| [3816] <再掲示> インターネット道場―― 「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか) 第100回 |
- 信徒連合 - 2016年06月25日 (土) 10時16分
<再掲示>
インターネット道場――
「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか)
第100回
マサノブ君は、「生長の家ってどんな教え?」という本を書いています。これを読んでみますと、「マサノブ教ってどんな教え?」というタイトルが正確であります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』を換骨奪胎して、マサノブ君の個人的思想、―――サヨク唯物現象論に基づく環境問題が中心のもの、―――が「生長の家」の教えとして書かれているのであります。 最も重要な開祖・谷口雅春先生の大悟徹底(お悟り)や「生命的国家論」や真理の証し「体験談」、霊と霊界に関する事柄については全く書かれてはいないのであります。
「生長の家」の本当の『御教え』を知りたい人や真剣な求道を志す人たちにはマサノブ君の「今の教え」や「生長の家ってどんな教え?」は誤ったメッセージを送ることになっています。
また、本部公式サイトのインターネット講師による「生長の家」の普及宣伝を目的とする「インターネット・ポーサルサイト」では、マサノブ君は、全インターネット講師に『このブログは「生長の家」の真理普及のために開設しましたが、内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。 従って、私は「生長の家」を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、ご了承ください。』という一文を必ず掲載させております。誠に“奇々怪々”な文章であります。その結果として、本部公式サイトでありながら、殆んどのインターネット講師の真理普及のためのインターネット講座が、個人的な“私生活日記”の報告となってしまっています。
インターネットは全世界に公開されているものです。だから、開祖・谷口雅春先生が説かれた「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えしなければならないのでありますが、マサノブ君はその責任を放下してしまっているのであります。
そこで、本当の霊的真理を求めておられる御縁ある未信徒の人たちに正しい「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えする為に、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の根幹である部分を、何回でも何回でも繰り返して掲載して行く必要があります。この様な目的を以って、この「インタイーネット道場」を最初から再び<再掲示>させて頂きます。
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「時代即応」について
第三代目・谷口雅宣先生は次のようにも説いておられます。(要旨)
・ 皆さんは社会的凶悪事件が日本において増加していると思われるでしょうが、実はそうではなくて、警察庁発表の犯罪統計によれば凶悪犯罪は年々減少しており、従って現代の日本社会は歴史上稀に見るような平和で安定した社会なのです。ただマスコミの凶悪犯罪についての取り上げ回数が多くその報道も詳細にわたって書かれているので凶悪犯罪が増えている印象を人々が持っているだけなのです。
・ 地上で生活している現代の人類は、ただ自分たちの生きている時代だけの安定と繁栄を望むだけではなく、子孫の時代までのことを考えて生活しなければならない。これを<世代間倫理>といいます。この世代間倫理の問題で最大のものは人間至上主義の生活で犠牲となってきた自然環境と資源の枯渇であります。その意味で現代世界・現代日本の最大課題は地球環境の改善回復ということなのです。
・ 「生命の実相」第33巻・随喜篇第3章には「悟りというものの説明の仕方は、形ですから、その説明の仕方は不断に変化しなければならない。自ら変化しない宗教は形骸化する。自ら宗教改革しながら進んでゆく宗教であってこそ永遠に生きる。」とあります。従って時代即応の教え――日時計主義・国際平和・地球環境・世界宗教イスラム・理性主義が「今の教え」の主な内容であります。
第三代目・谷口雅宣先生は上記の如く「生命の実相」第33巻をその立脚点として「今の教え」の必要性と正当性を主張されます。
しかし、同じ「生命の実相」第33巻第4章には次の言葉があります。「・・・悟りという生々流動の<いのち>というものは表現形式の奥の奥に形を超えてある・・・」。
これは換言すれば、<表現形式という形の変化(変革)は必要である。ただし、生々流動の久遠を流るる「いのち」をしっかり把握してその土台の上に立った形の変化でなければならない。そこから逸脱した形の変化は許されない。>という事であります。
更に、第3章「真如を生きる」の文中には「形式の変化し壊れてゆく形の奥に流れている<いのち>というものを見なければならない。・・・それですから「生命の実相」の説くところは永劫変わらざる真理だけれども、その説き方が斬新であり現代人の肺腑を衝くところに本を読んで病気が治る心的革命がその読者の心に起こって来たのであります。」つまり、<霊的感動を伴う>人・事・処三相応の表現形式が大切であるという事であります。
「生命の実相」第14巻・倫理篇下巻には「虚説に和解してはならぬ」とあり!然らば「真説(正説)」とは?「虚説」とは?その見分け方は如何?!これが大切であります。
・ 第三代目・谷口雅宣先生は、この見分け方の基準を「理性」に求められていると推察できます。しかし改めて「理性とは?」となると明確な説明は無いのであります。この見分け方の正解は、<真説(正説)は真如すなわち「久遠を流るる生命」の世界から出てきたもの>で、真説(正説)は実相世界にその源が存在するものであります。これは肉体頭脳知のみの思索では到達出来るものではありません。
・ 真説(正説)に到達するには現象の存在を一切「無し」と全否定して「無の関門」を超えて百尺竿頭進一歩して実相世界に超入し、自らの実相生命の実相覚で以って絶対実在の絶対認識を為さねばならない訳でありますが、これは凡人の到底なし得ざるところのものであり、深き神縁による人のみが可能なのです。
大宇宙神界の摂理に基づき使命づけられた深き霊的機縁の熟した人のみであり、生長の家においては開祖・谷口雅春先生お一人のみであります。この事は「生命の実相」第20巻<神示を受けるまで>・「無門関解釈」<第6則世尊拈花の公案解釈>・「驀進日本の心と力」<日本学的大乗仏教の樹立>等の御著書において明白であります。
・ 以上の意味において生長の家の御教えの「真説(正説)」は、開祖・谷口雅春先生の実相把握(お悟り)の全相であって、その法灯継承者・谷口清超先生以下谷口雅宣先生をも含めて、すべてが雅春先生のお弟子さんであって、この「真説(正説)」を奉じてゆかねばならないのであります。
「時代即応」とは、この「真説(正説)」を人・時・処三相応に応じた説き方を工夫してゆくこと、霊的感動を与え失わしめないような説き方の変化・変革であって、開祖・谷口雅春先生のお悟りの全相から逸脱した真説ならざる<新説>を肉体頭脳知で作り上げて行くことではないのであります。
<新説>ではもはや大宇宙に今、鳴り響いている「真・生長の家」ではないのであります。雅宣先生の説かれる「今の教え」は何ら霊的感動のない学者的・評論家的「虚説」の部分が多く、その「虚説」の権威付けのために開祖・谷口雅春先生の真説(正説)の中から利用できる部分の引用(いわゆる真理のつまみ食い)を上手になさっているに過ぎないのであります。
しかし時々その引用が的外れになっているのです。この観が否めないというのが古参の信徒たちの偽らざる本音の感想であります。<私心>を無にして常に虚心坦懐・謙虚かつ真剣な求道心が必要かつ大切なる所以であります。
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