| [250] 「宇治の大祭」には行きませんが、ご先祖をお祭りするその人の ≪気持ち≫ が大切である |
- サーチャー - 2015年08月15日 (土) 13時50分
<トキ掲示板(「教区会員」板)>
2512 :トンチンカン:2015/08/15(土) 13:13:43 ID:gJyKhqbg
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 「お寺さん」のお参りもあり、『墓参り』も済ませました!!
「宇治の大祭」には行きませんが、ご先祖をお祭りするその人の ≪気持ち≫ が 大切であると思っております・・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・思えば母親は、毎年『宇治の大祭』を欠かすことはありませんでした・・
・体裁だけを繕っている『トンデモ総裁』の、御霊に対する気持ちが入っていない 、そのような大祭には参加したくありません!!
(参考) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 霊界には悟らずに苦しんでいる「迷霊」が多数にあり、読者の祖先の霊魂の中にも そのようにまだ悟っていない霊魂があるかも知れないのである。随(したが)って そのような霊魂を悟らしめて、霊界における祖先の霊魂の苦痛を解脱せしめてあげ ることは、子孫たるものの当然行はなければならない義務であり、それを行ふこと によって祖先の霊魂が救われる時、祖先と子孫とは霊的につながって一体であると 云う原理により、子孫が健康になったり、運命が好転することもあり得るのである。 (生命の實相) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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