| [5031] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第121回 |
- 信徒連合 - 2016年09月12日 (月) 08時20分
谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――
@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』
A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』
★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。
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平岡初枝先生「子供を見つめて」より(32)
相手にひとまず賛成
<ある校長さんの話>
栃木県の南那須辺のある中学校の校長さん宅で、前述のようなことを話したことがあります。あとで、校長先生がいわれました。
「相手のいうことにひとまず賛成……いい言葉ですね。実は、私はそういう言葉でまとめたわけではありませんが、それを処世上の秘訣と心得て、いろいろの体験をさせてもらいました。最近も、中学校の運動場を拡張するために、農民から田地を買い取らねばならなくなったのです。ところが、農民は何といっても土地を愛しているので、金ではどうしても手ばなす気になれないらしいのです。それで、換地で我慢してもらうことになったのです。
ところが、相手の百姓さんは、『校長先生、あんな良い肥えた地面を、こんな痩地とかえられるもんですか』というのです。私はその時、『全くあんたの言いなさることに間違いない。あんなに良い土地を、条件の悪い痩せた土地と換えてほしいとは全く言えた義理ではない。それは良くわかっているのです。わかってはいるけれど、村の教育のために、この無理を通させていただきたいと頼んでいるのです』と答えました。
すると、その百姓さんは、しばらく考えていましたが、さっと目を輝かして、『先生、わかりました。先生がそれほど、わかっていて下さるのなら、ゆずりましょう。わかりました』と、力強くいって下さったのです。
平岡先生は『子供のいうことにひとまず賛成、これが教育の秘訣であり、夫のいうことにひとまず賛成が夫婦調和の秘訣である』と説かれましたが、私は処世上の秘訣であるとつかませてもらっています」と話されたのです。
人生のどんな事件に対しても、ああそうか、と一度相手の立場に立ってやるだけのゆとり、つまり愛情があったら、この世で解決のできないことはないのではないかと思います。
信じて放つ教育
ある年の八月、富山の生高連(生長の家高校生連盟のこと)の青少年が40名ばかり集まって、練成会に行ってきた(生長の家の高校生・中学生等の練成会が毎年の夏休み、冬休みに、全国数十カ所で行なわれています)体験報告会をしたいから、私に司会をしてほしいといってきました。当日は、10人ばかりの青少年が、かわるがわる立って、魂の清まる話をしてくれましたが、なかでも細川徹青年の話は、皆の心を深く打ったものでした。
<やんちゃ練成記>
「私の兄は、早くから生長の家の青年会活動をやっていたらしいが、私は今まで生長の家については、話をきいたこともなければ、本を読んだこともなかったのです。その私が、この六月の末に兄から『オイ、東京へ行って、10日ほど遊んでこようじゃないか』と誘われました。兄の思いがけない言葉に、いささかくすぐったい気持もして、『なにしに』というと、『飛田給というところへ行くんだが、日数は10日ということになってはいるが、いやだったら、一日でも二日ででも帰ってくればよいのだ』と、いうのです。僕は『いやなら、帰ってもよい』という言葉に安心して『それじゃ』と、軽い気持で行く気になったのです。
新宿から40分の飛田給駅でおりると、家数も少なくて静かだし、富山と違って湿気が少ないので良い気持であった。しかし、ここが飛田給ときいた頃から僕は驚いた。人さえ見れば『ありがとうございます、ありがとうございます』と、生まじめな顔をして合掌しているのです。僕は『こりゃ、えらいところへきた。気ちがい病院に連れられてきたのではなかろうか』と、何ともいえん嫌な気がしてきた。
玄関までくると、また驚いた。正面に『神は愛なり』と大きく書いた額がかけてある。『いよいよ、おかしい。神なんて、いるのか、いないのか、見たこともない。その神が、愛だなんて』と不快でたまらない。室割りというのがきまってから、こんどは『講堂へ集まれ』という。男も女も、若いのから年取ったのまで、2百人ばかりが、『ありがとうございます、ありがとうございます』と講堂へはいって行く。
僕は『行ってやるものか』と、室のまん中にあぐらをかいて坐っていた。『これから、どうしようかなぁ』と考えていると……室の隅の拡声機から声が出てきて、聞きたくもない話が流れてくる。癪にさわって 『エイ、こんな拡声機たたきこわしてやろうか』と二度ばかり立ってみたが、まさかそうもならない。
