| [412] インターネット道場 ―――感激的体験記 ・ 大山昌平先生 「光の行くところ闇はなし」 <その二> 「道は開ける」より |
- 信徒連合 - 2015年09月02日 (水) 07時23分
インターネット道場 ―――
感激的体験記
大山昌平先生
「光の行くところ闇はなし」
<その二>
「道は開ける」より
2.『甘露の法雨』でマグロの豊漁
松島といえば日本三景の一つで、よく人々が遊びに行くところであるが、昭和二十四年、生長の家の教えがまだこの周辺には伝わっていなかった時分のことである。
私は松島湾の沿岸をずっと、新規開拓の布教をしてまわろうと考えた。しかし、私はその方面に知り合いが一人もいない。誌友も一人もいないところだから、まずここに近い仙台の誌友会に行って、誌友の人たちに頼んだ。みなさんの中で、松島湾沿岸に自分の郷里があるとか、身寄り、知り合いがいるとかいう人があったら、どうぞ私を紹介してください。手紙を出して、こういう講師が行ってお話をしたいが、世話をして欲しい。人を集める世話と会場を提供してくださることと、一晩その講師を泊めるということをお願いして、引き受けてくれる人があったら、私はそこへ行きたい――と話したのである。
するとその後十七人の人から、お世話をするから来てもらいたい、という返事が来たという知らせを受けた。そこで私は順序をきめて、その十七ケ所をまわったときの、ある一つの部落での話である。
小さい漁村で、話を聞きに集まってきた人はみんな漁師ばかり、約三十人か、もう少し多いくらいの人数であった。私はいろいろ生長の家の話をして、本当にこの教えを信じてやって行けば、必ずすばらしい神様の祝福を受けるということを、いろいろな実例をあげて説いた。
すると、その集まりは夜であったが、「話を聞くとたいへんいい話ばかりだ。それでは、私共のこの漁村では、だいたい仙台マグロまたは鬢長(びんちょう)マグロという白い身のマグロがとれるのだが、もうこの半年近くというもの、どういうわけか、それがさっぱりととれない。それでだんだんと村全体の生活に影響して、今はもう村が疲弊したような状態になっている。あなたがそれほどに言うなら、鬢長マグロがうんととれるようにしてみせろ。口でうまいこと言っても、実際にとれる、とれないはその時の事情でしかしかたがない、といって逃げるようなことでは、われわれは信ずるわけにはゆかん」という。
私は行きがかり上、「それは話だけですよ」と言って逃げるわけには行かない。「それは、ぼくのいう通りにやったら、必ず漁はある」「まちがいないか」「そうだ」
私は、聖書の中で、イエスがやはり漁村へ行って、猟師たちが漁がなくて困っているときに「ここに網を打て」と教え、その通りにしたら大漁であったという話がのっているのを思い出した。私は本当に生長の家の教えを真剣にやったら、必ずこの漁によって一村が立てる、その生業が立ち行く道は神様が開いてくださるにちがいない、と思った。
そこで、「それには、どうするんだ」というので、「ここに、ぼくは一冊しか持っていないが、これは非常にありがたい、生長の家の『甘露の法雨』という聖経だ。これを今晩帰ったら、御仏壇の前で、御先祖さまに訴える気持ちで読みなさい。『御先祖さまは長い間、鬢長マグロをとってこの村を栄えさせて来られました。今その鬢長マグロがとれなくて、子供や孫がみんな困っているのだから、どうぞ御先祖さま、われわれにお力を与えてください。われわれを援助してくだし』こういう心で真剣にお願いして、必ず御先祖さまはたすけて下さると信じて、『甘露の法雨』を一所懸命に読みなさい。
読んだら、今度はこの『甘露の法雨』を持って漁に出かけるんだ。これを貸してあげます。そして、何人で漁をするのか知らないけれども、一人は漁をして終るまで、『甘露の法雨』を何べんでもくり返し読むんだ。漁をしている間じゅう読みなさい。あとの人は、一所懸命に漁をしなさい。そうしたら必ずすばらしい漁がある」というと、「本当か?」とつめよる。
「本当だ。俺はウソは言わない」「そんなら、明日の朝、やる。今から帰って、その何とかいうお経を読もう」と、いよいよそれをやることになった。私は持っていた中型の『甘露の法雨』を、一冊かしてあげた。漁師たちは、私を泊めてくれることになっているその家の人に小声で言った。
