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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[4716] 8・17『恵味な日々』 真理のツマミ食いによる『マサノブ教』国際教修会2、―――しかし、『生命の實相』を精読していない最近の本部講師・本部講師補は、ニセ白鳩総裁ジュンコの我田引水の偏見的理屈に洗脳されてしまった!
塚原卜伝 - 2016年08月22日 (月) 16時34分



平成28年(2016年)8月17日 (水) 「恵味な日々」=国際教修会2=の<講評>



ジュンコ君は、前回に引き続き、今回の『恵味な日々』に於いて開祖・谷口雅春先生の説かれた真理の中から、『非生長の家・マサノブ教』を何が何でも無理に正当化し、開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』に未熟な本部講師と本部講師補に“誘導洗脳”を施したのである。以下、<ジュンコ洗脳説教>・<真理のツマミ食い>・<講評>に分けて詳述する。



[T] ● ジュンコ君の洗脳説教

 << また『宗教はなぜ都会を離れるか?』の中に、2012年の生長の家代表者会議で総裁がコトバの力について話されたことが掲載されています。この代表者会議では、『生命の実相』や『聖経』が自由に発行できないことについて、参加者に説明されました。次のように書かれています。「カタカナで書かれたコトバは心の中の波動みたいなものです。そのコトバから、身、口、意の表現が行われ、その結果として書物ができる。「生命の実相」や「聖経」が自由に発行できないことを大きな問題と思っているかもしれませんが、宗教上の教えで一番重要なのは何かと言えば、その書物のもとになったところの「コトバ」である。コトバさえしっかり把握していれば、結果としての「書物」は、身・口・意の表現を通していずれ出てくるので、それほど心配することはなく、大切なのは我々の信仰心、神への思い、確信、悟りなどコトバを明らかに把握することである」といわれました。>>



○ ジュンコ君の真理のツマミ食い

<< 谷口雅春先生の『新版 真理四巻青年編』から「コトバ」について、次のように、引用されています。
 「これは宇宙に満つる霊(たましい)の振動であり、生命の活動であります。(中略)「想念の波」を起すと云うことであります。(中略)宇宙に満つる大生命の波動が想念即ちコトバであって、それがやがて形の世界にあらわれて来るのであります。だから事物の本質とは何であるかと云うと、此のコトバでありまして、形ではないのであります。」『生命の実相』頭注版第33巻、53ページには、谷口雅春先生はこのように説かれています。悟りという生々流動のいのちというもの、こいつは捉えることも形式化することもできないのですけれども、仮に、形式を駆使してそこに表現されるのであります。悟りは形に表現された時、すでに形にはまってくる第一歩があるのです。だからその表現形式が宗教だと思うとまちがいが起こるのです。形というものを通して表現されて生命がわかるというようになるので、悟りそのものは表現形式の奥の奥に形を超えてあるのであります。ですから生命を表現するには常に形をこしらえなければならず、また同時に常に形を破ってゆかなければならないのであります。生長の家それ自身の中にもやはりそれがあります。前にはこう説明してあるかと思うと、次には全然別のような説明の仕方がしてある。説明の仕方は形ですから、不断に変化しなければならないのです。みずから変化しない宗教は形骸化して他の宗教にとって代わられるのであります。昔からの宗教にも、新興宗教の出現や、宗教改革というものの中に、それがあるのであります。みずから宗教改革しながら進んで行く宗教であってこそ永遠に生きることができるのです。いっぺんこの形と定めて表現しても始終その形で固定してくると、またその次にその形を破らなければどうしても説明に堕し、形式に堕して生命を伝えることができないのであります。



■■ 講評

@ 先ず、ジュンコ君は始めからウソを言っている。彼女は『生命の實相』や『聖経』が自由に発行できないことについて、話を「不立文字」の方向にずらせて、現『マサノブ教団』では何故『生命の實相』や『甘露の法雨』が出版できないかの理由には触れていない。マサノブが「生長の家社会事業団」へ支払うべき印税(3000万円近い)を『著作権裁判』を起こさしめ勝訴して『生命の實相著作権』を手中に納め、然る後に徐々に絶版にしていくために故意に支払わなかったこと。そして最高裁で「全面敗訴」となったために『生命の實相』と『甘露の法雨』の出版権を失った真相を語っていないのである。ウソ説法である。

A この真実の事情を語らずして、このウソを隠蔽するために、真理は『生命の實相』と言う本の中にあるのではない。真理は「不立文字」であるから『生命の實相』の本等あっても無くても真理は変わらず、という理屈付けの方向へと洗脳していったのである。ジュンコ君は『生命の實相』の文章の書き方は、他の人では絶対真似の出来ない、開祖・谷口雅春先生しか書けない表現方法が用いられ、読者はその独特の生命のヒビキ(久遠を流るるイノチ)と一体となって、何回も無我の気持ちで精読していくうちに真理と一体に成ることが出来る、――― このような話をしなければならないのにしていないのである。

