| [5554] <再掲示> インターネット道場―― 「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか) 第206回 |
- 信徒連合 - 2016年10月29日 (土) 08時57分
<再掲示>
インターネット道場――
「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか)
第206回
マサノブ君は、「生長の家ってどんな教え?」という本を書いています。これを読んでみますと、「マサノブ教ってどんな教え?」というタイトルが正確であります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』を換骨奪胎して、マサノブ君の個人的思想、―――サヨク唯物現象論に基づく環境問題が中心のもの、―――が「生長の家」の教えとして書かれているのであります。 最も重要な開祖・谷口雅春先生の大悟徹底(お悟り)や「生命的国家論」や真理の証し「体験談」、霊と霊界に関する事柄については全く書かれてはいないのであります。
「生長の家」の本当の『御教え』を知りたい人や真剣な求道を志す人たちにはマサノブ君の「今の教え」や「生長の家ってどんな教え?」は誤ったメッセージを送ることになっています。
また、本部公式サイトのインターネット講師による「生長の家」の普及宣伝を目的とする「インターネット・ポーサルサイト」では、マサノブ君は、全インターネット講師に『このブログは「生長の家」の真理普及のために開設しましたが、内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。 従って、私は「生長の家」を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、ご了承ください。』という一文を必ず掲載させております。誠に“奇々怪々”な文章であります。その結果として、本部公式サイトでありながら、殆んどのインターネット講師の真理普及のためのインターネット講座が、個人的な“私生活日記”の報告となってしまっています。
インターネットは全世界に公開されているものです。だから、開祖・谷口雅春先生が説かれた「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えしなければならないのでありますが、マサノブ君はその責任を放下してしまっているのであります。
そこで、本当の霊的真理を求めておられる御縁ある未信徒の人たちに正しい「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えする為に、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の根幹である部分を、何回でも何回でも繰り返して掲載して行く必要があります。この様な目的を以って、この「インタイーネット道場」を最初から再び<再掲示>させて頂きます。
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もっと霊界の知識を持ち伝えよう。現象界の出来事は霊界でその雛形が刻々と出来上がりつつあり!
霊界とは、どのようなところか?
普通の霊界以上の特徴について
(開祖・谷口雅春先生の霊界に関する御著書より)
*高級霊ヴェッテリニの霊界通信(『生命の實相』第九巻・霊界篇・上巻より)
「霊界の生活にもまた現世と同じように霊界相応の歓喜と悲哀とがある。しかし地上の生活に比較すると無限に幸福で、無限に広大で、無限に深刻で、また無限に輝かしいものである」、「蒼色(あおいろ)のスピリットは数は少なかったが、極めて忙しそうに立ち働いている・・・彼らが地上に起ころうとする事件を修正せんがために働いている・・・」(P.161−163)
「霊魂に於いては疲労は存在しない。仕事を完成するには努力、否、労苦さえも必要ではある。併し一つの仕事が完了したのちには活動の停止があるだけで、休息はないのである。・・・スピリットは披露することがないから、従って休息の必要はないのである。霊界の状態、霊界の感じ等は人間の言葉でいいあらわすことは不可能である」(P.166−167)
「あらゆる芸術の発生する根元の世界は霊界なのだ!芸術の精髄は霊界で想像せられる。地上の芸術的表現はその貧弱な写しにすぎない。・・・現世の人々は霊界(真に存在するもの)から、ただ暗示を、ただ微かな反響を受けるにすぎない!」(P.121)
「芸術の精髄的本源は霊界より発するのである。そしてまた自然を鑑賞する人間の情緒の精髄的本源もまた霊界より発するのである」(P.161)「きわめて高級なるスピリットはいずれも魅力あるメロディーを発することができるものであるが、多くのスピリットが集まって調子を合わすときには、その音楽の美しさはいちじるしく高潮し崇高化するのである。厳粛な瞑想や、人類救済に奔走した後などには、この非常に美しい音楽の演奏が始まったり、それを聴いて楽しんだりするのである。それは地上のわれわれが最もサブライム(荘厳、崇高、雄大)な音楽と考えているものの精の精であり、地上のわれらの音楽は聖なる霊界の音楽の貧弱な調子の狂った反響にしかすぎない」(P.123)
「霊界に於いては肉親の結ばれから来る執着は存在しないのである。そして霊魂自身の傾向の類似と進化の類似とによってのみ、彼らは集合しているのだということである。」(P.144)
「霊界には親族関係とか血族関係とかいうふうなものは存在しないのです。スピリットを繋ぎあわす唯一の紐はその霊波の類似ということです。(P.154)
「なかには懶惰(らんだ)なスピリットがあって沈滞した生活に打ち浸っている。併し、ある時期になると、宇宙の神秘な電磁気的流れに強要されていやでも進化の道程にもがき昇らねばならない。(P.161)
「高級な発達をとげたるスピリットは、自己が今まで多大の努力を経てから得たる優越な地位を、利己的に濫用して霊界に懶惰(らんだ)の生活を送ろうと思えば送ることも出来るそうである。しかしこの儹上(せんじょう)な行為はいつまでも続かない。ある時期が来れば強力な磁力の流れが宇宙をかすめて走る。この磁力の流れに打たれてかかるスピリットは地上におとされる。かようにして 懶(なま)けもののスピリットはその無活動の状態を嫌でも放棄せしめられるという。(P104)
