| [5142] 狂乱マサノブ、更に狂乱して『新潮45』10月号の記事に噛み付く、―――「メチャクチャな記事」だと!だけど、誰が考えたって「メチャクチャ」なのは、マサノブだ!だから“教勢が大衰退”して行っているのだ!まだ分からないのか?狂乱マサノブよ! |
- 塚原卜伝 - 2016年09月19日 (月) 16時10分
又もや長らく開店休業していた『枯れ松模様』を臨時開店して、狂乱マサノブは『新潮45』10月号に対する文句をつけて来た。腹の中は、悔しさと怒りで“怒髪天を突く”状態だが、まともな反論にはなっていない。腹が立っているが何処にもそれをぶつけるところがないので、反論には自信と生気がないのである。反論のための反論に過ぎない。例によって、腹立ち優先の感情論だ。だから「メチャクチャだ」と云って貶す以外には道がないのだ。キチンとした反論とはなっていない。詭弁・屁理屈・ウソッパチの反論である。先ずは、彼の『枯れ松模様』の概要は、―――
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平成28年(2016年)9月18日 (日) 「枯れ松模様』(要旨)
『新潮45』のメチャクチャな記事
こんな表題で本欄を書かねばならないことは誠に遺憾だが、メチャクチャを書かれて黙っていたら、その内容を認めたことになると考え、不本意ながらキーボードを叩いている。新潮社発行の『新潮45』が10月号で“いま宗教に「救い」はあるか”という特集を組み、その中でフリーライターの藤倉義郎という人物が“「反安倍」となった日本会議の母体「生長の家」”という題の記事を書いている。・・・副題となっている次の2行の文章がデタラメなのだ。曰く−−ー 政界にも人を送り込んだ「右翼教団」は、いつの間にか「エコ左翼宗教」となっていた。現総裁は、創始者の信者を追い出し、親兄弟をも排除し、「自分の宗教」を作りあげた。・・・記事を書いた藤倉氏は、一方の主張だけを延々と書きつらね、私たち教団側の主張については、公式発表の差し障りのないものだけを紹介し、あとは私を名指しして言いたい放題に批判している。・・・理由は「客観性」「中立性」がないからだ。・・・藤倉氏の記事は、ほとんど裏付けのない事柄を独断的に書き、独断がマズイと思う箇所は、取材源の人物名を書いて、その人物に好き放題を言わせている。ところが、その人物は誰かと思えば、生長の家以外の人間であったり、生長の家との裁判で係争中の相手だったり、はたまた反対運動の熱心な推進者である。これを「一方的記事」と言わずに何と言うべきか。・・・最もデタラメだと感じ、怒りを禁じ得ないのは、私と父の第2代総裁、谷口清超先生との間に「親子対決」があったという事実無根の話だ。・・・だいたい万が一、私が祖父を恨んでいたとしても(もちろん事実ではないが)、その恨みがどうして祖父ではない父親に振り向けられるのか?・・・私に留学の資金を出してくれたのは祖父であるし、留学後は新聞記者になることに賛成してくれたのは、父である。個人の自由意思を重んじる父は、「教団へもどって来い」などとは言わなかった。・・・祖父と父には感謝しこそすれ、恨みに思うなどと考えるのはトンデモない妄想である。・・・冒頭で「日本のジャーナリズムは廃れた」という意味のことを書いたが、もっと正確に言えば、「大手ジャーナリズムは廃れた」と書くべきかもしれない。なぜなら、『週刊 金曜日』という週刊誌は、日本会議と生長の家との関係について私にきちんと取材し、今年8月5日−12日合併号と同月19日号で公平な記事を書いてくれている。このインタビュー記事は、同誌の御好意で、近く発行される『生長の家』誌に転載される予定である。読者はどうか、こちらの記事にあることを事実として理解していただきたい。 谷口雅宣
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マサノブはいつもの通りに屁理屈だけは人後に落ちない。『新潮45』の記事をそのままにして置くと、その内容を認めたことになると書いているが、本心は、あまりにも自分に不利な内容が詳しく書かれているものだから、このままにして置くと、総裁の自分が責任を取って辞めざるを得ない状態に追い込まれ、張子の虎の総裁の“権威”が大失墜を着たし、信徒の大量脱退が益々加速されるのをなんとでも防ぎたかったのである。マサノブの計画では信徒の緩やかな脱退を今後20年ほどかけて続けさせたいところだが、とにかく「安倍憎し!」の感情論に負けて、カッカとして、参院選の「本部通達」に続いて、「日本会議の研究」の誌友会テキスト化指令、「週刊金曜日」に登場して、これも誌友会のテキスト化指令を出した。余りにも性急にことを急ぎ「安倍糾弾」の球を連続して打ち出し、結果は無残!予想以上の信徒の怒りを誘発、そこへ追い討ちを掛けるように『新潮45』で窮地へ追い込まれたのが真相と見てよいのである。マサノブの欠点は、スグ頭に血が昇り、ヤクザ同然となり、前後の見境も無くなって自ら墓穴を掘っていくのは、あの清超先生のお通夜の席上の暴言事件において如実に証明されているのだ。
『新潮45』に反論する前に、マサノブよ、当掲示板の本日の「信徒連合」殿が提示している重大な質問事項に答える義務がある。これに答えないで『新潮45』の記事が何で「マチャクチャ」と言えようぞ! 次にその質問事項を引用する。
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@ 清超先生は、マサノブに「法燈継承」の正式認可は与えられなかった。その理由を述べよ!
