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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[3333] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第24回
信徒連合 - 2016年05月24日 (火) 08時12分




開祖・谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――


@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』

A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』

★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。

******************




<再掲載> 


インターネット道場


「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々


 第24回




小林春恵先生 


「導かれて八十余年」


 <その十一> 


「わが信仰の旅路」より





  小林春恵先生の思い出
         佐藤清子

 まだ山形県の教化部が山形市の小白川町にありました頃のことです。ある年の大講習会の時のこと。長女の智恵が谷口清超先生の接待役を仰せつかりました。まことに光栄なお役ではありましたが、ハタと困ったのが、当日着て行くスーツがなかったことでした。しかし、着てゆく服がないとは言い出せなくて、私と娘は困っていました。

 ところがそんなある日、先生は智恵に、当日の洋服についてそっと聞きだして下さいました。よそゆきのスーツがなかった智恵は、恐る恐る小林先生に正直にお話ししました。

小林春恵先生は、
「あっ、そうか。心配しなくてもいいよ。私が買ってあげましょう」
 といとも簡単に言って下さいました。

 やがて小林先生は、娘をデパートに連れて行き、
「智恵さん、これがよく似合うよ。着てごらん」
 とおっしゃって下さいました。海老茶色のスーツは、色白の智恵にとてもよく似合いました。

「小林先生、有難うございます。有難うございます」
 主人も私も心から感謝を捧げさせていただきました。どのようにして私達親子の悩みをお察しになられたのかと、あの日のことが今でも、つい昨日のことのように眼に浮かびます。

 小林先生は、いつもこのように、信徒一人一人の悩みをいつどのようにお知りになるのか、さりげなく一番必要なときに一番適切なご指導や救いの手を差し延べて下さるのでした。

 私達は、そんな小林先生のみあとに続いて、一所懸命精進努力せねばと、誓い合ったものでございました。




 住吉大神の霊気身に受け

 山形県の教化部長の人気を終えて、私は、九州・長崎の生長の家の総本山で、お世話になることになりましたが、この住吉の大神様の霊気充ち満ちた雰囲気の中で、私自身が、神癒の体験をお与え頂きました。そのことについて、お話しいたします。

 昭和五十年、まだ山形県の教化部長の時のことですが、私は急に視力が減退し始めてまいりました。老眼の度を調べてみようと思い、近所の眼科医を訪ねてみました。そこでの診断の結果、「これはいくら眼鏡を取り替えても仕方がない。糖尿病のために視力が衰えているのですから」と、医師から言われ、手術をするほか方法のないことを知らされました。

 私がどうしても治したい一心で、それから二年後、ついに両眼の手術を受けました。そのお蔭で、両眼の失明もまぬがれ、眼鏡さえかければ、列車の時刻表の小さな活字さえも読むことが出来るほどに回復して、今日まで来られました。糖尿病は運動不足から起こると聞かされ、自分でも全く、運動不足によるものだと思いこんでおりました。

 昭和五十五年、山形から、「団体参拝練成会」で、住吉大神様に参拝に詣(まい)りました時に、“来年三月で山形県の教化部長のお役が終われば、総本山の長期練成を受けさせて頂き、住吉大神様のもとで献労にはげみながら、糖尿病を消して頂こう”と、心ひそかに決めておりました。御世話になった医師からも、常々、「眼の手術は手落ちなくやってあげたのですから、後は体の方を大切にして下さいよ」と言われていたものですから、

“この寿命の続く限り、神様のお使いをさせて頂くからには、盲人にならないように、天地一切の万物に感謝しながら、人類光明化運動に邁進させて頂こう。それには総本山に御世話になることが一番いいことだ”と思っておりましたら、御本山に勤めさせて下さるという有難いお言葉を頂きました。

 念願が叶い、感謝の気持いっぱいで総本山にまいりました。
 総本山練成部での楽しい道場生活が始まりますと、早速、若い人々に交じって、献労に参加させて頂けることになりました。

