| [276] インターネット道場 ―――感激的体験記 ・ 小林春恵先生 「導かれて八十余年」 <その八> 「わが信仰の旅路」より |
- 信徒連合 - 2015年08月18日 (火) 09時32分
インターネット道場 ―――
感激的体験記
小林春恵先生
「導かれて八十余年」
<その八>
「わが信仰の旅路」より
私が生長の家の本部講師にならさせて頂いてからは、全国をまわって、生長の家のみ教えを伝えさせて頂きました。また、新潟県や福井県、石川県、富山県、それから、山形県、福島県、秋田県などの北陸・東北の教化部長も務めさせて頂きましたが、最も長くお世話になったのは、山形県でした。それは、教化部長をやめることになった七十三歳までの十六年間でございます。 その後、九州長崎の総本山に三年間お世話になり、郷里の新潟県に帰って、毎月、長岡の練成会でお話しさせて頂きました。 このように本部講師として、また、教化部長として、多くの方々と生長の家の勉強をさせて頂きましたが、これまでの人生を振り返り、これらの生長の家の方々との交わりの中で、現在、心に残っていることをお話しいたします。
女の旅路
私のごく親しくお付き合いしているお友達に岩垣津(いわがいつ)志満子(しまこ)という人がいますが、私が東京へ行った時には、よくこの人の家に泊まり、いろいろとお世話になりました。この人の所へ行きますと、東京のお友達の方たちが、この人の所へ集まってきて、生長の家のみ教えのことや、子供のこと、夫のこと、嫁のことなどいろいろと話し合ったものです。そんな、お友達の中に丹野フミさんという人がいました。
そもそも、この人の最初のしくじりは、お見合いの時なんです。大体、この人、色は黒いし、私と同じで、身丈を節約して生まれたんです。それで、いざお見合いということになったら、臆病だったんだと思うんです。
お見合いの相手の人が自分の家に来ることになった。結婚すれば、いつも自分の夫として心の中に秘めておく大切な人なんだから、やっぱり、ちっとは良いとこを見せたいと思ったんでしょうけれども、お見合いの部屋へ兄嫁さんについていってもらった。 この兄嫁さんは、また女優にしてもいいくらいの、背がスーッと高くて、端正な美しい人でした。それで、「お姉さま、私、後からお茶菓子を持って行くから、私の先にたってお茶を持って行って」と言って、兄嫁の後について部屋へ入って、お見合いの相手を見たというんです。
ところが、お見合いの相手は、てっきり前になってお茶を持って来た方が、自分のお見合いの相手だと思い、一目惚れしてしまった。本当のお見合いの相手は、後ろから、チョコチョコとお菓子を持って行った方だったのに。
身丈がちょっと足りないからダメとか、色が黒いからダメと言って、断られたら断られたで仕方ないことであって、世の中には、色が黒くたっていい、背丈が低くったっていい、君でなければ夜も日もあかないなんていう人もいます。合縁奇縁という言葉もあります。あんたでなければという人もいるはずなんだから、その時は、断られたってなんともないと思うんだけれども、やっぱり、彼女は、不幸な経験をする必要があって、そこに、兄嫁を先に立ててお見合いの相手と会うというような事をしてしまった。
おおよそ、その人の隠れている心――潜在意識は、自分というものが、どの道を行けばどうなるかということを大抵知っているんですね。表面の心はわからないが、隠れた心は自分の人生に必要なものを知っていて、兄嫁の後からチョコチョコとついて行くというような筋書きを作った。
ところで、そのお婿さんになる人は、先に部屋へ入って来た兄嫁を、実にいいと思って、この結婚の話をすぐまとめたわけです。そして、「現在、自分は会社の仕事が忙しいから、すぐ結婚式はあげられないから」ということで、式の日まで文通することになった。
それから、必要な物は買って準備しなさいということで、フミさんの名前宛でお金を送って来るわけです。だから、フミさんはもう彼の手紙が来ると嬉しいやら、楽しいやら、何とまあ、素晴らしい男性だろうと思ったんです。もっとも、丹野さんは、顔に似合わず、美しい字を書く。彼としては、兄嫁の顔と、この美しい手紙の文字とが重なり合ってしまっていた。それで、彼にしては、兄嫁の方の顔を思い浮かべながら、あの人と一緒になるんだと思っていた。