A 講習会の参加者数のウソ発表を何故許して置くのか? その理由を述べよ!
B マサノブ講習会では、大半が弁当を食べて帰り、最後まで残るのは3割程度。その不人気の理由を述べよ!
C 何故信徒の大量脱退が続くのか? 地区連単位の脱退も発生!その原因を述べよ!
D 「教勢衰退・信徒の大量脱退・教団赤字経営」の責任を総括せよ!
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至極尤もな質問ばかりである。さあ、答えよ、マサノブ!
次に、昨日の「枯れ松模様」の狂乱マサノブが書いた重要事項について「講評」を加える。
<講評>
@ 『いつの間にか「エコ左翼宗教」となっていた。』に関して、―――
マサノブ教は「エコ宗教」と言われて当然である。「宗教は時代の制約下にある」と言う非真理の理屈に立って、「生長の家」立教の精神を破棄して、「地球環境保護運動」を教団の第一番目の運動に転換した。法燈継承者は、始祖の教えを継承しなければならない事は宗教界の常識である。始祖の教えに異義を唱えた継承者は、その教団を辞して新教団を立てるのが常識である。然るに、マサノブは、教義を「サヨク思想」(反日・反天皇の反国家思想)に独断で変更を強行して、「生長の家」看板だけは「金の成る木・打出の小槌」として使い続け信徒を洗脳欺瞞し続けている。包装と中味の違うニセ物商品を看板を変えずに売り出している“詐欺商法”のデパートである。包装と中味の一致した商品をそれに相応しい看板を掲げて何故売り出さないのか?マサノブよ、汝はそれで宗教家と言えるのか?答えよ、マサノブ!
A 『現総裁は、創始者の信者を追い出し、親兄弟をも排除し、「自分の宗教」を作りあげた』に関して、―――
全くその通りである。これは事実に反すると言うマサノブこそが頭がおかしいのである。マサノブは、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を信奉する信者を、「谷口雅春原理主義者」と断定して、教団から追放したことは間違いのない事実である。一般信徒のみならず、兄弟をも「谷口雅春原理主義者」と断定して追放した。目的は、マサノブ絶対専制独裁体制を作り上げるためであった。そして、マサノブ独裁の教団内部事情を実母の恵美子先生の耳に入れないために、即ち、「情報統制」の一環として、恵美子先生の「お山」の住まいに、マサノブは事務員を配置し、玄関には「監視カメラ」を設置して、総務部長の監視下に置いたのである。これは、軟禁状態であり、強く言えば『幽閉状態』である。これは事実である。これが信徒に向かって「汝の父母に感謝せよ」と説く宗教家のなすべきことなのか?答えよ、マサノブ『!
