| [329] インターネット道場 ――― 感激的体験記 ・ 菊地藤吉先生 「サヨク共産主義からの廻心」 <その一> 「ここに道あり」より |
- 信徒連合 - 2015年08月24日 (月) 07時16分
インターネット道場 ―――
感激的体験記
菊地藤吉先生
「サヨク共産主義からの廻心」
<その一>
「ここに道あり」より
はしがき
「ああ長生きをしていてよかった。これでなにも心残りがない。わたしはもう、いつ死んでもよい」。そう言って喜んでくれた母は、それから四ヵ月後の九月十五日(老人の日)に八十三年の生涯を閉じて、安らかに昇天した。あの日のあのときの言葉を、私は今なお忘れることができない。
思春期のころから、人間は何のために生れて来たのかと悩みだし、これを解決しようとして、あちこちを尋ねたが納得できなかった。そして遂には唯物論的な社会運動にとびこみ、いつも人類の幸福という大それた願いを口に叫びながら無謀な闘争に明け暮れ、あまりにも長い間、灰色の悪夢を追いつづけた。結果は、自分ばかりでなく、両親や親類を苦しめ、社会にも迷惑をかけ、さらに戦後日本復興の重大なときに、多くの純真な青年たちを唯物論的な迷いの中に誘い入れた。しかし、その間、ただの一日も、いや一刻も本心から喜べるときはなく、ますます憎しみの心が増し、闘争に浮き身をやつすようになっていっただけであった。
ノイローゼになり、自殺の心が常に頭から離れなくなった私は、やはり根本的に「人生の目的」を究明しなければ、幸福も希望もないことに気がついた。そこで日蓮宗総本山身延(みのぶ)をたずねたり、東本願寺、キリスト教会、最高道徳を遍歴したが明快な答を得られなかった。そして最後に谷口雅春先生の「生命の實相」哲学に導かれ、それまでには予想も出来ないくらい人生観が明るくなり、新生の生甲斐が感じられた。気がついたときには、いつの間にか家庭も職場も、周囲のいっさいも調和されていたことは大きな驚きであった。
はじめて「人生の目的」が自覚され、生命の奥底からの悦びを感じたとき「あの子のことだけが心配で死に切れない」と長い間嘆きつづけてきた母までが、喜んで喜んで大往生に導かれたのであった。
青年の多くは、世界平和の理想を高く掲げて邁進しようとする。しかし、純情であるだけに、現実の不完全さに心を捉えられ過ぎて、理想達成の方法手段をあやまり、そのために悩み、苦しみ、自他ともに不幸にしていることも非常に多い。
少年院や少年刑務所で若い受刑者たちに話をするとき、私はいつも長い間の苦しんで来た悪夢が「人生の目的」を自覚する事によって、まったく肉体細胞の一つ一つも、血液も、自分の体の中に入れ替わったようなよろこびを感じたことを、感謝いっぱいで話させていただく。また毎年全国的に行われる高校生練成の折にも、生徒たちから、真剣に人生問題の相談を受けるが、やはり体験を通して「人生の目的」をハッキリ話すとき、かれら若い魂の持ち主たちは目を輝かせて「希望が湧いてきた」と立ち上がってくれる。
この小さな体験の書は『理想世界』誌に連載されたものを、まとめて発行していただくことになったものであるが、現代の世相の中で、何が本当で、どのように生活することが正しいのか、と真剣に道を求める若人のために少しでもお役に立てば、と念願している。また「今の青年は扱いにくい」という大人の言葉をよく耳にするが、なぜ高校生、大学生を含めて現代の青少年が大人の社会に反抗心をもつのか。世の指導者が、その“若い世代の反抗の心理”を少しでも理解して、正しく導いていただくためにお役に立つならば望外の幸である。
なお人生の本当の悦びを得たい、と熱願する青少年諸君は、本書にもたびたび記したが谷口雅春先生が、あなたのために特に深いご愛念を以って書いて下さった『生命の實相』をぜひ熟読されることを、あなたの真の幸福と世界平和のために、心をこめてお奨めする次第である。
昭和三十九年一月 著者しるす
第一章、「何のための人生か」および 第二章「真実を求めて」は、――― 「生長の家 今昔物語」をお読み下さい。 http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/category/17/
