはバサラだな。後世に残るバサラだな。生長の家はこれまで、後世に残るようなものは何も残していない。奴隷根性では何も残せないってことだ。 >>

( 注:バサラ(婆娑羅)の意味、南北朝内乱期にみられる顕著な風潮で、華美な服装で飾り立てた伊達(だて)な風体。 はでで勝手気ままな 遠慮のない 常識はずれの ふるまい。遠慮なく 暴れさしてもらいますぜ!という意味もあり。)




K 「初心者」=マサノブ君は、「神想観」が嫌いで否定的態度を取る。講習会から神想観の実習時間をプログラムから削り取って無くしたマサノブ君とイコールではないか!

<< 242 :初心者=マサノブ:2012/07/17(火) 10:53:25 ID:TfQ0e6RA
神想観がエーテル体と関係しているのは、ほぼあきらかですね。エーテル体は、学習能力があり、持続力もあるといわれてますよね。人が、行と称して特定のイメージを念じ続けていると、エーテル体は、それに見合ったイメージをこしらてその人に見せることができるようになります。・・・神想観の行によって学習訓練を受けたエーテル体は、霊的世界や、あるいはそれをさえも超えているおもえる「超感覚的世界のイメージ」を提供できるようになります。このことはほぼ間違いないと考えます。・・・神想観をやっているがゆえに神想観がよくわかる、ということがはたしていえるのでしょうか。自分の行為や選択に価値を置きたがるがゆえに、かえって真実から遠ざるということはないのでしょうか。むしろ客観的に評価している側に真実があるという現象が起きてきても不思議ではないという気がいたします。神想観は、シュタイナーのいうイマギナツィオンに近いものであると考えられます。イマギナツィオンによって得られたイメージはけっして真実を語るものではないのでそれを捨てよ、とシュタイナーはいっているはずです。訓練されたエーテル体は、確信をともなった超越的な体験を提供してはくれるでしょうし、それが実際の奇跡的体験や実感をともなった真理観にむすびつくことはあるにしても、だからといって、そうした体験がいかなる真実性をも保証するものではないということは知っておくべきことと考えます。>>

<< 247 :初心者=マサノブ:2012/07/17(火) 12:05:41 ID:TfQ0e6RA
神想観によって映像が見えたという話を聞いたことがあります。この映像はどうやって見ているのでしょう。その仕組みはどうなっているのでしょう。こうしたことを追究することも真理の追究のひとつと考えます。たしかに、救済や信仰とは別次元の話です。混同は避けなければなりませんね。それにしても、実相世界の存在はどのようにして確認されたのでしょう。それは映像によってではなかったのでしょうか。もしも映像であったとすれば、それがつくり出される仕組みを知る必要があります。・・・現状を超えるには、対立を呑み込むほどのより大きな「知の体系」をつくりあげるよりほかはないでしょう。小さな器ではどうにもならないところに来ています。小さな器しか用意できていないところで和解といってみたところで、そんなものに収まりきるような話ではないでしょうね。対立を呑み込むに足る大きな器を用意するよりほかに問題解決の道はないはずなんですけど。>>




Pass

[2436] 遥かなる追憶<第四部>、「初心者=マサノブ君」の 「生長の家」解体実行の証明語録 (4)
遮那王 - 2016年03月10日 (木) 10時51分




L  「初心者」=マサノブ君は、開祖・谷口雅春先生をかくのごとく徹底批判している! “なんとでもして、雅春先生を凌駕したい欲望、これこそマサノブ君の深層心理ズバリの姿そのものである!


<< 243 :初心者=マサノブ:2012/07/17(火) 11:36:03 ID:TfQ0e6RA
真理は理屈ではない。わかりきったことです。理屈で語れる部分での真理。いかにして真理を理屈で語るか。こうしたニュアンスで、みなさま方が信じておられる真理を語っていただきたいものであります。自分は語らずして、語る相手を心のなかで批判することなど、誰にでもできることであります。>>

<< 272 :初心者=マサノブ:2012/07/18(水) 07:35:33 ID:TfQ0e6RA
ふつう問題にされるのは、雅春先生の霊的直観力ということになりますね。なぜ霊的直観力にすぐれた雅春先生が本物の宇宙の存在に気づかれなかったのかということが問題になるはずです。>>

<< 274 :初心者=マサノブ:2012/07/18(水) 08:03:20 ID:TfQ0e6RA
生長の家と真理の追究は無関係です。>>

<< 268 :初心者=マサノブ:2012/07/17(火) 23:42:18 ID:TfQ0e6RA
たとえ雅春先生であろうとも科学的知識の欠如には勝てないということ、これは正しい認識です。>>