B 『客観性と中立性がない』ということに関して、―――
客観性と中立性に関して言えば、『新潮45』の方が、『日本会議の研究』や『週刊金曜日』よりも勝れていることくらい、両者を読み比べてみれば当然分かってくる。『日本会議の研究』や『週刊金曜日』はマサノブが資料を提供して、「安倍憎し」、「民主主義の危機」を前提条件として編集されていることがわかる。そして、「マサノブ独裁体制の確立に至る過程」や「現教団に於けるマサノブ完全独裁体制とその運営」や「教勢衰退・信徒の大量脱退・教団の赤字転落と教団の財政的展望」については完全にスルーしているのである。更に、そのような今日の教団の実態を招いた総裁責任についても完全にスルーしている。このような『週刊金曜日』のインタービューこそ「客観性と中立性」を欠いている。これを『新潮45』は補っており、「客観性と中立性」があることがよく分かるのである。「客観性と中立性」の観点から見ても、参院選後のマサノブ強行策は、マサノブが「隠れ共産党員」、さらに「共産党工作員」として教団解体と本来の『御教え』抹殺を加速して来ていることは誰が見ても明らかな事実と考えられるのである。文句あれば答えよ、マサノブ!
C 『裏付けのない事柄を独断的に書き』に関して、―――
マサノブは『自分の宗教=マサノブ教』を作り上げたことに関して否定しているが、『自分の宗教=マサノブ教』を作り上げたことは間違いのない事実である。その例証として、開祖・谷口雅春先生や清超先生は、『体験談』をことのほか重視された。然るに、マサノブはこの「体験談」を毛嫌いして一切取り上げない。完全に『自分の宗教』を作り上げたのである。その裏付けの事実を信徒の実際体験から示してみよう、―――
<< マサノブは、体験談をマトモに聞かずにお絵かき! http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=4856 総裁も白鳩会会長も、体験談の時は別の資料を見たりして聞いていないように思います。あれでは、一生懸命に話す方々がお気の毒です。 宇治での練成会感想文発表の方が、雅宣氏の横での体験談発表より、断然嬉しかった!と講習会で思った。 講習会では、全員が、雅宣先生の前で「体験談」ができなくなりました。谷口雅春先生を絶賛したら、ものすごい冷たい視線で睨まれます。講習会で体験談の原稿作成時、雅春先生の御著書を引用したら、相談した方から「引用しないで」と言われました。数年前の事です。知人の講師がご講習会で体験発表。当然のこと雅春先生のお名前が随所に出てきたわけですが、事前のリハーサルで教化部長からクレームが入りました。神想観して書き直してください!どこがどうと言う説明無しでしたが、知人はピンときて、雅春先生のお名前を全部無くしたところ、部長から絶賛されて、当日発表となりましたが、なんとも気の抜けたボヤケタ体験談となっていました。知人は今も講師を続けています。理由はわかりません。先日見かけたのですが、元気なく悄然とした様子だったので、声をかけませんでした。 全国的に霊的体験と言うのが、3割くらいはあったと思うのですが、今は総裁がお嫌いだと言う事で教区では「自主規制」しております。数年前から、その部分だけを抜いた「体験談」を講習会で強制されて、主旨と違うためしどろもどろになったり、先祖の霊に申し訳ないと、怒って退会した人も多かったようです。多くは「学ぶ会」に来られたようです。>>
この「体験談」を忌避した理由について信徒にキッチリと申し開きをせよ、マサノブ!
D 『第2代総裁、谷口清超先生との間に「親子対決」があったという事実無根の話』に関して、―――
清超先生は最後まで、マサノブに対して「法燈継承」の認可を与えられなかったことは明白な事実である。それをマサノブは恨みに思っていたことも事実である。だから、清超先生の「あなたが副総裁に就任した平成二年に法燈継承をしていた」とのウソの言質を作り上げたのである事も事実である。これは明らかな親子対立の事実である。マサノブのこの「ウソの法燈継承」について何と申し開きをするのか? こたえよ、マサノブ!
