| [5123] 『新潮45』10月号、特集「いま宗教に『救い』はあるか」――― 「信者大激減時代の先にあるもの」 VS 「正統・生長の家」 |
- 塚原卜伝 - 2016年09月18日 (日) 15時37分
『新潮45』10月号は、特集として「いま宗教に『救い』はあるか」について」を論じている。トップ記事として、マスコミにも頻繁に登場していいる宗教学者・島田裕巳氏が「信者大激減時代の先にあるもの」と云うタイトルで導入部分を書いている。それによると、―――
1、世界及び日本の大宗教は軒並み信者数を激減させているが、このまま行けば、今世紀の終わりにはイスラム教が世界第一位の宗教になる可能性があるが、イスラム教の国々で経済発展が続いていけば、原理主義の傾向がうすれ、イスラム教の教えに縛られない方向が選択される可能性が高くなる。つまり、イスラム教は世界に広がりつつソフト化していく。それはやはり、宗教の力が衰えていくことになる筈。
2、日本国内でも、大宗教は軒並み信者数を激減させている。(寺院の廃院の増加、葬式と墓の衰滅への変化、ロッカー式納骨堂への変化、焼却待機遺体、遺体ホテルの増加等)。さらに、SMAPが解散し、天皇が退位する事で、国民は平成と言う時代の終わりを強く意識せざるを得なくなる。――日本の社会から神聖なる存在が失われていくことを意味する。
3、宗教の消滅は、一神教の衰退を意味する。一神教は偶像崇拝を徹底して批判し、それを許さない。イスラム教などは、まさにその典型である。そして、一神教は、(キャラクター的)多神教の復興に結びつくものかもしれない。
このように、宗教学者・島田裕巳氏は書いているが、やはり学者であるから、学者の思考限界を超えないでいることが分かるのである。即ち、学者・島田式思考では、―――
1、資本主義経済発展が進めば進むほど、人類の個人的「病・悩・苦」は倍化されて行くことが見落とされている。
2、一神教と多神教をそれぞれ別々のものとして捉え、『衆生済度の故を以て、一神展開して多神となる』と云う宗教的な基本的な事柄の理解が足りていないのである。(注・「第一義の神(唯一絶対神)」と「第二義の神(応現神)」)
<「正統・生長の家」の『御教え』のみが人類を救う>
@ 今や、科学技術の発展は、思考しながら自動する肉体人間を凌駕する『知能ロボット』の開発段階に達してきた。大部分の人力作業や思考作業は『知能ロボット』に取って代わられ、この科学技術中心の社会の変化についていけない人達が益々増えていく。つまり、科学技術の高度化、資本主義の『知能ロボット化』が原因となって、一般大衆の病悩苦の苦悩は絶対に減っては行かないのである。そして、『知能ロボット時代』に適応して多額の所得を得て物質的にも極めて恵まれた人たちも、科学技術だけでは解決できない「家庭の問題」、「嫁姑問題」、「育児の問題」、「病気への不安と言う健康問題」、「自己人生そのものへの将来不安」、さらに「人間地上誕生の意義」、「死後の行く末」等々・・・これ等の問題が全て人間の知能レベルを遥かに凌駕した『超・知能ロボット』だけで果たして解決出来るであろうか?答えは完全に NO! である。
A 逆説的に言えば、経済発展が進めば進むほど、又、科学技術が進歩すればするほどに、エリートクラスを含めての人間の「病悩苦」は決して減少する事はなく、逆に倍化されて行き、最後は地上人間の滅亡しかないのである。環境保護で地球の自然救済を為しても、このままでは、地球人類の宗教心は下降の一途、倫理道徳心は急落し、社会不安は増大していく。宗教的思考を欠いた経済や経営、そして科学の発展は、自己滅亡への道である。人類滅亡して何が「環境保護」か? 主客転倒である。環境左翼はサヨクであり唯物論である。学校教育において、「倫理道徳心の涵養」や「宗教心の涵養」を取り入れることには、「環境サヨク」は憲法の「思想信条の自由」を盾にして絶対反対の姿勢である。マサノブも同様である。
マサノブは自然との共生「新文明の創造」と自然と人間の共生の生活と言う「価値観の転換」を言うが、そんなことで増加の一途を辿る人類全体の「病悩苦」が解決できると思っているのか? しかし、マサノブは「出来る!」と思っているのだ! 如何にマサノブの思考力の低劣さを現している自己満足に過ぎないことか。自然との共生運動の実践として「自転車」・「家庭菜園」・「廃物利用工作」なんか誰が見ても、信徒の浄財を当てにした宗教貴族の「お遊び道楽」にしか見えない。だから、常識的判断力を持つ信徒はどんどんと幼稚な『マサノブ教団』から訣別して去っていくのである。
B 葬式仏教化し、現実に生きている人間の個々の具体的救済の実例の乏しい在来の宗教教団は信徒脱落減少が激しいのは当たり前、生きている現実の人間を実際に救う力があまりにも小さいことは、厳然たる事実である。そして、幼稚な『マサノブ教』は、人類の「病悩苦」を救済する力を捨て去った。しかし、開祖・谷口雅春先生の正統な『御教え』は、―――
1、『正統・生長の家』の教義体系が、現代の学校教育を受けた人たちが十分に理解できるほどに、その哲学的、論理的、言葉的な方面から言って理解し易い大衆普及性を最初から備えているのである。
2、立教以来の「人類光明化運動」と「日本国實相顕現運動」の講話・講演は、聞く人のタマシイを揺さぶるヒビキで満ち溢れている。だから、実に多くの人たちの感動・共感を呼び覚まし、驚異的教勢拡大が出来てきたのである。
3、開祖・谷口雅春先生御創始による『正統・生長の家』は、人々の「神の子人間」の實相顕現を現実的に可能ならしめる雅春先生以外では決して真似の出来ない御文章『生命の實相』その他の直筆の神啓の書を未来永劫に亘って伝承できるのである。だから、社会のあらゆる階層の人たちに広く読まれ通算累計2000万冊の普及を見たし、今後も適切な頒布手段を構ずれば更に多くの人々に読まれて行くのである。
4、開祖・谷口雅春先生の説かれた最高の真理が、全国の錬成道場・練成会で実証されてきた「真理の実証体験」と言う紛れもない事実の多さ。まさに『神性開発錬成』であったのだ。この事実は他の宗教教団の達し得ざるところではなかったのか?!
5、 従って、今後の倍化してゆく人類の「病悩苦」を本当に根本から救い解決できる実力のあるのは、開祖・谷口雅春先生の『正統・生長の家』だけであると言っても過言ではあるまい。生長の家の信徒の皆さん! 「マサノブ教団」の信徒さんを含めて全員が、開祖・谷口雅春先生の「正統・生長の家」の『御教え』を振り返り、人類の「病悩苦」からの救済は此処にあり、との自信をもって進もうではないか!! 真理は永遠なり、人類の「病悩苦」からの霊的救済の原理は古今東西同一のものである。マサノブの言うような「宗教は時代というものの制約下にある」などという非真理の虚言に惑わされてはならないのである。 世界広しといえども、個人救済(病悩苦からの開放)と国家救済(真理国家の建設)を同時に掲げて確りした最高の霊的・論理的・実証的教義(唯神實相論・生命の實相哲学体系)を以て動けるのは、『正統・生長の家』以外にはないのである。
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