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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[4142] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第62回
信徒連合 - 2016年07月14日 (木) 08時13分




谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――


@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』

A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』

★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。

******************




平岡初枝先生「しあわせを見つめて」より H  




<念は通じる、−−− 不思議な念の働き>


ある曰の木曜会(出席者。平岡他五名)


平岡: 今日は、念は通じるということを中心に、お互いの体験をもち寄るはずでしたね。


西野: 気がついて見ると、これまでにも、よくあったわけですが、ご承知のように、私の末娘は富山へ縁づいていますが、どうかすると何でもないことから、あの娘のことが思い出される時と、十日も半月も思い出さない時もあるのです。先日近所のお宅に報恩講があって、お供えのお餅をいただいたのです。その時、「正子は餅がすきだ。食べさせたいが、富山にわざわざ行くだけの暇もない」と、そんなことを朝から何度となく考えていましたら、その日の午後に娘がヒョイとやってきたのです。「あれまあ、どうして……」と言うと、「大きな松葉ガニをもらったので、お母さんに一匹食べてもらおうと思って……」と言うのでした。念は確かに通じるものですね。


柳川: 私は北海道の叔母のことですが、3月か4月に一回の手紙ですが、どうかすると、「どうしていられるだろう。書かねばならぬ、書かねばならぬ」と急き立てられるような思いになるのです。急いで手紙を出すと、入れ違いに叔母の手紙が配達されるのです。そんなことが時折あるのです。たしかに、念が通じるのですね。


中島: 念が通じると言えば、私の孫は生まれて1年2ヵ月ですが、毎晩、7時すぎには必ず寝る習慣がついているのに、木曜会の晩に限ってなかなか寝つかないのです。今夜も「おばあちゃん、おばあちゃん」と、私の傍にへばりついて離れようとしないのです。あれも念の作用でしょうね。


平岡: そうですよ。あんたが、早く寝せつけて逃げだそう、逃げだそうと、かまえている。それで相手の心の中に「逃がしてたまるものか、つかまえておかなくちゃ」という気持が何となく起こって、落ちついて眠れないのですよ。


高井: 昨日、小学校4年生の孫が学校で数学の試験があると言ったので「ああ今日はよい点がとれるよ」と、力強く頭を一つ撫でて出しましたが、その後私は、孫を思い出しては「今日の成績は満点、満点」と口に唱え、心で思いこんでいたんですよ。その通りに、孫は満点をとって来ました。


平岡: 素晴らしいですね。念が通じることを利用して、常に善念を放送する稽古をして下さるといいのです。反対に「あんな奴、ろくな点を取って来ないだろう」などと描いていると、そのようになる。善念も悪念も、そのままに通ずるのですから。


西野: では先生、私が正子のことを思い出して「お餅を食べさせてやりたい」と思ったら、正子が来たのは、私の念が正子を呼んだとも思えますが、正子が貰った松葉ガニを「お母さんに食べさせたい」と思ってくれた、その正子の念が、私を動かしたとも考えられます。その点は、どういう訳になるのでしょうか?


平岡: 面白いところに気がつきましたね。しかし生命は一つです。目で見てこそ、あなたと私とは別の存在のようですが、生命、つまり霊の世界では、あなたの空気と、私の空気とに仕切りがないように、自他は一体です。

一つの桶の水がゆれるように、こっちに波が起これば向う側も動き、向う側から波が起これば、こっち側も動くことになるのです。そして、北海道も富山もない、遠いとか近いとかいっているのは、形の世界。現象の世界のことです。念の世界には遠いもなければ、近いもない。同時同所なんです。このことを時間空間を超越しているというのです。

だから、お母さんが正子さんのことを思った時は、もう正子さんの心にも、お母さんのことが思い浮かぶのですが、ただその念に強弱があるわけです。

今の話では、あんたは正子さんに餅を食べきせたら喜ぶだろう、とまでは思ったが、富山へわざわざ持って行ってやろうという程の強い念ではなかった。ところが、正子さんの、お母さんに松葉ガニをたくさせてあげたいという念は、なかなか強いものであった。それで、子供をおんぶして、6キロ余りも離れた新屋までバスでやって来られたのです。

しかし、念の強弱の問題は、自と他との間に起こるだけではない。今夜は木曜会に行こうか、それとも映画を見に行こうかという時に、決断するのは意志の力ですが、こんな時でも強い念の支配を受けるわけです。

ですから、私たちは強い善念を送ることによって、意識的に相手を幸福にしてあげることができるのです。神想観によって精神を統一する練習をはげむのも、善念の集中力を強めるためなのです。