そのうちに、いよいよ晴れの結婚式の日が来たのです。そしたら、兄嫁さんが自分の所へ嫁に来る人だと思い込んでいたお婿さんは、へんちくりんなお嫁さんが出てきたもんだからビックリしたんです。
それで、「あっ!だまされた」と言ったんです。 こんな言葉が、男から最初に聞いた最初の言葉だとしたら、その女の人の心というものは、ちょっとやそっとの怒りじゃなかろうと思いますね。言う方は、本気にだまされたと思って、くやしまぎれに言うたんだから、これは、ちょっとやそっとの話ではなかったと思うんですよ。 それで、結婚式の後、すぐ東京へ行ったんですが、東京の家に行ってからどうなったかと言いますと、ご主人は二階へ上がって自分の部屋に鍵をかけて、彼女は下へ寝かせたんです。そうやって、絶対彼女を寄りつかせなければ、そのうちにあきれかえって出て行くだろうと、そう言うソロバン勘定だったんです。
ところが、このフミさんは結婚する時に、「いいかフミや、結婚というものは、決して毎日、お祭りさわぎのようなものではないのだから、色々の問題が出て来ると思うからな。いいか、その時は、決して、家にすぐ飛んで行って両親に訴えてはならんぞ。親はわが子がかわいいばっかりに感情的になってしまって、簡単に解決するものも、難しくしてしまいがちだ。もし、そんなことにでもなったら一大事だからね。決して、親の所へ直接言うて行くなよ。何かあったら私の所へ来なさい」 と自分の叔母さんに言われて来ていたのでした。これは、やっぱり人生の酸いも辛いもわかった人でないと、ここまで行き届かんと思うね。
そして、彼女は、なかなか素晴らしい人だった。せっかくこの家に来たのだから、実家に帰るにしても、叔母さんの家に行くにしても、無駄に帰らないで、この家の役に立ってから帰ろうと思ったんだね。その婿さんになった人は、母親が早くに死んでいるから、兄弟はいても、これまで身の回りの世話は行き届いていなかった。これまで使っていたふとんは汚れ放題、着物もみな汚れ放題で、整理が出来ていなかった。
そこで、彼女は根は達者ですから、それを全部洗い張りして、仕立て上げて、誰が来られてもいいように、本当に感じのよいようにきれいにしておこう。そして、この仕事が終わったら、叔母のもとへ帰りましょうと、彼女は決めた。そして、毎日、毎日、その仕事をすることを楽しみにして、彼女は喜んでその仕事をしてたって言うんです。
ところが、婿さんは、たいてい一ヶ月もたったら、彼女は家を出て行くと思っていたけれども、いっこうにその気配がない。自分が会社から帰ると、「お帰りなさいませ」と言って自分をちゃんと出迎える。いくら二階へ行って、自分の部屋に鍵をかけておいても、翌朝、会社へ行くのに家を出る時になると、「いってらっしゃいませ」と、自分を送り出す。自分の留守中一体何をしているんだろう。だが、そんな見送り、出迎えなんかにごまかされて、わしは彼女と一緒にならない。何が何でも彼女は、わしをだましたのだからと思っているんです。
ところが、ある日、仕事の都合で暇が出来たのかどうかわからないが、彼女が何をしているか、急に彼女の様子を見にその婿さんが、家に帰って来たんです。そうしたら、彼女がうれしそうに、楽しそうにして、一所懸命に仕事をしている。仕事の自分の全身全霊を打ち込んでいる姿は、美しいわけなんです。ところが、彼女は、旦那が入って来たのも知らずにいたわけです。
そして、しばらくして、旦那さんが、 「毎日、毎日、そんなことしてたの」 と聞いたんです。彼女は、 「はい、これがもう最後でございます。これが終わりましたら、私、おいとまするつもりでおりました。でも、これで、最後なんでございます。全部ご覧下さいませ」 と言って、押入れを開けたら、そこに、洗い張りして縫い直して仕上げられたふとんや着物が、きちんときれいに積み重ねてあったんです。旦那さんは、もうビックリしてしまったのですね。
「はぁー。君はなかなか素晴らしい技を持っているんだね」 と言うんです。そんなことで旦那さんの気持も変わることになったと思うんです。その後、子供が、四、五人出来たところをみますとね。
でも、彼女の心の中に、潜在意識の中に、「だまされた」と言われたことのくやしさ、私はだます気なんかなかったのに、“後ろからちゃんとついて来たのに、兄嫁の方ばっかり見て、後ろにいた私を見ないで”との思いがあったのです。それで、彼女は、なかなか明るく、かわいがられる奥さんにはならなかったんですよ。
