| [3158] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第10回 |
- 信徒連合 - 2016年05月10日 (火) 08時06分
開祖・谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――
@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』
A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』
★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。
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<再掲載>
インターネット道場
「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々
第10回
「わが信仰の旅路」 本部講師 小林春恵先生著
山新田のおかかのこと <その三>
夫の蒸発
ところが、その後、今度は、小出さんの夫が、毎日、小言をいうんです。 「婿ぐらいつまらんもんはない。おめえの親のために、財産をみんな持っていってしまわれて、今まで働いたのはみんな無駄働きであった」 小出さんは、自分の父親のために、夫から、そういって責められる。
そして、とうとう小出さんの夫は、小出さんの生んだ子と、姉の生んだ子を残して、そこから、八十歳を過ぎたおじいさんとおばあさんを残してどこかへ行ってしまった。それで、小出さんは、もしかしたら山を越えて自分の生まれた家に帰ったのではないかと思って、背中に一人をおんぶして、もう一人の子供の手を引いて、夫の実家へと行ったのです。
夫の実家へ行ってみると、夫の母親が出てきて、夫はここにいないという。一度、ここへ来たが、もう山新田へは帰らないと言って、どこへ行くとも言わずにすぐに出て行ったとのことでした。そして、こうなったからには、今はもう縁が切れたも同様だから、おまえを家にいれることもできんし、孫も家にいれることはできないから、このまま帰ってくれと言うわけです。
小出さんはやむを得ず、フクロウがぽーぽーと鳴くような中を、星影をたよりにしてね、二人の子供をつれて山新田へ帰って行くわけです。
家に帰って、小出さんは、おじいさんとおばあさんに、夫の実家に入れてもらえなかったこと、夫はもう山新田へは帰らないと言ってどこかへ行ってしまったということを、泣き泣き報告したんです。
そうしたら、おじいさんが、「タケ、おれは食うものも食わないで、着るものも着ないで貯めたが、それは、死ぬ時に持って行けるものではない。貯めたものは全部子孫に残すほかはないもの。そのようにして真剣になって働いて来たもの全部、わが息子のために、みんななくされてしもうた。おまえは親のために泣くし、おれは子のために泣くんだ」って言うんですよ。
そのようにして、夫の出て行った後、小出さんは、八十幾つのおじいさんとおばあさんを相手にしてね、山畑一町三反しかないんだけど、百姓を一所懸命やっていたんです。そうしたら、それから、三年ほどして、夫から手紙が来たのです。
その手紙には、「おれは、おまえの父親のために財産全部持って行かれて、こんなはかない生活は嫌だから、何とか自分で自分の生活を成り立たせたいと思って、今は東京で、運送屋に勤めて一所懸命に働いている。生活は大丈夫、出来ると思うから、子供達を連れてきてほしい。おれは、村までは帰れないが、長岡の駅まで迎えに行くから、そこまで子供達を連れてきてくれ。子供達を父親無しにするな」という意味のことが書かれていました。 小出さんは別に夫に未練があるわけでもないけれども、子供達を父親無しにしては、母として面目無いと思ってね。考えて見れば夫が悪いのでもない。夫は婿養子に来て、働いても父親にそんな目にあわされて、本当に張り合いがなくなってやったことなんだからと思うたのです。
そして、おじいさんと、おばあさんはかわいそうでしょうがないけれども、一町三反あれば、何とか誰かに頼んででも食べるだけは食べていけるのではあるまいかと、そういう算段をたてて、小出さんは、こそこそと、東京へ行くための荷物の準備をしていた。
そしたら、おじいさんとおばあさんは、その様子に気がついて、「タケや、何してるんだや」と言ってたずねたのです。小出さんは、自分の夫からこういう手紙がきているんだといって、その夫から来た手紙を見せたら、おじいさんとおばあさんはビックリしてしまった。
そして、その時、おじいさんが、「このおじじとおばばは、もう八十過ぎてこの先、何年この世にいる約束があるかわからん。けれども、今おまえに行ってしまわれて、そうして人から死骸を始末してもらうのでは、おらたちはあまりにもみじめだからな、ばばと二人で今日井戸の中へ飛び込んで死ぬから、その死骸を始末して、後に心が残らんようにして、子供を連れて行けな」と言ったんです。