こんな話し合いをした後で私は念は通ずるという2、3の実例を皆さんにお伝えしたのであった。




<十一年の別居生活も>


これは、永らく教職についていられたが、退職後は富山県礪波地区の山村の婦人会長をつとめていられた沢木さんのお話である。

「私は村で生まれて、女子師範学校を出ると村の学校に勤めましたので、全くの世間知らずの跡とり娘でした。夫を迎えましたが、妻のつとめ、母のつとめということを知らず、学校をいささかの成績で出たことを鼻にかけて、わがままで高慢で鼻持のならぬ悪妻だったと思うのです。それで、夫には新しい女ができて、遂に家を出て別に世帯をもってしまったのです。

当時、私には4人の子供がありました。夫の仕打に腹が立つやら、口惜しいやら、悲しいやら、我が身の不徳など反省するひまもなく、狂いまわったものでした。しかし、どうすることもならず、『巣の中にとり残された4人の子らを育てて……』云々という歌など作って、別居生活をする腹を極めたのです。

結局、母子5人で暮らした11年の月日は矢のように流れて、長男が、当時の東京帝国大学を受験することになったのです。私は村の氏神様へ日参して、合格を祈りました。お蔭で、無事に合格したのでございます。私は嬉しくて嬉しくて、合格通知書を握って、氏神様の石段を二段ずつ飛び上がり、はね上がって感謝の報告に行きました。

その帰りの道のことです。こんなに頭の良い息子の頭の良さは、お父さんにもらったものだ、私の頭では、とても帝大に入学なんかできない、それを今まで気づかないで済まなかった、『お父さん、すみません。お父さんから、こんなに頭のよい息子をいただいたことを感謝もしないでいました』と、詫びて詫びて、涙しながら帰りました。

家に着くと、まず主人の写真をさがしました。押一入れに投げこんだきりになっていた写真を一苦労して探し出して、本箱の上に飾りました。その前に酒肴や赤飯を供え、入学許可書も供えて、涙ながらに報告し感謝したのでした。それを見ていた息子が、そっと寄ってきて、いかにも気の毒そうに言いました。

『僕、お父さんに、この許可書見せてあげたいけれど……』
『ああ、いいともいいとも。あんた、それ持って小松市へ行っていらっしゃい。帝大に入れるような優れた頭は、お父さんにいただいたもの、よく感謝していらっしゃい』
私は、気持よく出してやりました。

主人の勤務先の石川県小松市の小松製作所へ行った息子は、人事課長さんに事情を打ちあけて、面会することができたのでした。
『課長さんが、父を呼んで下さったけど、11年ぶりの父は初めは気がつかなかったらしいが、課長さんに“誰だとおもうかね、この許可書を見給え”と言われて、全く恐縮し、“許してくれ、すまなかった“と、課長さんの前で詫びてくれて“せめて、今夜一晩は泊ってほしい”と言われました。

僕は“お母さんに、そこまでの許しはいただいていないから……”と一応断ったけれど、課長さんが“お母さんに代って僕が責任をもつから”ということになり、一晩泊って来ました。座敷にお父さんと2人分の床を敷いて下さったので、僕は、お父さんに僕の寝床で休んでいただくようにお願いし、僕はお父さんの床で寝ませてもらいました』と、息子はニコニコ顔で帰って来て、こんな報告をしました。

ところが、平岡先生、縁とは不思議なものですね。こんな一幕があってから間もなく、主人が元の古巣へ帰ってくれるようになったのです。幸い先方の女性には子供がなかったので、別れて下さって、主人も自分の意志で元の鞘におさまってくれたのです。今では年もとりましたが、善いお父さんで家に納まってくれています。

念の世界の不思議な話をきいて、主人が家を飛び出したのも、私の心のかげであり、主人が帰ってくれたのも、私の心のかげであって、すべては目に見えない念にふり廻きれていたのだと、よくよく解らせてもらいました」




<亡き人たちにも>


中新川郡(富山県)舟橋村の村田光子さんは、私の友人である。教職を引いてからは、富国生命の 外交をやっていられる。その村田さんから手紙が来た。

「近頃、腕の神経痛に悩んでいます。医者、温泉、灸、はり、あらゆる治療をほどこしているが、どうにも治らない。ここ2ヵ月程の間に、二貫目も目方がへりました。この上はあなたに助けてもらいたいと思って……」というような内容の手紙であった。

「まあ、可哀そうに、一度見舞ってあげよう」と思って、数日後、私は『生命の實相』一巻と『甘露の法雨』二冊を持って出かけたのである。私は、宇宙の真理を説いてあげる外には、術も法もないのであるから。