B 更に、ジュンコ君は、真理のツマミ食いを『真理』第四巻を引用して、コトバとは宇宙に満つる霊(たましい)の振動であり、生命の活動であり、「想念の波」を起すと云うことである。宇宙に満つる大生命の波動が想念即ちコトバであって、それがやがて形の世界にあらわれて来るのである。という都合のよいところだけ取りだし、なるほどと思わせる説教をなしている。

次いで『生命の実相』頭注版第33巻、53ページへ飛んで、『悟りという生々流動のいのちというもの、こいつは捉えることも形式化することもできないのですけれども、仮に、形式を駆使してそこに表現される。悟りは形に表現された時、すでに形にはまってくる第一歩があるのです。だからその表現形式が宗教だと思うとまちがいが起こる。常に形を破ってゆかなければならない。説明の仕方は形ですから、不断に変化しなければならないのです。みずから変化しない宗教は形骸化して他の宗教にとって代わられる。みずから宗教改革しながら進んで行く宗教であってこそ永遠に生きることができるのです。』

――― このように、いつまでも開祖・谷口雅春先生の説かれた『生命の實相』に“原理主義的”にとらわれず、生長の家も開祖・谷口雅春先生の説かれた昔の時代の教えから、時代の変化を取り入れた「今の教え=マサノブ教」に変化しなければ衰退する、と巧みに自己弁護して洗脳して行くのである。しかし、ジュンコ君は『真理は久遠悠久・普遍・不変なるものであって、時代の制約下にあるものではない。時代に制約されるものは真理ではない』という根本的なところが全然分かっていないのである。このことを棚に上げて、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を深く知らない最近の本部講師や本部講師補を巧みに理屈だけで、自分の無能さを顧みることなく洗脳して行っているのである。洗脳される方も方。まだまだ霊的レベルから見れば、“幼き魂”の、肩書きだけは立派な本部講師、本部講師補たちである。こんな講話を誌友会でしたならば、古参信徒から突き上げを食らって答えに窮するであろう。形の変化だけを強調して、久遠を流るるイノチである真理に関しては解っていないのである。




[ U ] ● ジュンコ君の洗脳説教

<<そして総裁は『信仰による平和の道』でこのように結ばれています。「宗教というものはそれぞれの発祥の地における地域的、文化的、時代的な特殊の要請にしたがって登場し、成立するものであるが、それが真理を説き、時代の変遷にもかかわらず発展していくべきものならば、それは成立当初のローカル色や特殊性から脱却し、普遍的な真理を前面に打ち出すとともに、伝播地においては、逆にその土地のローカル色や特殊性を吸収し、応用するだけの幅≠竍柔軟性≠もたねばならないことが分かるだろう。」 生長の家は1930年に、谷口雅春先生と輝子先生、お二人で始められました。当初から教化団体生長の家として出発し、宗教を作るとか、宗教を始めるというようなお考えはありませんでした。人類の心を光明化しようという目的で始められました。ですから、教化団体生長の家という名前で、人類光明化運動が始まりました。 生長の家が始まったころの日本や世界は、どういう状況だったかということも『信仰による平和の道』の291ページから書かれています。1927年(昭和2年)に、日本は中国に派兵しています。1928年には関東軍による満州の武力占領がおこなわれていきました。1929年、立教の前年ですが、ニューヨークのウオール街で起きた株価暴落がきっかけとなって、「世界大恐慌」に突入していきました。谷口雅春先生はそんな時代に「生長の家」誌を出版しようと決意されました。日本は「昭和恐慌」といわれる経済的大混乱に陥っていて、国内経済は3割くらい縮小し、世の中には失業者があふれ、中国大陸では戦争が始まっていました。今想像するだけでも、大変な時代です。




○ ジュンコ君の真理のツマミ食い

<< 「生長の家」創刊号の「巻頭の言葉」には、このように書かれています。 蛇に睨まれた蛙は恐怖のために動けなくなって蛇にのまれる。 国が国を恐れるとき莫大な軍費を要する。 就職試験に臨んで恐怖心を起こす青年はその就職に失敗する。 入学試験に臨んで恐怖する学生はその入学に失敗する。 恐怖が自己の境遇を支配すること斯くの如く甚だしい。 更にそれが自己の病気や健康に影響するに至っては云うまでもないのである。 此の恐るべき恐怖心を人生より駆逐するべき道を示さんとするのが「生長の家」の念願の一つである。>>