M 「初心者」=マサノブ君は、開祖・谷口雅春先生に抵抗し、宗教を麻薬になぞらえ、そして最大限に嫌悪する。


<< 236 名前:初心者 =マサノブ投稿日: 2012/07/15(日)12:44:21 ID:TfQ0e6RA
わたしが雅春先生に抵抗するのはなぜかといえば、愛の行動によって実相が完全にあらわれきり、それによって非自己が自己へと回帰すれば、それでゲームセットだからです。現象世界をこよなく愛するわたしとしては、ゲームはおわらせたくない。よって、「愛の行動」にも「実相顕現」にも徹底抗戦するという新手のロールゲームを演じ続けるしかないのです。こう見えてもわたくし、現象世界への愛という有機的な思いをかかえ込みながら、生長の家というゲームセット画策集団に反旗をひるがえしておるのです。>>

<< 266 :初心者=マサノブ:2012/07/17(火) 23:32:11 ID:TfQ0e6RA
救いを欲する人々を、いつまでも救いを欲する状況にとどめおくために、宗教は文字というパルマコンを供給しつづけます。>>


<< 285 :初心者=マサノブ:2012/07/19(木) 10:02:52 ID:TfQ0e6RA
医者が病人を必要とするように、宗教は迷える人々を必要とする。医者が病人がいなくなることを願ってはいないように、宗教も迷える人々がいなくなることを願ってはいない。いつまでも迷い続けてくれる人をこそ宗教は欲しているのだ。迷える人々に、心に響く言葉をあたえ、それで束の間の平安をあたえたところで、効果が薄まれば、人々はかならず戻ってくることを宗教は知っている。迷える人々に心に響く文字を供給しつづけるのは宗教の仕事だ。それは麻薬に依存し欲する人々に麻薬を供給し続けることに似ている。心に響く文字をあたえられた人々は、狂喜乱舞し、文字に群がりはじめる。やがて効果は薄れるが、文字の供給が途絶えることはない。文字には依存性があり、それがゆえに文字がパルマコンであることを宗教は熟知しているからだ。>>





N 「初心者」=マサノブ君は、そんなに「生長の家」の信仰が気に食わないのであれば、この掲示板からサッサと出て行けばよいのに、なぜ出て行かぬ? 何か明確に書けない目的があるのか?

<< 335 :初心者=マサノブ:2012/08/17(金) 10:08:05 ID:TfQ0e6RA
「なにが真の生長の家か」を問題提起するためにこれを書いております。問題点も限界も棚上げにしたうえで、言葉の心地よさに身をまかせて、ただただ信じ込もうとするのが「真の生長の家」であるのか、問題点と限界をあきらかにしたうえで、教えの真偽、正邪をたしかめようと務めるものが「真の生長の家」であるのか。これを問うているところであります。>>

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

注: 以上の如く「初心者」はコレデモカ、コレデモカと開祖・谷口雅春先生の『御教え』に懐疑を呈しつづけ、開祖・谷口雅春先生のお悟りは、未熟かつ不完全であると、(言葉は丁寧であるが)罵倒する。これは、明らかに「トキ掲示板」の投稿規約に違反するが、「初心者」だけは“特別待遇”であります。「初心者」=マサノブ君の何よりの証明であります。




O 「初心者」=マサノブ君は、傲岸不遜にも、自己を開祖・谷口雅春先生を超える「大聖師」と言い出したのであります。“吾がヴィジョンは壮大なり!”と。

<< 1866 名前:初心者=マサノブ 投稿日: 2012/07/16(月) 08:09:22 ID:TfQ0e6RA
「小市民的」・・・わたしの見るかぎり、すべてが小市民的なのです。絵手紙はどうでしょう。日時計主義はどうでしょう。「人間はみんな神の子なのだから、素晴らしいとこだけを見てゆきましょう」との、ありがちな発言はどうでしょう。病気が治ればそれが真理とする発想はどうでしょう。神の全知全能を人間の能力の延長線上でしかとらえらきれない稚拙な真理をどう理解すればよいのでしょう。・・・絵手紙や日時計主義は、世をしのぶための仮の姿なのでしょう。ほんとうはもっと大きなヴィジョンを思い描いておられることを期待いたします。>>

<< 1867 名前:初心者 =マサノブ投稿日: 2012/07/16(月) 08:45:21 ID:TfQ0e6RA
大東亜戦争史観は、現代においてもそれほどまでに重要なことといえるのでしょうか。戦争史観にかんする論争を続けることに、どこまでの意義が見いだせるのでしょうか。・・・「侵略ではなかった」ということが共通認識として得られたところで、さて「その後に描かれるヴィジョンとは?」となったときに提示されるヴィジョンは、いったいどのようなものになるとお考えなのでしょうか。いずれにしましても、総裁先生は「侵略発言」からスタートなされて、どのような「再構成」をなさろうとしておられるのかということが問題になります。「侵略発言」は総裁先生にとって本筋ではなく、旧来の考え方にしばられた信徒の方々に意識変革をせまるためのひとつのステップではなかったかと想像する次第であります。>>




P 「初心者」=マサノブ君の重大発言!!

