| [2435] インターネット道場―――体験実話特集 大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(19) |
- 信徒連合 - 2016年03月10日 (木) 10時34分
インターネット道場―――
体験実話特集
大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(19)
病人は殊更(ことさら)病気を心より放つべし。 而(しか)して、唯愛せよ、唯感謝せよ。 国を愛せよ、 人を愛せよ、 家族を愛せよ。 すべての物と事と人とに感謝せよ。 さらに特に汝の父母に感謝せよ。 常に悦びて何か必ず人のためになる事を為せ。 愛と感謝の感情は、 病いの癒ゆる生命波動を感受する最善の波動なり。
ここには愛と感謝が、神様から来る“生命の霊的波動”に最も感応し易い自分の“心の波動”だということが訓(おし)えられているのであります。
神さまから来る“生命の霊的波動”などというものが本当にあるんだろうかと疑う人もあるかも知れませんが、それは肉眼には見えないけれども本当にあるんです。それはテレビやラジオの放送電波が肉眼には見えないけれど本当にあると同じことであります。テレビやラジオの放送電波は、それを受像し受信し得るテレビセット、ラジオセットがあれば、肉眼に見えるようにも受像され、受信されるのでありますが、それと同じように、霊波を受信し得る霊媒的素質のある人には、神さまから放送される“生命の霊的波動”を感じて、それをテレビで映るように視覚的に感ずることも出来るのです。
実例をもって申しますと、昭和43年9月29日、九州電力の記念体育館で5千人以上の聴講者を前にして、佐賀県神埼郡三田川町立野に住んでいられる納富静子さん(当時53歳)は次のような体験を発表されたのであります。
子宮癌の宣告を受けたが実相覚を体験して健康を恢復する 皆さん、有難うございます。今日この佳き日に、谷口雅春先生の御前で体験発表をさして頂きますことを、無上の光栄と感謝申し上げます。全然生長の家を知らなかった私が、昭和37年8月、5日間の雅春先生の福岡での御講習会に神様の尊い御縁を戴きました。第1日目、別に感ずるところもなく、“有難うございます”と笑顔で感謝する沢山の信者さんを見た時に、“盲信すれば、こんなに麻痺するものだろうか”と思いまして、明日からはもう中止(や)めようと思って自家(うち)に帰るのでございますが、自家に帰って朝になると如何(どう)しても行きたくて堪(たま)らず、引かれて行くのが自分でも不思議で堪らなかったのでございます。そして丁度4日目でございます。何時ものように漠然と拝聴しておりましたら(7秒間、録音なし)一直線に 七色の美しい光がサッと私に射して参りました。
私は思わず合掌しまして、「有難うございます、ありがとうございます」と、止めどもなく流れる涙に暮れたのでございます。私は“自分の生きる道はここだ”と悦び一杯に感謝の入信をさせて頂いたのでございます。母と亡父に不平不満をもち続けておりましたが、み教えを頂きましていろいろお話を伺っております中に自分の間違いを解らして頂き、涙の懺悔をさして頂きました時、身体(からだ)の具合が悪かったのが不思議に消えたのでございます。嬉しさの余り一所懸命に駈けずり廻りました。沢山の有難い体験を頂いたのでございます。そんなにしている中に、何時の間にやら熱は冷めてしまい、「白鳩」誌の配布さえ明日へ明日へと延ばすような迷いの生活が一年許(ばか)り続いたのでございます。ところが、今年の5月の末頃、体の調子が悪かったものですから病院にまいりましたら、「子宮癌の疑いがあるから医大で精密検査を受けてくれ」とのことでございました。私はハッと自分の胸に反省したのでございます。“ああ、肉体は心の影だと7年間も先生に教えられ、自分は尊い体験を頂きながら、こうした生活をしたからだ”と思いまして、心の転換より他に道はないのだ、と思いました。
それで子供達は涙を流して私に入院をすすめてくれたのでございますけれども、私は生長の家を生かすのは今だ、今を措(お)いてはないのだ、と確信をもって、子供達と話し合いの結果、本部練成に行くことを決めました。そして長男が随(つ)いて行ってくれまして、私の知らない間に特別祈願をお願いして夜行で帰宅しました。その時、私は本当に子供の愛念に深く感謝いたしました。諸先生方の御講話に、魂の底から揺り動かされ、跳びあがるような悦びを感じました。