 そして、それは昭和五十六年五月六日のことです。トラックに乗って、山林の献労に出かけましたとき、若い元気な人達に続いて、トラックの上から林道に飛び降り、右足をひどくくじいてしまいました。

 山奥ですから道場に戻るのも大変だし、周りの人々にも心配させては申し訳ないと思い、「なんともない、なんともない」と自分に言い聞かせながら、林の中に入って行き、心の底で、「神様! 神様!」と御名(みな)を呼び続けながら、終日献労をやり通しました。

 練成道場に帰り着き、初めて皆様が気づかれて、大変心配して下さり、看護の心得のある職員の方から、手厚い応急の処置を受けることが出来ました。

 その日は床につき、静かに体を横にしていると、別に痛みはなかったものの、翌朝になると傷の様態は急変し、足を動かしたり、立ったりしようとすると、まるで生身にメスをさしこまれるような烈しい痛みに襲われ、歩行することも動くことも出来なくなりました。

 私は、朝夕、宿舎から練成道場までの往復を車で送迎して頂くはめになり、六月十日になると、近くにある病院に行き、患部にシップ療法をほどこしてもらい、帰ってまいりました。しかし、どうしてもよくならないのです。

 十八日の朝を迎えた私は、心に期するものがあり、「糖尿病のために傷が治らないかも知れない、それならこんな見苦しい姿で、いつまでもここにいてはならない。故郷に帰る以外ない」と思いまして、固い決意をして、再び病院を訪ねました。

 病院でもあらゆる精密な検査を行って下さり、レントゲン検査の結果は、骨に異常なし、血圧も正常、血液検査も異常がなければ、尿にはいささかの糖分も含まれていない、という驚くべき結果が知らされました。積年の糖尿病がいつのまにか、すっかり消えていました。

 “総本山の住吉大神様の霊気のお蔭で、一生盲人にならずに済む。ああ、有難いことだ”と思うと、嬉し涙が止めどもなく伝わって流れて来ました。その時の感激は言葉でいい尽くせないものでした。




 まことに神癒なり

 しかしながら、傷の診断の結果は、
「あなたの足は、最低でも二週間は、正座や神想観をすることを休まなければなりません」
 と医師から強く言い渡されて、練成道場に戻らなければなりませんでした。

 住吉大神様の霊気に触れて糖尿病が癒されたことに対しては、大神様に無上の感謝を捧げながらも、私は依然として不自由な足に悩まされていました。

 二十日の朝、目が覚めると床の上で、少しもよくならない足を見つめて、“よくこんなに痛むものだなあ”と、悲痛な思いをかみしめていました。なんとかして便所に立とうとしても、左足から右足に踏みかえるときの烈しい痛みを思うと、全身が恐怖心で震えるのでした。

 どうにもならない気持で、ふとんの上にお尻をついて、立ち上がるのもためらいながら、ジッと惨めな有様に堪えていました。

 そんな時、ふと、私の内なる神の声か、
「物質に知性なし、感覚なし!」
 という言葉が、脳裡に浮かんでまいりました。
「物質の奥に、肉体の奥に霊妙きわまりなき存在あり! 春恵わかるか、わかるかい!」
 その言葉は、さらに強く私の心を強く打ち震わせます。

 思わず私は、「はい」と、心に応えると、すっと立ち上がっていました。痛まない!
あんなに苦しんでいたはずの激痛がない。坐ってみる、立ってみる、やはり痛みは感じません。

「ああ! ありがとうございます。ありがとうございます」
 言いようのない驚きと喜びをかみしめながら、ふとんの上で泣きながら何度も言葉を繰り返していました。

 十八日には、二週間は動かせないと医師から宣告されていた足が、それっきり立ち坐り自由に出来るようになりました。
 まことに神癒でした。総本山で神癒をいただいたのです。何人(なんびと)の如何なる業の現われも、住吉大神様の霊気の前には凡て消えてしまうということを、身を以て知らされたのでございます。

