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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[4520] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第88回
信徒連合 - 2016年08月10日 (水) 08時18分




谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――


@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』

A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』

★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。

******************




平岡初枝先生「しあわせを見つめて」より(35)




 寺田繁三先生の思い出

私は寺田繁三先生に導かれて、生長の家の教えにふれた。そして、寺田先生を通じて、この教えに導かれたことを、限りなく嬉しく光栄に思っている。ここで2、3の思い出話を書き添えて、感謝したいと思う。




<ハイ、有難うございます>


私が教えにふれて「病気なし」を知らせていただいてから間もなくの頃、寺田先生を富山へお招きしたことがある。そこかしこへお伴をして、講演してもらったが、魚津市の日は、どうしても私がお伴することが出来ず、立田正子夫人にお願いした。

その日、朝はよく晴れていたのに、魚津駅で電車を降りると、雨がパラパラ降ってきたというのである。二人とも傘の用意はなかった。
「寺田先生、雨が降って来ました」
 途端に、寺田先生が言われたそうである。
「ハイ、ありがとうございます」
立田さんはハツとした。なるほど、「ありがとうございます」は、一切をそのまま、無条件に受け入れる態度だったんだ、と教えられたのである。

 この曰から、立田さんの御主人に対する態度が、変わったという。ご主人が何をおっしゃっても、「ハイ、ありがとうございます」
の一点ばり。

『切の審き心がなくなったのである。そしたら、2日目に、4歳になる立田さんの次女の左利きが完全に治ったのであった。




<どこも高天原>


寺田先生には、東大を優秀な成績で出られた、良一さんという一人息子さんがあった。大東亜戦争も末期の昭和18、9年の頃、日本の輸送船が五隻のうち三隻までは、目的地につかない先に撃ち沈められていた頃に、良一さんは南方派遣軍として宇品港から発たれた。その報せは、ちょうど4、5人の白嶋たちが寺田先生をとりかこんで話し合っているところへ届いた。みんな顔見合わせて、色をかえた。そして、一人が言った。

「寺田先生、御心配でしょう」
「何も心配なことはない。港老出た時は、目的地へ着いた時だと思えばよい」

それから1時間あまりの後、また2、3人の誌友たちが来て、良一さんの出発の話を聞くと、再び同じことを言ったのである。
「寺田先生へ御心配でしょう」
寺田先生のお答えも、 同じであった。
「何も心配なことはない。どこも、高天原だ」
どんな時でも、寺田先生は真理を生活していられたのである。




<松の木のまっすぐ>


寺田先生が高岡市の伏木で講演して下さった時は、壇上から、一番前に坐っていた青年に、呼びかけられた。
「君、君!」
「僕ですか?」
青年が目をあげると、寺田先生は窓外の大きな松の木を指さしながら尋ねられた。

「あの松は、曲がっているかね? それとも真直ぐか?」
「曲がっています」
「違う。あれは、松の木の真直ぐだ!」

 眼に見える松の木は、曲がっていたのである。だが、寺田先生は、一人一人の立場に立って見ることを教えていられるのである。




<親身の父と思えばこそ>


一人息子の良一さんが良縁を得られて、結婚1ヵ月とたたない頃のことである。良一さんが、東京へ出張されたことがあった。その留守に、若い奥さんが夫の良一さんに手紙を書いていられた様子を、寺田先生の言葉通りに言うと、こういうことになる。

「太い二本の足を机の下に投げ出して、『ラララ、ラララ』と歌を口ずさみながら手紙の封をしているんだ。僕はうれしくてナ……、そうだろう? 横に坐っているとの僕が、舅じじいだなんて思ったら、そんなことは出来ないじゃないか。親身の親と思えばこそ、と思うと、僕はうれしくてナ……」
壇上で、目を真赤にして喜んでいられたのであった。

この話は、あとでお嫁さんにも報告されたらしい。
「そしたら、嫁がねえ『あれ、恥ずかしや……」と、耳元から真赤になっていたよ。アッハッハッハツ……」
寺田先生の笑顔は、とろけるようであった。