<< 384 :初心者=マサノブ:2013/02/02(土) 12:36:54
「わたし」が神の子であるにしても、その神の子はイミテーションです。>>

<< 150 :初心者=マサノブ:2013/02/14(木) 23:25:52 ID:4YcI.wfQ
生長の家の唯神実相論は、ガチのプラトン主義と新プラトン主義がともどもに取り入れられているとしかおもえないので、わたしには理解できない哲学思想です。>>

<< 853 :初心者=マサノブ:2012/07/02(月) 16:38:48 ID:TfQ0e6RA
わたしは『生命の実相』では真理を知ることはできないと考え、教えを手放したのであります。>>




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[2451] 遥かなる追憶<第四部>、「初心者=マサノブ君」の 「生長の家」解体実行の証明語録 (5)
遮那王 - 2016年03月11日 (金) 10時48分



Q 「初心者」=マサノブ君は、自らの悟りなき人間知(肉体頭脳思考)で、開祖・谷口雅春先生のお悟りの世界を否定し、自己の未熟さを世界中の叡智ある識者の人々に知らしめ、且つ、世界に冠たる「生長の家」の『御教え』を貶めてしまったのであります。“屁理屈の論理”であり、『生命の實相』を批判精神・アラ探しの心で読んだ結果であります。以下の投稿文がそのことを如実に証明しております。


<< 2024 :初心者=マサノブ:2013/01/25(金) 14:21:19
「世界に冠たる天皇国日本」を、他民族にではなく自国民に知らしめようというのが、この国の民族主義のおもなポジショニングであるはずです。これはいってみれば、日本版中華思想とでも呼ぶべき思想であるはずですが、こうした思想が出てきた背景には、「日本は悪い国だ」と言いつのるのが日本の戦後社会の一種の流行となったことへの対抗意識があると考えられますね。この国の民族主義が戦後の流行にたいする対抗措置の域を出ていないとすれば、戦後の流行が消え去ったあかつきには、その存在意義までもが問われることとなるでありましょうね。 >>

<< 2051 :初心者=マサノブ:2013/01/26(土) 15:27:34
国家とはなにか、ということですね。国境という線を引いてこちらとあちら
とを分ける働きをしているのが国家ということになるはずです。>>

<< 2114 :初心者=マサノブ:2013/01/27(日) 12:32:35
国家の理念にかんして、ひとつの問題点をいいましょう。現象的にあらわれた国家は、はたして本当に理念のあらわれといえるのか、ということですね。>>

<< 2153 :初心者=マサノブ:2013/01/28(月) 11:01:19
わたしは、生長の家は大衆宗教であるととらえています。大衆宗教とは「知を否定する宗教」と定義することができるとおもいます。大衆宗教は知を否定することで発展する。こういうことではないでしょうか。ではもし、知を否定することで成り立っている大衆宗教に、知を売りものにしているとみなされてしまう指導者があらわれたとき、どのような事態が起こると予想されるでしょう。いうまでもなく、その指導者の存在は大多数によって否定されるということです(人間知、唯物論、二元論という言葉をもちいさえすれば簡単に否定できてしまうという仕組みがすでにできあがっています)。雅春先生が和解せよといっておられるのだから和解しかない、これはできぬ相談なのではないでしょう。知を否定することで成り立っている大衆宗教が知と和解する。これは大衆宗教にしてみれば自己否定以外のなにものでもない、ということになりはしないでしょうか。>>

<< 2161 :初心者=マサノブ:2013/01/28(月) 15:11:03
本流の反論は「雅春先生は虚説とは和解してはならないといっておられる」というものですが、これはウソの理由ですね。「虚説とは何か」と尋ねられてもまともに答えられないのは、それがウソの理由づけであるためです。ほんとうの理由は、なんらかの心理的メカニズムによってそうさせられているということです。このメカニズムを解消しないかぎり、和解派がのぞむ形での事態の進展はありえないのではないか、「雅春先生はこういっておられる」といくらくり返し訴えても、相手を苛立たせるだけの効果しかない。このことを了解していただくしかないと考えます。 >>