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第三章 目覚めゆく魂
1 魅力ある指導者
飛田給道場では練成を受けて、どうやら<すべてを観世音菩薩と、拝むことができる自信がついた>と思ったのに……またしても失敗をくり返してしまった。
それは、練成も終りに近い十二日目であった。(その当時、練成期間は二週間で、月に二回実施されていた)六月末の暑くて、眠り難い夜であった。十時の消燈時間が過ぎてから、凉を求めて、一人、二人と表へぬけ出して、いろいろ話しこんでいるうちに、各県の盆踊りの話になり、みんなが輪になって、各県の代表者(?)からそれぞれの盆踊りを習いながら、いつの間にか大きな輪になって躍り出していたのであった。それが、だんだん調子に乗って、歌声も大きくなり、ついに徳久講師の家にも聞こえたらしい。
「もう遅いから、踊りをすぐ止めさせるように」 と事務室へ電話がかかって、誰かが注意をされたが、夢中でやっている私たちには聞こえなかった。いつまでも踊りが止まないので、とうとう徳久講師が家から出てきて、 「やめなさいと注意したのに、どうしてやめないのですか、付近の農家の人たちも迷惑するから、もうやめなさいッ」 と注意された。
叱られたので、踊りは急停止したが、どうもなんとなく後味が悪い。<徳久講師は、今朝から「神は愛なり」と、何べんも言ったのに、叱るとはどうしたわけだ。><本部講師なら、まず「ありがとうございます」と、私たちに合掌するのが本当のはずだ。><よしっ、どうして叱ったか聞いてみよう。>
ちょうど特別乱暴者ばかりが、集まった練成会であり、終戦後のまだ若い人たちの気のたっていたころでもあって<練成を受けにきている>という自分たちの立場を、すっかり忘れて、代表者数名が徳久講師の家へ抗議に行こうということになってしまった。しかも、いつの間にか、私がその張本人の一人になっていたのだからしまつが悪い。(いっさいを観世音菩薩として拝むためにという目的は、どこかへ行ってしまって……)
徳久講師の自宅に近づいて外から見ると、縁側から見える座敷で、瞑目合掌して神想観を行なっているようであった。それをみた一同は「どうする」と顔を見合わせたが、誰かが「入ろう」と言うので、玄関を開けたのであった。今考えてみると、本当に恥ずかしい、勝手な、反省のない所作であった。
ところが、どうもこの結果は、まことに驚きであったのである。こちらから何か言おうとする前に、徳久講師から、「先ほどのことは、どうか許してもらいたい」と頭を下げられ、 「きっと皆さんは怒っておられるでしょうが、これは決して“生長の家”の教えが悪いのではなく、この徳久が至らなかったのです。谷口先生は、私を信頼して下さって、もう徳久なら、こんなことで腹を立てることはないだろうと思われたからこそ、この道場の責任者として下さったのに、あのようなことで大声を出したりして、きっと皆さんは気分を悪くされたことでしょう。これは谷口先生のご信頼を裏切ったことになるので、ただ今そのおわびと、今後はかならずご信頼に背かぬよう精進いたします、とお誓いの神想観をしていたところです」
と頭を下げられた徳久講師の目には、涙が溢れていた。せっかく意気込んで行った一同は、一言もなく戸惑ってしまった。「ハァ」と言ったきり、しばらく黙っていたが、そのあとでものすごい感動を受けて、「私たちが悪かったのです」と深く詫びて戻ってきたのであった。
さらに翌日、早朝行事の時間に、徳久講師が壇上から、練成会員一同に昨夜と同じように詫びられたのには、全練成会員が感激した。そして一人一人が、「残された期間を、本当に真剣に行じましょう」と堅く誓い合って、実にすばらしい雰囲気の明るい練成会になったのであった。
<これが宗教の世界であったのか。>私も、ただただ感激の連続であった。宗教の世界とは常識の世界では考えられない、なんと美しい世界であろうか、と嬉しくなったのであった。
昔から、宗教とか精神修養の説教者と言えば、なんとなく高いところから、「わしは絶対に間違いをしないから、おまえたちも悪いことをするな」というような高慢な感じの指導者が多いのであるが、実は、若い者は、そんな指導者には全く魅力は感じないのだ。指導者であっても、ある時は、失敗することもあろう。そんなとき、年少者であろうと、下役であろうと、生徒であろうと、相手に対して、「悪かった」と詫びられる人、こんな指導者にこそ青少年は、本当に心から親近感と尊敬とをもって<あの人なら従ってゆこう>という気持を起こすであろうということを、この練成会で学ぶことができた。
