| [3277] 狂乱総裁マサノブの言動から、彼の『短文説教』を解釈すると・・・A |
- 鞍馬天狗 - 2016年05月19日 (木) 09時00分
5月15日「総裁フェースブック」でマサノブ君、曰く、――― 『この世界は「得ることで捨て、捨てることで得る」世界である。だから、すべてを得ようと思うな。むしろ、捨てることを考えよ。』
<解釈>
上記の「短文説教」を私(マサノブ)はこのように実践して来たのであります。
1、私(マサノブ)の「得たもの」とは、(イ)「独裁権力」と、それを使って信徒をだまし洗脳し、(ロ)ニセの「法燈継承」を演出し既成事実化したことであった。それによって、(ハ)1000億円という教団資産の合法的自由使用裁量権を獲得できたことであった。
2、一方、私(ナサノブ)が「捨てたもの」とは、(イ)宗教家としての誠実さと求道心、及び(ロ)開祖・谷口雅春先生の『御教え』、そして更に(ハ)信徒からの敬愛と信頼(⇒教勢拡大)であった。
3、「独裁権力」と「マサノブ教の確立」と「教勢拡大」と「求道の心」と「信徒からの敬愛と信頼感」と「教団資産の自己資産化」の六つ全部を得ようなんて思ったことはない。自分はそんなに欲張りな人間ではないのだ。
4、自分(マサノブ)は、この六つのうち「教勢拡大」と「本来の『御教え』」と「求道の心」と「信徒からの信頼」を思い切って捨てることによって、「独裁権力欲」と信徒の浄財の合法的自由裁量権による資金的基盤を確立して「生長の家」という表看板を立てたままで中味を「サヨク唯物現象論」へ入れ替えて満足し、信徒の浄財で自己顕示的な「個人的願望の達成欲」を満足させて貰えたのであった。私(マサノブ)にとっては、『公』(開祖の『御教え』・教団・信徒・日本)よりも、『私』(一人の肉体人間としての個人的願望達成欲)の方が人間として大切であるとの価値観を大切にして来たからである。
5、そのために、開祖・谷口雅春先生の御心を裏切り、信徒を欺瞞して洗脳し、「生長の家」教団を実質解体し、『御教え』をサヨク唯物現象論に換骨奪胎したのであった。そうしなければ私(マサノブ)の個人的人生目標(独裁者となることと自己顕示欲を思う存分満足させること)の実現は不可能だったからである。私(マサノブ)のこの生き方が正しかったかどうかは、自分で判断する。他人がトヤカクいう問題ではないのだ!
6、かくして、『真理』の世界に生きる事を捨てたからこそ、自分という人間を最も大切に思う自己顕示欲が初めて達成できたのである。わが人生に悔いなし! 私は死ぬまでこの道を生きる!!
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