<< 356 :初心者=マサノブ:2013/01/30(水) 11:01:37
もともと世界は、主観も客観もない一元論の世界でした。この世界がふたつに割れて、二元論の世界があらわれます。二元論の世界とは主観と客観の世界です。ひとつの世界をふたつに割るのに重要な役割を果たしているのが言葉なのです。もともと一元論の世界に「川」はありませんでした。「カワ」という言葉がこの世界をまっぷたつに割ります。すると、それまでどこにもなかった「川」があらわれてきたのです。言葉に意味があるとはどういうことでしょう。それは、「川」ははじめからそこにあったと考えることなのです。言葉があらわれるまえに、すでにそこにあった「川」にあとから「カワ」と名前をつけた、と考えることなのです。「川」は、はじめからそこにあったのでしょうか。ちがいますね。言葉がひとつの世界をふたつに割ります。すると、それまでどこにもなかったはずの「川」があらわれてきたのです。言葉には意味がない。以上がその理屈です。直観把握だと、どうなるのでしょうね。ところで、ここで述べましたことは、どこかの偉い人がいっていたというものではありません。わたしが勝手に考えたことです。>>

<< 2225 :初心者=マサノブ:2013/01/30(水) 10:43:06
やがて、常識のほうが「真理」を超えていくでしょう。「真理」は不変ですが、常識は進化します。一部の常識は、これから「真理」を超えていくだろうと考えています。>>

<< 372 :初心者=マサノブ:2013/02/01(金) 11:19:38
「感謝の思いが病を癒す」。これを真理としてよいのでしょうか。わたしにとっての真理とは、そこで起きていることではなく、それを起こしている仕組みをいいます。真理とは仕組みです。感謝の思いを起こすことで病気が治るとすれば、治ることが真理ではなく、治している仕組みこそが、わたしにとっての真理なのです(おそらく生長の家もそうだとおもいますが)。「神の理念が天下る」といっても、これはわたしにとっての真理ではありません。神の理念が天下るその仕組みこそが真理なのです。「実相があらわれる」といったところで、これもわたしにとっての真理ではありません。実相があらわれる仕組み。これこそがわたしにとっての真理なのです。感謝の思いを起こすことで病が癒されるとすれば、それがどのような仕組みで起こるのかということがわたしにとっての問題となります。治ればいいという、そんな問題ではないのです。その仕組みを語ろうとすればどうなるか。「人間知」と揶揄され、「この程度の理解」とさげすまれるということです。だからといって、その人たちが高度な仕組みを語っているわけではありません。「神の理念が天下る」とか「実相があらわれる」とかといい、これをもって真理といい霊的直観といっているだけなのです。「神の理念が天下る」というのはすでにわかっていることなのです。「感謝の思いで実相があらわれる」ということもすでにわかっていることなのです。わかっていないのはその仕組みです。もちろん、理念の内容を霊的直観で語る必要はあるでありましょう。しかしわたしが知りたいのは、理念の内容ではなく、それが天下ってくる仕組みなのです。>>

<< 374 :初心者=マサノブ:2013/02/01(金) 12:35:32
天下る仕組みについてはどうかといえば、霊的把握や直観把握はほとんど役だっていないというのが現状ではないかという気がいたします。仕組みについては、明確にはなにも語られていないというのが、役だっていないことの証拠であると考えます(なんらかの仕組みがあるにはちがいないが、それを語ることはできないといったところでしょう)。理念の内容が霊的直観で語られたとすれば、それはふつうの人々にとって、信じるか信じないかの世界であるはずです。理論理屈で説明しえない以上、それは信じるか信じないかの世界にしかなりえないからです。「信が第一」というのはこういうことでしょう。信じるしかないのであれば、信が第一であるのはわかりきったことです。では仕組みについてはどうでしょう。「信が第一」でしょうか。「仕組みを信じる」。このような言いまわしが、はたして成り立つものなのでしょうか。仕組みは解明するものであって、けっして信じるものではありません。誰にたいしても「信が第一」といっている人は、内容と仕組みを混同して区別できていない人、という気がいたします。仕組みを解明するには、どうしても哲学、心理学、言語学、現代物理学などといった学問分野の助けを借りる必要があると考えます。そうした助けなしに語れるというのであれば、ぜひとも語っていただきたいものです。片方は真理の内容を語っているのに、もう片方は真理を仕組みとして語っている。こうしたことが区別できずに混同されるとき、自分とちがう相手を「人間知」と罵倒し、「虚説」として排除しようとする欲求が生じるものと理解いたします。 >>

<< 2246 :初心者=マサノブ:2013/02/01(金) 13:13:31
「迷いは自由からくる」。雅春先生もこのように説いておられたのでは?神は完全なる人間を創った。しかし人間に自由をあたえた。それは迷うこともできる自由だった。神は、人間に自由をあたえれば迷うということもご存じであった。実相哲学の本質とは、神がいったんは完全な人間を創っておきながら、なぜ迷う方向に人間を仕向けたか、ということにあるとわたしは考えますが、いかがお考えですか?
完全なる実相世界を創っておきながら、神はなぜそれで終わりにされなかったのか、この謎を解くのが実相哲学の本質であるとわたしは考えます。>>