それは、神に対して、真の懺悔がなされたときに、自分の立場にこだわることなく、どんな相手にも詫びることができるのであって、その真心こそが、あらゆる団体、あらゆる社会の指導者にとって最も大切なことである。人は親近感を覚え、尊敬したときに<あの人の言うことなら、何でも信じて実行しよう>とするものなのだ。
練成が終ったとき、私は北海道へ帰る前に、日蓮宗の本山である山梨県身延山に行きたいと思った。それは“生長の家”の教えを受ける以前、いろいろ宗教団体を巡り歩いたとき、身延山へ行って、当時の管長と一問一答のとき、喧嘩別れになったことを思いだして<せめて、あの時のことを詫びて,礼を言ってきたい>と思ったからであった。
荷物を飛田給道場に預けて、身延山に参ると、すでにその時の管長は他界されていたので、墓参だけして、再びを飛田給道場の玄関に帰ったときは、まるで自宅に帰った時のような魂の安らぎを覚えた。飛田給道場は、まことに“魂の故郷”であった。元気よく、「ありがとうございます」と事務室の人たちに挨拶をすると、会計主任が、「菊池さん、実は相すまぬことをしまして……昨夜この道場へ泥棒が入って、あなたのボストンバッグをはじめ、三人ほどの荷物が盗まれたのです。それで警察へ届ける都合上、内容品を書いて下さい」 と言うのであった。
内容品は、だいたい肌着類であったが、そのほかに実は、故郷の小学校から、「東京で運動用具を買ってきてもらいたい」と、手紙でたのまれ、為替(かわせ)で二万円送金してきたのを、郵便局で現金を受け取り練成中は毎日のように「貴重品は、事務室の金庫へ預けて下さい」と全員に放送をしていたのに……。
まさか“生長の家”の道場へ泥棒が入るとは思わなかったし、それに、<一回ごとに、事務室へ預けたり、出したりするのは面倒だ>と思って衣類といっしょにボストンバッグに入れて、金の入っていることは言わずに、預けてあったのだ。<さあ、どうしよう>と思ったが仕方がない。
「衣類のほかに、現金が、二万円入っていました。」 <こんなこと言ったら、きっと道場側から「どうしてあれほど言ってあったのに、現金は事務室へ預けてくれなかったのですか」と叱られたり、「帰宅も近いのに、本当にそんな現金を入れていたのですか」などと疑われたりはしないだろうか>と思ったりしていたのだが、徳久講師がそばへきて、
「道場で預かったのですから返済します。どうか君もそんなことで力を落とさぬように……」 と、慰めてくれたのであった。<こちらの落度であるのに、一言も責めもしないで、しかも全然疑いもせずに……。>私は、半ばあきれてしまった。<こんな常識を超えた“愛”の世界があったのか。>今までの私は、どんなことでも、人の言葉の裏を、一応は疑ってみるような性格であった。そのことも深く反省した。
「いや、こちらが道場の注意を守らなかったのですから、返済していただかなくても結構ですが、故郷の学校から頼まれて、運動用品を買って帰らなければならないので、一時お金を貸して下さい。かならず年内に返済します」 と言うと、「返済の心配はいらない」と言う。魂の世界、愛の世界を生活する人たちの、なんと立派な態度であろうか。過去において憎みながら、闘いながら、心の奥では、長い間こんな美しいパラダイスを求めてきたはずであった。それが、今、ここに実在していたのであった。
道場から盗難のことを、谷口先生にご報告したのであろうか、翌日、「谷口先生から、あなたへです」と小包のようなものを道場から渡された。 開いてみると、新品の靴下、シャツなどの肌着類が入っていて、その上に美しい字で「北海道の菊池様へ」と書いた紙があり、谷口輝子と書かれてあった。内容は「このたびは、大変なご災難でした。どうかこれを着られて、元気にお帰り下さい」と、やさしい慰めの言葉がいっぱいであった。私は、その包みを開けたまま泣いてしまった。