総本山に来ればこその、私でございました。私一人に与えられた悦びではなく、多くの方々に、この真理、このみ教えをお伝えし、生命ある限り住吉大神様のお使いをさせて頂く覚悟でございました。

 こうして総本山での有難い日々を送らせて頂きましたが、団参でおみえになった方から、こんなお手紙を頂きました。総本山の日々の一コマとしてご紹介させて頂きます。




  忘れ得ぬ人、小林春恵先生
<鳥取県米子市>宇田川玉枝

 昭和五十八年二月、私は、鳥取県の人達と一緒に、団体参拝練成会で、総本山に参りました。講師陣の中に、小林春恵先生のお名前があり、本当に心踊る思いが致しました。社務所で引きましたおみくじに、「想いは必ず実現する」とありましたが、何年もの間、今一度お目にかかりたいと思い続けていた先生のお名前を見つけたのですから、おみくじの霊験あらたかであることにまず感謝致しました。 

日程が進みまして、待ちに待った小林先生が登壇されました時、本当にこの方が小林先生なのか? と思いました。なぜかと言いますと、その昔、米子でお目にかかった時の小林先生と、あまりにもお姿が変わっていらっしゃったからです。

 その頃の小林先生は、パーマをかけられ、若草色の素晴らしいお召物で、抜けるほどに白く、お肌のお美しい先生。一目で魅せられてしまいました。そして、説かれるところすべて谷口雅春先生のみ教えであり、それをそのままに行じていらっしゃる事に大きな感動を憶えました。

 お話をお聞きした後、個人指導をお願いしたくて、お宿に伺いましたが、すでに、沢山の人が、個人指導をしてもらいに来ていましたので、とても、私の番はまわってこないのではないかと思い、あきらめて帰りました。それ以来、「もう一度もお目にかかりたい」との思いを消す事が出来ませんでした。

 総本山で、今、目の前に立たれた先生は、黒い上着に黒い袴。いかにも簡素なお姿でした。昔のお姿。今のお姿。いずれも同じ先生であり、お美しさには変わりありません。昔の先生には華やぎがありました。今の先生の黒一色のお召物には、華やぎなどありませんけれども、何かお目にかかっていて、自分の心まで高められる様な崇高さを感じ、人間最高の境地に立てば、華やぎなどは不要なものと、ただただ感動致しました。

お話されるお声、祈られるお声は、男性の講師先生を凌ぐ様な力に満ち、包容力のあるお声でした。
 お話の内容もさることながら、御講義の合間には女子職員と共に、御本をお売りになりました。女子職員と同じ様に、「ありがとうございます」と連呼しつつ信者の中を歩かれるのですが、小林先生のお手の中にある御本は、何回お廻りになられましても、瞬く間に売りつくされるのでした。

 この小林先生とお会いできた感動を、次の四首の歌に歌いました。

○ 魂の底より出(い)ずる先(せん)達(だつ)のその声聞けば心洗わる

○老いの身の何処(いずこ)に宿る情熱か握手かわしつ本売り給う

○光あふれ感謝に満ちし八百の信徒の胸にたぎる思いは

○花よりも虹よりも尚美しき人にてありき神につかえて




 「あんたは今度死ぬ時には、よいところへ行くよ」

 このように、総本山におきまして、楽しく、嬉しく、喜びの日々を送らせていただきましたが、私お、総本山においとまする時がやって来ました。それで、おいとまするにあたって、谷口雅春先生と、輝子奥さまにおいとまごいのご挨拶にお伺いいたしました。

 そうしましたら、谷口雅春先生は、私の背中をなでて下さり、「小林さん、あんたは今度死ぬ時には、よいところへ行くよ」って言って下さったんです。それも、四回も繰り返して言って下さいました。ですから、私は、谷口雅春先生から、死んでも素晴らしいとことへ行けると保証していただきましたので、安心して死んで行けるわけです。死ぬことについては、すこしも恐ろしいということはないのです。

