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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[5334] “SNI教団”機関誌『生長の家』10月号も谷口雅春先生の教えを否定する、歴史的な背教文書
サーチャー - 2016年10月09日 (日) 20時00分


<谷口雅春先生に帰りましょう・第二>
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《報告!》“SNI教団”機関誌『生長の家』10月号も谷口雅春先生の教えを否定する、歴史的な背教文書≠ニして永久保存しておきましょう! (3747)
日時:2016年10月09日 (日) 18時04分
名前:破邪顕正


「こんなヒドイ機関誌を出して、これでまた退会する信徒が出るのでは…」という情報を耳にして、表題の『生長の家』誌10月号を入手することにしました。

何でも、背教総裁≠ヘ、講習会の席上、いろんなところから取材の申し込みがあったが、『週刊 金曜日』のみ受け付けたと話したとか。

いわば、『週刊 金曜日』とは相思相愛であったということです。

だからこそ、そこに掲載されたインタビュー記事を、性懲りもなく、この10月号にソックリそのまま転載することにしたのでもありましょう。

いわば、これは、このインタビュー記事に納得いかない、反感をもつような信徒は、どうぞ辞めていただいて結構です、と言わんばかりの高姿勢、高飛車ぶりを露わにしています。

それだけ、背教総裁≠ヘ教団の左傾化に自信をもったということなのかもしれません。

そして、それを裏打ちするかのように、背教白鳩会総裁≠ェこう言うのです。

既に『週刊 金曜日』については批判していますので、関心のある方は、そちらをご覧いただくとして、今回、申し上げたいのは、この文章こそが、実に大きな問題を孕んでいるということです。

批判したい箇所はいろいろとありますが、最も重大だと思うのが、23頁のこの文章です。

いちいち、反論して紹介することにいたします。


《もしかしたら多くの方は生長の家の教えはすでに完成している、『生命の實相四十巻』の中に、全てがあると思っている方があるかもしれません。》


何が「もしかしたら」でしょう。

釈迦・キリストの教えを完成させるために谷口雅春先生は出現された、というのが「生長の家」信徒の誇りだったのではありませんか。

それをこんな風に軽侮して、更にこう言うのです。



《けれども、『日々の祈り』が書かれ『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』が出されたのは、どういうことでしょう。》


何が「どういうことでしょう」ですか。

端っから、谷口雅春先生を否定したいが為に、『日々の悩み』(これはある会員が評した言葉です)、そしてニセ経=パクリ経≠作ったのでしょう。

それ以外には考えられませんけど…。

しかし、背教白鳩会総裁≠ヘこう理由づけるのです。



《総裁がよく言われるように『生命の實相』や聖経に、自然と人間について書かれていないわけではありません。けれども、それらが書かれた時代は現在のように環境問題が人間の生存を脅かすほど深刻ではありませんでした。》


そんなことはありません。

公害問題、ヘドロ問題等、昔もありましたし、また谷口雅春先生はそういう問題についても言及なされています。

自分の都合の良いように言わないでほしいですね。



《それよりは病苦や生活苦が人々にとって大きな問題であったため、自然と人間の関係について強調されなかったということです。》


何と言う言い草でしょうか。

これではまるで、谷口雅春先生が、環境問題と病苦・生活苦とを天秤にかけて、後者にのみ力を入れられたといわんばかりではありませんか。

谷口雅春先生にとっては、この世のすべての苦しみ、悩みが解決すべき問題としてあったのであり、天秤にかけて、どちらかを取るような、そんな背教両総裁#@き軽薄な先生では断じてありませんでした。



《ですから、『生命の實相』や聖経をよく読んでいた私たちは、自然と人間との関係についてあまり意識することがありませんでした。それを補うために新しい祈りや讃歌が出されたのです。》


お言葉を返すようですが、「『生命の實相』や聖経をよく読んでいた」ら、新しい祈りや讃歌など必要ないとわかった筈です。

それが分からないということは、よく読んでいないか、もしくは読んでいたとしても、教えを深く理解していなかったか、そのどちらかでしょうね。

はっきりいいましょう。

谷口雅春先生をなんとしても否定したい、その教えを変えたい、その下心があったからこそ、こういう馬鹿げたことを背教総裁≠ヘしたのです。



《いつも言われるように、宗教は時代の制約下にあるし、そうでなければ人々の要求に応えられず、時代から取り残されていくと云う事です。》


これは、そっくり、そのままお返ししまょう。

何故、教勢が落ちているのですか?

背教両総裁≠ェ、「時代から取り残されてい」るからですよ。

「時代の制約下」が厳然としてあるのであれば、どうして『聖書』『仏典』が、今なお、読み継がれているのですか?

真理は「時代」を超えるからではありませんか。

こんな初歩的なことすら理解できないのが今の背教両総裁≠セということです。



結論を言います。

この文章は、“SNI教団”は今後「環境問題」に特化した教団になる、個人救済はしないとの方針宣言だと私はみます。

これこそ、谷口雅春先生と真逆の精神であります。

生政連活動が華々しい時代でも、谷口雅春先生は、運動方針から「治病・繁栄・教育」の三本柱は絶対に外されませんでした。

宗教である以上、魂の救済は、そのなすべき第一義の使命であるとお考えになられていたからです。

その精神が、背教両総裁≠ノは微塵もみられはしません。

それを端的に物語るのが、講習会における、体験談の軽視、否、無視です。

折角の体験談を、背教総裁≠ヘ少しも取り上げようとはしません。

「救い」にそもそも関心がないのだと見ます。

『新潮45』10月号が喝破したとおり、“SNI教団”はやはりエコ左翼教団≠ナしかないのです。

それを改めてまざまざと思い知らされるのが、この10月号だということです。
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