<神愛の世界、天国の世界。なんと表現したらよいのだろうか。私が悪いのに……誰もそのことを忘れているように、ただただ愛をもって接して下さる世界。>私は、どうしても、一言お礼を申しあげてから帰りたいと思った。丁度、その翌々日、当時の赤坂に“生長の家”の本部道場があって、そこで谷口雅春先生の講習があるというので、二日ほど帰郷を延ばして受講した。
はじめて受講したときの感じはあの烈々たる文章を『生命の實相』に書かれた方とは思われぬほど優しい、穏やかなお人柄であった。そのときのお話の内容は、 「すべてのものには神の生命が宿っているのである。万物ことごとく生命であるから、これを礼拝し、感謝しながら使用することが大切……もしも今まで使用していた物が、失われたり、お金を盗まれたりするようなことがあるとすれば、それはその人が、その品物に、あるいはお金に対して、感謝を忘れ、愛を忘れたときである。それだから、いつまでも失ったことにくよくよしたり、盗んだ人を恨まないで、そのことによって、さらに今後はいっさいの品物に、またはお金に、感謝と愛の心をもって生活するような反省の動機を作っていただいたのだと感謝をして、また盗んだ人のためにも“このことによって、かならず神性・仏性が現われて、正しい生活に導かれますように”ということを、深く祈ってあげることが大切である。そうすれば、かならず祈った人も、その愛の心が、神の愛の心に波長が合うので、今、失った物よりも、多くの宝(幸福)が、その人に返ってくるのである。恨みや、憎しみの心は決して誰のためにも幸福をもたらさない。」
お話し下さる先生は、本当に愛そのもののまなざしで、たくさん聴講者がいるのに、全く私一人のために、私の今の心構えを、諄々と説いて下さるような気がした。私は、ただ、「ありがとうございます。そのとおりでございます。ハイそのように祈ります」と、心の中で誓った。何度ふいても感激の涙がでて、たくさんの人に顔を見られるのが恥ずかしかった。
<なんという偉大なる教えであろう。>私は、この教えに導かれたことに、心から感謝を捧げた。 「谷口先生にお礼を申し上げたい」 と申しでた。 「ご都合で輝子先生がお会い下さるから廊下で待っているように」 とのことで私は緊張しながら、何度も何度も、お礼を申し上げる言葉を、心の中で練習していた。<このたびは、私の不注意にもかかわらず……。>
しかし、観音様のようなやさしく気高い輝子奥様が、親しそうにこちらへ近づいてこられるのをみると、もう感激いっぱいで出そうと思った言葉がとまってしまった。心の中では、自分を叱(しつた)するのだが、涙で、お礼の言葉など一言も言えなかった。奥様の方から、いろいろと話しかけて下さって慰めて下さるのだが、なんだか上気してしまって、その言葉すらも覚えていないくらいだった。あまり時間をとっても申しわけないと思って辞そうとしたとき「北海道の光明化をよろしくお願いします」と言われた言葉だけは、今もなおハッキリと耳に残っている。 <どうしてだろう。>私は、あの闘争委員長時代の勇ましい自分を思い出しながら、その日の小羊みたいな自分が、不思議で不思議でならなかった。<恐いもの知らずの自分だと思っていたのに……結局、形での威嚇(いかく)ではなしに、“聖なる愛”こそは、いかなる猛しい者も、心から尊敬によって従順にならざるをえないのだ。それはおそらく虎であってもライオンであっても、“真の愛のまなざし”の前には、従順にならざるをえないであろう。>そのとき私は生命の奥底からの決意が湧き上がってきたのであった。
<もうぐずぐずしているときでない。私はまだ“生長の家”の真理は、完全にわかってはいないが、谷口雅春先生、輝子奥様をはじめ、講師の方々が尽くして下さった神そのものの愛、真実の愛によって、こんな偉大な愛を実践する“生長の家”こそは真の正しい真理の教えだ。いっさいの過去をいさぎよくかなぐり捨てて、より正しきものにこそ生命をかけて、感謝報恩行を実践しよう。まことにも愛の実践こそは、いっさいを救う最高の真理なのだ。>
輝子先生のお言葉が、「北海道の光明化をよろしくお願いします」と暖かく耳に残っている。
<よしっ、愛の実践者として、北海道の光明化に挺身しよう。> いっそう洗い清められた気持で、嬉しく明るく、いよいよ決意を固めて帰郷したのであった。
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