| [206] インターネット道場 ―――感激的体験記 ・ 小林春恵先生 「山新田のおかか」 <その六(完)> 「わが信仰の旅路」より |
- 信徒連合 - 2015年08月10日 (月) 07時51分
インターネット道場 ―――
感激的体験記
小林春恵先生 「山新田のおかか」
<その六>
「わが信仰の旅路」より
病のない世界
ある時、小出さんは、孫をおんぶしていて、そのまま、突然、脳いっ血かなんかおこしたんです。おんぶしていた子供を下にしている。下にひかれた孫は、ギャーギャー泣いているわけです。そうしたら、そばにいたもう一人の孫が、畑へ家の人を呼びに行った。
知らせを聞いて畑から家の人達が駆けつけて見ると、小出さんは、泣いている孫の上にのっかったまま、グァーグァーといびきをたてています。 小出さんの娘は、「おかかの一番喜ぶのはこれだ」というので、一所懸命に『甘露の法雨』を誦(あ)げました。
又、お医者さんも来てくれました。 「これは大変だな。まあ、とにかく、絶対安静にしていなさい」とのことでした。 それからも、娘は、なおも真剣に『甘露の法雨』を読んだのでした。 それから、何時間かして、小出さんは目を覚ましました。そして、「あれ、何してたんだや」というわけです。娘が、「おめえが、こういうわけで倒れたので、お経誦げていた」と言ったら、「ああそうか、ありがと、ありがと」そう言って、小出さんは起き出しました。 そして、次の日には、二里もの道を歩いて、三条の講演会へ出て来たのです。
そんなことのあったことを知らない、小林の母が、――私の夫の母ですが――小出さんに、「あれ、小出さん、おめえさん、今日ちっと顔色悪いね」と言うと、 「いや、ちっと寝過ぎたので」と、言ったと言うんですね。おかかの世界には何も恐怖はありません。それっきり、ずっと講演にまわって歩いたんです。
子孫の繁栄を願って
孫たちも大きくなり、そろそろ嫁をもらう年頃になりました。ところが、山新田は加茂市から東へ三里程入った山の中です。自動車も走らせることが出来ない、稲など全部背中にしょってこなければならないような、こんな山の中へもう絶対嫁なんか来てくれない。
そんなことが、村の年頃の若者の大きな関心事です。ですから、嫁さんをもらうには、町へ引っ越して、町で住まないとダメだ。だが、おらっちの家のばあなんか、山新田から離れたくないといって町に引っ越すのを反対している、と言うようなことが、村の若者たちが集まった時の話題でした。
ある時、小出さんの孫が、両親に町へ引っ越すことについての話をしたのでした。 両親は、先祖伝来の土地や屋敷を手放すことになる話なんだから、この話は、ばあ(小出さんのこと)に聞かんければならない。そして、おかかが、町へ引っ越してもいいと言えば町へ移るし、おかかがダメだって言うたら、それは、神様、御先祖様が言いなさったと思って覚悟してくれな、というわけで、一切の意見をおかかにまかせることになった。孫は、おらはおばばと一体だから、おばばにこのことを話して見るということで、小出さんが講演先から帰って来るのを待っていたのです。
家に帰って、孫から、こんな山の中では嫁の来てがないので町へ引っ越したいという話を聞いた小出さんは、「ああ、そうか、そうか、御先祖様のお許しをいただいてあげる。御先祖様は、子孫の喜びを喜びなさる。だから、よく、お断り申し上げよう。先祖がここに居を構えたために、若い者が、嫁の来てがないなどと言って、先祖に対して恨みがましい心などを起こしたら、それこそ御先祖様に対して申し訳ないことだからな」そう言って、仏壇に向かいました。
「御先祖様、小出家の御先祖様、ありがとうございます。実は孫が、この山の中では嫁の来てがないと申します。御先祖様のお喜びは、子孫が栄えて、常に報恩感謝の思いができるところにあると思いますから、どうかお願いでございます。この部落から出ることを承知いただきとうございます」
そのように御先祖様にお断りしてから、孫に向かって、「あのな、御先祖様にちゃんとお願い申したから、安心してここから移ることにしよう。早い方がいいから、さっそく、新しく住む土地を探そう。まず、三条あたりがいいだろう」と言いました。
家族の者たちは、「そんなに急がなくてもいいのでは」と言いましたが、小出さんは「いやいや、話が決まれば、早い方がよい」と言います。そんなわけで、山新田の田畑を売り、町に土地と求めて、小出さん一家は町に住むことになりました。
村の人達の中には、「生長の家をやっているのに、先祖代々の土地をやすやすと離れて行くなんて」と、悪態をつく人もいました。自分たちも山の中の村から、町へ出たいのだが、それに踏み切れない人のやっかみの声でもありました。
でも、小出さんは、そんなことにはとらわれず、孫子の繁栄することを第一として考えて、一家は三条へ住むこととなりました。
おかかの死
小出さんは、死ぬるちょうど一週間位前に、長岡の教化部にいたんですが、なんだやら寒気がしてどうしようもない。それで日程全部断ってくれないかとお願いして、講演会等の日程を全部断ってもらって、家に帰ったんです。そして、家に帰ってしばらくの間は別になんともありませんでした。
ところが、その日、小出さんの家で、講師会長をむかえて、誌友会を開くことになっていましたので、ひこ孫を乳母車に乗せて、村中の人に誌友会の案内をして歩きました。
小出さんは、その夜、誌友会で、開会のあいさつと、閉会のあいさつをしました。誌友会が終わり、みんなを送り出して、五、六人の人が残っていたわけです。
小出さんは、帰る人を送り出したあとに、ヨタヨタと廊下に来て倒れた。それで、家の人が連絡して、すぐ医者にきてもらいましたが、もうその時はダメでした。
その時分の白鳩会連合会長が、急を聞いてかけつけたんです。そうして、『甘露の法雨』を誦げているうちに死んだんです。ところが、死ぬ前に小出さんは、ちゃんと孫に死んだ後のことを話してありました。
通帳と印鑑の置いてあるところを教え、「おれが死んだら、三十万は道場を建てるために寄付してくれ、それから、九州本山へは二十万の寄付してくれな。それから、今度、宇治本山へは十万してくれな」と言ってあった。だから、小出さんの残した金を、どのようにしたらいいかなんて、何も思わなくてもいいように、万事を整えて、苦しみもせずに、そのまんま、この世を終わったんですよ。
かなりね、田舎の人で、若い時に労働が激しかったせいか、顔はわりあいにしわっぽい顔でございました。それが、十六、七の娘のようになって、棺の中へ入っていたそうです。本当にあどけない顔をしてね。もう本当に、“吾、すでに事を終われり”という風にして、小出さんの使命は終わりました。 私は、私の主人の死も、実に素晴らしいと思いましたが、私の主人を尊敬した小出タケさんの最期も、また実にうるわしいと思いました。
(完)
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