“ああ、生長の家に入信(はい)ってよかった。本部に来さして貰ってよかった”と私はその時もう真(しん)から有難く思ったのでございます。そしてここで、もう病もナイのだ、そして感謝も出来るのだと、全て解決したと思いまして富士山見物という気持ちで、2,3日のつもりで富士河口湖練成に参りましたところが、楠本先生、川上先生の温かい無限力の雰囲気に包まれ、もう帰りたくなくなったのでございます。
それで10日間の練成を受けさせて頂くことになったのでございます。あれは、丁度7日目でございます、川上先生御指導の神想観の時でございます、幾分経ったことでございましょうか、私の全身が光にずーっと取り囲まれたのでございます。ハァーこれは……こんな綺麗な世界があったのだろうか、これは夢ではなかろうか、と思いまして一寸上を、目を開いてちょっと見たのでございます。そしたら又上から燦々(さんさん)と光が、もう……なんとも言えず……降りてくるのでございます。そしてその間に、こういう位の金の玉がこうずーっと連なってもう燦々と私をずーっと囲んでしまったのでございます。ハァー、こんな世界があったのだろうか、これが……神の世界はこんなのだろうか、と思って、私はウットリとしておりましたら、神想観終りの合図にヒョッと目を開けましたその瞬間でございます。
“人間・神の子、病なし、肉体なし、自他一体、キリストの十字架は受難ではなく法楽であったのだ”と、私の全身に鳴り響いたのでございます。そして私はその時、ひょっと練成の皆様を見た時、皆な光り輝いて、誰も皆な親兄弟のような感に打たれたのでございます。ハァー、これが、自他一体感だなあ!と思って、尊い体験を頂きました。余の美しさ、余りの不思議さに、ちょっと外を眺めてみましたら、木の葉までも本当に光り輝いて、なにか悦びの囁きが聴こえてくるのでございます。ハァー、これこそは本当に“筆や言葉では尽されない”という言葉であると染染(しみじみ)と味わわして頂きました。そしてこの10日間、本当に有難い生活を終えて私は自宅へ帰ったのでございます。そうしたら、明くる朝4時から、2年間打たなかった時計が打ち始めたのでございます。母が余に不思議だと言いました。それで私はその時、私はヒョッと思い出したのです。いつか「白鳩」誌で、舅との調和が出来たとき目覚まし時計が動き出したということをちょっと読みだした時に、幾ら生長の家でも、そんな馬鹿なことがあるもんね、と思いまして、誌友さんの中に何人か訪ねてまして話しましたら、どの方も、「ほんとう!本当に信じられんことあるねえ」と仰言(おつしゃ)るのでございます。それが現実となって今私に尊い体験をさして下さったのでございます。それで私は生長の家に本当にウソはないのだと思いました。(拍手)
そして私は、恰度(ちょうど)神癒祈願局から8月10日に実相顕現の知らせをして頂き、もう打切ったとの知らせを頂きました。子供達のすすめも御座居ましたし、8月23日、佐賀県立病院で精密検査をして頂きましたが、「まだ、九大に送ってあるけれども未だ通知が来ない」というて知らせては下さいません。私はこの素晴しい生長の家のみ教えに生かされている幸福と、この素晴らしいみ教えを皆様にお伝えさして頂ける使命に生かされていることを、深く感謝申し上げます。そして私が余りに倖せな生活だものですから、子供達に申しましたら、「お母さんが生長の家だからよ」と長男が申しました。その言葉が私には迚(とて)もうれしかったのでございます。本当に、私が生長の家に入ってなかったならば、どんなに今迄苦しんでいたであろうかと思います。どうぞ皆さん、この素晴らしいみ教えを一人でも多くのお方にお伝えさして頂くべく、お互いに愛行さして頂きたいと思います。有難うございます。
この納富静子さんの体験には随分教えられるところが沢山あるのであります。この方はこの体験談で見ると、3回、神さまから発する霊的波動を受信して、それを視聴覚形式に受像していられるのであります。その最初は、昭和37年8月の福岡での講習会の4日目に私の講義を「漠然と拝聴しておりましたら」といって7秒間録音が無いのは、その日の気持を自分の心に再現して言葉が出なかったのでありましょうが、「一直線に七色の美しい光がサッと私に射して来た」というのであります。この「漠然と拝聴しておりましたら……」というその「漠然」の意義が深いと思うのであります。
それは講義を聴いているうちに、心の中に“何もなくなった”即ち“無我”の心境になられたのであります。誰でも此の“無我”の心境になった時、神の霊波を感受し易いのであります。肉体や煩悩(ぼんのう)の“自分”というものが何もなくなる。その時、自分の実相なる内部の“神性”が表面にあらわれて来るのです。すると、その内部の“神性”が、宇宙普遍の“神性”とピッタリ合ってカチカチと触れ合う底(てい)の光を発する。霊媒的天分のある納富さんは、それを七色の霊光として受像せられたのであろうと思われます。
