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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[4917] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第114回
信徒連合 - 2016年09月05日 (月) 09時01分




谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――


@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』

A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』

★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。

******************




平岡初枝先生「子供を見つめて」より(25) 




大学受験のための設計


<母は強し>

東京に北原さんというしっかり者の未亡人がいられます。終戦直後、リュック一つにお金千円という持物しかゆるされずに、12、3歳を頭に五人の子供を連れて満州から引揚げてきた方です。子供は五人とも男の子、内三人が先妻の子、あとの二人が自分の腹を痛めた子です。北原さんは、帰国するとすぐ生活の代として衣類のかつぎ屋から始めましたが、五人の子供を育てながら、今では地所も買い、家も建てて立派な生活をしていられます。




<受験準備は一年限り>

しかし、さすがの北原さんも長男は高校だけであきらめさせるほかなかったというのです。そして、次男が大学を受けたいといった時、このお母さんは宣告したというのです。

「さあ、うちでは準備は一年だけだよ。浪人は絶対にするわけにはゆかないのだから、そのつもりでやってちょうだい。そのかわり一年間は、お母さんもどんな協力でもしてあげる。家がせまいのだから、勉強のために一室借りて欲しかったら借りてあげてもよい。お母さんもできるだけのことをしてあげるから、あんたも精一杯やりなさい。

でも、重ねていうが今年一年だけのことよ。それで受かればよし、もし受からなかったら、神さまはあんたに外の道を示していられるのだと腹をきめたらよいのです」こういう約束で親も子も腹をきめて、試験にのぞんだというのです。幸い、その子は合格して、目下大学の四年生です。

一年おいて三男の番がきました。次男の時と同じ条件で親子とも頑張りました。ところが、三男は不合格に終わりました。北原さんは、言いました。
「あんたの場合は、それでよい、神様の御使命は他にあるにちがいない。何も人間は大学を出なければ駄目だなんてことは、絶対ないのだから……」

そして、三男は電気器具の店をだしました。何しろ、入試の勉強によって一所懸命やるくせがついているのです。それに、学校をでていないのだからなおのこと頑張らねばならないと思ったのでしょう。開業二年で、兄がまだ角帽をかぶって学生生活を続けているのに、弟はもう生活設計の基礎ができたのです。

この事実から見ても、何をやるにも先ず腹をきめることが大切です。腹をきめて、落ちついて頑張ることです。どうしても東大へはいりたいのなら、ぜひ今年はいると極めることです。今年だめならというのでは、心に不安があって百パーセントの力は出せないと思います。また、どうしても東大に入るときめて、3年かかろうが5年かかろうがと腹を据えてとっ組む方法もあります。それくらいの腹ができたら、その気迫でいつかは成就します。

いわゆる、精神一到何事か成らざらん、です。あるいは、悠々はいれる自信のある学校を受験する方法もよろしい。よい学校へは入りたい、浪人はいやだ、と不安が多ければ多いほど、実力は発揮されないでしょう。

要するに学問をするには、大理想がなければなりません。学問する目的は、それによって自己の内部可能性を練達し、それによって社会に貢献することであります。地位と栄達のための方便として、あくせくするのでは足元がくずれているから、結果もよいことはのぞまれないのです。

入学試験だけではなく、どんな試験の場合でも同じことです。当人も、親も、腹がすわっていなければならないのです。それが実力をあらわす秘訣であります。いざという場合に、実力の半分しかあらわすことができないのは、心の不安動揺がさせる芝居です。



<何のための勉強なのか>

しかし、この腹をきめるには、親も子も、何のために、高校へはいるのか、何のために大学を受けるのか、そうしたことについて一応考えたり、話し合ったりする必要が大いにあります。単に、時節が時節だからとか、うちの家柄にかけてとか、あそこの子供がはいったのに家の子供もいれなくては……といったような気持で受験させると、子供にも決然とした意欲が出ないだけでなく、親の虚栄心を満足させるために、何で俺が犠牲にならねばならないのか、といったような反抗心をこんな時爆発させることにもなるのです。

勉強は何のためにするのでしょうか。それは、自分の能力を練磨するとともに、それによって人類社会に貢献するためなのです。社会に役立つことが根本なのです。社会に役立つことが人生の目的だということさえはっきりわかれば、あとはどの道でもよいはずであります。そこに北原さんの宣言が意味あることになります。

このはっきりとした目的に立って入学試験を受けるか受けないかについても、どこを受けるかについても、何科を選ぶかについても、話し合うことが大切であります。

しかしこうしたことも、ふだん子供と親との間をたのしいものにして、愛される親になっておくことが必要です。ふだんは劣等感と反抗心をもつ子供に育てておきながら、いざとなった時、親のせっかくの話にのってこないと嘆くのは、おろかなことであります。すなわち常に希望と自信をもたせて「神の子だから何でもできる」という信念を養っておくことが、最高の試験準備ということになるのです。