<<「『生長の家』出現の精神とその事業」―― 自分のかざす火は人類の福音の火、生長の火である。自分は此の火によって人類が如何にせば幸福になり得るかを示そうとするのだ。如何にせば境遇の桎梏から脱け出し得るか、如何にせば運命を支配し得るか、如何にせば一切の病気を征服し得るか、また、如何にせば貧困の真因を絶滅し得るか、如何にせば家庭苦の悩みより脱し得るか・・・・・・等々。今人類の悩みは多い。人類は阿鼻地獄のように苦しみもがきあせっている。あらゆる苦難を癒やす救いと薬を求めている。しかし彼らは悩みに目がくらんでいはしないか。方向を過っていはしないか。探しても見出されない方向に救いを求めていはしないか。自分は今彼らの行手を照す火を有って立つ。>>




■■ 講評

@ ジュンコ君は、物心両面において恵まれた環境の下に育ったのだと思われる。だから、開祖・谷口雅春先生の如き、徹底した求道心とからつな人生経験を通過した揚句の絶体絶命の境地からの「無字透関・大悟徹底」の生命的体験を持っていないのである。だから、宗教の目的、信仰の目的が「施無畏」(あらゆる恐怖心――取り越し苦労――からの脱却)にあることが未熟な人生経験だけでは解からないのである。本当の「施無畏」が解らないから、同じ事柄に対しての態度(恐怖心か、未来を予見しての準備か)の見分けが出来ない。だから、軍備を単純に外国に対する恐怖心の表れと見て、その恐怖心を無くする為に自衛隊解散と短絡的に考えてしまう。開祖・谷口雅春先生は、この外国に対する恐怖心を除くためには「未来を予見しての準備(冬に備えて秋に綿入れを準備して置くように)」として、又、国家の独立性を保持する“国家の権威”(健康な肉体を保持するための白血球・リンパ球的存在)としての軍備は必要と説かれたのである。(「信仰生活についての神示」参照)

A ジュンコ君は、開祖・谷口雅春先生が『生長の家・創刊号』で書かれている『如何にせば境遇の桎梏から脱け出し得るか、如何にせば運命を支配し得るか、如何にせば一切の病気を征服し得るか、また、如何にせば貧困の真因を絶滅し得るか、如何にせば家庭苦の悩みより脱し得るか・・・・・・等々。今人類の悩みは多い。人類は阿鼻地獄のように苦しみもがきあせっている。あらゆる苦難を癒やす救いと薬を求めている。しかし彼らは悩みに目がくらんでいはしないか。方向を過っていはしないか。探しても見出されない方向に救いを求めていはしないか。』――― この状態は昭和五年当時の状況であって現代の状況ではないないのだと云う。その代わり今の時代は『地球がもがき苦しんで地球自体の生命の危険に晒されている時代だ。昭和五年当時とは違って今は国民皆保険時代、医療制度の充実、年金制度完備、生活保護制度、老人福祉制度等々が充実している時代だから、衆生の病悩苦を救うのは宗教の役割ではない。政府の役割だ。現代の宗教の役割の第一は、衆生救済ではなく地球救済なのだ、と主張するのである。

しかし、政府は衆生の心の悩みまでは救い得ない。病悩苦の根因は心の世界にある“迷妄”=“神性隠蔽”にあるのである。この迷妄の救済こそが宗教第一の使命である。地球環境の悪化も、三界唯心の理に照らせば人類の迷妄の反映であるから、その救済はどうしても人類全般の生活価値観を「唯物現象中心の価値観(物主心従・肉主霊従)」から「生命の實相の価値観(心主物従・霊主肉従)」へ転換、逆転していかなければならない。地球環境の保護の物的方面は各国政府が取り組んでいるから、宗教団体もそれに従って行けばよいのであって、宗教団体の第一政策として取り上げることは間違っている。所得格差、フリーター、母子家庭、離婚の増加、シングルマザー、パラサイトシングル、親子や夫婦や嫁姑問題は時代の変化と共にさらに深刻化して行く一方である。「生長の家」はこれ等の問題に対しては『神性開発練成会』を通じて素晴らしい成果を出してきた。しかし、現代では『神性開発錬成会』も寂れて行くばかり。この事実をジュンコ君は直視していない。「時代が変わった」に固執して、現代の教勢衰退の根因がマサノブの思想にある事を見ていない。真理をツマミ食いして無理にでも『マサノブ教』の正当化を押し通そうとして洗脳し続けているのである。




