| [4801] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第106回 |
- 信徒連合 - 2016年08月28日 (日) 08時35分
谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――
@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』
A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』
★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。
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平岡初枝先生「子供を見つめて」より(17)
< くらべることにも上手下手 >
くらべるということの意義は、この場合だけにあるといえましょう。よく兄弟とくらべて「兄さんはできるのに、あんたは駄目だ」とか、「隣の子は百点をとるのに あんたは三十点しか……」と何の反省もなくがなり立てる親たちがいますが、心理的に考えても、これほど下手なくらべ方はありません。これは、子供に反抗心と劣等感を与え、親を嫌いにさせるだけです。つまり、子供を問題児にしかねないやり方です。
これに反して、さきの田中さんのように字一字でも「ああ、今度は前のとくらべると、点のうち込みがよくなった、ああ、今度は字の並びがきれいになった」と、お母さんの知恵と愛を働かせて巧みに導くと、子供は非常に激励され、常に希望を与えられ、自信を深めることになるのです。しかも、こうして育てられた子供は必ず親が好きになり、親を愛し親を信頼する子になります。そして、親を愛する子供は、必ず幸福な人生を勝ちとることになるのです。
<絶対ほめる教育>
さきに、私は運のよい子の育て方として、明るい心、素直な性格に育てることが大切だと述べ、寺田先生の教育法を紹介しました。寺田先生は「絶対ハイ」と、「絶対ほめる」の二つで息子さんに接してこられたのですが、「絶対ハイ」の方については、既にのべました。ここでは、「絶対ほめる」教育法について、書いてみたいと思います。
いったい、ほめるということは、ちょっと考えると、やさしいことのようですが、実際はそんなに簡単なものではありません。子供が親の希望通りに勉強してくれているとか、満点に近い成績をとってきたとか、そんなのをほめるには、何の努力も勉強もいりませんが、今はまだ不完全な姿の中に、ほむべきものを発見し、それをほめるということは、親としても努力と勉強のいることなのです。それを怠って、つまり、その事柄に何の価値も認めないで、ただ言葉だけでほめてごらんなさい。小学生も3、4年ともなると、「へん、笑わすない……」という態度で、かえって親を軽蔑することになるのです。
<ほめ上手のお父さん>
ほめるには、ほめるだけの価値あるものを認めるということが第一条件になるのです。寺田先生は、あらゆるもの、あらゆることの中に価値を見出す天才です。だからほめ上手なのです。
先年、先生の一人息子の良一さんは、社用をおびて欧州8ヵ国をまわって、さらに米国に使いされました。3、4ヵ月の旅行だったように覚えていますが、帰国すると、お父さんに、お土産物を買うために30万円ばかり借金をして来た、といわれたらしいのです。
先生は、言下に、 「借金してまで土産物を買ってくるって、それは素晴らしい……」 とほめられたそうです。
どうです、皆さん。こんなほめ方のできるお父さん、お母さんが、世の中にどれくらいありましょう。借金してまで土産物を買ってくるって、それは素晴らしい……こんなほめ方は、30万円を十倍百倍にもして返す太っ腹の子供を育てる方法です。これに反して、この苦労知らずめが……なんていう親があります。これは、10円札をきざんで使う子供を作る育て方なのです。
<小言上手のお母さん>
私は、この寺田先生の話を静岡県の浜松市で話したことがあります。そしたら、話がすんでから、応接間でお茶を飲みながら次のような話をして下さったお母さんがあります。
「先生、ありがとうございました。実は私も息子を一人持っているのです。ただ今、大阪へ商売の見習いにやってありますが、この子が気の太い子で、大阪への行き帰りに必ず特急のつばめに乗るのです。(当時、つばめは浜松に停車していました)それから大阪のお土産には、お母さんが好きだからとデコレーションケーキの7、8百円もする大きなのを買ってくるのです。
私は、うれしくないこともないけれど、小僧さんの分際で今からこんなことでは将来が思いやられると心配しまして、お土産をもらう度に顔をしかめて小言を言っていたものです。今日は、寺田先生のお話を聞いていて……あれまあ、これは大変なことであった。子供は太っ腹の大商人になるための修行をしているのに、親の私が削って削って気の小さな人間にするためにかかりきっていたようなものでした」 小言上手だったお母さんの戯悔話であります。
<子供を見抜けなかったお父さん>
同じ話を福島県の富岡という町で話したことがあります。そのとき閉会の辞を述べて下さったのは、田村さんという60歳に近い男の方でした。長く伸ばした顎髭をしごきながら、次のようにおっしゃったのです。
「今日のお話で、おしえられました。実は私の息子は今年33歳です。東京で相当の会社の社長をしております。親の口からいうのは何ですが、まあ優秀な息子です。ところで今から10年前、終戦直後の物資のとても少なかった時節でしたが、この息子を連れて東京の三越デパートへ行きました。さすがは三越です。洋服部へ行きますと、2万何千円という生地が掛けられていたのです。すると息子がツカツカと側へ寄って行って『お父さん、僕は洋服を一着と思っていたが、これで作りたい』というのです。
私はあきれて息子の顔を見上げました。息子はたしか22か3だったと思います。私は、この若僧が何を言うかと思ったのです。しかし、2万何千円のもので作りたいといっているのに、わきか5千円のにしておけともいえず『お前、いま金があるじゃなし、この1万円ほどのにしておいたら……』 と言ったのです。
