| [4874] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第111回 |
- 信徒連合 - 2016年09月02日 (金) 08時36分
谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――
@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』
A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』
★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。
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平岡初枝先生「子供を見つめて」より(22)
子供に学資をおくるとき
<素気なくとも心は一つ>
私の孫が高校をおえて、早稲田大学へ行っていた時のことです。その頃の私の家族は、私の娘と孫の三人でしたが、ねんごろな手紙を書くものがいないのです。とくに孫ときたら至極簡単。「お母さんたっしゃですか。僕も元気です。お金がなくなりました、送って下さい」といったぐあいでした。
ある時も、そんな手紙がきました。ところが、孫の母である私の娘の返事が気に入りました。「雅ちゃん、あんたは、たっしゃな間は手紙も葉書も書かないでよろしい。でも、お金がなくなったらいって下さい。お母さんは、お金送ってくれという子があるということは何と幸せなことかと感謝している」と書いてあったのです。
私は、何ともいえないうれしい気がしました。そうだ、こんな手紙を見ては、馬鹿銭など使えるものではない、と思ったのです。
<他人行儀>
そして、山形県のある町へ行ったとき、この話をしました。翌年、その町を再び訪れた時、そこの白鳩会長さんから、喜びと感謝の言葉をいただいたのです。
「私の長男も、東京の大学へ行って居ります。そして毎月1万2千円ずつ送金していますが、そのたびに『これは、お父さんの御苦労あそばしたお金です。下手な使い方をしないように。必ず何にどれほど使ったということをしるしておいて、間違いを起こさないように』と書いて送ったのです。
息子からはある時など、『何やら他人さんから仕送りを受けているような気がする』とまでいってきたのです。そんな時に、先生のお孫さんの話をきいたので、泣けて泣けて涙がとまりませんでした。
そうだ、このお金は、試験に合格してくれたればこそ送らせてもらえる。それを喜ばねばならなかったのだと気がついたのです。そして、主人が苦労していただかれたお金を殺して使っていたのは、息子ではない。私だったと気がついて、私の手紙も変わりました。そして、この頃やっと息子から感謝の手紙をもらえるようになりました」
恩に着せた言葉は、つつしむべきです。
手に負えない子供
<若い女教師の熱意>
私が横浜市のある教育講演会で話したときでした。会が終って控室に引きあげると、どこか見覚える若い女性があらわれて、 「先生、私は昨年、私の受持の生徒について指導を求めた田中です。おかげで、あの子がすっかり変わっただけでなく、家庭もすっかり変わったのです」 と述べられた。ここまで聞いて、思い出させてもらったのが、次の話です。
それは、前の年の5月のものすごいドシャ降りの雨の日のことでした。この日も、講演会が終わると、控室に田中さんがみえたのでした。
「先生、お願いです。実は私は小学校二年の生徒を受持っている教官です。ところが、私にはどうにも手に負えない男の子が一人いるので、今日は申しわけないが、先生にその子の家まで行っていただいて、その子の親を指導していただきたいのです……」
薮から棒の話に、いささかならずおどろいたが、とにかく事情をたずねてみました。 「手に負えないって、どんな状態なんですか」 「むろん成績もよくないのですが、成績が悪いぐらいならたいしたことではないのです。一日に二回でも三回でも、皆が静かに学習している最中に、アッともオッとも何ともいえない奇声を発して立上がり、両手を高くあげて教室をダダダダダダッとかけまわるのです。何分にも小学校2年生の教室です。こうなると、みんながひきずられて教室中総立ちになって騒ぐというわけで、全く泣き出したくなるのです」
田中さんが受持たれたのは、二年生になってからのことだが、そういう状態は入学当初かららしいのです。一年のときの受持の先生が「これは異常児だ、特殊学校へやったら……」と一度言われたそうです。今でも、その子の母親は、その先生をひどく恨んでおられるということでした。その子は、大切な一人子だというのですから、親としてのやり場のない気持も察せられるのです。
