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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[4903] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第113回
信徒連合 - 2016年09月04日 (日) 08時27分




谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――


@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』

A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』

★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。

******************




平岡初枝先生「子供を見つめて」より(24)




<子供を呼ぶとき>

親が変われば、子がかわるということで、思い出す話があります。新教育者連盟の先生である医学博士の徳久克己先生が、岩手県で講演された時「子供の呼び方に気をつけて下さい。何ぼ自分が生んだからとて粗末な呼び方をすれば、粗末な子になるのですよ」というお話をされたそうです。

斉藤さんというお母さんが、このお話をきいてドキリとされたそうです。斉藤さんには、小学校5年生の男の子があるのですが、反抗心が強くて可愛らしいところが一つもないというのです。しかし徳久先生のお話をきいているうちに「なるほどそうか。私はあの子は素直なところが一つもなくて、にくたらしいばっかりだと思っていたが、自分のしていること、言っていることは考えたことがなかった。私は、あの子を、やさしい言葉で呼んだことがあっただろうか。『登っ、のぼるっ』と、かん高い声でばかり呼んでいた。これは悪かった。今日から一つやさしい声で呼んでやりましょう」と思ったというのであります。

ところで、このお母さんは、そんなに深い反省をしながら帰って来たのではありましたが、子供の顔を見ると、ムカムカと何やら腹立たしくなり、虫ずが走って……またしても「登っ」と、かん高い声で呼んでしまったのです。習慣とは、こわいものであります。この親子の間には、もう動かしにくい雰囲気ができ上がっていたわけです。しかし、気づいたお母さんは、悲しくなったのです。ああこれではいけない、これではいけない。でも、どうしたらよくすることができよう……と思いつめた末、そうだ、これは練習するほかはない、と思ったというのです。

これは、なかなか偉いとおもいます。お母さんたちは、子供に対しては「勉強しなさい、練習しなさい」と口うるさいほどおっしゃるけれど、さて自分は、人の親として、あるいは人の妻として、どんな勉強をしているかと考えると、案外おろそかな日を送っているものです。

ともかくも、斉藤さんはこんなわけで、子供のいないところで、「のぼるちゃん」「のぼるちゃん」とやさしく呼ぶ稽古をしたというのです。子供のいないところでは、スラスラとでるのです。でも顔を見ると、とたんに虫ずが走って「登っ」とでかかる、こんなことで、十日ほども稽古を続けた。そして、もう大丈夫と自信のついたある日、登ちゃんが一人家にいる時、お母さんは静かに側に行き、やさしく肩に手までかけて、
「登ちゃん、登ちゃん」と呼んだというのです。

ところが、子供の方が、びっくりしたのです。お母さんは十日もけいこがしてあるけれど、子供には突然なのです。
「ナニッ、登ちゃん!」
と、大きな目をみはられたので、こんどはお母さんが、びっくりした。しかし、お母さんはびっくりしながらも……そうだ、今が大切だ。ここでまけてはならない……と、目をつぶって、なおも、「登ちゃん、登ちゃん……」
と何物かにつかれたように呼んだというのです。

すると、腹の底からジーンとあついものがつき上げて来るのを感じたが、そのとたん、登ちゃんはおかあさんの膝にしがみついて、「母ちゃん、母ちゃんや母ちゃん……」
と叫び続けたというのであります。

皆さん、本当にすべての親は、みんな子供を愛しており、すべての子供はみんな親を愛しているのです。この親子の愛情は、実に大自然から植えつけられた尊い賜物なのです。だから、この植えつけられた本性のそのままが素直に展開されたら、そこに神の国そのままの姿が現われることになり、地上に天国が建設されるわけなのです。


終戦後、思想上の反動的アオリの中で、ともすれば親の言葉に冷い批判のメスを加えることが立派なことであるかのように、錯覚したり、親には子供を育てる義務があるが、子供は親をみる責任はないというような言動がふえています。

これは、自然の情を無視したもので、そんなことでは絶対に楽しい人生を建設することはできないのであります。同じように反国家的思想も、この自然のこころを無視したもので、決して本来の姿ではありません。

私は、日本国内をいたるところへ講演行脚を続けましたが、郷里富山のことになると何となく、お国自慢をしたくなったり、ムキになって弁解したくなったりするのですね。こうした情は本能的なものであり、愛国心にもつながるものではないかと思うのです。親をにくんでいるように見える時でさえ、本当は親を愛しているのです。その証拠に、他人が親の悪口をいうと腹が立ったり、弁解したくなったりするのです。これは夫婦の間でも同じであります。「夫婦喧嘩は犬もくわぬ」などといわれる理由も、そこにあります。

要するに、 親子は本来仲がよいのです。愛しあっているのです。ただ、その本来相が、言葉と表情のあやまりから間違えられて、悲しい親子の姿となってあらわれているにすぎないのです。