<< 2247 :初心者マサノブ:2013/02/01(金) 13:29:37
神が完全なる実相世界を創られたにしても、そのことに必然性は感じられないので、それはわたしにとってどうでもいい問題なのです。神が人間を迷うようにと仕向けられたことには必然性があるとおもわれるので、このことがわたしにとってのただひとつの問題となっています。>>

<< 331 :初心者=マサノブ:2012/08/17(金) 08:40:18 ID:TfQ0e6RA
なにを問題にしているかといえば、「一元論という決定論的世界において人間はなぜ自由でいられるのか」ということを問題にしております。聞くところによりますと、一元論を唱えていた哲学者のスピノザは、「人間の自由」の問題に突き当たり、しかも生涯にわたってこの問題を解決できなかったということですね。この問題を雅春先生は、「神は人間に自由をあたえられた」のひと言で解決なさいました。一元論の決定論的性質を棚上げにし、「超越項」をもちいることで、スピノザでさえ解決できなかったとされるこの難問を、雅春先生は解決なさったのですね。こうした説明に納得される方はよいですが、一方には「納得できない」とする勢力も当然のことに存在いたしますね。一元論という決定論的世界にありながら、なぜ自由意思というものが存在しうるのでしょうか。この問題を、「生長の家の教えの問題点と限界」に焦点をあてながら考えてみたいとおもいます。それはひとえに、「雅春先生は生長の家の教えを真に理解しておられたのか」の問いに答えを出したいからであります。>>


<< 385 :初心者=マサノブ:2013/02/02(土) 19:31:06
神想観は、一時的にせよ、悲劇が演じられる劇場からでていくための、ひとつの方法と考えよいのでしょうか。生長の家の方々は、せっかく入った劇場から、一時的にではなく、できれば永遠に消え去ろうとしておられると考えてよいというとこなのでしょうか。「日本国実相顕現」とは、俳優にもっとマシな演技をみせろと要求しておられるということなのでしょうか。それとも、それをもって劇の幕切れにしたいということなのでしょうか。「これは劇だ、つくり話だ、悲劇はない」といって、すべての観客を劇場からでていくように仕向けようとしておられるのでしょうか。それは、矛盾にとどまろうとする人々にとっては余計なお世話だとおもうのですが、それが人類光明化だと考えておられるということなのでしょうか。それとも、人類光明化とは、悲劇をゆったりと楽しめるように、劇場の居心地をもっとよいものにしたいということなのでしょうか。あるいはそれとも、悲劇の上演を禁止して、ハッピーエンドの気楽な演劇や、笑いに満ちた喜劇たけを上演するようにと俳優に要求するということなのでしょうか。「悟り」や「直観把握」といった言葉が大仰に語られる背景には、いったいどのような意図があるというのでしょう。けっきょくみなさま方は、悟りをえることで、いったいなにを実現しようとしておられるのですか。 >>

<< 386 :初心者=マサノブ:2013/02/02(土) 19:43:40
神想観はいったい誰がこれをおこなっているといえるのでしょうか。俳優である自分でしょうか、それとも、悲劇をみることに疲れ果てた宇宙意識でしょうか、それとも、劇場の外からなにものかが侵入しているということなのでしょうか。>>

<< 387 :初心者=マサノブ:2013/02/02(土) 20:20:28
生長の家は、いったいなにをなそうとしているのですか。まずはこれをはっきりさせましょう。
俳優としての自分に、悲劇ではなく、気楽な演劇を演じさせたいということなのですか。それとも劇そのものをやめさせたいのですか。「すべては劇にすぎない」と悟りをひらいて、観客であることじたいをやめようとしている、ということなのですか。実相をあらわすということは、もとのひとつの世界にもどるということ以外に考えられませんから、そうすることで、せっかくこしらえた劇場を取り壊そうというのですか。世界を割ったのではなく、世界はたんに割れてしまっただけなのだから、もとにもどすのがよいことだと考えておられるということなのですか。いったいなにをなさろうとしておられるのですか。とにかくこれをはっきりさせてください。>>