そうすると、小出さんもまさか、「ほれ、そうするなら、じじもばばも、はようそうしなさい。おらまだ出発の準備もあるで」と言うわけにもゆかない。やっぱし、死出の旅となればねえ。それで、「待ってくれ、待ってくれ、親類衆に相談しよう」ということになった。
それで、親類衆に集まってもらって、相談したところ、「一町三反の畑は長男の名義にして、家屋敷は家付き娘であるタケの名義する。そして、父親は準禁治産者として、これか先帰って来ることがあったとしても、家の財産には一切手をつけられないようにする」ということで、夫に帰って来てもらおうということになった。「おまえの妻とおまえの子供の財産にするのだから、親父が帰って来たって、どうにもならんのだから」とういので、親類の人が小出さんの夫に話をして、夫に帰って来てもらったわけです。
ところが、小出さんの悲しい人生はまだまだ続いていくわけなんです。それから、夫は、「おまえの親父にみんな使われてしもうた。親父がみんな財産なくしたので、貧乏になった。村へ帰っても、あんな山持だったのに今の状態はどうだこうだと村の衆から言われて、おらは恥ずかしくてかなわぬ」と言ってね。まあ、二言目には「おまえの親父のためにこうなった。親父のためにこうなった」と小出さんは、夫に言われるんです。
小出さんは自分の父親が悪いということは万々知っているけれども、二言目には「おまえの親父のために」と言われると、なんとなく親と子の世界は妙なもんでね。やっぱり、小出さん、自分の夫を恋しいと思わんのです。そんな風に、自分の父親の悪態をつかれるものだから、親の悪口をいわれるとなると、身が寸断される思いがする。
それからは、夫は、田圃から稲があがると、一年間食べる分を残して、後は全部、米屋に渡して金にかえてしまう。そして、そのお金を小出さんに見せないで、貯金しておくんです。
そうこうしている間に、子供達も大きくなっていきます。姉の生んだ長男も、青年になり、昔のことですから、兵隊検査があるんです。その時に着て行くのに、また、嫁をもらうときにも、紋付きの羽織、袴がいる。それで、呉服屋にたのんで、長男の紋付き羽織、袴を売ってもらったが、夫は、お金を貯めこんでしまって、支払いのためのお金を出してくれない。そんなもんだから、小出さんは面目なくて、呉服屋にたのんで支払いをすこし待ってもらい、夜も昼も帯も解かずにゾウリ作りをして、支払いのためのお金を作ったんです。また、かわいい娘にも下駄を買ってやりたいと思って、小出さんは、働いたんです。
ケンカのたえない家
そんな悲しみの生活の中に、月日は過ぎて行きました。 十七、八年たった頃に、町へ出て、思う存分ぜいたくの極みを尽くしていた親父と後添えの母親は、二人の連れ子に死なれてしもうて、そして、金も使い果たして、六十過ぎて、家に帰って来るのです。それも、町が配給になり、食べ物が無くなって、人がみんな田舎へ疎開するという時分にですよ。小出さんは、家には寄せたくないとは思ったんですが、そういうわけにもゆかず、二人を家に寄せたんです。 烏が鳴かない日があっても、小出さんの家には、争いの起こらない日はなかった。あたりまえなら何ともないことが、全部ケンカの種になる。そこへ置いたのどこへいったろか、なんて言ったら、おら取ったてか、とこう言ってね。何ともないことが全部ケンカの材料になるわけです。そして、ちょうど、今、これからお墓参りに行きましょうという時に、小出さんの親父と夫がケンカして、ビールビンでなぐり合いをして、頭が血だるまのようになったわけですよ。そうして村の衆らに来てもろうて大騒ぎした。その後に、娘の盲腸が起こった。 ところが、神様はね、そのどん底から小出さんを救うてくれるわけですよ。生長の家の素晴らしい教えが、やがて小出さんの運命を素晴らしくするんです。
恨みの念は孫子まで
まあ、そういうわけで小出さんは私んとこへ来たんです。そして、悲しみの思い出を話した次の日に、小出タケさんは、小便たれの娘を連れて来ました。 私は、その娘に、「あんたは神の子だから、家の中にどんな争いが渦巻いていようとも、神様の子は神様の法則の中に生かされていて、絶対に家庭の雰囲気によって汚されるということはない。神の子だから、神の法則の中にだけ生きて、決して家庭のいざこざによって自分が犯されるということはない。だから、あんた、もう今夜から、間違ごうても小便なんかたれない」って言うたんですよ。 その夜、帰るにも家が遠いもんだから、小出さん親子は私の家に泊まることになったんです。それで、私は、家の中で一番良い銘仙のふとんにその娘を寝かせてやった。 ところが、小出さんは心配して、「先生、そげの良いふとんに寝かせたら、寝小便たれたら困る」って言うんです。それで、私は「この娘は親孝行で、長い間親の変わりになって小便たれて来ただけの話で、そんなもの心配いらん。もう今晩からたれないからなんも心配しんかっていい」って言ったんですよ。そして、その晩から、娘は寝小便をたれなくなった。それっきり治ってしまったんです。 それでおかかは喜んで、これで万事終わりと思ってね、つまり私んとこへ来た目的は果たしたと思ってね、「おおきに、ありがとうございました。