【広告】楽天市場から大感謝祭を開催中26日1時59分まで

生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

ホームページへ戻る

名前
メールアドレス
タイトル
本文
写真

URL
編集・削除キー 項目の保存


RSS
こちらの関連記事へ返信する場合は上のフォームに書いてください。

[2574] インターネット道場―――体験実話特集 大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(27)
信徒連合 - 2016年03月18日 (金) 10時43分




インターネット道場―――


体験実話特集 


大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(27)





  生命(せいめい)の本性は「動」にして「静」に非ず、
人間は生命の本性に随(したが)いて働けば
疲労し病むこと能(あわ)わざるなり。
生命の実相は働けば働くほど
健康の実相を露呈するなり。
人間は霊性なるが故に、
霊の法則にのみ支配せらるるなり。


 肺結核や脊椎カリエスにかかりますと、絶対安静にしていないと病状が悪化するといわれておりますけれども、この聖経に示されている通り生命の本性は、本来“動”であって“静”ではないのですから、生命の本性に随(したが)って働けば、肺結核でも、脊椎カリエスでも働きながら治ってしまうのであります。もっとも無暗に働きさえすれば病気が治るという訳ではないのであります。病気というものは「気を病む」と書かれている通り、本来、天地の正大気(せいだいのき)を享(う)けて生かされている人間が、その正大気を自分の心が人を恨んだり、憎んだり、腹立てたり、争ったりして汚れている。そして、その天地の正大気の完全なハタラキを歪めているから、充分完全に正大気がはたらかないので、そのハタラキが止んでいる。これが、病気即ち「気を止む」ということであります。

天地正大気の働きを歪めず汚さずそのままに働かせますならば、吾々は絶対安静などをしないでも、働きながらでも治ってしまうことになるのであります。

 昭和44年11月9日、九州福岡市の九電記念体育館で生長の家の講習会がありました時に、福岡県大牟田市橘原の前に住んでいらっしゃる河原畑直一(当時59歳)という方が次のような体験談を仰言ったのであります──


尊師谷口雅春先生の御前に立てる光栄を深く感謝致します。有難うございます。私は8月のゆには練成*で生長の家の素晴らしい御教えによって救われた者です。私が両肺を犯されていることを知りましたのは8月2日でした。レントゲンの結果、その旨を医者より知らされ、「直ちに入院するように」と言われたのであります。一応家に帰って妻と相談してからと思って家に帰ったものの、その時の気持は全く暗黒の状態でした。

直ぐ妻と共に柴田講師(せんせい)にご相談に行きましたところ、いろいろ長時間にわたりお話して頂き、「病気は心の影ですから必ず治ります。ゆには道場に行って練成を受けてごらんなさい。そして我を捨てて童心にかえって教えを受けなさい。そうしたら、きっと元気になって帰られます。私が保証します」と言って下さいました。その言葉を聞きまして、張りつめていた気持が楽になりました。

妻は永く生長の家を信仰していましたが、私も誌友の一人りでしたが、名ばかりで、生長の家の教えが如何(どん)なものかわかりませんでした。柴田講師の言われる通りに素直にみ教えを受けようと思い、妻と一緒にゆには道場に参りました。道場についた時は恰度“祈り合い”*が始まる前でした。先生が、祈り合いの事について、祈る人──祈のられる人の心構えを1時間余りお話なさいました。私はその話を聞きながら“生長の家のみ教えは素晴しいなあ”と感激致しました。祈り合いが始まるので妻が「皆さんに祈って貰いなさい……“神様有難うございます。お父さん、お母さん、ありがとうございます。皆さん、ありがとうございます”──それだけでいいから一心に祈って下さい」と言って呉れました。

皆さんの輪の中に入れて頂き、瞑目合掌して必死になって、“神様、お父さんお母さん有難うございます。皆さん、有難うございます“と祈っておりますと、全身がカーッとなって燃えるような気持になり両目からは涙が止めどなく流れて来たのです。暫くすると背中の方がズキズキと痛みましたが、その後はスーッ痛みが除(と)れ、祈り合いのが終るともう全然病気の事は感じないようになっていたのです。実に不思議というべきことでした。

