| [241] マサ&ジュン、(自称)総裁の不適格性の再検証 ―――「生長の家30年暗黒史」刊行時に掲載予定?? <その二> |
- マサ&ジュン「ひととなり」検証委員会 - 2015年08月14日 (金) 09時50分
自称・白鳩会総裁ジュンコ君の深層心理にあるもの・・・それは、左翼的唯物論の現象中心思考である。
男 子 出 産
(平成16年12月号・普及誌「白鳩」発表)
<< 二十一世紀の現代に、男の子を産まなければ女性の価値が認められない社会があっていいものだろうか?―――私の心の中にこんな思いが沸いてくる。日本の皇室は、私の想像がはるかに及ばない別世界かもしれないが、それにしてもと思うのである。
九月六日、秋篠宮妃紀子様が、男のお子様を出産されたのは大変喜ばしいことである。高齢出産に加えて前置胎盤という困難な状況下で、ご無事の出産は何よりの朗報だった。しかし、この慶事に目をくらまされて、もっと核心に触れる問題をおざなりにしてはいけない、と私は強く思う。
皇太子殿下が雅子妃殿下と結婚されたのは、一九九三(平成五)年のことである。お二人の出会いはそれを遡る七年前の八六年である。
報道によると宮内庁が皇太子殿下のお妃候補として、各方面に依頼した仲に「大和田雅子様」の名前があったということだ。そして東宮御所でのパーティーで、それとは知らず雅子様は皇太子殿下と言葉を交わされた。それがお二人の出会いである。
しかし、ハーバード大学を卒業され、東大法学部から外交官の道を自らの意志で歩まれようとされていた雅子様にとって、皇室はご自分の理想の実現できるところとは思われなかったようである。
その後、雅子様は外務省に入省し、一年後には外務省の在外研修でイギリスに留学、二年間を彼の地で過ごされる。その間、マスコミの執拗な取材もあったが、ご自分は皇太子殿下の相手ではないと、結婚の可能性を否定された。
一方、皇太子殿下の雅子様に対する思いは決定的であったらしく、雅子様以外の人をご自分の伴侶とされる可能性を、考えていられなかったようである。
雅子様がイギリス留学から帰国後、二年経ち、皇太子殿下から雅子様に再度お会いしたいとのご連絡があった。それには、雅子様の母方の祖父が水俣病の原因になった「チッソ」の元社長で、お二人の結婚を進める上での障害になっていたのが、直接関係ないという見解がその頃出たことによるということだ。
お二人は何度か会われ、お互いの考えをよく話され、理解し問題点も話し合われたという。そして皇太子殿下の強い思いに答えられる形で、さらには皇室にご自分の理想の実現の可能性を見出され、雅子様は結婚を決意されたようである。(『ご成婚記念写真集』主婦と生活社より)
このような経過をたどったお二人の結婚を、私は多くの日本人と同じように大変喜び、祝福申し上げた。将来の皇室を担われる方が、大変聡明で、しっかりしたお考えを持ち、さらに多方面における経験も併せ持った方であるということは、国民の一人として誇らしく思うものであり、女性としてもご活躍を大いに期待したのであった。
しかし、この時点で、私は皇室について無知だったようだ。そこへ嫁ぐ女性に求められるものが、お世継ぎである男子出産が何よりもの重要事であるということを、現実問題としてよく認識していなかった。
それは戦後生まれのほとんどの人が、共通の思いではなかったかと思う。男の子でなければ家を継ぐことができないという家の制度は、戦後一般の家庭にはなくなった。だから何が何でも男の子を産まなくてはいけないという責任の重さと切実さは、戦後の日本女性からはほとんどなくなったと思う。
少なくとも、私の個人的な経験では、男の子を産まなくてはいけないと感じたことは一度もなかった。幸いにも、男の子が二人続いて生まれたから、女の子がほしいと思ったほどだ。もちろん皇室と一般の家庭とは同じように比べられない。