それから、この講習を受けることにより、納富さんは、心機一転、その時まで「母と亡父に不平不満を持ち続けていた」のが、自分の間違いだったと分らして頂いて、涙が流れるほどに懺悔の心が湧き出て来たとき「身体(からだ)の具合が悪かったのが不思議に消えた」といわれているのです。これは「懺悔やまいを癒す」という生長の家の教えの実証であります。無論、不平不満を懺悔の涙によって洗い浄めますと、その不平不満の反対の心──感謝の念──が起って来ますから、それがまた病気を癒すことになるのです。どこかに一度書いたことがことがありますが、「すみません」という心が“懺悔の心”で、「ありがとうございます」という心が“感謝”であり、この懺悔と感謝の念は神の癒しの霊波を受信するための車の両輪みたいなものであります。
納富さんは、講義を聴き教えを受けて、心が不平から感謝に、無神論から転じて神の存在に触れたとき、病は癒え、無数の有難い体験を頂いたのに、咽喉許(のどもと)過ぐれば熱さを忘れるで、いつの間にか信仰に感激がなくなって来たのでした。“悪魔”というものは無いのだけれども、この信仰のスランプを、擬人的に形容すれば「悪魔の誘惑にかかった」ともいえるのであります。そんな状態が一年間も続くと、5月の末頃から身体の調子が悪くなって来たので、病院で診察を受けると、「子宮癌の疑いがあるから医大で精密検査を受けてくれ」と言われたのであります。
グレン・クラーク教授(註。アメリカのイリノイ大学教授であったが、その後、光明思想の著述及び伝道に専念した)は、「病気は神さまからの警告の電話」であると言いましたが、これは“心の法則”を擬人化して説いたものであります。“肉体は心の影”即ち、肉体の状態は、“心の法則”に随って、自分の想念を具象化して見せられるものでありますから、そして、「宇宙を貫く法則」は“神”でありますから、法則によって肉体に病気をあらわしているのは「お前の心の姿を目に見える形にあらわせば、こんなものじゃよ」と神さまが仰せられているのと同じことなのであります。
納富さんは「子宮癌の疑いがある」という医師の診断──神さまからの電話──をきいて、はじめて、いつの間にか信仰に不熱心になっていた自分を反省せられたのであります。子供たちは“病院へ行け”というし、納富さんはそれを“自分の不信仰の心の影だから練成を受けたいと“と思う。そしてついに後者を選ばれたのであります。そして一方では本部へ神癒祈願をお願いすると共に、富士河口湖にある生長の家の練成道場で練成を受けることに決心せられた。そして川上繁講師の先導による神癒祈願の神想観を実修しはじめて、幾分間か経ったときに、自分の全身が霊光に包まれている光景を見たというのであります。神想観とい うのは、観念を集中してひたすら神に心を振向けるのですから、神の生命の霊的波動に意識的に波長を合わしていることになります。すると神の放送霊波を真正面(まとも)に感じられる、それが「全身が光に取り囲まれている」ように感じた訳であります。そして「こんな綺麗な世界があったのだろうか」と不思議に思って、一寸、細目に瞼をひらいて上方を見ますと、「上から燦々(さんさん)と光が、真珠の連(れん)のように金の珠がずっと連なって、燦々と降って来て」納富さんを取り囲んだのでした。それを神の生命の霊波を“納富さん”という“人間テレビセット”が受像したとき、そのように人間ブラウン管に映し出された訳であります。
そして神想観の終わりの合図で眼をひらいた瞬間、神の御声が恰(あたか)もアナウンサーの声のように、「人間・神の子、病なし、肉体なし、自他一体、キリストの十字架は受難ではなく、法楽であった」という神の言葉が鳴り響いたのでした。その時、納富さんには誰も皆、物質の人間ではなく、霊的人間であって光り輝いて見えたのでした。外を眺めると、木の葉までも本当に光り輝いていて、それが何か悦びの声を囁いているのが聴える──こういう輝く世界を見る体験を神想観後しばらくの期間味わった体験を話される人が往々ありますが、これを「実相覚」(じっそうかく)を得るというのであります。実相の世界にあるすべての人も物もことごとく物質でできているものは一つもない、すべて霊であって霊光を放っているのであります。その実相を見る体験を納富さんはせられた訳であります。この実相世界にある“霊” なる存在を、「物質」で構成されているが如く見えるのは、現象世界に処する生活の便宜上、我々自身の視聴覚が、それを「物質」に翻訳して見せている訳であります。
愛行を実践して母の尿道癌癒ゆ