<< 399 :初心者=マサノブ:2013/02/03(日) 09:44:09
物質は単独では存在しえないということです。物質が存在するには、観測者が必要なのですね。観測者がいないところに物質は存在しないと考えます。つまり物質とは、観測者との差異なのですね。なにかわからないものがそこにある。「ある」といったところで、本当にあるのかさえわからない。その「なにかわからないもの」と観測者とのあいだにあるのは差異だけなのですね。この差異を観測者は物質として認識しているはずなのですよ。この差異を認識しないかぎり、物質はどこにも存在しないということかいえるとおもいます。ロゴスとしての言葉は、「この差異」を明確化しますね。言葉によって差異が明確化されたことで、人ははっきりとした物質の像を得られるのではないかと考えます。意味が差異であるように、物質も差異であるということです。物質はない、というのであれば、意味もない、ということになります。>>

<< 400 :初心者=マサノブ:2013/02/03(日) 10:40:43
差異がないということは、意味も物質もないということです。見るものと見られるものとの関係もないということです。もちろん自分もない、ということになります。自分とは他者との差異にほかならないからです。差異がすべてだとおもいます。差異こそがロゴスだとおもいます。しかし人間はこの差異に苦しみます。善と悪との差異、健康と病気との差異、平穏と不穏との差異、そしていうまでもなく、自分と他者との差異に苦しみます。苦しみを取り除くには、差異を取り除くしかありません。これを生長の家では、「差をとる」すなわち「悟ること」だと説いていますね。しかし差をとってしまえば、そこには意味も物質も体験も、なにもかもない世界があらわれるだけです。人々がのぞむ、光のみ、善のみ、幸福のみの世界とは、差異のない世界、すなわち意味も物質も体験もない世界以外にはありえないと考えます。つまり、光のみ、善のみ、幸福のみの世界の体験は、ほんらい的に不可能なのではないかということです。もしかりに、善のみの世界を体験できるとすれば、そもそも世界をふたつに割って差異をつくりだす必要はなかったと考えます。>>

<< 31 :初心者=マサノブ:2013/02/05(火) 11:12:30 ID:PnnRTxNs
Aさんの実相、Bさんの実相、Cさんの実相というものがあるとすれば、実相世界の地球にはいったいどれだけの実相人間が住んでいることになるのでしょう。70億ですか。100億ですか。1000億ですか。日本国の実相、アメリカの実相、ケニアの実相があるとすれば、実相世界には、いったい何カ国の実相があるのでしょう。200ですか、300ですか。実相世界の地球には、海もあれば大陸もあり、島だってあるはずです。実相の地球は、いったいどのような地形なのですか。現象の地球の地形とはちがったものであるはずですよね。実相の地球では、日本はどのあたりに位置しているのですか。やがては水没する運命にあるはずですの日本列島が、実相の日本の位置する場所とはおもえません。実相の日本は、実相の地球のどのあたりに位置しているのですか。実相の地球ではどのような政治がおこなわれているのですか。実相の貨幣は、どのように流通し、経済はどのように循環しているのですか。いずれにしても、以上のような世界は誰にでも想像できるものであり、その想像はあまりにも常識的なものでありすぎませんか。誰にでも簡単に想像できてしまえる世界、それが実相世界であるとするなら、いったいなにを悟ればよいということになるのでしょう。 >>

<< 36 :初心者=マサノブ:2013/02/05(火) 12:48:20 ID:PnnRTxNs
『無門関』ですが、それをひと言でいえば、言葉には意味があるとする
思い込みを排除せよ、ということになるのではないかと考えます。>>

<< 37 :初心者=マサノブ:2013/02/05(火) 13:16:30 ID:PnnRTxNs
自分の実相を拝むということじたいが、すでに二元論なのです。たとえそれが自分の実相であったとしても、それを拝んでいる何者かがかならず存在します。実相といっても、その実相にはつねにその何者かが欠けているのです。「真の生長の家の教え」とはつまり教外別伝です。 >>

<< 407 :初心者=マサノブ:2013/02/05(火) 19:54:33 >>405 >>406
生長の家の教えのなかの、神が完全な人間を創ったとされる部分にかぎって、わたしはこれを批判し、異論をとなえているのはあきらかであり・・・わたしは「神が完全な人間を創った」とは考えておりません。>>




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[2467] 遥かなる追憶<第四部>、「初心者=マサノブ君」の 「生長の家」解体実行の証明語録 (6)
遮那王 - 2016年03月12日 (土) 11時34分