そこで『そうだ、天気がいいのだ。外であそんでやろう』と飛び出した。庭が広くて、いろいろ果物の樹が植えられている。ちょうど、うれた桃がたくさんなっていた。『そうだ、これを食べてやれ』と、二つ三つちぎって食べた。そのうちに、豚や鶏が、たくさんかってあるのを見つけた。『これは面白い、こんなものを相手に遊んでやろう』と思って、豚を引っぱり出そうとしたが、なかなか出ない。近くにあった縄をくびに巻きつけて、思い切り尻をなぐると、豚は驚いて飛び出し、鶏舎めがけて突貫したので、鶏たちはケケケケ、ケケケケと騒ぎ出した。僕は結局、2日間こんなことをして遊んでいた。
ところが、それを先生も見ている、講習員たちも見ているのに、誰も何も言わない。『オイ、なぜ桃をちぎるか』というものもいなければ『豚を追いまわしちゃいけない』と、とがめるものもいない。僕は、何となく気色が悪くなって、3日目はどうしても続けることができなかった。それで、3日目は新宿へ行って遊んできた。映画を見たり、めしを食ったりして帰ってきたが、誰も、とがめない。楽なようだけど、やっぱりどうも気色がわるい。ちっとも愉快ではないのです。
ところが、4日目になって、ふと気がついたら、僕もやっぱり皆と同じように会う人ごとに、『ありがとうございます、ありがとうございます』と合掌していたのです。6日目になったら『そうだ、僕は今まで本当に親不孝をしていた、すまなかった。こんど帰ったら、お父さんお母さんを拝もう』と決心した。やたらに涙が出てくるのです。
8日目に僕はたまりかねて、飯野晃次という先生にいった。『先生、僕はいつまでも、ここにいたい気がするのだが、どうしたらいいでしょう……』と。飯野先生は『長期練成を受けるかなぁ』といって下さった。それもよいが、僕はやっぱり家へ帰って、一応お父さんお母さんを拝まねば申しわけない気持、すまない気持でいっぱいなのです。『家へ帰って父母にわびるのだ、拝むのだ』と思うと、こんどは気がせいてならないのです。こうして10日間の練成を終えて帰りの汽車にのりました。
ところが、富山が近くなった頃から、気がおちつかなくなったのです。『そうだ、父母を拝むんだった、拝むことができるだろうか』と心配になってきた。私鉄にのりかえてからはなおさらである。立山町で降りて、荷物をもって家の前を二度ばかり行きつもどりつした。はいれないのです。そこへ、隣の主人が出てきて『徹さん、何をしている』というのです。『ええ、ちょっと旅行していたのです』と答えて、それをきっかけに家へ飛び込んだものです。
家では、ちょうど、父と母とが話しあっているところでした。『お父さん、おかあさん、ありがとうございます、ありがとうございます。今まで親不孝ばかり、心配ばかりかけました。どうぞ許して下さい』と手をつくと、泣けて泣けて、涙が止まらないのです。目先がぼーっとかすんで見えないのです。父も母も泣きながら喜んでくれたのです……」
彼の感激的な熱弁に、みんな魅せられ、なかには目頭を押えて聞き入っている少年もいました。そして、結びに、細川青年はこう言ったのです。
「君たち、だまされたと思って十日間飛田給の練成に行ってき給え。親って、どんなにありがたいものであるか、そして、日本に生まれたということは、どんなに素晴らしいことかも分かって本当に生き甲斐を感ずることができるよ。僕は、今まで変な帽子をアミダにかぶり、洋服のボタンもろくろくかけないで、だらしない姿をしながら、それがいかにも豪傑らしいように考えて、得意になっていたが、馬鹿なことだった。君たち、人間はみんな神の子だ、神の子は神の子らしくキチンとしょうじやないか、そして周りの友だちにもそうした気風を養うようにして、一人でも多く生高連に導こうではないか」
姿形はどう見えても、みんな実相は神の子なんですね。神の子と信じて、拝んで、ゴチャゴチャ説教しないで、放つ愛で見守っていれば、彼自身の心の奥底ふかくねむっていた実相が、輝き出すのです。これが生命の教育の主張するところであり、その教育法を地で行っているのが、飛田給その他の練成道場の実態です。
桃をちぎってたべようが、豚を追っかけ回そうが、だれも何もいわない。誰も何もいわないが、彼を神の子と信じて合掌して待っている愛の心があるのです。私たちは家庭をこのような愛の道場にしたいのです。
この生高連の会合のあった晩、富山の生長の家道場では月曜会という誌友の集まりがありました。私は昼間きいた細川青年の話をくり返しました。大方はお母さんたちの集まりだったのですが、中学三年生の男の子が一人いました。この中学生も、変な帽子をアミダにかぶって、いつも服装について親たちから注意を受けていたのです。ところが、その晩の帰り道、神通川の橋にさしかかると、突然「母ちゃん、帽子捨てるぞ」と川に流してしまったそうです。
後日、お母さんから「帽子だけでなく、すっかり容姿を整えるようになりました」と、お礼をいわれたことでした。若い魂は、年寄りの説教で導かれるのではなく、真理のひびきにかき立てられるのです。信じて放つことが、親の勉強だとおもいます。
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