[ V ] ● ジュンコ君の洗脳説教

<< このような暗い時代に、人々の悩みを解決するために、自分は此の事業を立ち上げたのだと宣言されました。そして、日時計主義の生活を提唱され、言語の再現力、言葉の創造力の応用を勧められました。 生長の家は、宗教ではなく教化団体だったのですが、1939年(昭和14年)、日本に宗教団体法という法律が制定されて、文部省の見解によると、生長の家は「教化団体」というよりは「宗教団体」であるということになりました。その辺のいきさつについて、総本山落慶記念に出された「神の真義とその理解」(日本教分社刊)に書かれてありますが、『信仰による平和の道』の158ページに引用されています。これらの先生のお言葉から生長の家は、宗派を超える教えとして出発したことが分かります。>>




○ ジュンコ君の真理のツマミ食い

ところが生長の家は、教義と云っても生長の家独特の教義がないのであります。ないと言うとおかしいけれども、生長の家は仏教の話もする、お釈迦様は斯う云うように被仰ったと言って、仏教は斯う云うものであると言って話もする。またキリスト教は斯う云うものである。耶蘇はこう被仰ったと言って話もする。また金光教の教祖は斯う言われた、天理教祖は斯う言われた、日本の『古事記』には斯う書いてある、老子には斯う云う事が書いてある、孔子は斯う被仰ったと云う風に、色々の教を一つにして説いて、相手に随って自由無礙に方便自在の説教をしているのでありますから、一定の生長の家の教えと云い教義と云うたらどんなものだと言われると困るのでありまして、生長の家独特の教義と云うようなものがないのであります。(『神の真義とその理解』93〜94ページ) 




■ <講評>

@ ジュンコ君は、「生長の家独特の教義がない」と云う事と「生長の家も時代の変化に応じて変身しなければならない」この二点を、開祖・谷口雅春先生の『生命の實相』と『神の真義とその理解』な中から『マサノブ教』の正当化のためにその一部をツマミ食いして誘導洗脳しているのである。同時に「生長の家は、あらゆる宗教の“共通点”を説く。これを{萬教帰一}と云うという。しかし、ジュンコ君の解説はマチガイである。


A その理由は、「生長の家教規」を見れば一目瞭然である。――
第五条「教えの創始者谷口雅春の唯神實相の神学を鍵として全世界の宗教の経典の真義を顕示して・・・」

第六条「あらゆる宗教の本尊の奥にある『實相』(唯一の真理)を礼拝の対象とする・・・」

第八条「この宗教の儀式は、礼拝、祈り、神想観および聖経読誦とし・・・」

つまり、「萬教帰一」とは、世界の宗教の単なる「共通点」ではない。“共通点探し”ではない。『教えの創始者谷口雅春の唯神實相の神学を鍵として』勝れた世界の宗教の奥底の真義をひも解けば、その宗教の真義が判ってくる、入り口は色々(諸教)あるが、奥座敷(唯一独在の真理)は一つという事なのである。この唯一独在の真理の奥殿に到達するには、−−−開祖・谷口雅春先生は、『世界の今に続いている勝れた宗教はすべて“霊感”によって書かれたものであるから“勝れた霊感”によってそれら経典の解釈をしなければならない』、と言われているのである。


B マサノブ君やジュンコ君は、霊的な経典読解力はないのである。にもかかわらず、真理のつまみ食い『生長の家は、宗派を超える教えとして出発した』として、開祖・谷口雅春先生の「唯神實相神学」を実質的に破棄し、「唯物現象論」に基づく『マサノブ教』を無理矢理正当化し誘導洗脳をして行っているのである。




<総括>

* 『マサノブ教』は、基本聖典『生命の實相』を“真理は本の中に在らず、不立文字こそ真理である”。この理屈付けによって『生命の實相』を講習会や誌友会のテキストから除外した。『甘露の法雨』も内容が不完全だからと言って“補強”の要ありという理屈をつけてマサノブの唯物的価値観に基づく『大自然惨禍経』と『観世音菩薩惨禍経』を勝手に作った真相を忘れてはならない。

* マサノブとジュンコは『生長の家』の正統な継承者ではない。「隠れ共産党員」であり「共産党工作員」であると云う事を前提として彼の話や文章を見聞きしなければならないのである。

* マサノブの使命と目的は、あくまでも開祖・谷口雅春先生の『生長の家』の完全解体と『御教え』の地上からの抹殺である。

* ジュンコの覚悟は出来ている。どうせ此処まで来たからにゃ『毒喰らわば皿までも!』である。

* 以上のことを前提として彼女の文章『恵味な日々』を読まなければならないのである。真理のツマミ食いによる誘導洗脳にかかってはならないのである。




(18)
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[4730] 落城寸前の「マサノブ城」・・・・・後は時間の問題
観覧席 - 2016年08月23日 (火) 10時14分



二人揃って綺麗なおべべ着ていられるのは何時まで?

二人揃って『毒喰らわば皿までも』!!

憑依悪霊もそのうち 退散よ!!


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