| [3234] 『新編・生命の實相』にクレームをつける人たちに一言申し上げる! |
- 武蔵坊弁慶 - 2016年05月15日 (日) 22時23分
『新編・生命の實相』の発刊に対して、色々とクレームを付ける人達が後を立たない。最近では、――
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=5127 を見れば、
* 『新編 生命の實相』の完成は、平成37年から38年です。今から約10年後、70歳〜80歳の老人は霊界移行してしまいます。
* 『新編』は文字は大きいが、かえって読んでいてまどろっこしく読みづらい。また文字が大きいと、幼稚な印象を与えるのでは?
* 頭注版以前の生命の実相は、文字は小さくとも、2千万部以上の販売実績がある。『新編』『頭注版』を並行してなぜ出版できないのか?
* 肝心なことは、今、『頭注版』全40巻を刊行すれば、今、救われる人々があることである。今、救われるべき人々が現象的に今、救われる機会を奪われている。
* まとめて出したらいいのです。まとめ売りして、読書会をしたらいいのです。
* 頭注版はもう出せないのですか? 本屋さんでは売れないのか?ってことです。
* 頭注版全40巻を現在、刊行できない理由を知りたい。ただたんに金銭の問題なのか?
このようなご意見が書かれているが、すべて自分の個人的好悪の観点から考えてのクレーム意見である。このような個人的意見を申し述べる人たちは、次のような事柄をどのようにお考えなのだろうか?
@ 一般的に考えて、文字の大きい方が読み易いことは確かである。昔の新聞の活字は今の新聞の活字に較べて小さかった。文字が大きくなって非常に読み易くなったと云うのが大抵の人の感想である。“幼稚な印象を与える”なんて「反対のための反対意見」にしか過ぎない。
A 『生命の實相』は、頭注版発刊以前にも、ケース入りの「豪華版」や「布製携帯版」、「特性ビニール表紙携帯版」があった。小生が『生命の實相』を購入した当時は、「頭注版」は第27巻までしか出版されていなかったので残りは「布製携帯版」を買った。当時の「頭注版」は印刷の活字の色も薄かった。「頭注版」に代わる新しい版を出版して欲しいと信徒からの要望も当時の日本教文社へ寄せられていたが、マサノブ君の反対で出来なかったように聞いている。英訳『生命の實相』も全40巻完成したが、これもマサノブ君の「その必要なし」との一言で、日の目を見ず、本部の翻訳担当課長も退職した。マサノブ君はこの頃から『生命の實相』を疎んじていたのである。
B そしてマサノブ君は『生命の實相』を亡きものにせんとの戦略から、著作権料を故意に「生長の家社会事業団」に支払わず、裁判を通じて『生命の實相』の著作権を取り戻して、自分の支配下において“絶版”にしようとして著作権裁判へと巧みに誘導して行ったと思われる。しかし、裁判では完敗した。この裁判を戦ったのは資金的にも全く不十分であった熱心な脱退幹部の皆さんであった。その“薄氷を踏む思い”を一連のクレームをつける人たちは理解できないであろう。傍観者は批判は出来ても、当事者のことを慮る配慮はない。自分も当事者の仲間入りなどは考えないで、安全なところから“試合”を眺め、あ〜だ、こ〜だと批判するだけである。
C もしも、『著作権裁判』で勝訴していなければ、今頃は『生命の實相』は“絶版”になっているだろうし、マサノブ君は、全国の書店から『生命の實相』の在庫を引き揚げていたことだろう。それが、裁判費用のこと、その他薄氷を踏む思いで、ただ『生命の實相』を守る強き一念を貫き通した元・幹部緒氏に対してその功に感謝を捧げるべきと思う。
D 新編『生命の實相』の全巻出版完結は、平成37〜38年くらいまで掛るから、「頭注版」と一緒に出して欲しいという人は、出版予算がどのくらい掛るか、果してこのことを考えているのだろうか。我々は常に“当事者意識”で考えなければならない。傍観者の批判は要らないのである。もっと早く『新編』の出版をせよ!というのであれば、残りの出版資金をその人は拠出して然かるべきであろう。それが出来なければ、反対のための単なる批判は慎むべきである。
E 平成14年に『ときみつる会』と『谷口雅春先生を学ぶ会』とが出来た。何れも、このままでは『生長の家』は滅びる、何とかしなければという切実な思いで、宮澤潔先生と中島省治先生とお二人を支える僅かな人数の人達が立ちあがったのであった。そして、これも資金的には薄氷を踏む思いで、強き信念を継続して亀の歩みの如くであったが着実に脱退信徒さんの受け入れ場所として存続してこれたのであった。だから、スタート当時の人たちの何物にも替え難い努力のことを決して忘れてはならないのである。無から有を作り上げることは至難の技である。クレームをつける人たちはこのことを忘れて、現象に完全を求める。現象世界は“三次元”というある意味圧縮限定された映しの世界であるから、無限次元の完全な實相世界に較べると不完全性を持っているのは当たり前。その不完全性を指摘するだけではなく、實相世界の完全な状態を顕現する為に、實相を諦視して祈り、行動に移さなければならない。本流復活を目的とする『掲示板』についても同じ。スタートまでの企画推進者の人たちの努力を常に顧みて投稿しなければならない。単なる傍観者的批判投稿ではなく、「本流復活」への厚き情熱の感じ取れるような投稿文でなければならない。このような関係者の努力があって現在のマサノブ包囲網が出来上がってきたのである。
F 以上のようなことが分かれば、上記の批判意見『肝心なことは、今、「頭注版」全40巻を刊行すれば、今、救われる人々があることである。今、救われるべき人々が現象的に今、救われる機会を奪われている。』は矛先が間違っていることが分かる。『今、救われるべき人々が現象的に今、救われる機会を奪われている。』のは、「頭注版」全40巻が出版されていないからではなく、まさしく“狂乱マサノブ総裁”が立教の目的と使命である衆生救済と日本国實相顕現を捨て、開祖・谷口雅春先生の教義の換骨奪胎(サヨク唯物現象論)を強行し、反日思想へ大転換したからである。そして、信徒の大量脱退現象となり、教勢衰退を招いたのである。
G かくのごとく考えれば、本流復活を目指す掲示板は、「狂乱総裁マサノブ」の“追放”という一点に集中した投稿がもっともっと書き込まれれなければならない。先ずは、「マサノブ追放」が第一である。そして、原宿本部へ凱旋すれば、救われるべき人たちも大量に救われ、『新編・生命の實相』も全巻またたく間に出版完結出来るのである。
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