それから私は嬉しく楽しく、感謝行*の一つ一つに唯「有難うございます」の連発でした。ゆには道場に来てはじめて、神想観、聖経読誦の行事を教えて頂き、毎日毎日が最高の喜びでした。浄心行*、先祖供養の時は、今は亡き父母のことを思い浮かべ、今日までの恩愛の深きを知り、如何に感謝が足りなかったか……又先祖の供養も怠りがちであったと心から深く懺悔致しました。先生は講話の中で心と言葉ということについて話されました。「幸せも不幸も心で描いたことは必ず言葉となって現れ、それが現実化する。それで心の扉を開いて光明を入れ、一切のものに感謝せよ」とのお話があり、ああそうだったのか、と思い、心が変れば一切のものが好転することを解らせて頂きました。

以前の私は唯物論者で神も仏も信じない者でした。生長の家のみ教えに触れて、こんなにも素晴しいものであったかと身にしみて嬉しくて、有難い気持で一杯です。練成より帰りまして医者の診断を受けたところ、病気は完全に癒やされておりました。今何を言ってよいかわからない位感激しております。現在は一所懸命に行事をさせて頂いておりますが、将来もより以上に働かせて頂きます。有難うございます。


 この河原畑さんの体験にありますように、医者が即刻入院しなければならぬと言った程の肺結核が“ゆには”の生長の家練成道場で、10日間の練成を受け、今まで感謝の念が足りなかった事に気づかされ、感謝行を実行しているうちに、その結核が治ってしまったのであります。練成は午前5時10分前に起床し、清掃その他いろいろの勤労奉仕行があり、明るく笑う練習もあり、聖経の朗読もあり、午後10時まで色々の練成の課目が詰まっているので、全く“絶対安静”を必要とするといわれるような肺結核患者にとって、生理学的に考えれば、こんな練成は結核患者が受けるのは無茶だと批判されるかも知れませんが、父母の恩愛を知り、父母に感謝し、先祖の供養を大切にし、聖経を読誦して、その“真理の言葉”によって、人間本来神の子にして病気にかかる筈はないとの自信を得、その自信を深めるために神想観を毎日怠らず実修するとき、朝から晩まで十数時間の練成の行事を続けながら、結核が全治してしまったことが練成から帰って、医者の診断によって立証されたのであります。




歩行不能の脊髄カリエス全治す

また昭和45年4月25日、四国の丸亀市民会館で生長の家の講習会がありました時に、香川県善通寺市上吉田町の大西セツコさん(当時42歳)が脊髄カリエスのために歩行不能になっていたのが、御教えに触れ、自分の心が一転した時、難症が癒え歩けるようになった体験を次のように話されました。

私は、善通寺市に住む大西セツコと申しまして、脊髄カリエス10年の闘病生活を致しまして、今日瀬戸物の外交販売を車に乗りまして県下を走り回って、たち働いておる者でございます。

昭和24年、その頃は花の蕾であった私が某氏との婚約も整いまして、父を亡くした母には、私一人のために全ての嫁入道具をこしらえて頂き、もう晴れの結婚式を待つばかりとなったある日のことでした。もう腰が痛いし、背中が痛いしということで、丸亀の岩本外科の先生に診断して頂きましたところ、「脊髄カリエス、血沈120、絶対安静の病人だ」と言われまして、帰って来る時には、足さえ前に進まなかったのであります。

そういうわけで、毎日毎日、その当時は終戦後、昭和24年のことですから、入院するにも食べるものもなく、そして薬もなく、ギプスベッドを作るガーゼさえなく、8畳づりの蚊帳をつぶしましてそして石膏でかためてギプスベッドを作り、療養生活に入ったのです。