「私らは朝の三時半に漁に出て行く。そして晩にかえってくるから、それまでこの人を帰してはいかんぞ。逃げないように監視していろ」相手は漁師である。もしまちがったら、私は簀(す)巻きにされて海へ放り出されるかもしれない、私は覚悟をきめた。
「よし、私は逃げるようなことはせん。行って来い、そして私のいう通りにやれ」「よし」と言って漁師は帰って行った。『甘露の法雨』は一冊しかないので、一軒の人だけがこれを持って行った。
次の日の朝三時半に出る漁船は三隻である。三隻のうち一隻だけしか『甘露の法雨』を持って行くことができない。一人の人が、晩に自分の家の仏壇で一所懸命にこれを読んで、そして三時半にその『甘露の法雨』を持って、三隻のうちの一隻に乗って漁に出たのであった。
私は泊めてもらった家にカンズメにされて、そのようなことは知らなかった。私はもう、先生ではなかった。漁師たちは、人質をつかまえて、まちがったらただでは帰さないというつもりだったらしい。
私は、そこにいる間じゅうなにもほかに仕事はないので、『甘露の法雨』を暗誦し、神想観をして、すばらしい漁のあることを念じていた。そうして帰りを待つ時間の長かったことと言ったらなかった。
午後になり、やっと日が暮れたころに、大きな声でワアワア言う声が聞こえて、猟師たちが帰ってきた。前には私のことを「あんた」とか「この人」とか言ったその漁師たちが、「先生、おるか!せんせい、おるか!」と大きな声でどなっている。
<「先生」と言っているのは、これは漁があったんだな>と私は思った。漁師たちは、「ああ、本当だ!生長の家というのは本当だ!本当だ!」と言って、十人くらいバタバタトはいって来た。
話を聞いてみると、三隻の漁船のうち、二隻は一尾もとれない。『甘露の法雨』を持っていた一隻の船だけ、鬢長マグロが、二十一尾とれたというのであった。鬢長マグロは、長さが二メートルもある大きなものもあり、一尾で何千円もするものだ。それが二十一尾もとれた。その辺は塩釜港が魚の集散所で、大きな市場があるので、漁師たちは塩釜に寄ってとれた魚を売り、祝杯をあげて一杯機嫌でかえってきたのである。
今まではいくら漁船が出ても、その村が全く疲弊してしょげかえるほどだから、いくらもとれなかったわけだ。それが急に、一隻の船で二十一尾もとれたと言うので、「生長の家の先生のいうことは、本当だ!」ということになったのである。
私は漁師に、私の言った通りにやったかと聞いたら、その通りにやった、私が一所懸命に『甘露の法雨』を読んでいた、という。漁師たちの喜びはたいへんなもので、「先生、明日の朝帰らんで、もう一日泊まってくれ。もう一日、私らは漁に行くから、ここにおってもらいたい」というので、私は「ままよ」と思い、もう一日そこにいることにした。
私は前の日は囚人のように監禁された形で、ほとんど何の待遇もされなかったのに、今度は「先生」になって、たいへんな歓待をしてくれる。そうしてその日の夕方帰って来たら、その日は七尾とれたという。七尾でも、そのころとしては実に豊漁の方であった。ところがやはり、『甘露の法雨』のない船は一尾もとれない。それで漁師たちは、ぜひもう一日いてくれという。私はまた覚悟をきめて、もう一日そこに滞在することにした。
三日目に漁師たちが帰ってくると、えらい騒ぎである。聞くと、本マグロがとれたという。本マグロといっても大きいのや小さいのがあるが、三十何貫(百何十キロ)という本マグロがとれて、それを塩釜で売って来た。それで明日は村中総出でお祝いをするから、先生、そのお祝いに出てくれ、という。
そうして翌日は松林へずっとテントのようなものを張り、酒を出して大ぶるまいをして祝ったのであった。私がもしこの村で失敗したら、乱暴な漁師たちのことであるから、こいつはウソを言ったといって、どんなひどい目にあわされたか知れなかった。しかし、私は、伝道者は自分から身を投げ出して、そのようなところにも新規開拓に出て行って、真理の証しをするのが本当の使命だと思う。
自分がこのみ教えに救われた、初めの時の感激の心を、今、その場、その場で再現し、マンネリズムを排して“やるぞ”という一大勇猛心をふるい起こすことの意義の重大さを身にしみて思う。
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