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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[6161] <再掲示> インターネット道場―― 「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか) 第243回
信徒連合 - 2016年12月20日 (火) 08時20分




<再掲示> 


インターネット道場―― 


「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか)


 第243回



マサノブ君は、「生長の家ってどんな教え?」という本を書いています。これを読んでみますと、「マサノブ教ってどんな教え?」というタイトルが正確であります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』を換骨奪胎して、マサノブ君の個人的思想、―――サヨク唯物現象論に基づく環境問題が中心のもの、―――が「生長の家」の教えとして書かれているのであります。 最も重要な開祖・谷口雅春先生の大悟徹底(お悟り)や「生命的国家論」や真理の証し「体験談」、霊と霊界に関する事柄については全く書かれてはいないのであります。

「生長の家」の本当の『御教え』を知りたい人や真剣な求道を志す人たちにはマサノブ君の「今の教え」や「生長の家ってどんな教え?」は誤ったメッセージを送ることになっています。

また、本部公式サイトのインターネット講師による「生長の家」の普及宣伝を目的とする「インターネット・ポーサルサイト」では、マサノブ君は、全インターネット講師に『このブログは「生長の家」の真理普及のために開設しましたが、内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。 従って、私は「生長の家」を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、ご了承ください。』という一文を必ず掲載させております。誠に“奇々怪々”な文章であります。その結果として、本部公式サイトでありながら、殆んどのインターネット講師の真理普及のためのインターネット講座が、個人的な“私生活日記”の報告となってしまっています。

インターネットは全世界に公開されているものです。だから、開祖・谷口雅春先生が説かれた「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えしなければならないのでありますが、マサノブ君はその責任を放下してしまっているのであります。

そこで、本当の霊的真理を求めておられる御縁ある未信徒の人たちに正しい「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えする為に、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の根幹である部分を、何回でも何回でも繰り返して掲載して行く必要があります。この様な目的を以って、この「インタイーネット道場」を最初から再び<再掲示>させて頂きます。



******************




(「生長の家 今昔物語」の比較篇を転載)


(注)この比較篇が作られたのは、6年前の平成21年でした。当初の頃は「谷口雅宣先生」と敬称で書かれていました。しかし、平成28年の現在に於いては、“敬称”で呼ぶ値打ちのない人物と成り果てました。しかし、この転載文に於いては、原文どおりの「谷口雅宣先生」として転載いたします。





< 「国家」なるものに関して >




「今の教え」に於ける<国家>とは?



残念ながら、第三代目・谷口雅宣先生の説く「今の教え」の中には<国家とは何か?>についての明確なお答えは見当たらないのであります。ただ「信仰による平和の道」第二章<時代に即して神の御心を生きる>の中で「これからは、民族意識を越える価値を人々に与える事が出来るか出来ないか、が平和を実現するかしないかに直接つながってくるのであります。すべての民族を神の子として認めた上で、それ以上の価値を人々が求めるようにならないと世界が不安定になる。」と説かれます。ここに説かれている<それ以上の価値>とは、すべての民族を神の子として認めたうえでの国際平和信仰というもので、国際平和信仰という価値観醸成の為には民族主義という価値観は障害となると、理解されます。

このように説かれる谷口雅宣先生の思考は現代社会においては、一見して至極もっともと言えるようであります。しかし、この思考を更に発展させますと次のようになって行くのであります。

谷口雅宣先生のよく説かれる「国家を超え・民族を超え」の真意は<究極の世界平和の為には、人間すべて神の子であるという信仰心の上に立った世界統一国家・世界市民意識の醸成が必要である。なぜならば国家・民族がある限り頭の中では人間はすべて神の子と判りながら、現実問題としてはお互いに利害得失の<国益>が出てくる。この<国益>というものは、相互に矛盾対立する場合が多いので、国家・民族が存在する限り最終的解決として戦争につながってゆく。「愛国心」は、敢えて全面的には完全否定しないが、現実問題としては<国益を愛する>ことになり国家間・民族間の<国益を愛する心>は衝突し戦争につながる。

故に、「国際平和信仰」においては愛国心は重要な問題ではなく、むしろ阻害要因である。だから現代および将来の地球においては、愛国心教育は必要とはならない。という結論となるのであります。


第三代目・谷口雅宣先生の説かれる<時代即応の真理>なるものは、以上のごとき論理構成を持つもので「国家を超え・民族を超えた国際平和信仰」によってのみ本当の究極の世界平和へ到達できるのであると説かれ、国家・民族・愛国心について考えることは、真の国際平和には繋がらないとして「今の教え」においてはその視野から外されているのであります。