また、ご主人の方も、結婚前に、お金を送って下さったんだから、ちゃんと給料袋ぐらいそっくり渡してもよさそうなもんなんだけれども、なかなか、そうもしないんです。やっぱり、ご主人の心の中にひとつ何かわだかまったものがあったと思うんです。そのようなことで、彼女は、なかなか夫からかわいがられなかったと思うんですよ。
そしてまた、彼女は彼女でお金が足りないと里へ行ってお金をもらい、お金が足りないことをご主人には言わない。ちっとも、お金が足りませんから下さいなんてこと言われなかったから、これは、男にとっては、ちょっとシャクにさわることになると思うんです。
金をよこさねば、よこさねえったって親からもらうからいいよなんていう心の状態は、体の全体から出ているでしょうからね。また、彼女は、腕がたつもんだから、近所の縫物などしたりして、自分で小遣銭ぐらいはかせぐ。やっぱり、そこにも、夫にとってかわいくないところもあったと思うんです。
それで色々と苦労しました末に、誰かにすすめられて、生長の家の神様の方へやって来たんです。そんな切ない思いをしないうちに、神様の方へ行けばいいんですけれども、そうはいかない。大方の場合は、何かやっぱり面白くないことがあって、それがきっかけで、神様の方へ来ることになる。だから、やっぱり、面白くないということは、本来ないということなんですね。神様の所へ来ることによって、その人自体が生まれかわるんですからね。
彼女は一所懸命努力して、生まれ変わっていくんですよ。そして、自然と、ご主人にもかわいがられるような、彼女が出来てきたんです。
嫁を通しての魂の勉強
そして、そのうちに、彼女の息子も社会人になり、嫁をもらってもいい年になっても、どうしても嫁をもらわんのです。あっちからも、こっちからも、お母さんに話がもってこられる。ところが、息子は嫁をもらうと言わないから、お母さんは言い訳に困ってしまった。息子が、三十歳を過ぎても、嫁をもらうことにあまりにも無関心なので、お母さんは心配した。もしかしたらうちの息子は、大事なところがいうことをきかないために、結婚なんてしなくったってええと思っているんじゃあないかなどと、親だから色々と考えるわけです。どうしても断るから、つきあうだけでもいいじゃあないか、お茶を一杯飲むだけでもいいじゃあないかと、いくらお見合いの話をすすめても、息子は聞かないのです。
そのうちに、息子の上役の方から、嫁にぜひもらってもらいたいと言うている人がいるとの話がありました。それじゃ、その人どこの人ですかって聞いたら、三年も前から君の所へいつもお茶を持って来る女性がいるだろうとのこと。息子はあまりにも仕事に真面目で、同じ職場で働いている女性のことも意識にない状態です。ですから、いかに結婚について無関心だったかわかりますね。
その女性は、彼よりも十歳も歳の若い娘さんだったんです。ところが、その女性は、「私を丹野さんはもらって下さるのでしょうか」と、心配していると言うのです。真面目に一所懸命仕事をしている丹野さんの息子の姿というのは、女性にとって魅力だったんでしょうね。それで、息子が彼女とつき合って見ると実にいい女性である。それで、いよいよその女性と結婚するという話が決まりまして、結納、結婚式を挙げるということになります。
丹野さんは、これから息子は、いよいよ手放さなければならない、今日が息子の世話をさせてもらう最後の日だと思って、息子の部屋を掃除しようと、部屋へ入って行くと、息子の机の上に、彼女の写真が置いてあった。そして、その写真の裏をひっくり返してみたら、その写真の裏に、「かつては天皇陛下に捧げた命、今度は君、きょう子に捧げる」と書いてあったと言うんです。それを読んで、丹野さん、余程、息子が気に入った人が来て下さるんだ、ありがたいと思って、自分も今度来る嫁と仲良くして暮らそうと思ったんです。
ところが、嫁に来てからのある日、彼女は、丹野さんにとっては息子である、自分の亭主に、 「ねえ、あなた、あなたのお母さんて、言葉の使い方を知らないんじゃあないかしら。どうしてかって言うと、私のこと、きょう子ちゃん、きょう子ちゃんて言うでしょう。私は、いつでも、お母様、お母様と申し上げているのだから、きょう子さんと言うべきではないか?それを、きょう子ちゃんなんて言うのは、ちょっとおかしくないかしら。言葉の使い方がおわかりにならないんだと思うけど、あなた、そのこと、お母さんに言ってくれないかしら」
