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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[343] インターネット道場 ――― 感激的体験記 ・ 菊地藤吉先生 「サヨク共産主義からの廻心」 <その三> 「ここに道あり」より
信徒連合 - 2015年08月26日 (水) 07時18分




インターネット道場 ――― 


感激的体験記 


 菊地藤吉先生 


「サヨク共産主義からの廻心」


 <その三> 


「ここに道あり」より




3 共産党のリンチ


 共産党員時代には、多くの青年を共産党に入党させ、それらの青年たちは、もちろんその家庭をも破壊し、二千六百年の輝かしい歴史を持つ祖国日本さえも、破滅の方向に突きおとそうとしていたことを、“生長の家”の教えによって気づいた私は、<祖国日本の再建のためには、どうしても“生長の家”の教えを、特に青年たちに伝えなければならない>と決意して、相愛会という一般の信徒の集会も結成したが、さらに“生長の家”の青年会結成に大いに力を注ごうとした。

教えがすばらしいから、『生命の實相』や、その他の谷口雅春先生の著書を読んでくれた若人たちは、すぐ感激して青年会に入会したが、なにせ以前は、あれほど多くの人たちに迷惑をかけ、暴れていた私だから、なかなか抵抗も多かった。

 M村の青年団の幹部に会って、いろいろ話をして、やっと、
「それでは、団員を集めて座談会を開きましょう」
というところまで話が進んだとき、そのことを聞いたM小学校の校長先生は、私の前身を知っていただけに、非常に心配して、その村の青年団員たちに言ったという。

「共産党のやり方は、目的のためには、手段を選ばずというから、君たちも、どんな話をされるか解らない。その座談会は断った方がよいだろう。」

 さらに駐在の巡査からも、同じ意味の注意を受けたからという理由で、「まことにすみませんが」と、せっかく計画した座談会を断ってきたのであった。

 昔の私であったら、おそらく、その校長を非難したり、警察官に、どなりこんだりしたに違いなかったが、<こんなすばらしい教えを広めようとしているのに、いったい何が、断られた原因だろう>と静かに反省し、一人でも多くの青年たちが正しい道を知って進まれるために、<神様、どうか、あなたの最も適当な導きをたれ給え>と祈ることができた。

 その時、フト思い出したのは、前に、闘争、闘争の明け暮れをしていたときに、私の村の小学校の老校長が、私に対して、
「共産党もよいかもしらないが、あなたのやり方はひどすぎる」
 と注意にきてくれたことがあったということである。

あのときは、
「あなたの話を四十三分も黙って聞いたのだから、こちらも四十三分言うだけの権利があるし、あなたは四十三分聞くところの義務がある」
 などと言って、私だけが、機関銃のようにタタタタと話しつづけたため、とうとう老校長は黙って帰ってしまったことがあった。あのときは、<こちらが最後まで言ったのだから、こちらが勝ったのである>などと、長い間、高慢にもそのように思っていたことであった。

<そうだ、あの老校長にも詫びて、感謝することを実施しよう>と思ってさっそく、老校長の宅へ行って、あのときのことを、
「私が悪うございました。どうかお許し下さい。今は、あのときのご愛念を心から感謝しています」

 と心から詫びた。老校長は、黙って私の顔を見ていたが、しばらくして、目に涙を浮かべて、嬉しそうに、
「よく気がついてくれたね。いや、あの時は、菊池さんも、これほど馬鹿だとは思わなかった。もう病も膏肓(こうこう)で、この人は救いようがない、と思ったから黙って帰宅したのでしたよ。それにしても、よく気がついてくれたね。よかった、よかった」
 と、まるで自分のことのように喜んでくれた。全く恥ずかしい話である。

とかく若いときには、
「私がこう言ったら相手は何も言えなくなってしまった」
 などと勝ち誇ったように言う人もあるが、その場合、この老校長のように、<この人間はもう救われない。言っても駄目だ>と思ったときに黙ってしまう、ということもあるのであって、相手が黙ってしまったら、かならずしもこちらが勝ったのではなくて、若い時代こそ、経験者や先輩に注意されたときに、その注意されたことは、自分を見込みがあるから注意して下さったのだと、大いに感謝して受けるべきであることを学んだのであった。

 そこでさっそく、この老校長に、私が“生長の家”によって救われたことを話すと、ますます喜んでくれたので、さらに今、M村の青年会員との座談会が、開催不可能のような状態になっているので、協力を頼むと、「M小学校の校長に、私からも依頼してあげましょう」と快諾してくれた。

 やはり「天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である」ことが真理であり、それを実践したときに、現実化してくるすばらしい教えが、“生長の家”であった。私は嬉しくなった。その時『生命の實相』第四巻(頭注版画および携帯版は第七巻)を開くと、「艱難(かんなん)を光明化せよ」という谷口先生の力強い言葉が、目にとびこんできた。

