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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[3146] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第9回
信徒連合 - 2016年05月09日 (月) 09時34分




開祖・谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――


@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』

A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』

★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。

******************




<再掲載> 


インターネット道場


「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 


第9回




小林春恵先生 「山新田のおかか」 
(「わが信仰の旅路」より)




<その二>




 おかかの母親

 ところが、小出さんの母親は、どういうところから嫁に来た人かというと、神主の娘なんです。神主なんていうのも、坊さんなんていうのも――私も坊主の子だからそうですけどね――何も難儀しないで、毎日、歌よんだの、発句よんだのというて、あっちの方から花がパラッと散りました、こっちの方からもみじの葉っぱ落ちたなんて言うていれば、人があげた米やお金で楽々として生活している。例外はあるだろうが、私の考えでは、“焚くだけは風が持て来る落葉かな”で、暮らしているのが大方の坊さんとか神主だと思う。

その神主の娘が、小出さんの母親になって来るんです。
 その神主さんも欲張りだったと思うんですよ。藤七の家の財産をみて、娘をくれたんだろうと思うんです。
 
 ところが、今言うた通り、もう何がなんでも働かなければダメだ、何でも金が貯まらねばダメだという家ですから、まるでもう牛馬にも等しい程の使い方をするわけです。それで、小出さんの母親は、もう辛くて、辛くてならないから、毎日、不平と不満たらたらで、何のためにこげんとこ来たやら、何のためにこんな目にあわされるやらと思って、切ない思いで暮らしているわけです。そんなような、悲しい悲しい思いをしていたのが、小出さんの母親であるわけです。この母親が、小出さんとその姉を生んだのです。

 この母親は、本当に難儀したんですね。おばば――姑さんに「今日はとっても背中が痛くてどうもならんから、ちいっとばっか、休ませてもらえんだろうか」って言うと、おばばの目の色が変わってしまう。そうして、その姑から、「休みたければ休みやがれ、この貧乏神が」って言われる。そんなに怒られて言われたんでは、休むにも休まれるものではない。そんなにして仕事をしている。

 だから、このおっかさんの願いは、何だったかというと、「何もこの世に願いはないけれども、医者にかかって三日でもいいから楽々と寝て死にたい」――これが小出さんのおかあさんの深い魂の願いだったんです。

 そんなわけで、小出さんが姉婿と結婚して、姉の残した子供を育てるようになって、ちょうど、小出さんが十九歳の時だったそうですが、この母親は亡くなるのです。




 恨み、悲しみの業の自壊

 さて、次の話は、この母親が亡くなる一ヶ月前の時期から始まります。

 小出さんのおじいさんとおばあさんは、いつの間にやら、七十七歳の喜寿の祝いを迎えたんです。新潟県の田舎に、喜寿の年を迎えるとせがれに遺産を渡すのいうならわしがある。それをしないと、周囲の人から、欲が深いように言われ、バカにされる。それで、欲張りのおじいさんとおばあさんも仕方なく、おじいさんの財産の名義を小出さんの父親の名前に移したわけです。

 そうしたら、その時から、いろいろの人々の憎しみの感情が、怨嗟(えんさ)の感情が、誘惑という形になって現われて来ました。それは、村の若い者が小出さんの父親に誘いかける。

「おいおい、藤七の親父、じじとばばから財産渡されて、いったい金の使い方なんて知っているのかい。おまえ、金の使い方なんて知らねえんなら、芸者の顔見て、目をむいてひっくり返ったなんて言われねえように、気いつけねばいかんで」って、村の若い者たちが、そういう風に言ったそうです。

 そんなこと言われたって、相手にしなければそれでいいのに、「何こいてけつかるや」って、小出さんの父親は、その村の若い者たちの言葉に引っかかって行ったんです。
「おまえたちは、芸者なんていえば、四畳半かそこらの遊びだろう。おらは、芸者あげるとなれば総あげだわい」――そう言ったんです。

「そりゃあ、口では何とでも言われるわい。本当に総あげするのか」「おお、ついて来てみい。総あげしてみせる」ということで、村の若い者を連れて町に行き、八十何人の芸者を総あげした。もう夢中になって、底抜けに遊んだ。「みんな、飲め、飲め。おらが金使えば、これぐらい何でもない。誰がこんなマネできるか」って言うわけです。

 ところが、芸者屋も藤七の家が金持ちだということを知っていますから、安心して飲ませるわけです。そうして、ジャンジャンと飲んでいるうちに、村の若い者が、ポロポロポロポロと一人帰り二人帰りして、みんな帰ってしまう。小出さんの父親だけが一人残ったわけです。さあ、一人になったことにきが付くと家の親には小さい時からいじめつけられていますから、こんなに金を使ったなんて言ったら、どんな目にあうかわからぬ。殺されるほどの目にあわされるかも知らんと思うと、家に帰るのも面倒くそうなってしまった。