「こんなわけですから、先生どうしても、その親を指導していただきたいのです。車をひろって来ますから、子供の家へ一緒に行って下さい」田中さんは、とてもの決意なのです。
言われるまでもなく、これは親の問題に違いないのだから、親に話すほかに道のないことはよくわかっているけれども、その親を連れて来て「指導してやってほしい」ならきこえるが、この雨の中をどうでも私に行ってほしいと言われるのには、おどろいたわけです。でも、私は田中先生の熱意にうごかされました。ドシャ降りの雨のなかを、しかも裏通りの道路工事中のくずれたドロンコ道をビショぬれになって、空車をさがし廻っていられるこの若い先生の熱意に動かされて、その子の家に行ったことでした。
<迷惑そうな母親>
かねて示しあわせてあったらしく、ホンの六畳と四畳半位の狭い家でしたが、キチンと片づけて、きれいに掃除がしてありました。そして、まだ30代と思われる若いお母さんが、顔の筋肉をこわばらせて坐っていられたのです。
私は先ず、彼女の堅いこわばった気持を解いてあげることが第一だと思いました。ここにくるまでの順序から考えても、これは若い先生が、どうでも私に指導して貰おうというのであって、このお母さんが話を聞きたいのではないらしい。むしろ、迷惑そうな気持さえ感じられるのでした。それで私は、こんなふうに話しかけました。
「あなたは、子供さんのことで心配していられるんですってね。田中先生からよく聞きましてよ。でも大丈夫、心配は要りません。私は、そうした子供たちを、お母さんと仲よしになることによって、お母さんに話を聞いてもらうことによって、どれだけなおしたかわかりません。だから、あなたも安心して下さい。必ずよくなるんですから……」
こんな言葉で、相手に信頼感を起こさせ、心の一角をほぐしたのです。
私は、そろそろ本論にはいりました。
「子供がそんなふうになる場合には、お父さんとお母さんの間がうまく行っていないことがあるのですが、お宅では、その辺はどうでしょうか」と恐る恐るメスを入れて見ました。
すると、このお母さんは、いかにも自信たつぶりに答えました。 「ええ、うちの主人は好い人で、そのへんは何も言うことはありません」
その実は、妻の気ままを黙って通している旦那さまであったり、案外亭主を尻の家庭である場合もあることを知ってはおりますが、今はそんなことを言うべき場合ではない。
「ああ、それは素晴らしい。お父さんとお母さんの間が調和しているなら、子供さんの問題は至極簡単に解決しますよ。ところで、今一つ問題があるのですよ。あなたと親ごさんとの関係になるのですが舅姑さんがいられるのですか」
お舅さんは結婚前になくなり、お姑さんも数年前に亡くなられたとのことでした。仏壇も祀ってあって、毎朝ではないがご命日にはおまいりしているということでした。
そこで私は、人間は永遠の生命であることを説き、御先祖は姿こそ見えないが、言葉こそきこえないが、朝に晩に報恩感謝の誠を棒ぐべきことを話しました。そして言いました。
「そうでしょう、一本の木も、一軒の家も同じことです。一本の木が栄えるためには、根に肥料をやらねばなりません。それで初めて幹が太り、枝葉が繁り、よい実がなるようになるのです。一家も同じです。家の根は御先祖であり、父母であります。その御先祖に感謝し、その父母に合掌することによって、その家は栄え、その子孫がよくなるのです。いわば子供はリンゴの実です。リンゴの実を立派に育てようと思ったら、根に肥料を与えねばならないのです。その順序をまちがえて、根にこやしをやることを忘れ、どうしたら子供がよくなるかと、さわぎ廻るのは、リンゴの実に小便をかけたり、肥料をふりまくようなもので、実はいよいよくさくて食べられなくなってしまうのです……」
<育ての父を恨んで>
そのうちに、奥さんの自叙伝をきくことができました……生みの親には育てられず、里子にやられた人でした。育ての父親が気ままで、妾をもって年中義母をこまらせていたので、義父を今でも、深く恨んでいるということがわかりました。
恨むということは、こわいもので、その義父が、琴や三味線やら、いろいろの芸事を仕込んでくれたことすら、 「あれは父の虚栄心からです、愛情などある人ではありません」 とつっぱねるような剣幕なのです。
それで、私は「父、父たらずとも、子は子たらざるべからず』から説き起こして、この気持にならない限り、子供のよくなる道は絶対にないことを説きました。やはり母親です。子供可愛さに、涙を浮かべてくれました。