せっかく、整っていた縁談も、そういう訳で已(や)む無く断ってしまい、療養に専念することになりました。そうして毎日毎日が田舎のことですから、納屋の隅に座をあけて、狭い所でもう苦しい悲しい毎日ばかりでございました。そして、病床で考えることは、はかなく消えて行く青春の悲しさと、苦しさとただそれだけで涙もかれる思いでございました。もう少し、私の母に知識があったら、病気に対する知識があったら、私はこれほどまでに悪くはならなかったのにと、母を恨み、母に不平不満を言う毎日でございました。そして、夜、寝間の中で一人おる時には、寝間着の紐で首を絞めてしまいたいほど辛い毎日を過ごしておりました。

こうして納屋の隅で、私の青春も朽ちてしまうのか、もうこのまま死んで行ってしまうのか?と思う毎日でございましたが、ある日のことです。遠山好先生といって、現在地方講師をなさっている先生が、私の小学校時代の恩師でございました。私の病床を尋ねて下さいまして、「大西さん病気はないんですよ。あなたが今悩んでいるのは、本当の姿やないんですよ。病気しているあんたは仮の姿ですよ。実相の真実の存在の実相を拝みなさい。薬を運んでくれる、食べ物を運んでくれるお母さんに感謝したことはありますか?安心して療養の出来る家族皆さんに勿体無い、有難うございます!と、貴女は一度だって言うたことがありますか?」と言われた時、私は本当に今まで、お母さんに不平不満ばかり言うておりました。

その時に鈴木先生といって、その方も地方講師の先生でございますけれど、「貴女は神の子ですよ。神の子完全円満健康なり、神の子完全円満健康なりと、そして毎日仏前に、亡き父の仏前に『甘露の法雨』を誦(あ)げて、何故それをしないのですか?」
と言われた時、私はそれから後2年間、朝に夕に坐れない体を無理して坐り、そして父の仏前に『甘露の法雨』を誦げ、「七つの燈台の点燈者の神示」を誦げさせて頂きました。

そしてそのお陰で私のカリエスは薄皮を剥(は)ぐようにだんだんだんだん良くなってまいりました。そして納屋の北側の隅にたった一つ窓があって、そこから金蔵寺の駅の所が見えるのです。皆勤めに行く人の足が交互に出る。ああ何と素晴らしいことだろう! 私の足が右と左が、交替に前に進んでくれたら私はどのぐらい楽しいか嬉しいか、ただそれだけでいい!と思ったのであります。

ところがその『甘露の法雨』を誦げさせて頂いたお蔭で、自分の心が一転したお蔭で、その私の足が前に進むようになったのでございます。(拍手)乳母車をおして毎日毎日、歩く稽古をしました。ところが近所の人が「あれ大西の娘、死ぬんかしら?と思うたら、乳母車を押して歩きよるわ」と言うて、みんな私のところへ覗きに来ました。私は乳母車を押して歩き、そして歩けるようにになれば、走れるようになり、走れるようになれば、何か仕事をしたいと思いまして、昭和34年頃から、この陶器の販売を始めたのでございます。

ところが、もう一度岐阜に姉が、その陶器を製造しています所へ行って、その陶器の仕事の手伝をしている時に、再び肺結核となりまして喀血をしまして、大井の療養所に入ることになったんでございます。その時は、この有難い谷口先生の御教えを頂いとったお蔭で、私は何にもびくともしませんでした。これですべては終るんだ!その決心がくずれない限り、私は病院に入って、ただの一度だって、悲しい、苦しい、淋しいと思ったことはありません。そして、病院の中で、一羽のカナリアを飼って、2年間療養生活をしておる間に、43羽のカナリアを作りまして、退院する時にはみんなにそのカナリアをあげ、そして看護婦さんにも言われたんですよ。「大西さん、あんたカナリアばかりこうて、部屋の中が臭いから出て行って下さい」そう言われた時、「何言うてんの看護婦さん、私ら患者はお得意さんやないですか、私たちお得意さんがおるお蔭で、貴女は婦長さんになれたのですよ」という冗談をとばしながら、毎日明るい生活をしてまいりまして、そして7年目に四国に帰って参りました。