おれ、今度米がとれれば、親父に見つからないようにして、米を持っておまえさんとこへお礼にあがる」って言うわけですよ。 それで、私は「何を馬鹿なことを言うとるか。そんなことのために、私が生長の家を説いたと思うているのか。まず、おまえさんがしなければならないことは、そのおじじとおばば、後添えであろうとも、母の座に坐った人を許し、仲直りしなければならぬ」って言ったんです。 八十歳を過ぎていた小出さんのおじいさんとおばあさんは、この時にはすでに亡くなっていて、この頃は、親父と後添えの母親のことを、おじじ(おじいさん)、おばば(おばあさん)と呼んでいます。 「あんたは、財産使ったと言うているが、人の財産なんて使われるものではない。それは、滅びるべきものであったから消えて行った。あんたは、財産だと思っているが、それは財産ではない。今売れば千円に売れるのを三百円の担保に取られたという七百円の悲しみ一一担保に入れた人達の悲しみが、そこへくっついている。取られた、取られたというみんなの悲しみが、あんたの家の財産の顔をしているだけや。それが、あのおじじとおばばがその遺産をあんたの親父に譲った時に、それまで支えていたどん欲の手がはずれて、崩れていったんだ。 第一、あんたの母親が、食うもんも食わんで、着るものも着ないで、休む日も休まないで、金を貯めるために働きを強いられたから、財産なんかいらないと思って、いくら財産を呪っていたかわからない。だから、あんたの母親だって霊界から、手伝ったんだ。だから、あんたは決して後添えの母親と自分の父親が組んで財産を無くしたなんて考えを起こしてはならない。 財産なんてものは、家庭の中が仲良くなって、みんな調和してくれば、おのずからちゃんと貯まるものだから、心配は要らない。神様なんてものはね、ちゃんと、空を飛んでいる鳥でも養って下さるんだから、ましてや、人間を放ってなんかおきなさらん。人間がただ受けるだけの波を起こしていないところに間違いがある。だから、あんたはまず父親を許さなければならん。そうでないとおまえさんが幸せになれない」 私がそう言ったら、小出さんが、 「いや、これだけ不幸せになったんですから、いまさら、じじとばば(父親と後添えの母親)を許して、おれは極楽へ行ったり、幸せになったりしなくても良い」って言うんですよ。その言葉にはさすがに私も、あきれてしまった。 それで、私はおかかに「ああ、そうかね、そうかね。許したくないなら許さなくてもいい。おまえさんが、そうやって責めていると、『争いの念波は神の救いの念波を能(よ)う受けぬ』ということだから、おまえさんの子供も孫も、ろくな目にあわんでね。おまえさんぐらいろくでもない先祖は無いということになるわ」って言ったんです。 さすがのおかかも、争いの念波は孫、子に及ぶというこの言葉は切なかったらしい。それで、何としてもおじじとおばばを許そうと思うようになったんですね。 ところが小出さん、おばばを許そうと思ってもね、おばばの居る部屋の前の廊下を三年間も通ったことがないって言うんです。それに、おばばは三年間もリューマチで、体中が痛くて「痛い、痛い」と言って寝てる。小出さんの父親であるおじじはもう七十近くなっているんですが、おばばの世話をしている。ところが、おばばは「痛い、痛い」と言っているものだから、おじじも腹を立てる。腹を立てながら世話をしているんですね。どちらも怒り怒りして暮らしている。それは、まるで、地獄が小出さんの家に住んでいるような状態でした。 私は、「それでは絶対幸福になれないんだよ。生長の家で教えているように、感謝しなければならない。いろいろな形をもって現われてくる人は、そういう役割をもってあんたに何が本物であるか、何が本当であるかを教えるために現われて来ているんだ。おばばを許せ、許せ」って小出さんに言ったんです。 それで、小出さんは、その時は、「はい、はい」と返事して、許そうと思いながら帰って行きます。 ところが、許したつもりで二里もの道を帰るのですが、家が見えて来ると許す心はどこかへ行ってしまうんですよ。あのおばばのために、あの山も裸になった、この山も裸になったと思い、恨みの心が消えないんです。そんなことが何度かありました。 ある日、私は、小出さんに、「おまえさん、おばばを許さないなら、これからは私の所へ来ないでもらいたい。私は、おまえさんが幸せになるようにと教えているのに、私の教えていることをちっとも取り入れていない。そして、おらは先生大好きだ、先生大好きだって言うが、大好きな人の言うことは聞くもんだよ。私と言うことを聞かんから、おまえさんの言うその大好きは、嘘だ」って、強く言ったんです。 小出さんは、夫からは年がら年中、何のかのと父親のことで言われるし、家の中では後添えのおばあさんは病んでいるし、父親はもう怒ってケンカばかりしているから、おかかは私を恋しかったらしい。だから、私に嫌われたのでは、小出さんは切ない。それで、今度こそ必ず許そうと覚悟したんです。
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