R  「初心者」=マサノブ君は、下記の如き「毒づきコトバ」及びそれに準じる言葉で“唯我独尊・絶対的独裁者”振りを露わにしているであります。

<< 961 :初心者=マサノブ:2013/02/03(日) 17:22:28
人にあれこれ言うまえに、まず自分が見本を示せ。 >>

<< 962 :初心者=マサノブ:2013/02/03(日) 17:24:51
人生の諸問題を誤魔化さないとはどういうことか、まずはそれを示してから言え。 >>

<< 963 :初心者=マサノブ:2013/02/03(日) 18:03:24
五感世界を超えてものを考えるとはどういうことか、見本を示したまえ。>>

<< 964 :初心者=マサノブ:2013/02/03(日) 22:09:43
直観把握や悟りといっておられる方々に、その悟りの境地を語っていただくというのはどうでしょう。わたしのことをどうのこうのというまえに、みなさま方が考えておられることをこちらでご披露いただくというのはいかがでしょう。正直もうしますと、わたしは、みなさま方はたいしたことは語れぬだろうと考えています。ここで書けば、自分のレベルの低さをさらけだすことになるので、それが怖くて書けぬのだろうと、こういうことを考えております。じっさいどなたも、それらしいことはなにも書いてはおられぬようですね。レベルの低さをさらけだしたくない。これが書けぬ理由のようでありますが、ちがいますでしょうか。>>

<< 968 :初心者=マサノブ:2013/02/04(月) 09:51:33
「尊大さ」こそが、生長の家の根本体質なのですよ。この体質にドップリとつかった人々が、雅春先生を裏切り、生長の家をダメにしたとわたしは考えています。>>

<< 971 :初心者=マサノブ:2013/02/04(月) 10:12:23
「聖典の偉大さ」、この「偉大さ」というのを、「あらゆる意味での偉大さ」ととらえてしまうことに問題があると考えます。この「偉大さ」と「尊大さ」は表裏一体の関係にあるということです。はたしてどのような意味で偉大なのでしょう。あらゆる意味で偉大なのでしょうか。そうではないですね。わたしの考えでは、読む人をある種の意識状態にみちびくことができるという意味で偉大であるということです。世界を説明できているかというと、説明はできていません。ですから、この意味では偉大とはいえないでしょう。しかし、この「偉大さ」が拡大解釈されて、「宇宙最高峰の教え」となり、その宇宙最高峰の教えを知り得た自分は特別であり、誰よりも偉大なのだと思い込んでしまう人々を、大量に世に送り出してきたということがいえるのではないかと考えます。>>

<< 337 :初心者=マサノブ:2012/08/17(金) 10:44:44 ID:TfQ0e6RA
トキ様はなぜ「雅春先生への批判はご遠慮ください」とわざわざ表明なされたのでしょうか。これを表明なさるのであれば、総裁先生への批判もご遠慮ねがうように明記すべきでありましたね。それをしなければ、一方の批判だけが許されて、他方の批判は許されないという、いびつな構造が温存されますね。>>

<< 2371 :初心者=マサノブ:2013/02/13(水) 10:40:08
あちらの掲示板はアホのあつまりか。「生長の家は無力だ」というのは、「これまでの生長の家は、貧・病・争の問題解決をのぞけば、ほかはあまりにも無力だった」ということだろうが。現状認識をしっかりせえといっとるんや。80年たって振り返ってみれば、生長の家はなんにも実現できとらんというのはたしかな話やろう。じっさい無力なんや。おのれの無力さ加減をしっかりと自覚したうえで、どうすれば再建できるかを考えろといっとるんや。おのれの全能感に立脚した運動は、当然のごとく失敗したっちゅうことや。>>





S 「初心者」=マサノブ君は、下記の如く自分の霊的未熟さを棚に上げて開き直りと負け惜しみを言っておるのであります。

<< 972 :初心者=マサノブ:2013/02/04(月) 10:27:57
質問いたします。生長の家では、波動関数はどのような現象としてとらえられているのでしょうか。
宗教的に、あるいは哲学的に、波動関数をどのように理解すればよいのかということです。「宇宙最高峰の教え」であるとするなら、この問いかけに答えねばなりません。「それは人間知だ」と尊大にかまえてなにも答えない。これを生長の家では「偉大さ」のあかしとしてきたふしがあります。>>

<< 986 :初心者=マサノブ:2013/02/04(月) 11:40:38
人間知でしかものを考えられない初心者には真理は理解できない、というような発言がこちらでも相当数あったという気がいたします。人の理解を云々するまえに、まず自分の理解を語れということです。自分の理解を語ってから、人の理解を云々しろということです。「雅春先生はこのように言っておられる」では理解とはいえません。自分の言葉として語られなければ、それは理解とはいえません。>>

<< 414 名前:初心者 =マサノブ、投稿日: 2013/02/05(火) 23:20:14
現象世界は実相人間の共同幻想なのか自己幻想なのか。どうですかみなさま、なかなかに観念的なよい問いかけではありませぬか。観念の遊戯?けっこうではないですか。揚げ足取りと人格批判にあけくれるだけが人生ではありますまい。>>




