| [505] インターネット道場―――入龍宮不可思議境界録 B |
- 信徒連合 - 2015年09月12日 (土) 10時31分
インターネット道場―――
入龍宮不可思議境界録 B
(叡智の断片P.180−182)
自己今敗戦なり。敗戦即ち『真の自己』なり。明々白裡に『真の自己』を見よ。しかして敗戦の真底に動く不勝不敗の自己を観ぜずんば龍宮海に入る能はず。
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「敗戦前、真の日本なし。敗戦後、真の日本なし。現象裡、真の日本なし。」前後際断の『今即久遠』にのみ真の日本あり。真の日本を知らざる者は日本人に非ず。
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キリスト曰く『我が国は此の世の国に非ず』と。前後際断。
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久遠即今の真理を知らざる者は、滅びずと雖も亡者なり。
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勝戦時、真の自分を知らず、敗戦時、真の自分を知らず、勝敗を超えて、真の自己を把握すること是れ入龍宮不可思議境界なり。
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『夢幻、真に非ず、壽夭保ちがたし。呼吸の間、即是来生』と親鸞聖人の『教行信證』にあり。呼吸の間とは『今』の端的なり。
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『生にして不生なり鏡裡の形、滅にして不滅なり水中の月』(大慧『普説』巻下)
『われ涅槃を説くと雖も、これ真の滅に非ず、諸法はもとより以来(このかた)寂静なり』(法華経))
即今の姿について是等の言葉しきりに浮かぶ。
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敗戦が心にくっついて離れざるゆえ、敗戦病となるなり。境に捕らえらるる者は皆病ひ也、皆<なき>ままの境なり。皆<なき>ままの現象と知れば心が境に捕らえられることなく自由自在となるなり。
境にとらえられて心の自由を失ったもの、止み也、病み也、闇也。
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『一切ありとあらゆることを、仏でも、衆生でも、皆なき儘の一切諸法、なき儘の仏、なき儘の衆生と知れば、自ら我も無の我なり。人も無の人なり。これを佛眼と云う也』(盤珪和尚・心経鈔)
皆なきまま諸法(諸現象)と知れば捕らえられることなく、執することなく自由自在になるなり。
病気のものも、『病気なきままに』病気を顕しているのである。『なきままの病気』と知れば心に引掛ることもない。心に引掛ることもなければ無礙なり。心無礙なれば生命無礙なり。生命無礙なれば病気も消ゆるなり。
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大廈高楼そのままに無物也。幻術師の現じたる幻化なり。羨むこと勿れ。
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萬人具足す、大廈高楼。わが教えは貧窮礼賛の教えに非ず。
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