その時は、たったの30万円のお金を持って新しいホンダの新車を買い、残るとこ幾許(いくばく)もないのに、姉の家から製品を取り寄せて、背水の陣をひいて必死に県内各地を廻りました。ところが、無限供給の原理を知っている私は、女一人の商売でありますが、現在は70万の新車を買いまして、県内をその陶器の結婚の焼き物とか、進物用の陶器とかいろいろ販売して、回っているのでございます。

そして販売する傍(かたわ)ら、この谷口雅春先生の有難い御教えを、一人でも多く、幾多の人に教えさして頂きまして、そして谷口先生のこの有難い御恩の万分の一なりとも、皆さんに知って頂くことによって、私が人様をお助け出来るのではないかと心に念じております。谷口先生、有難うございました。皆さん有難うございました。(拍手)


 このお両人(ふたり)の体験をお読み下さりましたら、どんなに“感謝”ということが病気を治すのに非常な力を持つかということがお判りになると思うのであります。大抵の病気は不平不満足から起ります。多くの病人は、もっと平素から感謝の念を持つようにしていれば、病気には罹らなかったでありましょうし、また罹っていても、もっと早く治っていたであろうと思うのであります。次のような実話もあります。




  十二指腸潰瘍と肝硬変が治る

 それは、やはり昭和45年4月25日の香川県丸亀市民会館に於ける生長の家の講習会の時でした。同県観音寺市本大町1632の荻田清高さん(当時47歳)が次のような、絶対安静を要する十二指腸潰瘍と肝硬変で、医術の見込みがないように宣告されていた重症が、自分の親不幸に気がついて懺悔の涙でワイシャツの襟がぬれるほど泣いた時今までの十二指腸潰瘍で痛んでいたお腹の痛みが突然消えて、それ以来完全に健康になり、絶対安静どころか武蔵野平野を駈足で走ってみたが、何ら体にさわることがなかったという体験を話されたのであります。まことに、聖経『続々甘露の法雨』にありますように、生命の本性は「動」
にして「静」にあらずであります。動いて悪いような結果があらわれるのは、自分の生活のやり方に、又は気分の心の持ち方に、「生命の本性」に随わない何かがあるからで、それを是正さえすれば、いくら働いても走っても、十二指腸潰瘍でも治ってしまうのであります。さて荻田さんの体験談を読むことに致します──


皆さん、有難うございます。(拍手)私は、香川県観音寺市本大町の荻田清高です。神の子人間!の真理を知らない当時の私は、本当に大酒飲みで、毎日毎日酒を飲んで、母や家族の者を苦しめておりました。そういう生活が続いておりました昭和41年の暮近く、とうとう大病にみまわれまして、高松の七条先生の診断を受けましたところ十二指腸潰瘍と肝硬変で「もう既に手後れになっているから、助かるかどうか分らない」というふうに診断されました。

そして、家は火が消えたようになってしまい、途方に暮れていました時、観音寺の生長の家の相愛会の皆さん、諸先生の勧めで、福岡のゆには練成道場へ、練成に参加させて頂きました。そして、村田先生初め諸先生方の本当に愛念こもる御指導をそのまま受けていましたところ、丁度3日目の夜の浄心行の時でした。私は子供が親不幸で、どうしたら孝行するか?と何時も思っていましたら、親不幸は子供ではなしに、実は私が親不幸をしておったことに気がついたんです。そして、「お父さん、お母さん、長い不孝をお許し下さい」そして妻に子供たちに本当に心から懺悔を致しました。生れて初めて、懺悔の涙で、ワイシャツの襟が濡れてしまいました。

そうしたら、不思議なことにそれまで痛み続けていたお腹が、その晩から、ちっとも痛まないようになってしまいました。(拍手)それ以来私は、今のように健康になりました。あまりの嬉しさで感激のあまり、続けて新年から、飛田給練成道場である練成に、参加させて頂きました。「絶対安静で、助かるかどうか分らない」と言われていた私ですが、長期練成の方がおられたので、その方と一緒に武蔵野平野を駈け足をしました。何らさわることがないのです。

