| [3817] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第43回 |
- 信徒連合 - 2016年06月25日 (土) 10時21分
開祖・谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明―― @ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』
A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』
★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。
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個人を救い国家を救う『甘露の法雨』とその奇蹟 D
“真理は汝を自由ならしめん” 神秘面より観たる『生長の家』四十年史(p.49−52)
<<(つづき)私は七年前、はじめてアメリカを訪問してロスアンゼルスの空港に着いたとき役千五百名の歓迎者を向こうにして、マイクが林立している前で、この事実を語って、“「真理は汝を自由ならしめん、汝は真理を知らざるべからず」とイエスは言ったが爰にそれが実証された。ここに真理を内臓する聖経がある”といって、携帯して往った聖経を右手で高く掲げながら叫んだものであった。
マイクに吹き込まれたこの話は全米の放送局を通じてラジオ・テレビで放送せられたのであった。このような大袈裟な伝道の機会が与えられたのは、ロスアンゼルスに本部を持つ新しきキリスト教“リリジャス・サイエンス”を主宰するウイリアム・ホルナディ博士が深切に計画されたプログラムによるのである。ここに深くホルナディ博士に感謝する。
原爆の“第三の火”も傷つけることが出来ないという奇蹟は、宮崎県の青年、甲斐延佳君にも起こったのであった。甲斐君は、もと満鉄に勤めていたが肺結核に罹って満州は気候が療養に適しないので、内地療養を許されて日本へ帰っているうちに『生命の実相』に触れ、“人間神の子・本来無病”の真理をさとると同時に病気が癒えたのであった。病気が恢復すると、恰度、大東亜戦争に差し掛かっていた時期であったので、召集されて軍隊勤務に入ることになった。
甲斐君は先ず長崎師団の輜重兵(しちょうへい)として入隊し将兵の被服をしつらえる係になった。彼は何月何日に入隊するということが決まると、“自分は生長の家の説く真理によって救われたのであるから入隊前に、一度生長の家の講習会を受けて「神の子」の自覚を深めてから戦場に臨みたい”と考えて、どこに此の月は生長の家の講習会があるかと調べてみたら、佐賀県の武雄市にあるということが判ったのである。そして武雄氏の講習会に来てみると、わたしの講話の中にこんな話が出て来た。「海征かば水漬く屍、山征かば草むす屍、大君のへにこそ死なめ顧みはせじ」などというような、海で戦争すれば味方の軍勢が“水漬く屍”になり、山で戦争するならば“草むす屍”になる言葉ばかり唱えて、一語も「勝つ」の“カ”の字もないような歌を唱って戦っていては負けてしまうぞ。そんな不景気な言葉を唱える者は「言葉の力」を知らぬ者だ。
“死ぬ”ことを、言葉で唱えれば、言葉の力で“戦死”を多く出す事になるから、“死ぬ”などということを唱えず、ただ「皇軍必勝、必勝生還」とのみ唱え、それを信じて戦うべきである。こういうような事を色々の実例を引いて私はその時、講演していたのであった。この午前の講義が終わって、控え室で昼食をしたためていると、甲斐君が日章旗を持って来て、そして硯に墨と筆とを用意して、自分が召集されて、一両日中に入隊することになっている事を話して、「今日の御講義まことに私のために話して頂いたような話で大変感銘いたしました。ついては先生のお言葉通り、この日章旗に“皇軍必勝・必勝生還”と書いて頂きたいのです」というのであった。
私は講習先で時々揮毫を求められることがあるのだが、単なる揮毫であるならばお断りするのであるけれども、午前中に自分が講義した文句でもあるし、もう直ぐ応召して戦場に臨む人の願いであるので、もだし難く、日章旗の両縁の白いところに“皇軍必勝・必勝生還”と墨、黒々と祈りを凝めて書いて差し上げたのであった。甲斐君は、その日章旗を常に腹巻とし、その腹巻の間に『甘露の法雨』を捧持して軍隊生活に入ったのである。
彼は輜重兵(しちょうへい)として軍服や下着の調達の仕事を受け持っていたが、それが出発ぎりぎりの時間に間に合って、長崎港から出発する船に飛び乗った。それは軍が徴用した屋形船であって、船の中には既に兵隊がぎっしり乗っていて、足の踏み場もないような状態であったので、彼はその屋形船の屋根の上に乗ったのであった。屋形船の日覆いになっている屋根は日本建築の屋根のように傾斜していた。
その上に乗っている彼は、船が波のうねりで、もう一層傾斜すると、屋根が一層急勾配になるので、彼は屋根からすべり落ちて、肩を並べて坐っている兵隊の膝と膝の間へ割り込むように横倒しになったのであった。その瞬間、船の真上で敵の爆弾(砲弾かも知れない)が炸裂したのであった。頭をならべて乗り込んで坐っていた兵隊たちは、その敵弾の炸裂をまともに受けて全員戦士したのであったが、甲斐延佳君だけは兵隊の膝の間に横に倒れて兵隊の腹や背が防御の楯のようになって自分を護っていてくれるので身に微傷をも帯びないでいた。
それは「皇軍必勝・必勝生還」と私が書いた日章旗を腹巻として、その中に『甘露の法雨』を捧持していたお蔭だと私は考えたいのであるが、そのように考えたくない人は偶然の僥倖であると考えても良いであろう。
それから後、甲斐延佳君の所属の部隊は変更になって、長崎に原爆が投下せられた時には、彼は高射砲部隊に属していた。原爆が投下された日は、よく晴れた日だったらしい、非常に暑い日で高射砲部隊の人々は、上半身は上着もシャツも脱いで裸で、ズボンだけの軽装になっていた。原爆を投下したB29の逃げ去る跡を追って彼は、その高さを追跡するための測高機を見詰めながら伏向いて裸の背を空に向けた姿勢でいたのだった。
突然、甲斐君は、爆弾の爆音と共に何千噸ともいうような重量の圧力を裸の背に感じて、体を上から下へと押しつぶされた。彼は踏み潰された蛙のように其処へヘタバッテしまったのであった。極近い距離からプルトニュームの原子爆弾の爆風と照射を、彼は何も覆うものなき裸の背中から浴びたのであった。
しかし彼は「皇軍必勝・必勝生還」と私が書いた、腹巻の中に『甘露の法雨』を捧持していた。彼は「真理」と一体になっていたのだ。彼の背中は、数日間、海水浴に往ってきた後の日焼けのように少し赤くなってただけで、その後爛れることもなく、ケロイドになることもなく、間もなく普通の皮膚に返ったのであった。彼はその後、原子病に罹る事もなく、戦争が終わると、この神秘の体験をひっさげて宮崎県の生長の家青年会の支部執行委員長として青年たちの訓育に尽くして来た。
青年会員の資格は三十五歳までであるというので、私が海外布教旅行に出かける少し前の年に、彼は青年会支部執行委員長の重責を満了して、ある生命保険会社の外務員として就職したが、私の海外旅行の前年、宮崎市で講習があった時に、あの長崎で原爆を受けた時の体験を多くの受講者の前で話したのだった。甲斐君はその時、生命保険の外交でも、生長の家の真理を生活に応用してやっているので、第一位の成績を挙げて表彰されたと言っていた。まことに「真理は汝を自由ならしめん」である。
原爆の被害からの自由、貧乏からの自由、病気からの自由、一切の災害からの自由、一切の不幸からの自由・・・これらは皆“内”から得られる自由であるのである。>>
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