「我が向かう先は常に明るし、たとい周囲のものすべて暗くとも吾は常に光明を見る。吾れ自身光明にして暗黒のうちにも光明を放てばなり。」

 私は、青年団の座談会を断られたことが、なんだか嬉しくなった。自分でも不思議だと思うほど、心が明るくなってきたのであった。そこで、M村に出かけて行って、その青年幹部たちに言った。

「その座談会は、ぜひ開催することにして下さい。そして“生長の家”では、どんなことを言うか、校長先生と警察官を、監視と助言のために、その会場へ招待して下さい。そして菊池が、もし不穏なことを言ったら、その場で直ちに、校長先生や警察官に『訂正して下さい』とお願いするのですよ。」

「私たちは話を聞きたいと思っているのですから、ぜひそのようにさせます」
 と青年たちも言うので、その座談会は開催された。光明化の熱意をもって、祈りと聖典から導きを受けて、努力すれば「不可能は可能になる」ことも、このとき自覚した。

 M村の小学校長、派出所の警官も出席したが、まっ先に喜んでくれたのは、この二人であった。閉会の挨拶には、校長みずからが、「ちょっと私にも一言!」と申しこんで、
「この“生長の家”の思想こそ、新しい時代の青年に最も必要な教えであると思われるので、どうか今後とも、たびたびこのような会合をもって勉強してゆくことを望みます」
 と結んでくれたのであった。

“生長の家”の教えこそは、今、青年たちの、いや、すべての人の最も渇仰(かつごう)している真理道なのだ。
 近村には、“生長の家”青年会も増設されて、昔は私といっしょに、闘争に浮き身をやつしていた青年たちも転向して、“生長の家”にきてくれるようになった。

 私が共産党を脱党するときには、『生命の實相』に書いてある、「犬は逃げる者を追いかける」との章を読んで、<これだ。コソコソ逃げるからリンチを受けるのだ>と思ったので、こちらから『生命の實相』第七巻・倫理篇(頭注版および携帯版は第十三、十四巻)を持参して六人の幹部に贈呈して「私はこれから、この精神で世界平和に尽くしたい」と宣言したので、結論としては、「仕方がないだろう」と承認してくれたのであった。

 しかし、さらに優秀な青年党員たちまでが、“生長の家”に転向するのは黙って見ておれなかったらしい。「菊池にリンチを加えろ」との声が、細胞内に起きて、「よしっ」とみずからその役割をかって出たのが四人、そのうちの二人は、以前、私が共産党に入党をすすめた青年であった。

 冬の青年誌友会の夜、二十人ほどの集まりで『生命の實相』の輪読会をしていたとき、突然、会場(私宅)の玄関に、四人の共産党の青年が現われた。酒を飲んできた様子で、最初は、私たちの輪読会にいちいち、「それが“生長の家”か」などとケチをつけていた。

<どうしようかな>と思ったが、あまりうるさいので、「今日の集会は、これで終りにします」と閉会を宣して、一同で終りの神想観に入ってしまった。

 それがいけなかった。今の私なら、きっと四人のそんな現われに心を引っかからせないで、その奥の神性、仏性である彼らの実相の現われを祈ることができたであろうが、そのときの気持は、全然「相手のために祈る」などという考えは起きないで、ただ<うるさいから、相手を無視してしまおう>という気持だけであった。

 それだから、この四人は私の考えを敏感に感じて、暴力行為の決意を固めたらしい。私は神想観を行じながら、なにかしら背後に危険を感じて、<来たな!>と思ったが、そのときはすでに遅かった。イキナリ後頭部に、ガーンと鉄拳(てっけん)を食らった。<アッ>と思ううちに、背骨をしたたか、足蹴にされた。<野郎っ。>私は、神想観をしていることを忘れて<こいつらは、昔の私を忘れたな。いま“生長の家”の教えを受けているからこそ、おとなしくしているけれども、昔の私であったら、きさまたちの三人や四人は、いつでも相手になってやれるのだ。ようしっ、久しぶりに実力を見せてやろう>と立ち上がろうとした。

 その時であった。自分の魂の奥底から声が響いてきたのだ。<観世音菩薩だよ!>と。
 私は「ハッ」とした。“生長の家”の教えを受けた当初から、短気を直すために、<いっさいの人々を観世音菩薩として拝むことができますように>と祈ってきたことが、ときにふれ、折にふれて、このような形となって、神からの導きをたれて下さったのだということが、直感として悟ることができた。