                
「本来の生長の家の御教え」における<生命的国家観>



・開祖・谷口雅春先生の悟りのお言葉(「無門関解釈」・第六則・世尊拈花」

「大日本国家は因縁仮和合の国家ではない。私は<無>の関門を越えて金波羅華が象徴する<実在>の荘厳無二組織完備の大日本、国家を把握したのである。」


・国家は生命である。(「憲法の正しい理解」)

「有機的生命体は必ずその単位要素を結合するのに<理念的存在>が先行優先する。生命体である国家も国家形成の単位要素たる国民(国民個人)に先行してその国それぞれの特徴ある国家理念が存在し、その国家理念によって国民が統合せられてそれぞれの特徴ある国家形態が成立する。」


・日本国家形成の理念とは?(「憲法の正しい理解」)

「日本国家形成の理念とは、天皇を中心とする君民同治の国家理念である。それは、天照大御神様の御神勅<豊葦原の瑞穂の国は世々わが子孫の王たるべき地なり>の理念であり、それが更に具体化されて神武天皇建国の<上は則ち天津神の国を授け給いし徳に答え、下は皇孫正しきを養い給まふ心を弘めむべし。然して後に六合を兼ねて都を開き八紘を掩いて宇と為さん>という御詔勅である。即ち日本国は<人間立国>の国ではなくして、天照大御神様の<理念>が具体化して現実の日本国として現れているのである。」


・本当の国家とは?(秘められたる神示・<久遠天上理想国実現の神示>)

「国家にもそれが生命ある有機体である為には中心がなければならない。<中心の生命が全体を一つに統一している>ところに生きた生命体となり得るのである。国というものも一つの中心にすべてが統一せられて万民その天分に応じてその緒に安んじ、需給の関係でも一つの人体の血液が栄養を運ぶように全体の細胞各々適当な資料を適当な分量だけ過不足なく与えるようになったとき、<国>は即ち<家>となり、初めて本当の<国家>となる。」


・日本国家は、霊的本源の国である(「聖なる理想・国家・国民」)

「<霊の文化>は神の生命が筋金となって縦に貫く。国家としては、神の生命が筋金となって一本ズーツとたてに貫くのが<皇統連綿>である。日本国はヒノモトとして霊性本源としてその発祥は天照大御神様の神勅を以って肇まり、皇室の霊統が連綿として縦に貫く、これは他国に比類なきことであります。」

                

・国家は生命体である(「国のいのち・人のいのち」)

「普通、国家というものは、主権・領土・国民の三要素が渾然と調和して一体となったものと言われている。領土の上に国民の集まった集団があっても、その集団を統率し総覧する<主権>が無ければ<国家>と称することも認めることも出来ないのである。それは肉体があり細胞の集団があっても全体を統率し総覧するところの<生命・霊魂>が無ければ、それは生きた人間だと言う事が出来ないのと同じである。そして死物や無機物や無生物に<主権>が存在することはないから、国に<主権>が存在すると言うことは国が生命体であることを現しているのである。」


・国家という生命体の<統合の座>としての皇位(「国のいのち・人のいのち」)

「<国>というものも生命体ではないか!人がそれぞれ個の生命体であるならば、<国家は超個の生命体である>。ひとしく生命体であるならば個の人に全身統一の座が立つように、国家にも<統合の座>が立たなくてはならぬ。その座はわが日本に於いては<天津日嗣>即ち皇位として歴史的に与えられている!かく考えることに於いて私は確信的な尊皇者となった。(皇學館大學学長・佐藤通次博士)」


・祖国愛と郷土愛との混同(「国のいのち・人のいのち」)

「郷土愛、即ち愛郷心はむしろ感覚的なもの、目に見え、耳で聞き、手で触れる種類のもの、堪らなく懐かしいもの(故郷の山・川・谷・森・友人・家族・食べ物・道具等)である。しかしそれは<祖国>そのものではなく、祖国の中に含まれている色々な現象に対する愛である。現象は祖国そのものではないのである。しかしそれは、祖国のいのちが産み出して来た物であるからそういう<郷土愛>を我々は時々<祖国愛>と混同するのである。


・<国土>の生命との一体感より<愛国心>は生まれる。(「国のいのち・人のいのち」)

「身土不二論というのがある。わが身はこの国土から生まれたのであるから、わが身と国土とは一体である。国土の生命と我々の生命とは一体である。愛するとは彼我一体・自他一体・全個一体の自覚である。全個一体の自覚より人類愛は生まれる。<国土>の生命との一体感より<愛国心>は生まれる。神の生命との一体の自覚より神を愛する無我献身は生まれる。」