E 『個人の自由意思を重んじる父は、「教団へもどって来い」などとは言わなかった。』に関して、−−−
マサノブは、宗教法人法の改正の結果、副総裁の権限を狭められることを恐れて、突如、「副総裁辞任」のファックスを自ら直接、全国教化部長へ送り、辞任通知を出したことは事実である。そして、破格の退職金2000万円を取得した。その後、清超先生と実弟の兄思いの貴康先生が、マサノブの教団復帰を強く願って、「貴方のしたいように教団を運営してよろしい」との条件で副総裁復帰を果した。その当時の清超先生と貴康先生は、マサノブが此処までサヨク化路線を推し進め、教団解体を強行しようなどとは夢にも思われていなかったのである。結果的にはマサノブの「副総裁辞任」は一種の大きな賭けであり、教団の独裁運営体制を築く練りに練った謀略戦術なのであった。この事実の話は、小生の知る某教団幹部役員(清超先生に近い人)から直に聞いた話であるから信憑性は極めて高い事実である。
F 『祖父と父には感謝しこそすれ、恨みに思うなどと考えるのはトンデモない妄想』に関して、―――
そんなに「雅春先生に感謝している」のであれば、どうして開祖・谷口雅春先生の御著書を次々と絶版扱いとしたのか? マサノブが開祖・谷口雅春先生に対して感謝などしていないことを現しているではないか?更に、「日本教文社・新出版方針」において、開祖・谷口雅春先生を「偏狭な国家主義者・民族主義者・国粋主義者」として、「雅春先生の新刊書は今後出版しない」とハッキリと明記しているではないか?又、マサノブは『 谷口雅春先生の著作を深く研究すればするほど見えてくるものは、<谷口雅春>という歴史上稀有(けう)な人物の人となりが分かるのであって、<生長の家>が見えてくるのではありません。生長の家=谷口雅春という安易な方程式は、雅春先生ご自身が否定しておられるのを忘れないでください。』と「小閑雑感」の文章で開祖・谷口雅春先生排除の言をなしているのである。マサノブは決して「祖父と父に感謝」していないのが事実である。自分の主張を正当化するときにだけ「祖父と父に感謝している」というだけである。文句があるなら申してみよ、マサノブ!!
G 『「週刊金曜日」という週刊誌は、日本会議と生長の家との関係について私にきちんと取材し、公平な記事を書いてくれている。』に関して、―――
よく言って呉れるよね、まさのぶ! 『週刊金曜日』はその編集長や編集委員の顔ぶれからして、反日・反天皇・反安倍の面々が揃っている。これだけで、もう「週刊金曜日」はサヨクの雑誌である事は明らかである。サヨクは総じて国防には関心がなく、自衛隊はいらないとまで極言している。マサノブも「安全保障法制」を「戦争法」と呼んで『アベ政治を許さない』、『民主主義の敵』だと言っている。このような両者の共通的認識基盤の上に立って、サヨク政党を持ち上げている。どこが“公平な記事”なのか? 明確に答えよ、マサノブ!!
H 『このインタビュー記事は、同誌の御好意で、近く発行される『生長の家』誌に転載される予定である。』に関して、―――
サヨク週刊誌『週刊金曜日』の記事を、教団の機関誌『生長の家』に転載するとは、まさに「マサノブ教」自体が「サヨク宗教」である事を自ら示し、マサノブが「生長の家」解体の「共産党工作者」である事を自ら証明したことになる。もう此処まで来れば、止めるに止まらない、ガムシャラに自滅を目指して突き進む他はないのである。ジュンコ婆の『毒喰らわば皿までも』、キチガイ沙汰である。機関誌『生長の家』に転載されるや益々信徒脱退に拍車がかかる。『マサノブ教』の終焉である。どんなに信徒が脱退しても500人位のマサノブ信奉者が居れば教団は解散する必要はない。むしろ管理しやすくなると踏んでいるのである。そして死ぬまで総裁を辞職する必要もなく、マサノブ独裁制を続けて、教団資産を売却して優雅な宗教貴族生活を続けられる。このことのために綿密なる戦略の下に「教団規則(教規)」の変更、―――総裁に全権力を集中させる独裁制度を作り上げたのである。まさに“奸物・マサノブ”である。しかし、何時マサノブの身に何が起こるか分からない。この世は、悪因悪果、善因善果の因果律の法則下にあり、如何にマサノブといえどもこの因果律の外に出るものではない。法則によるマサノブの終焉は案外早く来ないとの保障は何処にもないのである。
I 『読者はどうか、こちらの記事にあることを事実として理解していただきたい。』に関して、―――
この部分は是非とも書き替えなければならない。『読者は、「週刊金曜日」よりも「新潮45」の記事にある事を事実として理解して頂きたい』と。文句はあるまい、マサノブ!! 文句があるなら、堂々と「枯れ松模様」で開陳したまえ、分かりたか? 狂乱マサノブよ!!
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