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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[249] マサ&ジュン、(自称)総裁の不適格性の再検証  ―――「生長の家30年暗黒史」刊行時に掲載予定?? <その三>
マサ&ジュン「ひととなり」検証委員会 - 2015年08月15日 (土) 09時29分




平和こそ美しい


(平成19年8月号・普及誌「理想世界」発表)



<< 今年の五月、私は『俺は、君のためにこそ死ににいく』という映画を見た。ときどき買い物に出かける東京・渋谷の駅前には映画館がいくつもあるが、そのうちの一つで上映予定の宣伝ポスターが四月頃から掲げられていた。

 特攻隊の人々を描いたものだが、その題を目にしたとき、この映画は、「左記の戦争で特攻隊として死んだ人たちは、国家の命令や戦争の犠牲者ではなく、後に残る人たちのために命を捧げた」と言いたいのだろうかと、私は思った。

 人間の営みには、個人の生活から、社会や国のあり方に至るまで良い面と悪い面があるのが普通だ。だから、国を挙げて戦争をするとなると、そこには数え切れないほど様々な事象があり、色々な場面が展開されたはずだ。

 悪い部分や醜い面は見たくないのが人情ではあるが、ことさらに良い部分だけを取り上げて強調し、美化しようとする人々もいる。

 映画のポスターには「ここには、無残にも美しい青春があった」という言葉も添えられていたから、私はこの映画には戦争を美化しようという意図があるかもしれないと考えていた。

 ところが五月十二日の封切日近くになると、『産経新聞』には試写会を見た有名人の感想や、監督、原作者、主演女優などのコメントが頻繁に掲載された。それらを読むと、この映画は決して戦争美化ではなく、むしろ反戦映画であるという感想や、監督自身が原作者と何度もぶつかりながら、事実に忠実な映像を作ったというエピソードなどが語られた。

 また主演の岸恵子さんも「戦争を擁護したり美化するような映画には絶対参加したくないから、せりふを何度も変えてもらった」などと言っていた。それらを読んで私は、題から受けた当初の印象とは違う内容かもしれないと思うようになった。

 月初めの五月二日、日本武道館で行われた生長の家の全国大会で、私はまだ見ぬこの映画について少し触れたこともあり、どのように描かれているのかを自分の眼で見、感じなくてはいけないと思ったのである。

 また、新聞などで大々的に宣伝されていたので、混雑を予想して早朝の上映を選んだ。そんなわけで、封切日の朝一番に行くという初めての経験をした。上映時間の三十分前に行ったが、映画館は充分に席が空いていた。観客は中高年が中心で、上映時には映画館の四分の一くらいが埋まる程度だった。

 特攻隊の人々については、私は今まで映画やテレビ、本を介してある程度のことは知っていた。だから、この映画を見ることによって、特に何か新しい視点や情報が得られたことはない。

 いままで見たり読んだりしたものは、特攻隊を理想化し、美化していたものがほとんどだった。この映画にも特攻機に乗り込む息子に父親が「よろしくお願いします」と深々と頭をさげるような場面があった。

 また、「無残にも美しい青春」という宣伝文句が示すように、特攻隊の若者の青春を「美しい」と言っていた。にもかかわらず、今まで私が見たものとはどこか異質な感じだった。それは恐らく、特攻隊の人々を十代の普通の若者として描いていたからと思う。

 特攻隊員といっても特別な人間ではないから、“普通の若者”であることに不思議はない。出撃の土壇場になって妻や恋人との別れがつらく、死ぬよりも生きてできることをしたいと思う人や、死の恐怖に耐えきれずに大声を上げて走り回る人なども出て来る。

 現実の生身の人間としての弱さ、戸惑い、死の恐怖、率直な感情、行動、そんな彼らを送り出す恋人や家族の複雑で切実な思い、それらに焦点を当てて描かれていた。しかし映画全体に、製作者の色々な、ときに矛盾する思いが盛り込まれていたのだろう。何を描こうとしているのか今ひとつ明確でなく、私の心に響くものはなかった。

 この映画を見て、私は知人のことを思い出した。その人は予科練に志願入隊し、戦争末期には特攻機の操縦訓練に明け暮れていた。結局終戦を迎え、出撃することはなかったが、その人が当時の自分の心情を語った言葉には、こうある。

「お国のために死ぬことは、この上もなく光栄であると、真からそう思っていました。(中略)今考えてみますと、まことに不思議なことに、その当時の私の心の中には“敵を憎む”という気持ちは少しもなかったようです。唯、お国のために死ぬのだとの忠義の思いだけがあったようです。死に対する恐怖などは微塵もありませんでした」

この愛国の心情には、心を打たれる。国のために命を捧げることに何の不安もなく、敵を憎いとも思わず、多くの特攻隊の人々は喜んで死んでいったのだろう。
 
 実は私は、戦後生まれで戦争を知らないにもかかわらず、この知人のような特攻隊の人々の生き様にあこがれる少女だった。自分の命を懸けて国を守り、人々を守る。自己犠牲の極致とも言える生き方は美しく、自分もそんな生き方ができればなどと思っていたのである。

 しかしその反面、現実の自分の生活は、自己犠牲とは程遠いものだった。純粋で現実を知らず、ただ格好良い生き方にあこがれていただけなのだと思う。

 やがて私は少女から大人になり、自己犠牲を求める生き方は、自分も相手も不幸にするのだということを教わった。誰かが犠牲にならなければ生きることのできない世界は、本当はあってはいけないからだ。

 そして本当に尊い生き方は、形の格好よさではなく、地道に自分の毎日の生活の中で、何か人のためになることを心がけて生きることだと知ったのである。それは安易な道ではなく、不断の努力の道である。

 戦争という特殊な状況で、命を懸けて国や人々を守ろうとする生き方は一見“美しく”思えるかもしれないが、その先にあるのは殺し合いの世界なのだということもわかった。

 本当は、こうして今私たちの生きる世界が平和であることが一番美しいのである。そのことを心から感謝しなければならない。そして、この平和がいつまでも続くように、私は平和のために自分のできることを力一杯していきたいと思っている。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



<注目点>

1、 ジュンコ君は、開祖・谷口雅春先生の御本を全然読んでいないかのような文章であって、左翼的唯物現象論に終始している。自称ではあるが、白鳩総裁として一体何を勉強して来たのかと問いたいのであります。

2、< 戦争という特殊な状況で、命を懸けて国や人々を守ろうとする生き方は一見“美しく”思えるかもしれないが、その先にあるのは殺し合いの世界なのだということもわかった。>と書いているが霊的観点からは何もわかっていない「生長の家」落第生であります。夫婦揃って「自衛隊は人殺し集団」と言いたいのであろう。

3、 具体的に、共産中国が尖閣諸島に局地侵略戦争を仕掛けて行動に移した時、ジュンコ君はどうしろというのか? 答えられないであろう。しかし答えてもらわねばならない。如何でしょうか、ジュンコ君・・・









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