 田舎は、刈り入れ時の忙しい最中であった。お天気は良いし、稲刈は真最中で、活気づいていた。村田さんの家は、田舎の旧家らしく大きな百姓家であった。

「ごめん下さい」と呼んでも、返事がない。「2ヵ月あまり寝ていて、外へも出ない」と書いてあったのに、返事がない。おかしいと思いながら、なおも「ごめん下さい」を続けていると、前の田圃で稲を刈っていた若い女性が、姉さんかぶりの手拭をとって挨拶された。村田家のお嫁さんであった。

姑の村田さんは、ずっと寝ておられたのであるが、その日は富国生命の本社から富山の支社で重要な会合があるので、何が何でも出席してもらわねばならないといわれて、1時間前に、ご主人の自転車の後につけてもらって出て行かれたという話であった。

仕方がないと思って、本だけおいて帰ろうとしたが、お茶でもと誘われた。入口に掛けて病状をきくと、左腕の神経痛で、なかなか痛むらしい。特に明け方の3時から4時がひどい。それも、毎朝だというのであった。

そこで、私は時間をさす病気には、霊界からの念波を受けることの多いことを話してから、聞いてみた。

「お宅では、御先祖まつりを充分にしていますか?」
お嫁さんは、うつむいて、頬をそめていられる。
「じゃ折角来たのだから、せめて御先祖さまに御挨拶をさせてもらいましょう」

若いお嫁さんは、まごまごしていられた。仏壇の戸を開けると、何時あげたのか、仏飯はカラカラになっているし、お花はみんな首をまげていた。

「これじゃいけない。御先祖は目に見える肉体こそないが、霊としての生命は生き通しだから、これでは淋しいのです。道端の草でもよいから、いきの良いのを供えなさい」

 庭先から取ってきた花を供えてから、私は仏壇に向かって、そこにいられる人に向かっていうように挨拶した。

「私は平岡初枝と申します。みなさまは、一面識もない方ばかりかも知れませんが、光子奥様とは久しく交際させてもらっております。今曰、御縁を得て、村田家のご先祖様並びに親類縁者御一統様の御前に尊い『甘露の法雨』という御経をあげさせていただきます。この御経は、2千5百年前にお釈迦様がインドでお説きになった道や2千年前にイエス・キリスト様がユダヤでお説きになった道を、現代の人の耳に解りやすいように、谷口雅春という高徳なお方が説いて下さったものです。どうぞ、この真理によって、本来人間は神の子、仏の子である実相をおわかりいただいて、霊界において、本当に幸福になっていただきとうございます。

尚、この御経の中にあります神という言葉のおきらいの方は、仏と置きかえてお聞き取り下さいますように願います。天の使いという言葉が、耳にさからいます方は、観世音菩薩とお聞き取り下さいませ」

 二度ばかり右の言葉を繰り返した後で聖経『甘露の法雨』と『天使の言葉』を読誦し、その後20分ばかり神想観をした。
「みなさん、ようこそ熱心にお聞き下さいまして、ありがとうございました。そして、お悟り下さいまして、ありがとうございました」村田家のご先祖方の喜んでいられる姿を描いて感謝して帰った。

この間、たっぷり2時間はいたわけである。さらに、帰り際に、ご先祖の最も喜ばれることは、家族一同仲よくすることであることを説いた。

「お姑さんが、明け方ごろに特に悪いと言われましたが、そんな時に、あんたはお姑さんの痛むところを撫でたり、さすったりしてあげますか?」

「ええ、いつでも撫でてあげます。撫でてあげていると、そのうちにウッラ、ウッラと眠られるのです」

「それは、仲の良い親子だ。あんたは深切だ。でもね、そんな時に、形だけで撫でていても、心の中で『うるさい』とか『いやだなあ』というような気持を起こすと、かえってお姑さんの痛みが激しくなることさえあるのですよ」

いろいろ話してから、村田家の調和を念じて、帰ったのであった。

ところが、どうでしょう。その翌日、村田光子さんが、何とも言えぬ嬉しそうな明るい顔をして私宅を訪ねて下さったのである。前日、富国生命の会合の席上で、痛んで仕様のなかった左腕の痛みが、突然に止まったというのである。嬉しくて、うれしくてたまらないので、帰宅すると早速、お嫁さんに、不思議にコツンと痛みがやんだことを話したという。

「おかあさん、何時頃でしたか?」
「11時すぎでなかったかしら」
「それは、平岡先生がご先祖に『甘露の法雨』を誦げて下さった時間です」

というわけで、涙を流して喜んで下さったのであった。まことにも、念は霊界にも通じるのである。だからこそ、法事や報恩講の意味もあるわけである。



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