| [487] インターネット道場―――入龍宮不可思議境界録@ |
- 信徒連合 - 2015年09月10日 (木) 08時02分
入龍宮不可思議境界録(その一)
叡智の断片P.172−176
<< 或る日の夕方、私は大阪駅の改札口に行列をしながら立っていたのである。東京の自宅へ帰るために、急行券と乗車券とを改札係りに手渡した。ところがどう云うものか『急行券はもらはぬ』とその改札係は云うのである。私は、『現に君に其の急行券を、乗車券と一緒に、渡したではないか』と主張する。しかし、『貰わぬから現にない。急行券がなければ乗車させるわけにはいかぬ』と改札係は主張する。成る程、たしかに私は乗車券を添えて急行券を改札係に渡したのだが、彼の手にそれが無いのも事実である。暫く押し問答したが、どうする訳にもいかぬ。私はとうとう予定の急行列車に乗ることが出来ず、従って東京の自宅へ帰ることが出来なくなってしまった。あまりと云えば駅員の無責任と横暴とが口惜しかった。私は『アッ口惜しい!』と強く思った。その途端に私は目が覚めたのである。大阪駅もなければ、改札口もない。意地悪の駅員もない。乗車券も急行券も要らないで私は既に自分の家の一室に蒲団の上に楽々と寝ているのだった。私はアハハ-------と笑い出した。
隣の部屋から、家内の『何がそんなに可笑しくて笑っていらっしゃるのですか』と言う声がする。私は夢の話をした。そして『人生は全く夢だねぇ。目覚めて見れば既に此処に斯うして東京の自宅にいるのに、これから是非とも汽車に乗って東京に行かねばならないとヤキモキしているのだからねぇ。目覚めて見れば実相の極楽は既にあるのに、色々の苦しみ悩み欠乏ありと見ているのが現実だからねぇ』と云った。
すると家内は『私も夢を見ていました』と云う。家内の見た夢と云うのは、夜中泥棒が忍び込んで整理箪笥の中のものを盗んだが見つけてそれを捕らえたと云うのである。捕らえたけれどもそれを警察へ突き出そうか、出すまいかでとつおいつ考えている。警察へ出さなければ泥棒を届け出ないと云うことは国家の法律に反するし、国家の法律に反することをするのは国民としては善ではない。併し、泥棒を捕らえてそれを縛らせると云うことは、宗教家として愛の道に反する。善の道を選ぶべきか、愛の道を選ぶべきか、どうしようかと夫婦で相談しているのである。また一旦届け出て前科者にしてしまったら、今後の彼の運命を阻むことにもなるから、彼も恨んでいつ叉復讐に来るかも知れない。併し、自分が宗教家だからと云うので、罪人を赦したら、宗教家を甘く見て、どうせ届け出もどうもしないから彼処へ泥棒に行けとと云うことになって彼の悪を増長させると云うことになる。宗教家の半面は辛(から)いところもなければならぬ――こんな恐ろしく難しい論理的反省の夢を見て、さてどうしょうと決しかねている時に、午前五時の目覚まし時計が鳴ったのだと家内は云うのである。
『アハハ-------、目が覚めたら泥棒も無ければ、盗まれたものもない。泥棒を警察へつき出すべきか、突出すべからざるか、善の生活を選ぶべきか、悪の生活をえらぶべきかの反省もない。現象の善悪ともになく、実相の善があるばかりなのだ。夢も中々善いことを教えてくれるね』と私は朗らかに云った。
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宋末五代の禅僧、玄沙の岑(しん)禅師について大慧が書いている『玄沙、過って薬を服するに因って徧身紅く爛れた。僧あり問う、如何なるか是れ堅固法身。玄沙答えて云く膿滴々地。』
まことに面白いではないか。人間本来仏身にして金剛不壊の堅固身だと云うのが、宗教の悟りである。その悟りを開いた筈の玄沙和尚、過って薬を服して、徧身(からだぢゅう)が紅く爛れたのだから変なものである。そこで僧侶が「如何なるか是れ堅固法身」――金剛不壊の堅固法身って何処にあるのだ。どれが一体堅固の法身なのかと問うのだ。「この身このまま膿が滴々としたたっている此の身体」(膿滴々地)が堅固法身だと云うのである。変な話だが宗教の悟りとはこんなものである。
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堅固法身が膿滴々地の、今此処にあるのである。膿滴々地でも、このまま金剛不壊堅固法身である。改札口で東京行きの列車に乗りたいと地団駄踏んでいる自分が、既に此のまま東京にいるのである。
某僧あり、問うて云はく、『大和国過って戦争を始め、敗戦して大小都市悉く廃墟と化す。如何なるか是れ大和国』と。或る人答えて曰く、『脚下そのまま是れ大和国』と。わかったような、解からぬような。>
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