登ちゃんのお母さんは、10日間の努力で、歪んだ二人の間を調整されたわけです。それからは、登ちゃんは素直な子になって、いくらいっても勉強をしなかったのに よく勉強する子になり、小学校を卒業する頃には学業成績の順位もズッと上がったという話をきいたのです。やっぱり、親が変われば、子供もかわるのです。




<愛の心を添えて呼びましょう>

名前の呼び方については、必ずしも「登」ではいけない、「登ちゃん」でなければならないということはありません。奥さん方の中には「オイ」という代名詞をもらっていられる方もありましょう。

「母ちゃん」と呼んでもらっている方もありましょう。必ずしも「オイ」は絶対にわるくて、「かあちゃん」でなければならないということはないと思います。 「オイ」でも、語調によっては、とろけるような嬉しいのもあるではありませんか。同じように「かあちゃん」といっても、ぶっつけるような、たたきつけるような、このあとなにが出るかと身ぶるいするような「かあちゃん」もあるのです。

要するに「オイ」はいけない、「かあちゃん」でなければならない、ということではなく、「オイ」でも、「かあちゃん」でも、それに愛の心を添えて呼びましょうということなのです。その添えられた愛の心が、相手の魂にひびくのです。

登ちゃんの話から、私はおかあさんたちに、子供の名前の呼び方について心して下さい、とよく訴えたものであります。そして、いくつもの反響を得ました。その中の一つ二つを書いてみましょう。




<ニクイちゃんの話>

大阪で、講演の終わった後で、10数人の方と座談会をした時に、Nさんが発表された話です。「先生、ありがとうございます。このまえ私は先生から登ちゃんの話をきいて、泣かされました。実は、私には三人の子供がありますが、まん中は中学2年の女の子ですが、反抗心が強くて可愛らしいところがちょっともないのです。とし子という名ですが、いつの間にか『ニクイちゃん、ニクイちゃん』と呼んでいることさえあったのです。先生のお話をきいていて……これはまちがった、ニクイちゃんなんていわれていて、素直な気持になどなれるものでない……と気がついて、本当に泣きました」

「家へかえってさっそく、とし子にお詫びしました。
『とし子ちゃん、お母さんがわるかった、ニクイちゃんなんていって、お母さんが間違っていた。そんなことをいわれて、あんたがよい子になれるものでない。もうこれからは、お母ちゃんが改めるからかんにんしてネ』とお詫びしました。それからは『とし子ちゃん』と呼ぶたびに、言葉にも目色にも心して、やわらかくひびかせるようにいたしました。そしたら、どうでしょう。呼び名一つで、子供が本当に変わってきたのです。この間などは、寝言にまで、私におわびしてくれる子になったのです」

「どんな寝言ですか」
「『おかあちゃん、いつもゴテゴテばっかり言ってすまんわね、かんにんしてね』といっていました」

登ちゃんのお母さんは、10日間の努力で「登ちゃん」といえた。とし子ちゃんのお母さんは、帰るとすぐに子供にお詫びができた。みんな素晴らしいとおもいました。




<呼びすてにされていた長女>

愛媛県の巡講を終えて帰った後、今治市のFさんから手紙をもらいました。次のようなことが書いてあったのです。

「先生、ありがとうございます。私は四人の子供の母でございます。一番うえが中学2年の女の子で順子と申します。学校の成績は相当なのですが、どうも私に対して、反抗心が強くて、素直になれないのです。先生のお話をきいているうちに、理由がはっきり分かってきました。四人の子供のうちの下の三人にはいつも、『太郎ちゃん』『よし子ちゃん』と呼んでいるのに、その子だけは『順子、順子』と呼び捨てにしていたことに気がついたのです。『ああこれは悪かった、今日から改めましょう』と決意したのです。ところが、こんな些細なことでも、さて改めるとなると全く勇気の要るものでございますね」

「その日、帰って順子の顔を見るなり、『順子ちゃん』と呼びましょうと思うのに、どうしても出ないのです。まるで、口がへばりついたようでした。そして、自分の顔だけがほてってくるのです。2日目には勇気を出して『順子ちゃん』といいましたが、まつ赤になって横を向いている自分を発見しました。子供もびっくりして『えェ、えェ』とわけもなくあわてているのです。それで、私は今だと思って詫びました。

『順子ちゃん、御免ね。お母さんは、今まで順子ちゃんにだけ、順子、順子っていっていたことに気がついたのよ。悪気もなんにもなかったけれど、ただ気がつかなかったのよ。ごめんね』と、くりかえし詫びました。

それからの順子が、おだやかな娘になっただけでなく、家の雰囲気さえあたたかいものに変わってきたのです。名前の呼び方一つかえるだけで、こんなにも家庭のなかが変わるとなると、ちょっとのことにもよほど気をつけねばならないものだ、と考えさせられました、ありがとうございます」こんな手紙だったのです。



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