息子はいかにも不足そうな顔をして『お父さん、僕はつくるくらいなら一番いいのでつくりたいのです。こんな悪いのでつくるくらいならやめておく……』ということになったのです。当時の私は、ただ若僧のくせに生意気な、と考えていたのですが、今日のお話をきいていて、なるほど息子はあの当時から、30そこそこで相当な会社の社長になるだけの太いものを持っていたのに、それを親の私が見抜く力がなかったのだ、と深く反省させられました」 子供を見抜けなかったお父さんの戯悔ばなしです。
<おねだり上手の息子>
また同じ話を善光寺のある長野市でしたことがあります。その日は午後の一時からが講演会、よるの七時から座談会となっていました。その座談会に、40歳にはまだ間があると思われる若い婦人が、次のように言われたのです。
「先生、私はここから五里ほど離れた田舎町に住んでいるものです。今日は午後一時からの講演会にだけ出席して帰宅する予定で出てきたのですが、あの寺田先生のお話をきいていて、これはどうでも今晩残ってきいて帰りましょうと腹をきめ、いま家へも電話をし、今夜の旅館もきめてきたところでございます」 とてもの張り切りようで、私も愉快になって尋ねました。
「で、どんなことですか」 「私の長男、今年かぞえで17歳ですが、気が太いというか、金使いが荒いというか、別に悪遊びするというのではありませんが、ともかくお金のかかることを上手に考える子なんです。
この頃も『スクーターが欲しい、スクーターが欲しい』と、歌でも歌うように言うもんですから、親も負けてしまって、まぁしょうがないから買ってやろうということにしたのです。いよいよ買うことに決まると今度はまた一番いいのが欲しいとせめたてるので、また一番いいのを買わせられてしまいました。それで、今度は何を買わせられるかと、いささか恐れをなしていた次第でが、今日のお話をきいていて、まてよ、こりゃひょっとするとあの子の中にも未来の大商人になるだけの素質があるのかも知れない、こう思いましたら、どうでも今夜は泊ってでも皆さんのお話を聞いて行きましょうと思ったわけです」 聞いてみると、お父さんはかなり大きな鉄工所を経営し、相当にやっていられるらしいのです。
私は、そのお母さんに聞いてみました。 「なるほど、素晴らしい意欲のたくましいお子さんですね。そこで問題になるのは、そのお子さんは親思いであるかどうかということです。もっとはっきりいうと、あなたはそのお子さんに好かれているか、どうかということです」
お母さんはニコニコ顔で、答えられました。 「はぁ、それはもうあの子は、親思いの大へんいい子なんです。この間スクーターを買ったときも『お母さん、僕は一番はじめに、お母さんを乗せて町をひと回りして来たいから、お母さん乗ってくれ』といって、私をのせて町を一回りしてくれました……」
「それは素晴らしい。ともかく、あなたは一生涯その子に好かれる母であることを心掛けるのです。そしたら、その子は必ず素晴らしい大商人になりますから……」 「まあ、有難うございます」 とそのお母さんは、子供さんが、もう大商人になったような喜びようでした。
すると、隣にいたこれも中年の婦人が、 「何とあなたのお子さんの素晴らしいこと、そこへ行くと、うちの子は安物買いで、どうして、ああもみみっちいのでしょう」 と、とんだ方へ話が飛んでしまったのでした。
<人それぞれの天分>
それで私はいいました。 「何をいいなさるんですか、世の中には子供の金使いの荒いのを苦にしている親たちが多く、それがまるで将来不良になる種のように心配している人もあるから、そう見えるなかにも素晴らしい芽のあることを示してあげただけなんですよ。人間は一人一人みな天分が違うんです。一人一人天分が違えばこそ、全体として助け合い長短互いに補って、家庭も社会も国家も円滑に運転していけるということになるのです。
厳密にいったら同じ者は絶対いないのです。こんなわけで物質面で栄える使命をもって生まれた子もあれば、精神面を深く掘り下げ掘り下げて、粗食粗衣に甘んじて、物質面のことは全く気にしない子もあるのです。どっちが尊いかといえば、どっちも尊いのです」
「ただ、その天分が、親や周囲のものに認められるか認められないかによって、その子の幸、不幸がきまるのです。最大の不幸は、親が自分の思う型に子供をはめ込もうと、やつきになることから起こるのです。これは、子供の天分を殺すだけではなく、歪められた個性に対する反抗反感から、下手すると問題児として敗残者の生活に追いやることもしばしばあるのです」
長い間教職にあった男の方の深刻な話をきいたことがあります。 「私には、男の子が四人あります。長男の教育は、厳格に厳格につまりスパルタ式に行ないました。長男は、どんなに厳しくしても、いくらでもついてきたのです。それで私は自信を得て、ともかくも男の子の教育は、これに限ると思いました。そして、次男にも適用しました。
ところが、次男は手に負えない不良になったのであります。私が生長の家の教育法にふれたのは、次男のことで悩んで、やり場のない気持のときでした。そして、人間は一人一人別だとやっと気がついたのですから、長い教壇生活とはいっても頼りないものです。私は、次男に手をついてあやまりました。『お父さんが間違っていた、ゆるしてくれ』と、あやまりました。それからは、酒を飲もうが、遊ぼうが、喧嘩しようが、そのまま、じっと拝む気持でした。私が犯したあやまちの受取りですし、子供の心に本来の平和、本来の面目のかえってくる日を待ちました。
どうやら最近になって、『うちの親父も話せる、相当なもんや』というて貰える私になりました。考えてみると、吾が子によって、教育に対する眼を開いてもらったわけです。ですから、教員として大勢の貴い子供を預かって、長い間に犯した罪は、どうしてつぐなわせてもらえるかとお詫びの念でいっぱいです」その方の目は、大つぶの涙でいっぱいでしたので、私は魂を打たれたものです。
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