そして、徳久練成局長を始め、先生方の本当に愛情のこもる御指導の下に、いよいよ練成も終りに近づいて、9日目の体験発表の時には、300人の皆さんの前で「香川県には熱いお湯の出る本当の温泉がないから、私が帰ったら香川県で一番さきに、本当の温泉を開発します。そして、ここにおいでの皆様を御招待申し上げます」と言って決意発表の出来る人間になって帰って参りました。

“私のようなものが”と思っておりましたのに、私は練成を受けたことによって、“神の子・人間”を知り、「何でも祈りによってきかれるのだ!」ということを決意として発表し、それから帰って来ては、母に家族の者たちにお詫びし、神想観にまた聖教読誦にと、練成を境としまして、私の信仰生活が始まり、何時とはなしに、大酒飲みは止(や)まってしまい、今、一昨年の参議院選挙の日を期しまして、もと中学校在学中から吸っておったタバコも止めてしまいました。 そうして、どこへ温泉を掘鑿(くっさく)すればいいかという位置の選定などの困りましたが、母に相談しまして母が、「ここを掘りなさい」という所へ、去年の7月3日掘鑿(くっさく)を開始致しました。そして私は普通であれば本職の玄人の方に発注するのですが、私のところではメーカーから機械を求めまして私が心(しん)になって掘っておるのであります。メーカーの方も、素人ではということで大変心配されましたが、やはり大神様のお蔭を得まして、そして、そしてダイヤモンドピットで掘るのでございますが、そのダイアモンドピットの切れる量は、全国平均が15メートルぐらいでありますのに、私の家では、「今日はもう切れない」と言いながらも、夜、聖経読誦、神想観をなしてまた明くる日、その錐(きり)で切り始めますと、また明くる日も、同じように切れるのであります。真に、これは家族一同不思議で、「神様があの堅いダイヤモンドの錐を研(と)いで下さるのだろうか?」と言って感謝しながら、掘り続けておりました。

昨年暮れになりまして、素晴しい第一の泉脈にあたることが出来ました。(拍手)そうしてそのお湯を汲んで、近所の方、また家族の者が入りましたら、神経痛とか皮膚病なんかで困っておる方が、もの凄う早く治られて美しい艶々(つやつや)した皮膚になるんです。素晴しい温泉です。そうして、その当時の温度は上へ汲み上げたところで31度で、日本の温泉の規格は25度になっていますが、香川県には、まだその25度というのはなかったので、私の決意発表の如く、神様が導いて下さいまして31度を、香川県で第一番に開発させて頂きました。

して、私はまだ更に、これをもう熱を加えなくても、そのまま入れるようにと思いまして1200メートルまで掘ろう!と全てのものを準備致しまして、現在1048メートルになっております。(拍手)2、3日前に穴の底の温度(法定温度)を測りましたら、48度あまりになっております。(拍手)現在のまま、現在出ている部分だけで、もう仮にやめまして、これを仕揚げましても45度以上のお湯が、300トン以上も汲めるのです。

私は、練成会に参加させて頂きましたのを機に、私の人生は生れ変りました。ゆには練成に参加する時には、お腹の皮が背中へひっついて、そうしていつも無精髭をはやしまして、それまでは無精髭と酒で名を売っておった。それ以来、髭も剃ることになりまして、本当に光明面へ向っております。この上は、早くこの温泉を完成しまして、皆様方にも是非、お出で頂くよう、早く仕上げたいと思っております。(拍手)

なお、近く屋島にも道場が建設されますので、それが完成致しましたら、やはり人間の再出発は、練成会を受けること、練成会に参加することだ!と私は思っております。それで近所の方を大勢連れて行って、この素晴らしい谷口先生の御教えを、出来るだけ大勢の人に伝えたいと思います。(拍手)私の体験発表を終わらせて頂きます。有難うございます。先生、有難うございます。


 このように、心が懺悔によって洗い浄められ、感謝の念に満たされるようになりますと、神の智慧に導かれて希望は実現し事業も繁栄するようになるのであります。




(3)
Pass



Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場から大感謝祭を開催中26日1時59分まで
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板