<総括>

 「初心者」=マサノブ君の以上の投稿文を読んで分かることは、――

@ 彼は、所詮は宗教とか信仰とかの世界には縁のない人間だと云うことである。彼には、求道者的要素は見当たらない。理屈の世界で求道者たらんとしているけれども、理屈の世界を超えようとは絶対にしないのである。理屈の世界でこそ自分の存在意義があると思っているからである。彼の傲岸不遜な性格、唯我独尊な性格、強烈な自己顕示欲の性格のなさしめるところである。彼のもっと適した世界は、学者・評論家の世界である。


A 彼は、宗教の存在目的の第一が、衆生救済にあることが解らないのである。彼の賛同する上記内容の如き「今の教え」という「マサノブ教」は、病悩苦を救済する事は出来ないし、又「今の教え」で救われた顕著な体験例は聞いたことがない。つまり「マサノブ教」は現実的救済力はゼロであると云う事を示している。この一点に置いても開祖・谷口雅春先生御創始の「生長の家」との間には天と地以上の開きがあるのである。


B また、彼は「信仰」というものについても何も分かっていない。彼には「信仰心」はない。あるといえば“理屈で論ずる世界”に対する“信仰心”である。しかしこれは現実的救済力を持たないが故に、彼のこの信仰心は破綻している。このことすらも彼は解らないのである。


C 彼・「初心者」=マサノブ君はまた、「信仰」ということが分かっていない。彼には自己人生に於ける人間工夫が尽きてワラでも摑んで助かりたいという絶体絶命に陥った経験がなく、衣食住とお金と自由に恵まれたボンボン育ちでるからである。それに議論好きだから、理屈を最優先にして生きている。「信仰」とは真理に対する絶対的な“信”である。彼は、「現象独在の左翼唯物論」に対する“信”はあっても、この“信”では人を救うことは出来ないし、彼にはその体験がないのは当たり前である。彼には、霊的覚者に対しての尊敬心(讃迎の心)がない。彼は、傲岸不遜・唯我独尊の塊である。


D 「生長の家」という信仰の世界での「絶対的“信”」とは、――實相世界を五官六感を超越した實相覚で直接体験された開祖・谷口雅春先生のお悟りの言葉を、100%無条件で「はい!」と信じきること。そして、生活に実践する事である。理屈で<どうのこうの>と言っている間は、いつまでたっても「生長の家」の真理の奥殿に入ること能はず。この“信”に達した著名地方講師の先生はこうおっしゃった。癌に罹った人の個人指導のときに、「雁(癌)であろうが、雁(かり)であろうが、谷口(雅春)先生が<一切の病気は無い>と言われたのじゃから、病気はないんじゃ!」と。この絶対的“信”の力で指導を受けた人の病気は消えた、という実話がある。これが信仰の世界なのである。理屈抜きの世界である。われわれ信徒は、自分たちが未熟なるがゆえに、大覚者である開祖・谷口雅春先生の説かれた内容に絶対的“信”をおいて、絶対の信仰を確立しているのである。


E こういうと理屈好きの彼・「初心者」=マサノブ君は言うであろう。「まさに信仰とはアヘンである。一つ間違うと破壊を招く狂信の世界に入る。だから、理論的検証をシッカリせねばならぬ」と。しかし、彼はまたその理屈がマチガイである事に気が付いていない。彼には、真理に対する霊的感性とか霊的直感力ということが判らないのである。「オーム」を信じた人たちと、「生長の家」を信じた人たちの霊的感性、霊的直感力とは同じではない。大きな差があるのである。それは一重にそれぞれの個性生命(霊魂)の発達段階(實相開顕度)の開きによる。このことが判るならば、彼・「初心者」=マサノブ君の霊的感性、霊的直感力はまだまだ低いといわなければならない。


F 彼・「初心者」=マサノブ君の持つバサラという思想は、マサノブ君のこれまでの「生長の家」解体の歴然たる事実とピッタリ符合しているのである。つまり、「初心者」の思想=マサノブ君の思想は、「破壊と蕩尽」ということである。誰が見ても確実にピッタリである。「破壊と蕩尽」の帝王が「初心者」=マサノブ君であることを忘れてはいけないのである。


G 最後に次のように結論付けられるのである。

イ、 <<  453 :野次馬:2013/02/07(木) 20:30:34
初心者さん、自分の姿は自分には見えないが、他人にはすっかり見られているんだよ。そっくりだというのは、第3者の感想である。当然、当人たちにはわかるまい。 >>

ロ、 マサノブ君の「今の教え」が犯した決定的な罪 は、本物の生長の家が何なのかを、解らせなくしてしまったことだ。やはり、「総裁辞去」・「教団退去」がマサノブ君にとっての最良の選択枝であると云うことであります。




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