と言うたんです。そしたら、丹野さんの息子は、母親である彼女に、 「あのね、お母さん、きょう子が言っていましたよ。母さん、言葉の使い方知らないんではないかって。母さん、これから、きょう子さんて言ってね」 と言ったのです。 息子は何も思わないで、サラサラと言うたんですけれども、聞いた丹野さんにすると、 ガツンと痛かったわけです。丹野さんは、息子が天皇陛下に捧げた命を君に捧げるなんて言うほど、息子が愛している人なんだから、自分もその嫁さんがかわいくて、かわいくて仕方がない。それで、きょう子ちゃんと言ったんで、決して、小馬鹿にして、きょう子ちゃんなんていったのではない。だから、その言葉には、ガツンと来たわけです。それでも、ハイと言うのが、生長の家の教えだから、その息子の言葉にハイと言うたんですでども、これから、彼女の心の修業が始まって来るわけです。
そうすると、次に嫁は、 「あの、お母様、生長の家では、自分さえよければ、人がどんなに不愉快な思いをしてもかまわないという教えですか」 と言ったと言うんです。それで彼女は何を言われるのかと思って、 「あの、あなたは、何を言おうとしているのですか」 と聞いたのです。そうすると嫁は、 「だって、お母様、何年も使って茶しぶのついた汚いフキンを、毎朝お母様が、出しておられるから、私が必ず新しいものと替えておくのに、いつの間にか、茶しぶのついた茶フキンを出しておられるでしょう。人が見れば、どんなに不愉快であるかわからないんです。お母様は、ちゃんとよく洗って、しぼってあるから、いいと思われても人はそこまでは見てはおらないでしょうから、丹野の家が貧しくて、そんなにフキンを買うことが出来ないような家でしたら、私は我慢しなければならないとおもいますけれども、丹野の家としては、毎日、新しいフキンと取り替えても経済に破綻をきたすような心配のない家だと思っているんですけど」 と言うのです。それは、丹野さんにとって長い間の習慣だったのです。考えてみると、そのことは、主人によく言われていた。
「何だ、こんな汚いもの」 と。ところが、主人には、 「あんた、何を言っているんですか。これは、私が、毎朝きれいに石鹸で洗ってしぼっておくんですよ」 と言ってたんです。主人に言われた時に、「ハイ」と言って、茶しぶのついたものなんか使わない習慣をつけておけば、嫁から言われないで済んだんです。
嫁から言われたとなると、主人に言われた場合と、だいぶ響きの程度が違うと思うんです。やらねばならないことは、かならずやらなければならないようになるんですね。主人から言われたのとは違い、嫁から出た場合には、うんと身にこたえるわけなんです。
岩垣津志満子という私の友達が、午後の六時頃に、――それはもう十一月でしたから、午後の六時というと暗いんです――大森の駅に電車から降りたら、丹野さんがその電車に乗ろうとしていたんです。それで、 「あれ、丹野さん、どこへ行くの」 と聞いたら、「日本橋の三越へ」 と答えたのです。 「あんた、今ごろ、日本橋の三越へなんか何しにいくのさ」 と聞いたら、 「フキンを買いに行くの」 と言う。それで、私の友達が、 「あんた、何言うている。大森にはデパートもあるし、フキンも沢山あるのに。フキンなんてどんなフキンよ。フキンなんて私の家にも沢山あるからあげてもいいわよ」 と言ったら、 「いや、私の家にも、フキンは沢山あるんだけども」 と言うことで、丹野さんは嫁に言われた、いきさつを話したのです。そして、 「だから、すぐ手元にあるのと取り替えたのでは、今まで心の習慣てものが抜けきらないから、やっぱりここで、二度と再び、この切ない思いを繰り返さないためには、ちょっとぐらい、距離のあるところへ出かけて行って、わが身に本当にしみなければ、長い間のこのクセは治らないと思って、日本橋までフキンを買いに行く」 と言うたんです。
私の友達は、電車に乗って行く丹野さんを見ながら、“ああ、丹野さんは素晴らしいなあ、いいかげんにしないで。かつては夫のことで本当に修業を重ねた彼女が、今度は、嫁を相手にまた自分自身の人格を形成して行くのだなあ”そう思って、それをじっと、合掌しながら見送ったんです。