 失敗は人生勉強


<いねむり運転始末記>

これは私の家でおこったことです。孫の雅治が早稲田大学の2年か3年の頃、自動車運転の免許をとりました。さぁそうなるとうれしくて運転したくて、飛ばしたくてたまらないのでしょう。お休みの日ごとにドライブクラブで一時間のかり賃350円の車をかり出して飛ばしていたらしいのです。ちょうどその頃、私は生長の家本部に勤めておりましたが、ある日、孫の下宿先から私のところへ電話がきたのです。

それによると、前日友人二人と伊豆半島へドライブしたが、帰りに疲れていねむり運転をしたらしく、車をどこかへぶっつけて破損したというのです。けがはなかったそうですが、車の修理代を応援してほしいというわけです。私はけがのなかったことを祝福し、さっそくクラブへ行って修理代はいくらかきいてきなさい、その上で、また電話するようにと話しました。

ところが、それっきり返事がないのです。それで、翌朝私は孫の下宿先へ電話をしました。下宿先といっても、私のごく親しい友人宅なので、
「雅ちゃんは、どうしているでしょうか」
と尋ねました。友人はびっくりして……いうのでした。
「事故のことは少しも知らなかった。もっともおとといの晩は、おそくなってから、クタクタになって帰ってきたけれど、なんにもいわなかったよ。そして、今朝は起きるとすぐ『僕ちょっと、国へ行ってきます』といって出て行ったよ」

これは相当な損害だな、と思いました。故郷の富山には母がいる。そこへ、すがりに行ったのだと思ったら、私もホロリとして、そうだ母一人子一人だもの(父は戦死)うれしい時困った時は仲よく力になり合って世渡りしてくれたら、それでよいのだ、と合掌して1万円だけを封筒に入れて、「これはみんな無事だったお祝いです」と留守宅へことずけておき、九州の旅行に出たことでした。

帰京した日、孫はいつものように品川駅まで迎えにきてくれて、
「このあいだはすいませんでした」
と頭をペコリ下げました。それで私は、こんな時こそ男の教育だと思いましたので、
「雅ちゃん、男一匹裟婆一代、どんなことでもあるのだよ。しかし、いのちさえあったら後は何とかなるもの、おっかなびっくりで世わたりをしなくっていいんだよ」
と話して、あとはそのことにもふれないでおきました。




<子供の失敗は母の失敗>

それから約一ヵ月して、私は郷里に立ちよりました。
「この間は雅ちゃんがきて、びっくりしたでしょう」
「ええ、びっくりした」
「どれほど、とっていったの?」
「雅ちゃんが、おばあちゃんにいってくれるな、といったのだから、いわんちゃ」
「じゃ、きかんちゃ」
ところが面白いものです。私が聞かないといったら、娘(孫の母親)がポッポッ話しだしました。「不意に雅ちゃんが帰ってきたので、びっくりしました。『雅ちゃん、どうしたの、何かあったの』
『母ちゃん、いいにくいことをいいにきた』といいました。それで私は、ははん……お金のことだなぁとさっしました。病気でもないし、けがもしていない。それで言いにくいことなら、お金のことだろうと思ったので、私から『お金かい』といったら『そうだ』というのです。それでわけをきくと、自動車をいためたという。どれ位かと尋ねると、又いいづらいらしく、だまっているのです。それで私は思い切り大きな金高をあげて、『これくらいかい』と言いました。すると雅ちゃんは、やっとホッとした顔をして、『それほどでもない、その半分でいいのだ』といいました。

それで私は言ってやりました。『雅ちゃん、一軒の家の不幸災難というものは、誰のせいやら分からないのです。ひょっとしたら母ちゃんの心の間違いをあんたが、そんな形で代わってくれたのかもしれないのです。だから私があやまらねばならないことかもしれないのです』といってやりました」
「よくできたね……」
私は、娘に何度も何度も祝福を与え、こうした親子の仲が永遠でありますように祈りました。




<あたたかい心で>

後でほかからきいたことですが、このときの孫のもって行ったお金は、5万円だったそうです。そんなのんきなことをいっていられるのは、出す金があったからこそ、といわれた方がありました。しかし、私はいいました。

「違います。これが仮に借りあつめて返さねばならないようなときでも、一つ心で難局をきりぬけようとする母の心に感じたら、必ず子供の心を掴むことができる、子供の失敗した時こそ、あたたかい心でつつんでやるべきだと思います」と。



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