<タテの真理一本槍>


業、因縁の現象を説かず、縦の真理一本を心の底深くたたみ込むことに専念して下さる寺田先生のご指導は、私はとても好きであった。どんな病気をもって行っても、
「神の子病気なし、認めたものだけが存在に入る」
と、目を赤くして導いて下さる。

あれは雄弁というタイプではなく、信念の強さに迫られるのだと思うのである。三角関係が来ても、ビッコが来ても、
「人間神の子、不完全はない」
の一点ばり。それで、ビッコが治り、三角関係がとけるのだから、大したものであった。




<四十五年間のビッコ消える>


ここで、45年間のビッコが治った話を思い出す。それは、大東亜戦争の真最中であった。防空幕をめぐらした薄暗い四ッ橋道場で、福島区大開町の稲垣よりさんが次のような体験談をされたのである。

「私は、大開町の稲垣よりです。○○さんに連れられてきて、お話をきいたのは、今日で四度目であります。私は不完全な身体をもっていました。二つの時に兄に負われて遊んでいた時、砂利原で兄が転んで、私は右股関節の脱臼を起こしたのですが、発見されないままに肉が廻って、私はビッコになりました。45年前のことでした。私は今年46歳であります。もうここまで来たものが、治るとも思わず、治してほしいと思って来たわけでもなかったのです。

はじめの日、寺田先生は大きな声で、おっしゃいました。
『人間は神の子で、不完全はない。ビッコもなければ、メッカチもないのじゃ』

しかしその時のビッコというのは、私のことだとは思っても見ないことでした。ところが、3回目に来た時、夫婦のあり方について、お話をして下さいました。

『ハイが夫婦の道である。妻は、あくまで夫にハイとついて行きなさい。そしたら、子供が善くなり、商売はうまく行き、不幸災難は必ずのがれることが出来るのだ』

一所懸命話してくださる寺田先生のお話を聞きながら、私は『こんないいお話を、これで三度もきいていながら、昨夜も主人に口応えをしたりして、す**とだった。帰ったらお詫びしましょう』と、思ったのでした。

ところが、そのうちに腰の辺が何か変になって来ました。むずがゆいような、何か落ち着かない気持がするのです。その時、つい最近に、17歳になる息子が、銭湯でシラミをもらって来たのを思い出して、私にもついたのでなかろうかと、とても嫌な気持になりました。気持をほぐすつもりで便所へ行きました。そして、元の席にかえってきたのですが、その時、私の身体は変わっていたのです。先にも言いましたように、私は右股関節脱臼になっていたので 坐ると右膝が左膝より3センチほど短めにさがっていたのが、シャンと揃っているのです。

『ああ、お蔭をいただいた』と思うと、感激で涙が出そうになりました。でも、それを周りの人に言えないのです。この現象は、ほんの瞬間的なもので、すぐ元の不完全な身体になるのかもしれないと思うと、誰にも言えなかったのです。幸い帰りの道は薄暗いので、誰にもだまって帰りました。

家に帰ると、もう11時をすぎており、主人と息子とは床に就いていました。私は、お仏壇を拝んでから、夫の寝床の横に坐りました。

『お父さん、お蔭をいただきました』と言うと『どうしだ、どうした』と、目を輝かしなさる。ことの次第を話すと、主人も大喜び、隣室に寝ていた息子も起き出してきて、『お母さん、歩いてごらん』というのです。3人で、六畳の室を何べん歩いたことか。

ああ、45年間のビッコが消えたのでございました。それは昨日のこと、もう大丈夫まちがいないことがはっきり分りましたので、今日は先生に是非申し上げたくて、飛んで来ました。ありがとうございました」

人間の信念というものは、大したものである。寺田先生の「人間神の子、不完全はない」の信念で、20数年のビッコ、30年になるというビッコなど、当時数人も治ったと聞いている。稲垣よりさんの体験発表があった時は、私もその席にいて、この耳で聞いたのである。

この稲垣さんの奇蹟的な体験を通じて大開町一帯に、生長の家の信仰が広まり、3日後には地元の求めで、私も講演に行ったので、思い出深い体験談である。



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