以上、「子宮癌の疑いあり」という医師の診断でありましたが、実相覚を得た結果、実相の世界には癌などないのですから、在りと見えた子宮癌が消えてしまった実例でありますが、癌の話のついでに、次に尿道癌の治った実例を紹介して置きたいと思うのであります。
それは昭和43年11月17日、岡崎市民会館での講習会で、愛知県名古屋市港区稲永新田東稲永荘1の36の島崎敏子(当時55歳)という主婦の方がこんな体験談を発表せられました。
島崎敏子でございます。生長の家の御教えによりまして、毎日心豊かな生活をさして頂いております。私の実家は静岡県でございます。去る昭和41年、夏の事でございます。実家の父が、私の家に来るなり、今度おばあちゃんが尿道癌で、長野県の病院に入院したら、一度間を見て、2、3日面会してやってくれ」とのお話でございました。
その時、その夏名古屋市に於きまして、谷口雅春先生の御講習がございました。この時と思い、病人の母と2人分“愛行”さして頂こうと思いまして、一所懸命皆さんをお 誘い致し、今までにない成績をあげさして頂きました。無事講習会も終り、その翌日教化部へ参りまして、神癒祈願をお願いし、お守りを買い求め、一路長野県の病院へ参ったのでございます。母の側へ行くと、母も「もう私は尿道癌なんだから死ぬ」というような事を言って、非常に 悲しんでおりました。でもと思って、看護婦さんの所へ行きまして、色々と病状を聴きますと レントゲンの結果はとても駄目ですから、ただ気休めに電気をかけるんだとのお話です。この お話を聞き、私は谷口雅春先生のお話を聞いているのですから、“これは治る病気だ”と思い、母の病室へ参って、そしてお母さんに“お母さん生長の家で病気は治るよ”と。
私の実家は寺でございますから、初め生長の家の御教えの説明に戸惑いましたけども、その時頭に浮んで来たのは、「和解の神示」の言葉にあります様に「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」と申されております。「ねえ、お母さん。ね、道具でも傷めば、製造元の所へ持ってゆけば直る様に、私達人間も、神様がお父さん、お母さんを通しましてこの世へ出して頂いたのですから、きっと治るですよ」そしたらお母さんも「その位の事だったらやる」と言いました。
神癒祈願から来る人型*を両手の間にはさみまして、「お父さん、お母さんと最低30分以上 お祈りすれば必ず治ります」と言い、そしてお母さんは喜んでくれました。その時尿道癌の上に、尿道の上に、お守り様を巻きつけてあげるやら、『甘露の法雨』を誦げる等して、2日間病院で愛行をして名古屋に帰って来ました。
すると、祈願部から人型を送って来ましたので、その説明書を添えて、すぐ直接病院へ送ってあげたのでございます。そしたら15日程致しますと、一通の手紙が届いたのでございます。お母さんの手紙は時折しか書いた事がないのに、余っ程うれしいと見えて書いて来ました。中を開いて見ますとその内容は「この間お前が来てくれて非常にうれしかった。そのお蔭で、毎日鉛(鉛)の様に重かった体が日に日に軽くなり、足も軽くなって、今では病院の外等散歩し、医者も首を傾(かし)げる様になり、この分では健康になって退院出来るから」と喜びの手紙でございました。
私も今迄、孝行もした事もなければ、親からお礼を言われた事もございませんでしたけど、これも御教えのお蔭と深く感謝致しております。唯今愛知県下に於きまして、教化部長の御指導によりまして、祈りと行動を共に致しました「人類光明化運動*」が行われております。私もその一員と致しまして、毎日「祝福録」に 10名の方を書き、毎日「生きとし生けるものを生かし給い、在りとしあらゆるものをあらしめ給う御祖(みおや)の神様有難うございます。縁結びの神様有難うございます。生長の家の大神様有難うございます。天皇陛下有難うございます。お父さん、お母さん有難うございます。神様、神様、神誌によって人類光明化運動をさして頂きます。神の無限のお導きによりまして 一人でも多くの神誌を愛読して頂く皆皆様方に巡り合わせて頂きます事を、感謝致します」と毎日真剣にお祈りしている中に月日は流れ、去年の11月から神誌が手元に届いたのでございます。その神誌を「祝福録」に書いて、祝福した方にお配りしている時に、ある時電話を頂いたのでございます。
その内容というのは、松原あい子さんからの電話を頂いたのでございます。その内容は「この間素晴らしい本を送って頂いて有難うございました。私も丁度主人が疲れて寝ておりますし、私の頭の中もくしゃくしゃしておりましたけれども、その本を読むことによって、本当に娘の様な気持になって、非常に気持ちがいい」と。それで本を一年分欲しいとのお話でございました。その時「生長の家」誌一年分と「白鳩」誌一年分を注文さして頂き、又暫くしていると、近所の荻原悦子さんという方から、毎日貰うのは悪いからと言って、一年分又注文して頂きました。