それでも、 「今まで恨んだことをお詫びするのですよ」 と言えば、またちょっとこわばった顔になる。
「お詫びするといっても、長らく足ぶみしたこともないというお義父さんの家へ飛んで行って、おわびしなさいというのではありません。あなたが朝晩仏壇の前に合掌する時に、そのお義父さん、そのお義母さんのニコヤカな顔を思い浮かべて『おとうさん、おかあさん、ありがとうございます、ありがとうございます。今まで育てていただいた御恩もわすれ、長い長い間恨んでいたことはまことに申しわけのないことでした。かんにんして下さい、かんにんして下さい……』と、じっとおわびするのです。5分、10分、15分……毎朝毎晩、それをやってごらんなさい。 念は必ず通ずるのです。よいおもいも、わるいおもいも、必ずとどくのです。
現代の最も新しい精神科学の分野では、精神感応といっています。こちらの思っていることが、時間空間を超越して相手にひびくのです。だから、このことを教育に応用すると、子供が学校に行っている時でも、お母さんが家で子供のことを思い出して『いい子だ、素直な子だ、勉強ずきな素晴らしい子だ』と善念の放送をしてやると、いつの間にかそうした良い子になるのです。反対に『あの子はできのわるい子だ、わるい子だ、乱暴な子だ』と悪念の放送をしていると、子供はよくならないのです……」
<荒々しい母と子と>
こんな話をしているところへ、さっきから一度も姿を見せなかった子供が、雨の中を傘もささずに家へ飛びこんで来たのです。お母さんは、たちまち怒りの声をはりあげました。
「まだ帰っちゃいけない、渡辺さんとこにいるんだよ、傘もささずに……」 ものすごい剣幕に、子供はバネ仕掛のようにトンボ返りして行ったが、帰りがけに母親に向かって、「バカ……」 と唾でも吐き出すように叫んで、再び雨をついて走り出したのです。私の話をきく間、友達の家にあずけてあった子供が、一度様子を見に帰ったらしいのですが、その時の光景がこれだったのです。
しかし、この光景が、私の指導にはなくてならぬ場面だったのです。そこで、私は言いました。 「かわいそうに、あんなひどいことを言うものではありませんよ。子供は、お母さんの愛情を、特に愛の表現を求めているのですよ。あの子の『バカッ』という言葉を、あなたは憎たらしいとおききになったかもしれないが、私は涙の出るようないじらしいものを感じましたよ。
『もうしばらく、渡辺さんとこで遊んでいてちょうだい。すぐ迎えに行ってあげるから、さあ傘をさして帰るんだよ。着物がぬれちゃつめたいだろう』と、いたわりの情をこめて、こういってやってごらんなさい。子供は、お母さんを大好きになるんですよ。お母さんを大好きにさえなれば、もうこっちのもの。あとは、お母さんにほめられること、喜ばれることがしたくてたまらなくなるのですから。この点幼い子供ほど、結果が実に早くあらわれるのですから……」
だいぶ気持のほぐれてきたお母さんは、神妙にきいてくれました。こんなわけで、2時間ばかりも話して帰ったのですが、それから4、5日後にも、横浜のある集まりに行って、教育の話をしたのです。そこにも田中先生が見えました。
「先生、ありがとうございました。あの翌日から、子供はすっかり変わりました。落着いてきたのです。親がかわると、ああも違うものでしょうか、まるでウソのようなんです」 と、とても喜ばれたのです。
そんなことがあって一年半ぶりの対面が、はじめに書いたところです。今では、あのお母さんが大の生命の教育の研究者となり、子供の友達のお母さんたちを集めて、月一回、自宅でそうした方面の話をきかせたり、新教育者連盟(本部は、東京都港区赤坂9の6の5)から出ている書物や、生長の家本部(東京都渋谷区神官前1の23の30)から出ている書物などを備えておいて、縁ある人たちにすすめていられる話を田中先生は嬉しそうにされたのであります。
何と愉快な話でしょう。乱暴で落着きのない子供は、お母さんの心のかげだったのです。
こうした現象は、幼い子供に限ったことではありません。相当大きくなった青年期においてはなおさらひびくのであります。青年期になると自由意志で動く幅が広くなるので、屈折したあらわれを示してきます。高校を卒業して職についたが、転々としておちつかないとか、不良の仲間へはいるとか、ノイローゼになるとかが、それであります。ともかく、家庭におけるおかあさんの叱声罵声は、子供を不良の群においやる最高の力をもっているのは事実です。
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