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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[5230] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第134回
信徒連合 - 2016年09月25日 (日) 08時39分



谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――


@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』

A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』

★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。

******************




藤原敏之先生「全てを癒やす道」より(10)




 感謝以外の努力は救いにつながらぬ

徹頭徹尾自力の否定であり、感謝以外にはないのであります。祈りも感謝、愛行も感謝、神想観も聖経読誦も悉く感謝であります。

 自己中心の祈りや行は、生長の家ではありません。目的や都合から出発した行は、どんなに完璧に出来ても、不安を取り除く力とはなりません。やりながら不安を伴うのであります。それは心の底では自分を頼み、結果を期待していることになり、肝腎の神様が抜きになっているからです。神様が抜きになっていて救われるはずがありません。神に全托したものには、あるのは唯感謝のみであります。感謝以外の努力は救いに繋がる努力とはなりません。

「七つの燈台の点燈者の神示」の中にも、一にも感謝、二にも感謝、感謝、感謝、ただ感謝だけとあります。あまり感謝という言葉が多いので数えてみましたら、何とあの短い御文章の中に、十四回も感謝というお言葉があり、最後の方に、「その感謝の念の中のこそ、汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう」とお示し頂いております。これをみても、生長の家がどんな教えであり、どんな方法で救われるかが明らかであります。この「七つの燈台の点燈者の神示」は何十とある神示の中の、根本の神示であ
り、み教えを代表する神示であります。そのご神示で「感謝」がすべてであり、それのみが救いの根本であるとお示し頂いておりますから、私たちはその教えに素直に従い、信じて行ずる以外に方法はありません。それ以外のことを考えたのでは、生長の家ではなくなります。

 このように救いの根本は信であり、感謝であることがわかるのでありますが、私どものところに来られる人の中には、「何を信じられたらよろしいのですか?」とか「感謝しなければならないことはよく分るのですが、さて感謝しなければ……と思ってみると、感謝するようなことが見つからないのですが……」と言われる方があります。このような方は決まって現象を対象にしておられる方々であります。信ずる対象はあくまで神様であり、現象ではなく実相であります。また感謝でも、現象や条件を対象にするのではなく、実相に感謝するのであります。生長の家は現象なしに徹する教えでありますから、無い現象を相手にしているようなことでは、本物の信仰ではありません。実相直視、実相独在の教えであります。

「現象界に形となって現れることは、病気でも運命でもすべて我が心の影である」と谷口雅春先生はお教え下さいます。私はこのみ教えを頂き、真理を体得させて頂くことによって、生来病弱で医者と薬を離れて生きられない身体であったのが、「人間神の子病なし」のみ教えによって、クラッと一変して、31年間病気で一服の薬の厄介にもならず、一度も医者にのお世話にもならず、一日も病気で休もことのない自分にさせて頂いたのであります。これはみ教えの真理が絶対間違いないことを証明するものであり、何よりの証拠であります。

 私も入信以来、31年になり、講師としても29年経ちましたが、その間真理のお取り次ぎさせて頂いて、救われた方の数は数え切れないほどであります。また巡講中に聴かせて頂いた体験談も数限りなくあります。魂の底から感動し、涙を流しながら聴かせてもらったお話も沢山あります。




 どうしても笑わないおばあちゃん

大分古い話でありますが、私が広島県の呉市におりました頃、地方講師として県下を巡講しておりましたが、昭和26年1月の10日頃のことであったと記憶しています。広島の教化部からの依頼で、芸備線の沿線のある町にお伺いしたことがあります。ハワイからお帰りになられたというTさんという地方講師のお宅に行かせて頂いた時の話であります。

 広島から中国山脈の方に相当入ったところで大変寒く、雪も多い所であります。寒中のことでも有り、寒いことこの上なし、その上雪も30センチ以上も積もっており、大変な所であります。夜の集りでありましたが、8時になっても8時半になってもだれ1人来る人がありません。私も心中、“この寒さではひょっとすると誰も来られないかな?”“流会になるのではないか?”と思っておりますと、9時過ぎ頃になって、1人2人とボツボツ集まりはじめ、9時半過ぎにはさすがに広い御座敷が満員になったのには驚きました。

いよいよ始ったのが9時半過ぎ、私も思いがけない大勢の集りに、大いに元気づき演壇に立ち、張り切って話を始めました。1日中お仕事をされて、相当疲れておられるので、居眠りをされる方がありますので、堅い話は禁物であります。講演会で講師が一番困るのは、また一番辛い思いをするのはコクリコクリ眠られることです。そのような時は真理を分り易く噛み砕いて面白く
して御話資するようにしなければなりません。その夜も眠る間がない程、面白い話ばかりして5,60人の人が皆笑って、中にはころんで笑っている人や、叩き合いして、やれおかしやあれおかしと腹を押えている人も有り、満堂笑いのるつぼと化する状態となったのであります。