しかし、「男の子を産むべし」という目に見えない社会的圧力は、私の時代のも残っていたかもしれない。覚えているのは、長男を出産した後、お祝いのお手紙をいただいた中に「男子ご出産おめでとうございます」という文面があり、「あゝ、男子を出産するのはめでたいことなのか」と初めて感じたことである。
また私の母は女の子ばかりを五人産んだが、私の最初の子の出産後、親戚の叔父から「お母さんは男の子を生むことができなかったけれど------」というようなことを言われた。「あなたはよくやった」というニュアンスである。
皇室では、秋篠宮殿下以来、ずっと男子皇族のご誕生はなかった。各宮家の妃殿下方は、男子の出産を望まれただろうし、また周囲の強い願いもあったことと思われる。
それが、皇太子妃という立場の雅子妃殿下の場合は、最大の“責任”であるかのように周りの人々から強く求められたと推察される。
普通の現代人の感覚からいえば、ある女性が、どんなに素晴らしい人格や能力を持っていたとしても、男子を出産することが最優先されるというのは、その女性をある意味では“道具”と見る非人道的態度だと思う。
しかしその非人道性に、私を含めた多くの人が無神経であったと思う。多くの日本国民は、「男子が生まれる」ことに一縷の望みをかけて、あるいはそんなことは「当たり前」と軽く考えて、妃殿下に無責任な期待をかけていたのである。そのような不確実で不合理な状況を改めることも含めて、皇室典範の改正問題が出てきたのだと思う。
たった一人、次の世代の男の子が皇室に誕生されたからといって、お世継ぎ問題は何も解決していない。宮家の数を増やしても、今のままではこれからもずっと皇室に嫁いだ女性は、男の子を産まなくてはならないプレッシャーに苦しむことになる。
あるいは、賢明な女性は嫁ごうと思わないだろう。それは国家の大きな損失であると思う。
雅子様に限らず、皇室に嫁いだ女性が、心に深い傷を負うほどの困難に直面する現状は、国民にとって、特に日本女性にとって不幸なことだと思う。
妃殿下の犠牲のもとに、日本の皇室は存在するという印象を受けるからである。
皇室のお世継ぎを含めた様々な問題は複雑で、私のような門外漢が簡単には論じられないことである。しかし、女性の立場から見て、現在の制度をそのまま維持することは、皇室を国民からいよいよ遠ざけることになるだろう。
皇太子妃殿下はじめ、皇室の女性方が「男子出産」にとらわれず、その素晴らしい能力を充分に発揮され、おおらかにのびやかに、活き活きとご活躍される日が来る事を、私は心から願うものである。 >>
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ジュンコ君の思考力の浅はかさ −−− 白鳩総裁としては、たとえ自称とはいえ完全に不適格であります。
(1)この「白鳩」誌の第三代目・白鳩会総裁ジュンコ君のエッセイを読んだ、ある白鳩会幹部の一人は、怒りに震え、直ちに教化部長の所へ、怒鳴り込んだそうであります。
(2)この「男子出産」なる文章は、旧社会党の土井たか子・社民党の福島瑞穂・田嶋陽子の如き、ジェンダー・フリーの評論家の人が書いたのかと、一瞬錯覚を覚えるものであります。到底、開祖・谷口雅春先生の説かれた日本国の理念を継承した者の文章だとは決して思われないのであります。
当時、教団内では、余りにもキツイ表現であるから内容の訂正をなす必要が一部で議論されたと聞き及びましたが、結局は有耶無耶になってしまった様子であります。
(3)< 妃殿下の犠牲のもとに、日本の皇室は存在する > ジュンコ君のこの表現はけっして許されるべきではありません。 マサノブくんと同様、天皇制否定思想の顕われであり、女系天皇制容認による天皇制の漸次的消滅を期待しているジュンコ君の潜在意識の表れであります。
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