「霊魂の萌芽(めばえ)は全時間を通じて間断なく創造されつつある。」(P.163)
*高級霊界における会議の様子(『生命の實相』第九巻P206−209)
<<彼女(註・霊媒少女レイヌ)は、高い霊界へ行って蒼色(あおいろ)のスピリットの開催した相談会のようなものに出席していたのですが、今やっとそこから帰ったところですと答えた。曰く――「私は高く高く、ただひとりで昇って行きました。と見るとそこにはスピリットの一大集会が開かれているのです。そこにいるスピリットは高級のものばかりでした。みんなブルー色のスピリット。ヴェテリニのような鮮やかに澄んだ美しい蒼色のスピリットばかりでした。彼らはきわめて重大な問題について審議しているらしいようすでした。彼らはわたしが彼らの間近かに行くことを許してくれました。どうして解かったのか自分にもわかりませんが、彼らの討議していることを熱心に聴いておれと、彼らがわたしにいうように思われました。討議――といっても、それはいわゆる討議ではありません。第一彼らは言語を用いないということを心しておいてください。彼らは言語なしに互いに理解し、ただちに同一意見に落着するのです。
自分はその光景を話すように求める。彼女はいう――それはきわめて大規模な集会のようであった。幾千と居並ぶ彼らスピリットは、小さい蒼い色の綺羅星(きらぼし)のように見えた。比喩(ひゆ)をいおうとして彼女は言葉に窮した模様だった。・・・このスピリットの会合は、地上に起ころうとしている恐怖すべき事件に関してであった。彼ら高級のスピリットは地上に起こる惨憺(さんたん)たる運命を彼らの力の限り避けようとしていた――否、彼らの力限り修正しようとしているのである。地上の運命のうちには、スピリットがいかに努力しても絶対にどうにもならないファイタル(運命的・宿命的)な部分がある。しかし人間の性格の相互作用より起こる部分や、人間の決意によって起こされる事件に対しては、高級なスピリットは、これに影響を与える力があるのである。人類を震撼(しんかん)する一大運動や、一大潮流の大部分はスピリットによって招来されたり修正されたりするのである。刻下(こっか)の場合にては、人類の感情に影響を与える程度はよほど深刻でなければならない。なぜならそれによって人類の行動を修正しなければならないからである。それは重き任務である。なぜなら彼らは自己の棲家(すみか)としている高き霊圏を去って、われらの雰囲気上に来たりわれらと混じって生活を送らねばならないからである。この会合において彼らはそのとるべき方策を説明していたという。彼らはおのおの特殊の役目につく。あるスピリットは政治的事件を左右する人物に憑(つ)いて、その人物に影響を与える――彼らの感情を変化し、個人的打算を修正する。煽動心を阻止し、虚栄心を破壊し、嫉妬心を浪静かにする--------等々。また他のスピリットは公衆の意見に影響を与えて強調すべき真理を強調し誤れる愛国心のごときものを抑制する。かかる影響を与えるために、彼らは重濁(じゅうだく)せる地の雰囲気に潜り込み、彼らにとって最も苦痛なる状態において自己自身を物質化しなければならない。「実際それは大事業です――難事業です――」とレイヌは再び絶叫した。彼らは幾群にも分かれて、スピリットの各群はそれぞれ受け持ちの国々、受け持ちの人々に付いて働くのである。彼らほどに進化せるスピリットには、所属の国籍というものは存在しないのである。人道――これが彼らにとって唯一のすべてなのである。彼らの第一の目的は、彼らの能力の範囲内において人類全体の進化の邪魔になるものを排除することである。そして彼らはそれをなすべく努力しつつあるのである。
レイヌは付言していった――彼らは戦争(繰り返して二度目には、<戦争を複数でいった>)を阻止することはできないであろう。しかし確かに彼らはそれを修正し、霊界に原型として描かれた恐るべき破壊と擾乱(じょうらん)の程度を縮め、内争と革命を防ぐことには成功する。約(つづ)めていえば、彼らは地上の大惨事の程度を減じて、すでに獲得した文化の基礎を破壊しないようにするのである。>>
*予言は何故まちがうことがあるか? (『生命の實相』第九巻P212−217)
<<与えられた運命は、スピリットの努力によって修正をうける・・・これらの予示は修正を経ない以前に人類の運命の原型として霊界に存する状態の透視とも見るべきもので、この原型がいかなる程度に修正せられるかはスピリットの干渉と人間の努力とにあるのである。しかし第一次大戦以来のロシアの運命、ドイツ皇帝の運命などがほとんんど修正なしに実現したことはレイヌの見せしめられた霊示の確実さを示す・・・将来に関する一大事件の予告についても、おのずから興味を感じずにはいられないであろう。しかし、予言は間違うことがあるものである。特に時間に関しては常にそうである。それはスピリットによる既定の運命の修正があるのと、スピリットの有する時間の知覚と人間の有する時間の知覚との間に誤差?があるからである(P.212−213)。(予言はまちがうこともあり、一連続のものが分割して出て来ることもあり、全然修正されることもある<P.223>)>>
<<高級のスピリットは人間とは懸絶した別の霊圏に住んでいる。そしてその役目は人生の傾向を修正し、人類を与えられた方向に進化せしむべき主流を刺激するにある。それで原則としては高級霊は、決定的な大事件とか事件の総体の大体的結果というようなもののみを予言し得るのである。>>(P.214)
<<レイヌの霊視せる光景は、その時未来の事件を示顕(じけん)しつつ存在する幽体的波動より生ぜる正しき写象である。・・・それはその時において真実であった・・・高級霊たちはその全力を集中して、戦争の惨事を遅らし、その悲惨を緩和しようとしているのだ。高級霊たちの運命への干渉は有効であった。しかしその勢力範囲は限られている・・・いつそれが実現するか正確な瞬間をいうことは出来ない。われわれスピリットは時を指定する力はない。われわれスピリットは時の経過を感じない。われわれスピリットは、君たち人間のように時を理解することが必要な状態に自身をおくことはむずかしいのである。・・・(コルニリエ氏の註・“時間はスピリットにとっては存在しない。スピリットは時の持続を知覚しない”)>>(P.215−216)
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