「ええい、このまま続けて居ていけ」というわけで、居続けに決めてしまった。 そうすると、今度、その欲張りのおじいさんとおばさんが、誰にあたるかというと、小出さんの母親にあたるわけです。小出さんの母親は「あんたが、あそこ痛いの、ここ痛いの、頭痛いの、尻痛いのって年がら年中言うて、苦虫かみ殺したような顔ばっかししているから、だから、親父が金を使い始めた。親父がこんなになったのは、あんたのためだ」と舅姑から言われる。夫は帰って来ない。そうして、晩がた、田圃から帰って来ると、舅姑から、「親父、迎えに行ってこい」って言われるもんだから、夕飯も食べないで家を出る。家を出る時に、漬物桶からタクアンを出して、そのタクアンを家の前を流れている小川の流れで洗い、それをかじりながら、二里有半の山坂を下って、町へ自分の夫を迎えに行くわけです。
 
 ところが、小出さんの住んでいる村は、昭和三十年にやっと電気がついたほどの深い山の中です。きっと、昔、平家の落人でも入っていったんだろうと思うんですよ。そうでなければ、あんな不自由な所に人間が住んでるはずはないと思いますからね。そんな山の中から、小出さんの母親が、町の料理屋へ行くと、そこには煌々と電灯がついており、九尺もあるような広い廊下には、沢山の人が行き交い、廊下にそれらの行き交う人の影が映っている。そんな様子を見た小出さんの母親は、もう気おくれしてしまって、「うちの親父いないかね」なんて言って、料理屋へ入って行くことができない。だから、あっちの路地へまわったりこっちの路地へまわったりして、夫が居ないかと垣根越しに中をのぞきこむわけです。そのうちに、犬が吠えたりすると、もう恐くてそこに居たたまれなくなって、悲しい思いを抱いて、また村へ帰るわけです。

 そんなですから、まるで体はカンナにかけられたように、どんどんどんどんとやつれて行くわけです。まるでもう、筋肉をカンナかなんかにかけて、とられるような生活です。




 母親の死

 そんな生活の中に、この母親が死ぬ朝が来ました。もう目があがったとみえて、朝、起きても、何も見えなかった。それで、「おばば、おらどうしたんだろうかね。目が何も見えねえんだけども、今日は休むと悪いかね」って言ったら、「休みたかったら、休みやがれ」と、おばばはもう腹が立って、仕方ない。そう言われると、小出さんの母親は休むわけにゆかない。地獄の責めぎにかけられているような思いですね。

 小出さんの家の前は坂道になっているんですが、そこをどうやって下りて行ったのかしらんけれども、衰弱して、目の見えないっていうこの人が、村の方へ下りて行ったのです。そしたら、村の者が見つけて、「あれ、藤七のかか、おめえ、バカに変な顔してるでねえか」って、言う。「おら、今朝から目が見えねえんだ」と言うと、村の者が、「目が見えねえなら、おめえ、休めばいいやんね」と言う。

 母親が、「おれ、ばばに言うたども、ばばに怒られたから出て来たんだ」って言うたら、「おめえ、ばばになんか言うから悪いんだ。タケに言えばいいんだ。タケに言って、おめえは、どっかに隠れて、休んでいればいいやんか」と言われた。「タケに言え」との言葉に、自分の子供のことを思いだした。そして、タケに話そうと思って、早く、家へもどろうと、家への坂道を登ったわけです。

 母親のいのちの絶える時ですから、親と子だからわかったんでしょう。小出タケさんはその時、家の庭で、はぜかけをしていた。秋になりまして、木と木との間に縄をはってそれに稲をかけますが、これを新潟県でははぜかけと言います。そのはぜかけを小出タケさんは一所懸命やっていたんです。そして、何気なしにふっと後ろを見たら、自分の母親が、バタッと倒れたわけです。
 おかか――小出タケさんの家の前にちっちゃな川が流れているのです。いつもはそれをまたいで渡っているのですが、もう力が無くなっていたとみえて、母親は、その流れをまたぎかねて、流れの中へ倒れてしまった。小出さんは母親が起きるかなと思ってしばらく見ていたが、起きないので、大急ぎで母親の所へ行って、「かか」って言った。だが、母親にはもう答える力はないの。下顎がカクッカクッて言うているきりなんです。