 ところが、その中に唯1人、笑わないおばあちゃんがおられます。笑うどころかタオルを持ちだして、目を真赤にして、涙を拭いては泣きながら話を聴いておられるのであります。私は話をしながらも、「何故だろう?悲しい話など、全然していない、面白いことばかり話しているのに、不思議なおばあちゃん!」と思い、気にしながら、話して、終ったのが11時半頃であります。それで、もう寝かせてもらえかと思うと、それから個人指導なのであります。大勢の方が帰られた後に、数名お残りになります。大きな堀コタツに入れてもらい、皆さんであたりながらの個人指導であます。さっきのおばあちゃんが、私の直ぐ横におられ
ます。“ああ、このおばあちゃんだナ”と思っておりますと、またタオルを出して涙をお拭きになり、そして泣きながら次のような体験をお話し下さったのであります。

私もこんな感動的な話はあまり聞いたことがありませんので、何十年経ってもいまだに忘れることが出来ません。まるで生長の家のみ教えを絵にかいたような体験談であります。




 次男の極道にお手上げ

《私はこの御宅の5,6軒先の百姓家の婆ですがな。男の子2人と女の子3人、合計5人の子供をもちまして、一番下の女の子(当時20歳位 筆者注)が赤ん坊の時、つれ合い(夫)に死なれまして、ずっと後家で子供を育てて来ましたのじゃ。5人の中4人は皆他人さんの褒められ者で、何一つ言うことは無いのですが、2番目の男の子が1人だけ、極道で飲む、打つ、買うの3拍子揃った悪党でございます。大酒のみのバクチ打ち、その上女道楽で喧嘩はメシより好きで手のつけられない困りものであります。

私はこの子のために命を取られそうでした。酒代がないと言っては金を出せ、バクチの元手がないと言ってはものをよこせ、と顔さえ見れば私を責めるのです。私が経済を切りまわしている間は、苦しみながらも何とかしておりましたが、私だってそうそう言いなりになっていられる身分ではなく、「そんな無理を言ってもどうにもならん」と断ると、「何をッ!!」と言ったかと思うと。そこにあるものを片っ端から投げつけ、障子の桟が一本もなくなるまでたたき壊します。「警察を呼ぶ」といったって全然こたえません。ブタ箱ぐらいはもう慣れっこなって来て平気です。
泣きながら借金してでも叶えてやらなければ収まりません。

私はあまりの辛さに、“ああ、この餓鬼さえいなかったら、この子さえ死んでくれたら……“とそればかり願い祈るようになりました。今思うとこのような冷たい想いが、愛情に飢えさせ、愛してもらいたい想いが私からものを奪う心に変化してあらわれていたことがよくわかります。

 昭和18年にこの子に召集令状が来て戦地に行くことになりました。私はこの時踊り上って喜びました。「ヤレ助かった。ここで死んでくれる」「私が手をかけて殺せば殺人罪になる。お国のために戦死してくれたら、金鵄勲章になる」と手を叩いて喜んだものです。戦争に行くとなれば、皆水盃を交して武運長久を祈って送り出すのに、私は手を叩いて喜んだ。今思えば鬼か大蛇のような心でありました。

 ところが終戦になり、運の強い息子は、元気に復員してきたのです。サァ大変です。もともと悪に強い息子が軍隊で揉まれて、喧嘩も酒もずっと強くなって戻って来たのです。それからというもの前にも増して、悪の道に走り、私を苦しめるのです。昨年の暮も夕方プラッと訪ねて来まして、表の戸を開けるなり私を睨みつけながら、「お母さん、米2俵ほど内証せいや」と申します。2升都合を付けてくれと言うのなら、嫁に隠して渡すことも出来ますが、2表の米がどうして内証に出来ましょう。息子(長男)や嫁が夏中汗水垂らして作って供出して残った保有米の中から、2俵のお米を勝手に出来るわけがありません。断れば暴れ
出すに決まっている。私は「やりたいけどなー、ホウホウ」という以外に言葉はありません。

やれんと言えば又暴れ出す、仕方がないからホウホウであります。末娘は一体どうなる事かと恐れて立ったり坐ったりして青くなっているのを睨みつけて「何をしとるか」と怒鳴り、「いいか、明後日の晩リヤカーを持って取りに来るぞ」と言い捨てて出ていったのであります。それから私は、「サァどうしよう、今日は幸い帰ったが明後日リヤカーを曳いて来たら、その時こそまた生き地獄だ。何とかそれまでに死んでくれぬかな。今日でも帰りに崖からで落ちて死んでくれたら、曲がり角で何とか衝突して死んでくれたら」と唯そのことばかり一心に祈っておりましたが、その時から急に左の手の肘と脚の膝が痛み出し、痛むというより
火がついたような痛さで転げまわる程の苦しみであります。

息子達が心配して、医者を迎えて診てもらいますと、医者は急性関節リュウマチと診断され、注射を打って下さいましたの
で30分位は痛みが止りましたが、又しても痛み始めます。一睡も出来ず夜通し転げ回って苦しみました。(つづく)



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