<そうだ。だれがいったい、他人に嫌がられてまで、私をなぐりにきたい者があろうか。最近の集まりでは、しきりに「人を赦せるようになった」とか「拝めるようになった」などと体験談を話して歩いていたが、さらにどれだけ気が長くなったか、拝めるようになったかを計ったことがないので、今日は、神が「多勢の前で、なぐられても、足蹴にされても、赦すことが、拝むことができるかね」と特に、この人たちを観世音菩薩として、今ここに、遣わして下さったのだ>と、心から信ずることができたのだ。

 なぐられたことは、確かに痛かったが、その痛さにもまして、あの短気であった私が、今、現実に私をなぐっている人たちを、観世音菩薩として観ずることのできたことが嬉しかった。それは、他人には解ってはもらえないかもしれないが、私としては、涙の出るほどの嬉しさであった。私は、そのような感激の中で、「ありがとうございます。ありがとうございます」と合掌をつづけることができた。

 一つなぐられるたびに、昔、離党しようとした共産党員に、私がリンチを加えたときの姿が、蘇っては消え、蘇っては消えて……。そのような自分の過去が、今、このことによって、一つ一つ清められていくのだと思われて、痛い中にもすがすがしさを覚えるのであった。そして、「神よ、これらの人たちを赦し給え。この人たちは、何をするのが本当なのかを知らないのですから……」
 と、イエスの祈った祈りが、自分のものとして祈ることができた。

 やはり、真理は人を恨み、憎み、暗い心の時に悟られるものではなく、嬉しく楽しく感謝し、魂の悦びがあるところにいっそう深く悟られるのだということが解った。<きっとこのことを通して、この四人も、神の祝福を受けて、“生長の家”に導かれる。>なぜか、そんな最中に、そのように感じられて、感謝が、いや増すのであった。こちらが、黙って拝んでいるのでは<喧嘩にもならない>と見てとったのか、彼等は案外早く引き揚げて行った。

 やがて神想観が終ると、今まで祈っていた“生長の家”の青年たちがいっせいに立ち上がった。
「黙っていたけれど、くやしくて涙が出た。ここで彼等をやっつけたのでは、後になってこの家に迷惑がかかるから、と我慢していたが、もう大分遠くへ行ったはずだから追い打ちをかけてくる」
 といきりたって言う。

私には、その気持が、解らないわけではなかったが、
「皆さん、昔の私だったら、あの四人ぐらいは、一人で十分に相手になれますよ。しかしね、“生長の家”のおかげで、本当に、あの人たちを、観世音菩薩として拝むことができたのですから、それは止めて下さい」
 と私の心の中を話した。

「へえ、そうですか」
 と、不審そうな青年もいたが、その中の一人が、
「実は失礼ですが、あの時、菊池さんがどんな態度に出られるかと思って、興味をもって見つめていました。もし暴力をもって応じられるようであったら、自分は『口では“神は愛”などと言っても、実行できないような“生長の家”は、にせものだ』と畳を蹴って帰ろうと思っていたのです。それが“生長の家”とは、本当に立派な教えだということが解って……」
 と泣いているのであった。

まさに、あの夜の集会には、いろいろな天使が導きにきていて下さったのであったことを、心から感謝した。妻も「あの短気であったあなたが……」と喜んでくれた。昔は、家で客と酒を飲んでは、たびたび喧嘩をした姿を見ているので、こんなに変わった私が嬉しかったに違いないのである。

 それから四日目の朝、あの暴力を振った四人のうちの二人が、わざわざ私を訪ねて、
「謝罪に来ました。赦して下さい」
 と言ってきた。
「共産党の方でも先輩であったあなたに暴力を働いて申しわけないと思いまして……」
 には苦笑させられたが、
「いや、君たちを観世音菩薩として拝むことができたのだよ。心配しなくてもいいんだよ」

 と言ったが、その意味は、本当には解らなかったらしく、
「冗談を言わないで下さい。なぐった僕たちでさえ、気になってあれからは夜も安眠できなかったのですから、なぐられたあなたは、どんなに怒っているかと思って……」

「それが“生長の家”のおかげで拝めたのだよ。」
「そうですか。“生長の家”には、僕たちが読んでも解るような本がありますか。」

 私は、涙が出るほど嬉しかった。祈りは、神によってきかれたのであった。
「あるよ、あるよ。これを読んだら、君たちのような頭のよい人はかならず解るよ」
 と『生命の實相』の第四巻と、第七巻を貸してやった。もちろん、その二人は、その後、北海道の生長の家”青年会員として、特に地方練成会等で活躍し、今では、相愛会の中堅幹部として活躍している。

 私は、このときのことで、<人間は、肉体が喜んでも、魂が本当に悦ばぬこともあり、反対に、肉体は苦しめられているようでも、本当に魂の奥底からの悦びを味わう世界があるのだ。それは、現象の奥の“生命の實相”を悟れて、愛をもって相手のために祈るときである>ということを、深く深く味わうことができたのであった。





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