その様にして、今では毎月15人の方に神誌を上げる様になりました。そして一番嬉しかったのは、その方を通じまして、その神誌を上げている方のお友達が引っ越しして、生長の家の話は聞きたいけれども、近くにないとのお話でございました。その神誌 のお蔭で、その時聖使命会員に復活して頂き、又その友達も、そいじゃあ、あなたがなるなら 私もなろうと言って、聖使命会員に入って頂く等しました。そしてこの運動を通じまして、一番嬉しく感じましたのは、こういう身近な人をお祈りする事によって、「人類光明化運動」が出来るという事を非常に喜びました。そしてこの祈りと行動を共に致しましたやさしい運動こそ、誰にでも出来るやさしい運動だと思いました。愛知県下の隅々まで、神誌をお届けようではありませんか。有難うございます。(拍手)
聖経『続々甘露の法雨』のこの一節に示されている通り「唯愛せよ、唯感謝せよ。国を愛せよ、人を愛せよ、家族を愛せよ……」これこそが病気の治る心境であると教えられても、では“国を愛する”とはどうすることであるか、人を愛するとはどうすることであるか、家族を愛するとはどうすることであるかということになりますと、これは中々むつかしいのであります。
“常に悦びて何か必ず人のためになる事を為せ”とありますので、「何か人の為に行動を施す」即ち、布施行(ふせぎょう)を実践することが愛するということだということが分るのであります。人の為になることを行うのも色々の種類があります。物質を供養したり、施したり、献じたりするのは、“物施(物施)”又は“物供養(ぶつくよう)”と謂います。食に餓えている者には食を与え、金銭に乏しい者には金銭を与え、衣料の乏しい者には衣料を与えるなどはこれに属します。これも、場合と、時と、相手によっては、是非必要なことでありますが、食物や金銭や衣料など与えて行われる救いは一時的であります。食物は食し了(おわ)れば無くなりますし、金銭はそれを使えば無くなりますし、衣料も或る程度着ればボロボロになって用をなしません。それですから。物供養は永遠の救いとはならないのです。そこで吾々は、愛を施すのに真理を施し、真理を供養することをもって、最も尊貴な供養であり、愛の実践であるとするのであります。これを法供養または法施(ほっせ)と申します。生長の家では愛行と言って、真理を書いた書籍や雑誌を贈呈したり、単に贈呈しただけでは、それを読まないで、積んで置かれているだけでは、単に“物”を差上げたことになり中味の“真理”を差上げたことにはならないので、無代で贈呈するよりも、会費又は誌代を徴収して、「折角、金を払った本だから読まねば損だ」という気持にならせることも必要であります。それは、相手に従って、最も適切な方便を講ずべきで、千編一律、杓子定規では、折角の愛行も生きて来ないことになります。
「国を愛せよ、人を愛せよ、家族を愛せよ」とありますが、愛するとは「自他一体感をもつ」ことでありますが、国を愛するとは、吾々はその国の生命から生まれた、それゆえに国の生命と一体であるから、自分の生命を護るが如く国を護らなければならない。そのためには、日本の国なるものは如何なるものであるかを知らなければならない。換言すれば、国の“生命の実相”を知らなければならないのです。そのためには、この国の生命の中核体にまします天皇の生命の実相を知らなければならないのです。そのためには、また人間とは何ぞやの、人間の実相を知らなければならないのです。今や日本国家は、唯物論諸派の攻撃を受けて国内が騒乱状態になっているのでありますが、それは唯物論という非真理のイザナミの神の黄泉国(よもつくに)の軍隊に追っかけられているところであります。今や、その“死に神”の軍隊を蹴散らすための真理供養することこそ、それが“法供養“であり、法施(ほっせ)であります。即ち国家の生命の実相、天皇の生命の実相、人間の生命の実相──と謂う3つの「桃の実」(生命の樹の果)を供養することが出来るのであります。それゆえ、これらの真理を書いた書物、『生命の實相』をはじめ各種の聖典を人々に薦めて読ましめ、「生長の家」誌又は「白鳩」誌の年極めの誌友となるように勧めてあげることが、これこそ法供養のうち最も大なる愛行となるのであります。島崎敏子さんは、運動に率先して参加し、この愛行をすることのより、医師から不治の宣言を受けた母の尿道癌が癒やされた訳であります。
|
|