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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[4829] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第108回
信徒連合 - 2016年08月30日 (火) 08時50分




谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――


@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』

A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』

★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。

******************




平岡初枝先生「子供を見つめて」より(19)



<遊戯も上手になりました>

秀子さんは、お遊戯も上手ではありませんでした。どっちかといえばへっびり腰で、ただ飛び回るような形でした。これも、潜在意識に劣等感を植えつけたくないので、一度だって下手だとはいいませんでした。これも、秀子さんが学校から大はしゃぎでかえってきた日のことでした。

「お母さん、今日は学校でお遊戯したの。先生はね、秀子さんのお遊戯を見ていると、まるで胡蝶が飛ぶようだとほめてくださったの」秀子さんの先生は、すばらしくほめ上手な先生だとおもいました。ひょっとしたら、へっぴり腰のフラダンスを胡蝶が飛ぶようだと表現されたのかも知れません。しかし、子供にとっては真剣なのです。自分は上手だと決めてしまうのです。

それからは、ひまさえあればダンスのけいこ、そして夜は音楽会。こんなわけで、遊戯もすっかり上手になりました、という話です。


この話から、私どもは何を学べばよいのでしょうか。同じ歌を歌うのでも、心の底で「秀子は上手よ、先生にほめられたんだもの……」と自信たっぷりでいるのと「私下手だけど……」と劣等感をもっているのとでは、結果は大へんな相違になります。

ここが人生の勝負です。いつだったか森繁久弥氏が週刊誌に「我々が舞台で劇を演ずるときは『俺は世界一の名優だ』という自信をもって立つのです」というようなことを書いていられましたが、名言であります。この自信の上にきずかれた努力が、氏を今日の成功に導いたのでしょう。

子供の教育の場合にも、こうした自信をもたせるように導くことが大切なのです。世の中には、もっと勉強しなさい、もっと勉強しなさい、あんたはまだ駄目だ、あんたは下手だ、とののしることによって子供を激励できると思っている親もあるけれども、これは大きな間違いです。そうした言葉で激励される人は、百人中何人あることでしょう。大ていの場合、そうした言葉は相手に「お前は勉強しない子だ、お前はだめな子だ」と潜在意識に劣等感を植えつけるばかりか、反抗心を抱かせるだけであります。

その点、秀子さんは恵まれていた。誰も、あんたは声がわるい、唱歌はだめだ、ゆうぎは下手だというものがいなかったからです。そこへ先生にほめられた、冗談だったかもしれない。しかし冗談でもほめ言葉は相手を生かす。純真な魂に「私は唱歌が上手。ゆうぎはうまい」とほりつけた。これが、秀子さんを自信へ導いたのです。




<小言は公平に愛深く>

私はあるとき鳩山家の集まりで―― 当時、鳩山一郎氏は総理大臣をしていられたが――この話をしました。章子夫人が列席していられたが、話が終わると、閉会の辞をのべてくださいました。その中で次のようなことを、おっしゃって下さったのです。

「今日のお話を聞いていて、思い当たることがたくさんありました。私が女学校一年生のとき、受持の先生が、たった一ぺんでしたが、『あんた、どうして字が下手なの、妹さんは上手なのに……」といわれたのです。それこそ激励のための一言だったかもしれないのですが、それっきり私は字を書くのがきらいになりました、私は今年70歳であります。70になっても、日誌をつけるとか、手紙を書くということになると、字が下手だからいやだなあと思うのです。たった一度の言葉で、一生の運命が決定されます。平岡さんは日本中を歩かれるのだから、このことを多くの人に話してあげて下さい」いわば、嶋山さんの言いつけでした。

「どうしてあんたは、こんなに下手なの、妹さんは上手なのに……」
こんな言葉は、もっとも下手な激励であります。子供は兄弟が何人あろうと、一人一人、自分が一番愛せられたいという願いをもっている。それだけに父母の一言には、とても神経的になるのであります。鳩山夫人の場合は、御両親ではなくて、先生の言葉でした。先生でも同じことです。妹が上手なのに、あんたは下手だといわれたのでは、特に勝気な子にとっては精神的に、たまらない印象となるのです。これが一生を支配するわけです。

何かの心理学の書物に、兄弟の一人が親からほめられると、他の子供は、ほめられた子が死んでくれればよいというような気持にさえなるものだと書いてありました。だから、二人の子供の中の一人をほめるということは、もう一人がけなされたと同じ印象を受けることになるのであります。

鳩山夫人は、きれいな字をおかきになる方で、決して下手ではありません。しかし、10代のときの印象が、70歳になっても消えずに残っているものだということがよくわかると思います。




<歌のない生涯に>

あの有名な壺坂寺のある奈良の高取という町へ行ったときも、子供のときに受けた印象は生涯を支配するという話をしました。そうしたら、尾上という60歳前後の婦人が立って、次のような体験を話されたのです。

「私は奈良の田舎に生まれました。そして奈良市の女学校へ入学しましたが、何かしら田舎者という劣等感をもっていました。ところが1年生の一学期の唱歌の試験のときに、一人ずつ立って歌わせられたのです。私は恥ずかしくて恥ずかしくて、足がガクガクふるえて、まともに歌えないのです。でも仕方なくやっとオドオドと歌ってヤレヤレと思って椅子にかけた、とたんです。

『あんた音痴や』と先生がいわれたのです。
『ああ音痴か、音痴なら歌わない』
と決めてしまったのです。これで、私の生涯は歌のない一生になってしまったのです」

こんなことは随分たくさんあるとおもいますが、そうなると……私は神の子だ、何でもできるはず、字もうまいはず、うたも歌えるはず……と自己の運命を転換するには非常な努力がいるわけです。ここを子供のときから心して教育することは、非常に大切なことであります。

もっとも秀子さんにしてもある時期がくると、自分の声はあまりよくないことも、唱歌があまり上手でないことも発見するのです。しかし、その頃には、人それぞれの個性があり、人それぞれの使命があることも自覚できるのですから、それでよいのです。幼い時には下手な劣等感など持たせないように、大いに心すべきだと思います。



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