「かか、タケやで、タケやで」って小出さんが夢中になって言うんですが、もう母親は何も答えることが出来ない。せめて死ぬ時ぐらいは、三日でもいいから楽々とふとんの上で医者にかかって死にたいという魂の願いもかなわず、生長の家も何も知らないこの人は、家の中の運命を変える力もなく、倒れていってしまうのです。こうして、死ぬわけです。



 父への憎しみ

 妻が死んだんですから、さっそく料理屋へ使いが行ったわけです。小出さんの父親も帰らないというわけにいかないで、家に帰って来ます。もしその時、父親が、「苦労させたな、勘弁してくれ」とでも言うたら、それは悲しい芝居にならないんだけど、やっぱしそういう風にはいかんのだね。

 それで、どういう風になったかと言うと、父親は、芸者の写真をパッとなげて、「オナゴの一人や二人死んだって、ビクビクすることはない。世の中、男半分、女半分だすけの。そげんなオナゴの一人ぐらい死んだって、こっちはなんともねえ。おら、こん通り好きなのがいるわい」と言うた。

 その時、小出さんの五臓六腑の底へ、「母を殺したのは、この父なんだ」という思いがしみつきました。そして、「ああ、おめえみてえのは、親でもなんでもね。かかの葬式のところへなんていてもらわなくたっていい」って言った。小出さんは家つき娘ですから、そう言ったわけですよ。

 ところが、父親は、「ああ、いなくていいならいないわい」と言ってまた、芸者の所へ走るわけです。このように、小出さんは、悲しい悲しい思いをしているわけです。

 ある日、それは母の三十五日も済んでいない時、小出さんは用があって町へ行ったんです。そうしたら、ちょうどその日は、お祭りの日で、屋台がたくさん出ているんです。そうしたら、「藤七のダシが来た」という声が聞こえたのです。藤七というのは自分の家の屋号ですから、小出さんは何気なく、その声の方を見たんです。そうしたら、母に死なれて悲しくて、涙も乾かないでいるっていうのに、父が豆しぼりの手ぬぐいをキッと結んで、屋台の上にいる。それも、町内全部揃いのユカタをつくってそれをみんなに着せ、踊りの達者な芸者に屋台の上で踊らせ、自分は、トコトントコトンと樽をたたいて上機嫌なんです。

 それを見た小出さんは、歩くには歩いていたのですが、電信柱の二本ぐらいの間は、そこら中が見えなくなったそうです。あまりに悔しいやら、悲しいやら、切ないやら、情けないやらで、電柱二本ぐらいは、わけがわからなかったそうですよ。人の顔も何も見えなくてね。それで、小出さんは、二里有半の山道をオイオイオイオイと泣きながら家へ帰ったんです。

 それから、小出さんの父親は、町に家を建て、その若い芸者をちゃんと請け出して、楽々として暮らすことにしたんです。けれども、そんな若い芸者には、山猿みたいな小出さんの父親に何の魅力があるわけがないですよ。お金があるから請け出してもろただけで、請け出して所帯を持つといっしょに、別の若い男と逃げて行ってしもうた。それで、小出さんの父親は結局そこで捨てられたわけです。それで、家に帰って来るわけです。

 ところが、家に帰ると、親類の者たちも後添えをもらわんばならんということで、五十にならない、まだ四十幾つの父親ですから、後添えをもらうことになりました。先夫に死なれて、二人の連れ子をした四十位の人が、小出さんの父親の所へ後添えに入って来た。

 ところが真理を知らない小出さんのおばあさんは、小出さんに「タケや、絶対油断しんなよ、あのな、後家なんて自分の生んだ子でもなければ、かわいいなんてことは絶対にないんだからね。どげん、やさしげなこといったって、後家なんか、全部腹の中嘘なんだからね。決してだまされるなよ」って言うて聞かせたというんですよ。私らの方では、後添えの事を後家というんです。
 そんな家庭の雰囲気の中に子供を二人連れて来た後添えの人はおさまっていられるはずがないですよ。それで、この人は、そのまま家を出て行ってしまうんです。

 小出さんの父親も、そんな家の中の雰囲気がおもしろくないものだから、そこに居たたまれなくなって、その後添えの後を追って出て行くわけです。

 父親は、家を出て行く時に、おじいさんとおばあさんが盆もなければ、正月もなければ、節句もないと働いて働いて稼いだ財産であるあの杉山の木を全部伐って、それを材木屋に売ってしまった。また、蔵の中にあったものも売り払ってしまい、二度とここへは帰ってこないのだからということで、山畑の一町三反、それから家、屋敷それだけを残して、その他の金になるものは全部金にしてしまって、それを持って町へ行き、後添えと一緒に本当に裕福な生活をするわけです。



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