<注釈コメント>

 
平成16年10月31日和歌山県講習会場にての質疑内容の一部
<一人の信徒の質問>

「今や、日常語として定着した感がある<国の責任は・・>・<国としては・・>・<国の見解は>・・・といった表現がありマスコミでは毎日の様に使われています。これらの場合の<国>という言葉は正しくは<政府・省庁>と表現すべきです。コトバは生命のヒビキであり創造力を持っています。<生長の家は生命的国家観>であり、唯物的国家観ではありません。生命的国家理念が現象の国家(国土・国民)として顕れて来るのですから、国家の生命と国民の生命とは不可分の自他一体でありここから愛国心が生まれて来ると教えられています。従って現代社会の常用語となっている<国の責任は・・>・<国の見解は・・>等々の表現は、真の愛国心の育成を妨げ国家と国民の利害的対立意識を煽る表現でありますので、この様な表現は早く改めて<国>という言葉が生命的国家を意味するものとして正しく使われねばならぬと考えるのですが、先生のお考えを賜りたく存じます。」


<谷口雅宣副総裁(当時)のお答え>

「今の世の中の一般の人々は、政府=国と理解しており、この考え方は広く行き渡っている一般的な考え方であります。辞書にもそのように書いてあります。従って殊更に目くじらを立てる必要はありません。」


これが宗教の大学院といわれた生長の家の法灯を継ぐ人のコトバであります。生命的国家観や愛国心を意識的に避けた誠に低次元の唯物的国家観に基づく解答であります。

しかし、根本的な問題として生長の家の<生命的国家観>から観て見過ごせない大きな事柄があります。それは、<国の責任・国家の国民に対する損害賠償責任>等の<国>という言葉の使い方は、知らず識らずに国民の無意識の意識層(潜在意識)の奥深くに、国家と国民とは利害関係においては本来、対立的関係にあるものだとの観念が蓄積されてゆき、国家の生命と国民の生命とは自他一体であるという正しい愛国心など決して育つものではありません。

第三代目・谷口雅宣先生は戦後教育によって心の深層まで唯物的な見方が浸透して「引き寄せて結べば柴の庵なり、解くれば元の薪なりけり。」という唯物論仏教の教歌と同じ国家観を持たれ、それが正しいものだと信じておられるのであります。

この国家観は、精神分析的には国家破壊願望を密かに無意識的に秘めているものであります。故に<国家を超え・民族を超え>と繋がって行くものと考えられるのであります。

              
・第三代目・谷口雅宣先生は、国家・民族・愛国心の強調は戦争につながる要因であるから<国家を超え・民族を超えた>国際的視野が大切と説かれる。しかし何故に神様は地球上に色々な国家や民族を創造され、多種多様の文化文明を人間をして創造せられたのであろうか?という<なぜ>に答えておられない。また<なぜ>神様は最初から国家・民族の別を創らずに一つの<地球国家・地球市民>とされなかったのであろうか?

・それは、神の国(実相世界)には、多種多様の無限の理念があり、従って神の国(実相世界)の美は「全山一色」の美よりも「全山錦絵」の美であると言う事であります。第三代目・谷口雅宣先生は<理念は現象に先立つ>・<理念が現象化する>という現象顕現の法則の面から考えずに、左翼学者・左翼評論家の思考と同じく、国家意識・民族意識が無くなって、世界市民意識になることこそが世界平和実現のための必要条件と考えている。これは丁度、家庭や家族を小宇宙と考えずその小宇宙の家庭や家族の安定・平和の実現をまず第一に考えずに一足飛びに空想的神の国の実現・空想的世界平和の実現を信じて行動する一部の宗教信者の考えと同じであって「全山錦絵」の神の国(実相世界)の美意識が理解できない人々なのであります。

・神様はこの地球という星を<個生命の霊魂進化の場>として創造され、各個人の霊的発達度合いに応じた進化過程を歩ませるために多くの理念顕現の場を天降し給うたのであります。これが、地球上の各国家・各民族顕現の霊的存在理由なのであります。今生に於いて地球上に輪廻転生してきた私たち個性霊魂は今生の霊魂修行の目的にもっとも適した国家・国民を自分の意思で、あるいは霊魂進化の摂理の法則によって選ばれてその国・その国民の一人として生まれてきているのであります。

・そして当初の霊魂進化の過程を果たして更に無限の霊的向上を目指して輪廻転生していく事にこの上なき霊的歓喜を覚えるのであります。これが神様の目から見た「全山錦絵」の具体的な姿・相なのであります。神の子の実相の具体的顕現の<場>として国家・民族が存在してまず自分の生まれた国・民族の実相顕現が第一でこれを無視したり軽視することは唯物論思考であって間違いであります。

この様な霊的観点からの理解は霊魂・霊界を軽視する「今の教え」を説く谷口雅宣先生にとっては無理なのでしょうか? しかし、開祖・谷口雅春先生の御著書を全相に亘って紐解けばきわめて容易に理解できる事なのであります。



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