ところが、そのかわいいきょう子さんが、また、「お母様」と呼ぶんです。彼女が、「何でしょうか」と言うと、 「お母様、私は、お母様が、お手洗いへおいでになりますと、必ず後から行って見るんですけど、いつもスリッパが脱ぎっぱなしにしたままでしょう。お手洗いなんていう所は、いくらきれいにお掃除が行き届いていても、やっぱり、そんなにきれいという感じのする所ではないのです。だから出来るだけ、はきものなども、キチンと揃えておかなくっちゃあいけないと思うんです。が、お母様がおいでになった後、必ずスリッパを直しておくんですけど、お母様はそのことを何とも思わないでおいでになると見えて、何回も同じことを繰り返しているのに、お気づきにならないのですね」 と、嫁がいったのです。
たしかに、嫁の言うことは悪いことではないんですから、今度も心の中で気になって、スリッパをちゃんと揃えてくるように心がけたんです。それでも、いつの間にか、電話でも来たりして、いそいでお手洗いから出たりなんかすると、またスリッパを揃えることをわすれたりすることもある。それで、お手洗いから出て、いったん部屋へ帰って坐ってから、もう一度スリッパのことが気になって、お手洗いへスリッパを揃えてあるかどうかを見に行く。そんなことを、何度も、何度も繰り返しました。そのうちに、スリッパを揃えることも、丹野さんの習慣になったわけです。
ところが、そうこうするうちに、息子の愛するお嫁さんに、赤ちゃんが出来たんです。 もう彼女は嬉しゅうて、嬉しゅうて仕方がない。自分の大事な大事なせがれの子供なんだから、生まれてくるのを楽しみに待っていたのです。
ところが、また、「お母様」って言う。そして、嫁は、 「あのねえ、私の子供は絶対に抱き癖をつけないようにしますから、抱かないようにして下さいませ」 と彼女に言ったんです。生まれたらだっこしてやろうと思って、楽しみにしていたというのに、抱き癖がつくから、絶対にだっこしてくれるなと言われた。また、そこでストップさせられたんです。
ところが、子供が生まれて――孫になるわけですが――その子がよく泣くと言うんです。それだもんだから、丹野さんは思わず、 「ああ、どうしたの。おかあさま、ほっておいて」 と、その泣いている孫に近づこうとする。そうすると、嫁が、 「私は、ちゃんと泣き声を聞いているんです。甘えて泣いているのか、それともまた、ひもじくて泣いているのか、どっか痛みを感じて泣いているのか、私は、その泣き声に注意しているんですから。今は甘えて泣いているんですから、そんな時に、だっこしたりなんかすると、常にだっこして、いたわられたいために泣くような習慣を作り上げてしまいます。だから、私は、価値のない泣き声の時には、いくら小さい子供であっても、それを愛撫するというような、大人の愚かさはしないつもりです」
と、言うのです。だから、丹野さんが、いくら抱きたいと思っても、抱かせてもらえない。ところが、面白いことに、この嫁は、子供を、舅――つまり丹野さんの夫には、「おじいちゃま、だっこして下さいませね」と言って、抱かせるのです。毎日、家に居ないで、お勤めなんだから、ちょっとだっこしても大丈夫だと思ったんでしょうか。ところが、丹野さんは、一日中、一緒に家に居るのに抱かせてもらえない。
そして、彼女は、私の友達の所へ、一週間に一度は来て、 「私は、今に卒業します。私は、今に卒業します。私が、子供を抱かせてもらえないということが、私の心の痛みになるなどというような世界は、今に卒業します」 と、涙ながらにその話をするわけです。
そのうちに、今度は、嫁が、丹野さんの夫のところへ、赤ちゃんを裸にして連れてきて、「おじいちゃま、お風呂へ入れてちょうだい」と言うたのです。そんなことが、それから、毎日のように続いた。赤ちゃんをお風呂へ入れるなんて、男にはなれていませんから、それは、いやみにきまっています。上手に入れられない者に任せておいて、ちゃんと、四人も五人も子供を生んで育ててきた経験のある丹野さんに、その嫁は、子供をお風呂へ入れてくれと言わないのです。
「主人はいつもだっこして、風呂に入れているんだけども、私は、着物を着たのも抱かせてもらえないんですよ」 彼女は、こんな悲しい思いをして、生活していたのでした。
そんなことが続いている時に、彼女は、白鳩会の集まりに行きました。そこで、「白鳩」誌に、谷口雅春先生が、生長の家の子供の育て方のことを書いておられ、その記事を輪読したのです。
彼女は、その「白鳩」誌を持って帰って、お嫁さんに、 「今日、私が教えて頂いて来たところの生長の家の子供の育て方は、あなたとそっくりでございますよ。だから、お暇が出来たら、ちょっと目を通して下さいませ」 と言ってその「白鳩」誌を渡したのでした。