 そして、私が、先にあちらへ行きましたら、後から来るみなさんを、「ああ、こっちだ、こっちだ」と言いながら、神様の素晴らしい世界で待っています。




あとがきに代えて

平成三年八月十三日、小林春恵先生は、卒然として八十三年の御生涯を終えられ、眠るがごとく霊界へと旅立たれました。小林先生は、沼沢に咲くハスの華のように、ご自分が今生(こんじょう)で受けた様々な運命を肥料として、その人生に美しい生命の華を咲かされました。その信仰の旅路の一コマ一コマに咲いた製麻英の華の数々が、本書につづられています。

そんな人生体験に基づくお話の中には、人生に傷つき、悲しみに倒れた人々の魂を、甦(よみがえ)らせ、勇気づける暖かい愛の力が生き生きと躍動しています。そこには、生長の家の神様への深い感謝の心と、生長の家のみ教えを素直に信じる強い信仰がありました。

小林先生が生まれ育たれた故郷、それは越後の国です。雪深い大地に育まれた種が、春の雪解けのおとずれと共に、若々しい芽を吹き出してはなを咲かせるように、小林先生の信仰も、雪深い越後の大地に培(つちか)われたものでした。

越後と言えば、思い出されるのは、まず良寛さんであう。更に時代を遡れば、浄土真宗の開祖・親鸞聖人がいます。親鸞聖人は、越後にながされ越後の国に住みました。又、日蓮宗の開祖・日蓮上人も、越後の国の佐渡ケ島に流され佐渡の吹雪の中で、死と背中合わせに生き、ここで大きく信仰が深まります。

その隣りの越前の国には曹洞宗の開祖・道元禅師がいます。小林先生の深い信仰と愛に思いを馳せるとき、この雪深い越後の厳しい大自然が培ったこれら大聖の深い信仰との、遠いこだまのような繋(つな)がりを思わずにはいられません。

最後に、本書が出版されるまでの経緯を述べておきます。かねてより、全国各地の信徒の皆様から、小林先生の著書出版の希望が寄せられてきました。しかしながら、小林先生は筆よりも語りの達人でしたので、その機がなかなか熟しませんでした。

ところが、昨年末、新潟越南教区の長岡練成会でお話された小林先生のテープが大量に保存されていることが判明し、その提供を受けることができました。併せて出版へのご協力も頂けることになりました。

特に、新潟越南教区の田村大教化部長、内藤幸一郎特務講師、水野善夫元相愛会連合会長には並々ならない御尽力を頂くことになりました。またそれと軌を一にするように、小林先生の秋田教区教化部長時代の副教化部長岡本光生本部講師から、秋田練成会での講演テープの提供を受けると共に、献身的なご協力が得られることになりました。

更に、本書収録の多くの方々からお心こもる体験手記も寄せられ、一本に纏(まと)まる見通しが立ちました。そこで勇躍、本年五月、出版計画をまとめ、総裁谷口清超先生のご承認をいただき、出版が本決まりとなりました。その知らせを持って、三条市に小林先生をお訪ねしたのは、真夏のような太陽が輝く六月のことでした。

小林邸の美しい中庭に面した静かなお二階で、先生はにこやかに迎えてくださいました。その折の清楚で澄み切ったご表情が、わすれられません。「何かのお役に立てれば、嬉しいですね」と、小林先生は何度もおっしゃっておられました。それから二ヶ月、ほぼ原稿が完成し先生に見ていただく準備をしていた矢先の突然の訃報でした。

その原稿を、ご遺族を代表して、小林昭三先生の御令弟小林敬典氏が、校閲して下さいましたが、春恵先生も又ともにお読みいただいたのではないかと思っています。

本書の責了間際、生長の家本部副理事長谷口貴康先生のご愛念で、総本山時代のなごやかな著者のスナップを頂くことが出来、本扉裏に掲げさせて頂きました。春恵先生もさぞお喜びのことと思います。ここに謹んで先生の御霊前に、楽しみにしておられた御著書をささげます。合掌

平成三年中秋 日本教文社第二編集部部長 永井光延






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