そしたら、嫁がそれを読んで、これぐらいの勉強しているのなら、心配ないと思ったんでしょう。 「お母様、私、オムツ洗って来ますから、その間、ちょっと、この子を抱いてて」 と嫁が言うたのです。 赤ちゃんを抱かせてもらったんだから、彼女は、もう嬉しくて、嬉しくて仕方がない。さっそく、友達の所へ報告に行った。「あのね、今日は、着物を着て抱かせてもらったんですよ」と言うわけです。もう彼女は、孫を抱けたと言うことで、嬉しくて、嬉しくてたまらない。
ところが、次何が起こったかと言うと、息子が裸の赤ちゃんを毛布にくるんで、 「母さん、お風呂に入れてちょうだい」 と言って来た。それで、 「あら、きょう子さん知っているの」 と言ったら、 「きょう子が、お母さんにお願いすると言っているんですよ」 とのことです。そうして、彼女は、初めて、自分の孫を自分の肌でしっかりと抱いたって言うんです。
それで、かわいい孫をしっかりと抱いてお風呂に入って気がついたら、自分の夫と、息子と、嫁とが、彼女が孫をお風呂に入れている様子を、みんなして、窓からのぞいているというんです。そして、息子が、 「やっぱり母さんは素晴らしいな。ねえ、きょう子、お母さんは上手だね」 と言っている。その息子の言葉を聞きながら、彼女は、心の中で、 「あたりまえよ。冗談じゃない。だてで、子供を四人も五人も育てたんじゃない。こっちは経験者なんだから」 と思った。
それから、彼女は、嬉しくて、 「先生、今日もまた、裸ん坊の孫を抱きました」 と、私に言って聞かせるんです。それで、私が、 「よかったねえ、丹野さん、あなたの心の中で乗り越えなければならないことを教えるために、これまでの世界が出てきたんですねえ」 と言いました。そして、 「そうかも知れない。ありがたい」 と彼女は言いました。そんな話をしながら、二人で喜び合ったものです。
ところが、その孫が、よちよち歩きをするようになって、テーブルの角に頭をぶっつけて、ワァーッと泣いた。彼女は、はっとして思わず、テーブルのフキンを孫のぶっつけた頭へ当てて、「神の子、完全円満、神の子、完全円満」と言っていたのです。そしたら、子供の泣き声を聞いた嫁が部屋へ入って来て、 「お母様、バイキンでも入って化膿でもしたらどうしますか。それは、テーブルフキンでしょう」 と言って、その泣く子を連れて、二階へ上がって行ってしまった。彼女は、また、しくじったと思ったんです。
自分は生長の家で、病気はないんだの、人間は神の子で金剛(こんごう)不壊(ふえ)だのと言ってばかりいるもんだから、少しぐらいぶっつかっても、「神の子、完全円満、神の子、完全円満」だといって済ませておくが、これは、一般常識ではまかり通る世界ではなかったんだ。私はやっぱり、一般社会から見ても通用する勉強が必要なんだなあと、彼女は思ったのでした。それで、彼女は、「神様、神様、全ての人と物と事とに行き届くべしと教えて頂きながら、私は今日もまた、きょう子さんに心配をかけました。神様、神様、神様、どうぞお守り下さいませ。ありがとうございます。ありがとうございます」 と神様に一所懸命拝んでいたのです。
そうしたら、そのうちに、二階から、嫁が、「たいしたことなかったわ」と言って、下りてきたので、彼女は安心したのです。そして、あくる朝、「お母様、別に化膿してませんでしたから、どうぞご安心なさってね」と嫁が言うたんです。
生長の家の者同士であれば、「病気はないから心配しなくてもよい」と言うようなことを言ってもよいけれども、たとえ、それが夫であり、嫁であっても、生長の家の教えを知らない人には、やっぱり、「大事にして下さいよ」と言うことが大切ですね。
生長の家を知らないで、心配している人に、病気はないんだなんて、焼け火箸をあてるような言い方をしたのでは、角が立つんです。人と時と処に応じて、その場にふさわしいことを言うことが大切です。やっぱり、時には、あわてふためいたふりをして見せたりすることです。心の中で、「大調和、大調和」と念じながらね。憎しみの感情を起こしたり、腹立ちの感情を起こしたりすると、それによって治るものも治らなくなる場合もあるんですから。
こんな風にして、彼女は、嫁を相手に、ひとつ、ひとつ行き届くという勉強をして行くわけです。
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